第17話 『其は』

「澄人くん!!」

 眩い光が視覚を潰し、残る聴覚には焦った天音の声が響いた。

 まずった、とひとり澄人は奥歯を噛みしめる。胸を焼き焦がす焦燥ですらもう遅いと諦めきっていて、逃げようと足掻いた足までもが歩みを止めた。


 ────否、止められたのである。


「いやぁ、『変化』を使ってくれてよかったよ、化け猫くん? おかげさまで妖怪用、、、の結界に引っかかってくれた」

 にやり、と気に入らない笑みが視界に入る。唯一動くことを許された頭を捻り、視線を巡らせれば、澄人を囲う四角形の光のそれぞれの角にひとりずつ、印を結ぶ影が見えた。

 やられた。この結界は妖怪を封じ込めるためのものであり、動きを封じ────それだけでは飽き足らず外の世界と乖離し、魔術、妖術を通さない仕掛けとなっている。

 つまり澄人は完全に封じ込められた。このまま殺されるのを待つだけ、ということである。

「んで? そちらの天音ちゃんの能力は反転────相手の言動や評価なんかを反転させる力、だっけ。それなら余計なことを言わなきゃいいだけってもので」

「万事休す、ってやつ、だな」

 体が重い。不安に表情を歪ませる天音と、楽しそうに笑う男を見ることしかできないのがもどかしい。

 あそこで躊躇わずに退魔刀を引き抜けばよかった。

 自分の弱さと迷いのせいで、こんなことに────

「待っててください澄人くん、すぐにその結界を斬り捨てて……」

「んや、いい。こうなったのも全部、俺の自業自得だ。このままじゃあ全滅しちまう。そんなことになったら宮咲に合わせる顔がねえ」

 噛み締めた奥歯を緩め、長く呼吸を繰り返す。

 それだけで察したのか、澄人の中に流れるもうひとつの血が、解放を待つように、望むように蠢いた。

「だから、アレを使う。ちゃんと天音、戻して、、、くれよ!!」

「待って澄人くん、待ってください!!」

 必死な天音の声は虚しく、刃がぶつかり合う音と、妖力が溢れ出る威圧感に掻き消された。

 届かない。間に合わない。


 変わる。カチリ、と。何かが音を立てて、澄人の中で切り替わった。


 ◇◆◇


 鼓膜を揺さぶる衝突音と、遠くから聞こえてくる叫び声。

 喉が潰れるんじゃないかと心配になるほどのソレに背中を押され、階段を駆け下りていく。

 何度も何度も踏み外しそうになりながら、呼吸荒く。少しでも早く片付けるために。少しでも早く、戻るために。

 2人であの人数を相手にするだなんて無理がある。無理を承知で、背中を押してくれた。


 ────だからこそ、今度はアタシが助ける番なんだから。


 最後の数段がもどかしくて、思わずそのまま飛び降りる。

 衝撃と共に平らな地面に着地してやると、見えたのは上の階層とまったく同じ作りの部屋で。

 違うところといえば、下に降りる階段がないこと。それから、


「……よぉ。ホントに来たんだな、クソアマ」


 たくさん転がされているコンテナの上に座っている、憎たらしい男と。その周りに、見慣れた仲間────奴隷にされてしまった半妖達の姿がある。

 奴隷の中に、優斗の姿が見え、ほっと胸を撫で下ろす。

 天音の能力を信用していなかったわけではない。だがしかし、本当に弟を傷つけることなくここまでたどり着けるとは、思わなくて。

 地獄を抜けるためには、あと数歩。そのあと数歩が今、白雪の目の前にある。

「……来たよ。全部を、終わらせるために」

「終わらせるだぁ? 生意気なこと言ってんじゃねぇよ、テメェ。どーせ全部が失敗に終わって、またテメェはオレの下につくしかねーんだからよ」

 奥里の激昂と同時に、半妖の仲間達が息を飲む。

 向けられる視線は不安一色。しかし、白雪の視線は揺らがない。

「……ごめんね、優斗。つらい思いをさせて。お姉ちゃん、優斗を置いて死のうなんて、考えちゃって────ホントダメだ。姉ちゃん失格だ」

 優斗の顔を、遠目にしっかり見つめながら。

 返事は無くとも言葉は続く。懺悔をするように、決意を固めるために、


「でももう、そんなのは終わりだ」


 前に、進むために。もう宮咲白雪は、後ろを振り向かない。

「へぇ、はぁ? 終わらせるってか。オレを、殺して、全部終わりだって。はは、はははは! 笑わせてくれるぜ」

「笑わせるために言ったわけじゃないから。アタシは、本気」

「ほざけ!!」

 途端、響くのは発砲音。

 何処から取り出したのか、白雪が持っていたものと同じハンドガンが光を放ち、そして白雪の額めがけて鉛玉が迫り来る。

「姉ちゃん!!」

 次いで、鼓膜を揺さぶったのは自分を想ってくれた家族の声だった。

「……大丈夫だよ、優斗」


 ────ああ、もう、あんな顔をして。もう中学三年生になるのに。まだアタシがいなくちゃ、ダメなんだから。


「そこで見てて。お姉ちゃんが、全部全部終わらせてあげるから」


 もう泣かせたくない。そんな表情は見たくない。

 そんな思いを込めて、解き放つ。


 体から吹き出した妖力は冷気を帯びて、鉄でできた地面を凍らせる。

 同時に氷柱が地面から飛び出し、弾丸を受け止めた。

 氷柱にはヒビすら入っていない。ぶち当たり、力負けてへしゃげた弾丸が音を立てて地面に跳ねた。

「……混じりモノが。鬱陶しい」

「その鬱陶しい力に、貴方はやられるの」

 淡々と呟きに奥里の表情────怒りが深まり、コンテナから飛び降りる。

 そしてポケットから取り出したのは小さな瓶。白いカプセル錠薬が詰まったソレを握りしめ、栓を抜いた。

「うるせぇ。黙って死んでろ」

「それしか言えないんだから」

 白雪の挑発も物ともせず、じゃらりと取り出した錠剤を口に放り込む。

 水もなく、その薬を飲み下した途端、空気に歪みが生じた。

 禍々しい妖力。体から際限なく吹き出し、体の形態すら変えてしまうソレに、白雪は眉間にしわを寄せた。

「……すごいな」

 思わず呟く。

 本能は鐘をガンガンと鳴らしまくり、逃げろと警告をしている。だがしかし白雪のもうひとつの本能が、アレは大したものではないと告げている。

 どちらに従うべきか。そんなのはもう、応えるまでもない。

「でもそんな偽物に、負けてやるつもりは無いから。見てて、これが────ホンモノ」

 大きく吐き出された息が白い。体温が急激に下がっていく感覚。

 それに全てを任せるよう、白雪はゆっくりと唄い出した。


かえれ、は全てを眠らせる凍結。かえれ、は何者も受け付けぬ零度」


 呼び起こす。身体の中に眠る、もうひとつの血を呼び起こし、外側へと送り出していく。

 殻を破り、身体の奥に眠る本能が目を覚ます。


「十字の交点、強欲たる大杯は選択する。血は分かたれ、道は閉じ、あらわるはあだし者」


 風が吹く。風は白雪を中心に渦を巻き、白さを帯びて視界を塗りつぶしていく。もはやそれは風ではなく、吹雪。


「纏え、我が血は告げよう────」


 吹雪を纏っているようだった。

 吹雪に揺れるのは、長く伸び、白く変色した白髪。

 吹雪に揺れるのは、白いワンピースではなく、古びた白い着物。

 着物の節々から溢れ出る妖力の質量は紛れもなく妖怪のソレであり、佇む姿はまさしく、古く伝わる【雪女】そのもの。


「────愚者に、静かな冷たい幕引きを」


 此れが、忌まれる魂にのみ許された最強の最上級妖術、始祖還り。

 人々の恐怖を食らう妖怪の、真の姿だ。

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