第21話 『名前』

 学校内に漂うのはいつもと違って、何処か浮かれた雰囲気だった。

 浮き足立っている、というのはこういうことだろうか。日頃は町のために、とそこらを駆け回っている生徒たちが、こうしてダンボールなどを囲ってあれこれしているのもまあ悪いものではない。

 祓魔師育成学校は基本、一年生の頃に行われる訓練期間が終われば普通の授業などを受けることはない。

 しかし学校、と名乗っているからには当然教室も存在する。その第六教室にて、誰かさんの大きな、わざとらしいため息が響いた。

「……で、俺だけハブだったんですか」

「いやだって手前テメェ入院状態だったじゃん……?」

「んなこと言ったってアンタ毎日俺のところに遊びにきてたよな!?」

 教卓に肘をつきながらやれやれ、と首を振る真岸に、澄人はダンボールを塗装しつつ怒鳴り声をあげた。

 拳を強く握る澄人の視界には天音の冷たい視線が過ったが知ったこっちゃない。澄人は今、真岸にどう鉄槌を下してやろうかと必死なのである。

「……って言ったってよォ、澄人。手前に学祭のこと言ったらあの教室から抜け出してでも準備手伝ってたんじゃないの?」

「モチのロンだぜ。学園祭なんて高校生の時しか楽しめないからな」

「なら教えられないな」

「嘘ついた。教えられても教室でじっとしてた!! だからハブは気に入らねえ!!」

「くだらないこと言ってるならその働けなかった分を取り返す勢いで働いてください。手が止まってますよ」

 無視されたのが気に入らなかったのか、頰を膨らませながらの天音のひとこと。

 対して澄人は視界の隅に見えるほんの少し〝おこ〟な天音に冷や水をかけられたかの如く、口をへの字に結ぶと大人しく作業を再開。澄人も言いたいことこそはあれど、これ以上は藪蛇だ。天音が言っていたことも、あながち────というか全くの正論なわけで。


「……にしても、メイド喫茶なんていったい誰が考えたんだよ」


 ベタベタと大きな段ボールに『♡メイド喫茶♡』と書きながら、澄人が小さくため息をつく。

 メイド喫茶が嫌いなわけではない。むしろ定番中の定番で良いな、と思うくらいだ。しかしまあ、よく一緒に開くメンツでメイド喫茶をオーケーしたな、といった心境で。

「……白雪ちゃんです」

「ああ、そう……宮咲、やけにこういう時は肝が座ってんのね……っつか一体どこからそんな知識を」

 言いながら、辺りを見回す。

 教室にいるのは澄人と天音、白雪の仲間だった半妖達と、


「……アインさん、渋い顔してましたよ」


 それから、アイン一同こと第三班だ。

 くだんのアインと白雪は現在ここには居ないのだが、そのほかの第三班のメンツはなんともまあ楽しそうに準備を進めている。白雪の仲間たちも同様に。

 白雪と同じように奴隷に取られていた半妖たちは、真岸の計らいで育成学校に入学することになった。

 白雪のような優秀なバカ────ものすごいスピードで色々と会得していく姿は眼を見張るものがあったが、澄人と似たような馬鹿さ加減が節々から見えた。以上、真岸談────とは違い現在は訓練期間なものの、訓練期間中であってもこの文化祭は強制参加らしい。

 去年は澄人たちの学年しか生徒がいないから、と開催されなかった文化祭。しかし今年は一年の訓練生も増えたんで、急遽企画されたらしい。澄人に覚えがないのも仕方あるまい。心の底から『解せぬ!』と叫んだのは、この際置いておいて。

 ちなみに班の組み合わせはくじ引きによって決められる。それでアインたちと一緒に店を開くことになるとはなんたる因果関係か。

「ごめんみんな、ちょっと遅れちゃった」

 なんて思考を巡らせ渋い顔をしているウチに、白雪が教室へと駆け込んできた。

 額から滲む汗を拭う表情は、楽しそうな満面の笑み。


『アタシを殺して、殺してよ……!!』


 涙ながらに懇願する姿と比べれば、よっぽどこっちの方が良いな、と思わず澄人は白雪の笑顔をじっと見つめてしまった。

「……えっと、アタシの顔になんかついてる……かな?」

 流石にじぃ、と見つめていれば気づかれてしまうというもの。

 周りの半妖や天音と他愛ない会話を繰り返してから、ようやく澄人へと視線を向けた白雪は苦笑する。

 見つめ合うこと、数秒。痺れを切らした白雪は再び口を開き、

「……アタシの顔になんかついてる……かな???」

「ああいや、聞こえなかったわけじゃない」

 ステレオのように再び同じトーンで言葉を繰り返した白雪と、それを聞いて手を左右にブンブンと振る澄人。


 ────なんていえば良いんだろうこれ。つい見とれてたというわけにもいくまい。


 見つめ合いながら冷や汗をひとつ。回らぬ思考と口に内心悪態をつきながら、ようやっと口を開いて、

「やっぱり笑顔g────あとで買い物に付き合ってくれ」

「今何か言いかけたのに無理やり話題をシフトしたよね!? いや、別に良いけど……」

 危ねえ、とひたいの汗を拭う澄人。失言しかけるとは……口が軽すぎるのも考えものだな、なんてついでにため息を吐いて。それを聞いていた天音と真岸は何を言おうとしていたのか気づいているらしく、生暖かい笑みを浮かべていた。

「そうですね。じゃあ後で、と言わずに今買い物に行ってきてください。丁度スズランテープも足りなかったので……あとメイド服、買ってきてくださいね」

 だめ押しとばかりに天音が立ち上がり、澄人の背中をずい、と押す。

 肩越しに見た天音の表情はとても楽しそうな黒い笑み。もう『気まずかろう。ほら、行ってこいよ』と言いたげな。正直めちゃくちゃ気まずいのが澄人の心情だ。

「え、まって、アタシ今来たところ……」

「いいから、いいから。澄人くんを頼みましたよ?」

「え、ええ、えー……」

 抵抗する間も無く、白雪までも背中を無理やり押されてしまった。


 ◇◆◇


「頼みましたよ、と言われても……」

「言われても、なぁ」

 ぼんやり呟きながら、二人並んで仲良く歩いていく。

 向かう場所は学校近くの商店街じゃなく、ほんの少し離れた先のショッピングモールだ。

 高いビルなどが建ち並ぶ『東楓』付近に設けられたソレには、かなりの量の買物施設が詰め込まれている。

 困ったらそこに行けばだいたいなんでもある、と言っても過言ではない。人と妖怪がうじゃうじゃと交差する、数少ない施設のひとつである。

「……で、なんでよりにもよってショッピングモール? 別に商店街でも事足りるじゃん。ドンケあるし」

「いやまあ、天音の誕生日プレゼントを選びたくてさ。だから、宮咲にも付き合ってもらおうかなって」

「ああ、そういう……ドンケで誕生日プレゼント選ぶのもアレだもんね」

「ドンケホーテ推すね?」

 だって楽しいじゃん、なんて白雪は、にへらりと笑う。

 天音の話だと、澄人が隔離されていた間に一度一緒に行ったらしい。なんでも、揃っている物のラインナップがお気に召したらしく、買い物に行くという話をするたびにドンケホーテの名前が飛び出す。まあ確かに、あそこだけでかなりの時間を潰せるのも事実なのだが。

「アタシも選んでなかったから、丁度いいや。付き合うよ」

「そっか、よかった。周りに仲がいい女の子っつったら宮咲と恵さんくらいしかいねぇし、恵さんに関しちゃ今の時間働いてるから頼めねぇし……断られたらどうしようかと」

「……白雪」

 突然、白雪がボソリと呟く。

 何を言ったのか。意味もわからず澄人はぼけっと白雪の横顔を見つめているとその頰が真っ赤に染まり、


「白雪って、名前で呼んでくれなくちゃ嫌だよ。天音ちゃんも、恵さんも下の名前で呼んでるのに。アタシだけ、仲間なのに苗字呼びなのは……嫌だ」


 細々と、尻すぼみになりながら、早口で。

 思わず澄人は「ああ、」なんて間抜けな声でつぶやいて、吹き出す。

「な、なんで笑うのさ!?」

「いや、そんなこと気にすんのかーって思って。可愛いとこあるんだな、白雪」

「はぁ!?」

 白雪は口をあんぐり開けて、顔を真っ赤に染めると澄人の脇腹を殴りつける。


 名前を呼ばれた途端、ほんの少しだけ鼓動が早まった気がする。

 この気持ちは一体なんなのか。なんとも言えない気持ちに口元を歪めながら、澄人の脇腹にもう一発。


「……そういえば、澄人。さっき、なんて言いかけて誤魔化したの?」

 今度は澄人の頰が赤く染まる番だった。

 顔が熱くなるのがわかる。正直に話したら、自分まで照れ臭くて仕方なくなりそうで。


「平和ボケしすぎた笑顔してんなー、って思っただけだよ。間抜け面」


 ほんの少しの照れ隠しで、嘘をつく。


「……わ、悪いかバカ。最近、毎日が楽しくて楽しくて仕方がなくて」

「そうかい」

「ほら、早く行くよ! 天音ちゃんたち、待ってるんだから」


 澄人を追い越し、駆けていく白雪。

 肩越しに覗くその笑顔は、とても楽しそうで。


 助けてよかったなあ、なんて。ぼんやりと思う澄人であった。

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