第19話 『祓魔師、始めました』

「……………………飽きた」

 読みかけの本をベッドの上に放り投げ、見慣れた天井を仰ぎながら、澄人が呟く。

 場所は第6応接室。しかし内装は応接室のソレではなく、病室、と言った方がしっくり来るような様子だ。

 ここにきて今日で4日目。暗殺騒動が解決して、それだけの月日が経った。

 育成学校の面々は振り回され、慌てふためいたものの、街には大した被害もなく。今も平和に、澄人が横目に眺める窓の外では、いつも通りの日常が繰り広げられていた。

 退屈な時間が過ぎていく。澄人が────祓魔師育成学校が手持ち無沙汰でやることがないのは嬉しいことのはず。自分たちが動く機会だなんて、この街では少なくあるべきなのだ。

 だが、


「……いや、四日間部屋にこもりっぱなしってのも流石に」


 呟き、ため息をひとつ。

 前回の隔離、外出禁止は一週間。だがしかし前回は腕を壮大に折ってしまい、『これじゃあ外出できないのもしゃーなしかなぁ』とは思えたものの。今回ばかりは体には何処も異常はなく、澄人に取っては健康体そのもの。

 ここまでくると、わざわざ一番使われて居ない応接室を改造してまで押し込んだ天音と夢魔野郎(藍那)が少し大袈裟に感じてきてしまう。

「読書も飽きてきたしね……そろそろ解放してくれても良いんじゃないかと」

 自然、独り言が増えていく。誰も相手にしてくれる人が居なければ、ただただひとりでぼやくことしかできないわけで。

 澄人の相手をしてくれるのは、天音が持ってきた数冊の分厚い大きな本。

 ハリーのムシロポッター、ダレイズジャン、エトセトラエトセトラ。

 どれも一度は天音にオススメされた挙句読んだ本たちであり、流石に二週目となれば飽きてきてしまう。つまりは暇、その一文字に尽きる。

 再び吐き出されそうになった溜息。それを遮るように、ノックの乾いた音が響く。

 間抜けな澄人の声が返ったのと同時に、静かに引き戸が開かれた。

「ちゃんとおとなしくしてますか、澄人くん?」

 冷たく、しかし澄人を本気で心配しているような。なんともまぁ器用な声と共に入ってきたのは天音だ。

 天音の手には3個ほどリンゴが入った袋がぶら下げられていて、澄人はそれを視界に止めると思わず苦笑した。

「梨、桃、パイナップルときて……今日はリンゴか」

「はい。今日も極潰死からの差し入れです」

 澄人がここに隔離されてから毎日、天音は甲斐甲斐しくここに通っている。

 その度に果物を持ってくるのだが、全部が全部克己たちからの差し入れで。

 一度電話で気を使うな、とは言ったのだが、『わかった!』と二つ返事だけ返して、また差し入れを送り込まれる始末。どうやら良いのは返事だけだったらしい。

 苦笑を浮かべる澄人を他所に、教室の端からパイプ椅子を引っ張ると、ベッドのすぐ近くに腰掛ける天音。

 同時に袋の中からリンゴをひとつ取り出すと、

「ほら、みんな心配してくれてるんですよ?」

 と。ソレを澄人にずい、と見せつけ、柔らかく微笑んだ。

 リンゴの皮には綺麗な赤以外に、余計な模様が足されていた。

 黒いペンで、おそらく一反木綿────潡兵衛とんべえの自画像と思われるもの。その横に、『早く元気になれよ!』と筆ペンで書かれたような流暢な文字が。

 その下に視線をやると、『売上貢献。はよ帰ってこい』と汚い文字。その隣には、『早く元気になってくださいね♡』と綺麗な文字。ハートの絵文字だけ、何やら新しいインクで中途半端に潰されているのはこの際置いておく。

「なんともまぁ」

 それらにありがたく、頷いて。思わず、澄人は笑みを漏らす。

 ただのリンゴじゃない。なんともまぁ、ありがたいリンゴな事か。

「みんな、澄人くんのことを心配してるんですよ」

 リンゴから視界をズラすと、悲しげな天音の表情が見える。

 ここに毎日通っては、こんな申し訳なさそうな表情を浮かべるのは、あんな殺戮を繰り広げた澄人への恐怖か、はたまた────


「……天音、ちっと気にしてる?」


 天音の肩が強く跳ね、視線が澄人の顔から床へと逸れる。

 見せつけていたはずのリンゴも引っ込み、モジモジとスカートの上で揉みしだかれ始めた。

「……はい、まあ。アレ、、は、全て私の実力不足のせいなので」

 変わらず、天音はそう言い終えても床と睨めっこ。対して澄人は大きく溜息を吐き、その頭を軽く叩いてやる。

「気にするな、って言ったはずだぞ。あそこで『始祖還り』を使ったのは俺の判断だ。俺の自業自得だ。全責任は、俺にある」

「なっ、だけど────」

「だけど、じゃないよ。だけどもクソもない」

 間髪入れず、澄人は天音に言葉を挟む隙を与えない。

 突然天音は叩かれた頭を抑え、口元はなにやら悔しそうに歪む。

 何とも言えない表情だった。悔しそうな、悲しそうな。澄人には天音がなにを思っているのか、読み取りきれない。

「……澄人くんには、危機感が足らなすぎます」

「充分、わかってるつもりなんだけど────」

「わかってない。何も、わかってないです。連続された無理、無茶、無謀。ただでさえ妖怪の力を変に酷使しすぎているのに、そこに『始祖還り』だなんて」

 今度は天音の番だった。天音はリンゴを握り締めながらベッドを叩き、澄人へと詰め寄る。

 澄人の目に、まっすぐな天音の視線が刺さる。天音のまっすぐな視線は、一切譲ることなく。澄人が心配だ、と。それだけを訴えている。

「それ、は」

 仕方ないことだ。天音と向き合って、本気で怒ってくれてる仲間と向き合って、そんなことは言えなかった。

 連続した無理、無茶、無謀。骨折の異常なまでの回復速度と、銃弾を撃ち込まれた部位の回復。

 ソレは等しく澄人の人間ではない方、、、、、、、の血の力であり、澄人自身の力ではない。

 本来、妖力とは妖怪の血より生まれるもの。謎の回復力も、澄人にはわからないものだが確かに妖術だと保証できる。

 それを過度な酷使をするとなれば、人間と妖怪の血────それが半分ずつ流れている、だなんて半端な状態では許されない。

 異常な酷使を繰り返すたび、人の血は妖怪の血に飲み込まれていく。

 始祖還り。アレは忌むべき形────妖怪へと完全に、、、還る妖術。回復を酷使していた澄人には、追い討ち以外の何物でもない。

 簡単に言うなら、一時的に身体を、ソレを流れる血液を、全て妖怪に書き換えるようなモノだ。

 それでいざ、全て食い尽くされてしまえば────待つ道は、死、のみ。

 妖怪の血に引っ張られ、飲み込まれ、人という意識を食い破られ。理性やら何やらを引き継ぐことなく、妖怪の本能のみが身体を満たし、『妖魔』と化す。


 ────恐るが良い。ただただ叫べ、『怖い』、と。恐怖に喉を震わせるが良い。


 妖怪の本能。破壊衝動に身を任せ、暴れ回れば、許される未来は自分たちの仲間からの殺害。


 自分の手で澄人を殺めることなどしたくない。だからこそ、天音は真剣に、澄人の目を見つめている。

「……悪かった。気をつける」

「わかってくれれば良いんです。夢魔のクソ野郎────藍那先生も、大人しくして入れば血の割合も平常に戻ると言ってました」

 天音の満足げな頷き。ほ、と胸を撫で下ろし、ポケットから果物ナイフを取り出すと、器用にリンゴの皮を剥いていく。

 そんな様子を澄人は、まっすぐ見つめることすらできなかった。

 澄人も、天音に一切後ろめたさを感じていないわけではない。


『君は力の操作に慣れるまで、始祖還りは禁止だかンね。絶対に、戻れなくなるよ』


 入学当初、藍那に言われた言葉だった。

 そう、澄人は一度でも始祖還りを行えば絶対に戻ってこれない。

 しかし澄人がここで、人間の姿で天音と会話を繰り広げているということは────天音が、無理をしたほか無いわけで。

 しゃりしゃり、と皮が剥けていく音だけが響く。

 澄人の喉に、言葉が詰まってなんと言って良いのかわからない。

 耐えかねた澄人はただただ、


「……ごめんな」


 と。か細い声で、呟くしか無い。

 天音からは何も応えは返らない。無言────それだけが病室を満たし、


「やっ、たあああああああああ!!」


 その気まずい空気を、馬鹿でかい声と冷気、それから妖力がかき消した。

「おい、なんだ今の」

「聞き覚えのある声でしたね」

 思わず二人は立ち上がり、窓際へと駆け寄る。

 応接室は四階にある。なかなか見晴らしのいいそこから顔を出せば、校庭に一本の大きな氷柱つららが立ち上がっているのが見えた。

 まさしくそこに立つためだけに平らにされた、氷柱の頂上。そこにはセーラー服を身に纏った、見覚えのある少女がいて────


「見た!? 澄人、天音ちゃん!! 本当に四日でクリアしてあげたんだから!!」


 ────見覚えのある少女こと、宮咲白雪が。澄人と天音に、ピースを向けて。満面の笑みを浮かべていた。

「……ああ、確かに今日……最後の体力測定だって、連絡が来たな」

「私、強がりか冗談だと思ってたんですが……本当に、四日で私たちが半年かけてこなして来た訓練をクリアするだなんて」

 二人の目が細められ、そして大きく溜息。苦笑をこぼしながら、満足げな白雪に視線をやる。


「ようこそ、祓魔師育成学校へ」


 全てが終わり、全てが始まる。

 祓魔師育成学校二年第六班に、新たな仲間が増えた瞬間であった。

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