第15話 『おこです』
視界がぐらぐらと揺れている。血液がぐらぐらと煮立っている。
額からは脂汗が吹き出し、心なしか意識もぼーっとして来た。ふわふわと意識が宙を舞うような感覚。少し力を抜いただけで、意識は掌からすり抜けて気を失ってしまいそうな。
「ちょ、ちょっと澄人。平気?」
「だい、じょぶ。とりあえずウチまで戻れば、応急処置はできるから……」
応える息が荒い。正直無理をしすぎた。
肩口と左腿。白雪から受けた傷がじくじくと存在を主張し、絶え間なく痛みを伝えて来る。
しかし撃った本人である白雪が、すぐ隣で不安げに顔に影を落としているのだ。ここで無理だ、なんて言うわけにもいかない。
白雪に肩を借りる形で、学生寮へと歩いて行く。
カラン、と乾いた音が澄人の鼓膜を揺さぶった。
ずぷ、と音を立てて肩口から弾丸が飛び出す。ワイシャツの上を転がって落ちた。
また響く、乾いた音。
────目を逸らす。
まともに見てしまっては自分の人外加減に耐えきれない。自分が化け物だと認識する瞬間ほど耐えられないものはない。
ぐらぐらと煮立つ血液は、妖怪のソレ。
異常すぎるほどの回復力を発揮する度、人間の自分が食われて行くようだった。
視界が狭まる。
荒い呼吸と同時に込み上げるのは殺人衝動。破壊衝動。何かを壊してやりたいという欲望だ。
腕に伝わる柔らかい、肌の感覚がつらい。
ワンピースの薄い生地越しに伝わる暖かさは、破壊衝動を駆り立てる。
鼓膜を揺さぶる呼吸音がつらい。
鼻腔をくすぐる汗と女の子の匂いがつらい。
ああ、もう、犯したくて、壊したくて────
「澄人くん!!」
自分の名前を呼ぶ声で意識が舞い戻る。
霞む視界に見えたのは、見慣れた女の子の姿。サイドテールを揺らしながら、必死に駆け寄って来る天音だった。
「天音か」
「もう、また無茶したんですか……!? 傷口は浅いですけど、処置をしなくちゃ……なんで白雪ちゃんも一緒に……ああもう、何処からどうして良いのか」
戸惑う天音に、思わず苦笑を漏らす澄人。
苦笑がバレて思いっきり天音に頭を叩かれる一幕などがあり、とりあえず、と。自分の部屋へと向った。
◇◆◇
「…………ごめんなさい」
部屋について早速、待っていたのは澄人の傷の処置と状況説明だった。
傷の処置を受けながら、澄人が状況の説明。それから、白雪本人から『白雪を救う』という依頼を受けたというのをなんとか説明し終えたのと同時に、白雪が頭を下げたという光景である。
「……澄人を傷つけておいて、助けてもらおうなんて都合が良すぎる、よね。ごめん。本当にごめん。だから、切り捨ててもらって────」
頭を下げながら、矢継ぎ早に、天音に言葉を挟ませないよう謝り倒す白雪。
そんな白雪の頭に天音は手を伸ばし、
「……別に、そこまで怒ってないですよ」
優しく、その頭を撫でた。
「確かに、澄人くんを傷つけたのは悪いことです。……それでも、もっと悪いのは白雪ちゃんをそこまで追い詰めた人たちですから。天音ちゃんを怒るのは、とりあえずソイツをブチ転がしてからで」
「ブチ転がすて」
「女子力を考慮した結果です」
笑顔でなにやらどえらいことを言い放った天音に、思わず澄人が驚愕。
謝り倒していたはずの白雪までも顔を上げて頰を引きつらせ、天音を見ている始末である。
「……それで澄人くん。白雪ちゃんを救う、なんて約束をしたわけですが、なにかしら考えはあるんですか?」
「清々しいくらいにノープラン」
「清々しいくらいに殴りたいですね」
天音の笑顔に澄人の表情が凍りついた。
とはいえ、ノープランなのも仕方がないことだ。白雪本人と話す時間はそれほどなかったし、話せるチャンスがあったとしても肩を組んで学生寮まで歩いて来るまでの時間。
その間澄人は傷に意識をやられとても話せる状態ではなかったわけで。それがわかっているからこそ、天音も「殴りたい」とは言っても実行しないのであろう。普段なら肘鉄の一発はくだらない。
「じゃあ白雪ちゃんの身の上の話と、なにが原因でこうなっているのか……それを聞かなくちゃダメですね。つらいと思いますが、頼めますか?」
そう問いかける天音の声音は至って真剣で。
少し視線をズラせば、白雪の視界には真剣そのものな澄人の表情も見える。
真面目に、本気で自分に向き合ってくれている。本当に助けてくれるつもりなんだなあ、と。白雪の胸に、なにか暖かいものがこみ上げた。
「……じゃあ、アタシの身の上の話から。アタシ、ね? 両親に捨てられた孤児で、そこを拾われた奴隷なの」
奴隷、と。飛び出した単語に、澄人と天音の表情が渋いものに変わる。
人と妖怪の共存が認められたが、日本は無法地帯になったわけではない。
現在も変わらず日本では人権を踏みにじるような行為は禁止されているのだが、何処か貴族やロクでもない集団の中では『半妖なら大丈夫』という謎のルールが出来上がっているのも、またこの世界の事実だった。
「アタシを飼って────うぅん、縛り付けているヤツの名前は、
「……沢山、半妖を」
思わず想像して、2人は拳を強く握り締める。
人と妖怪の間に生まれた。たったそれだけで差別の対象に担ぎ上げられ、見た目も心も人と変わらないのに、『こいつらなら良い』と酷い扱いを受けて。
たくさんの半妖を従え、高笑いしている図を思い浮かべるだけで虫酸が走った。
同時に、自分たちもそういう扱いを受けるかもしれなかったと思うと、怖くて仕方がない。
三人の間になんともいえない沈黙が流れる。口元を歪ませた天音に変わって、次に口を開いたのは澄人だった。
「……その奥里は、どんなことをさせてたんだ?」
「奥里、は……
白雪の喉に、言葉が詰まる。
同時に表情は苦しげなものに変わり、拳は強く握られ、同時に肩までも震えだす。
「命令に背けばみんなの前で、見せしめのように犯されて、壊されて、殺された。男の子は散々痛い目に合わされて、ボロ雑巾のように捨てられた。怖かった。逆らえなかった。逆らえばああやって手酷く殺される。それなら、永遠に奥里の従順な駒でいれば良い、って────」
白雪の脳裏に浮かび上がるのは、地獄絵図。
壊れたような喘ぎ声と、悪趣味な笑い声が、未だに鼓膜を離れてくれない。
「……アタシも唯一の家族を、弟を人質に取られて……それで、逆らえなくて」
次は自分の番かもしれないと思うたび怖かった。奥里に尻尾を振るたび悔しくて仕方がなかった。
だから、死ねば楽になると。自分が悪人だと認めて殺されれば、すっきりと死ぬことができる。自分は殺されて当然だったんだと、言い訳をすることができる。
天音は奥歯を噛みしめる。澄人は拳を強く握る。
許せなかった。恐怖を植え付けて縛り付けるやり方も、何もかも。
だから、
「……わかった。まずは宮咲の弟を助けて、んでもって────奥里とやらをひっ捕まえる。それで他の半妖達も開放して、ハッピーエンドだ」
「そうですね。まずはこの街の何処かで鼻高々に見物してるであろう、奥里の位置を特定してブチ転がす所からですね」
「……まずは、そうだな。宮咲の反乱がバレても、弟を殺されないようにしなくちゃいけない。宮咲、ソイツに連絡できる手段ってないか?」
「えっ、と。このガラパゴスケータイが……」
「ガラパゴスケータイってフルで呼ぶやつ初めて聞いたわ……よし、なら天音の
差し出したガラケーを白雪から受け取り、澄人は何やら悪巧みをした子供のような笑みを浮かべる。
同時に天音までも似たような笑みを浮かべ、白雪の頰に思わず汗が伝った。
「な、何をする気……?」
「まぁまぁ、良いから。見ておけって」
動揺する白雪を他所に、着信履歴から奥里の番号を呼び出す。同時にスピーカーから全員に声が聞こえるように切り替え、部屋には無機質な呼び出し音が響く。
『おいテメェ、作戦中だろ。何呑気に電話かけて来やがってんだ、アァ!? ぶっ殺すぞ!』
電話に出たと同時に、がなりたてる奥里。そんな怒鳴りに眉間にしわを寄せ、ケータイを机から取り上げたのは天音であった。
「ぶっ殺す、ぶっ殺すですか。下品な方ですね。死ねば良いのに。動物病院に連れて行ってあげましょうか、猿? 去勢すればその短気も落ち着くというモノでしょう」
いきなり投げつけた罵倒に、白雪だけでなく澄人までもが引きつった笑みを浮かべる。
数秒沈黙が流れ、同時に、受話器の向こうで奥里の怒号が
『なんだ、テメェ。おいゴルァ! ソレはオレのクソ奴隷のケータイだぞ!! 白い混じりモノはどうしてやがる』
「混じりモノ、とやらは今はいませんが。私の大切な友達の宮咲 白雪ちゃんは私の背後で苦笑を浮かべてますが、何か?」
『何か、じゃねぇ!! 喧嘩売ってんのかテメェ!!』
「ええ、売ってます。大盤振る舞いです。僭越ながら私、少々〝おこ〟なので。買っていただけると嬉しい所存なのですが」
言いながら、そろそろですね、と小さい声で呟く。
同時に天音の前髪の間から、尖った
『良いだろう買ってやる!! でもテメェ、覚えてろ。そこの混じりモノの弟の命はないもんだと思え……〝集団でボコボコにして、手酷く絶対にぶっ殺す〟!! 』
かかった、とばかりの天音の笑み。そして、
「そうですね。貴方は、白雪ちゃんの弟を【みんなで仲良く手酷く必ずぶっ殺す】────」
妖力の乗った言の葉を、紡いだ。
『……おい、テメェ。今何しやがった』
「何を、と聞かれてもただただ貴方を【反転】させただけです。それでは首を洗って待っていてくださいね?」
何か体に違和感を覚えた奥里が、焦りを隠せず問いかける。
そんな問いかけまでも無視してケータイを閉じ、それだけでは飽き足らずそのままへし折った。
「……終わりました、澄人くん」
「…………オツカレサマデス」
スッキリした、とばかりに笑みを浮かべる天音に、思わず澄人の声が強張る。
ひとり状況に取り残されている白雪は何処から突っ込んでいいのやら、と。何やら大量の脂汗を流しながら2人を見つめていた。
「何をしたのか、って聞きたそうな顔ですね」
「そう、だね。まずはそこから」
他ならぬ天音本人から出された助け舟にしがみつく形で、ブンブンと白雪は首を縦に振る。
同時に天音は額の尖った何かを引っ込めると、呼吸を落ち着けた。
「私は『天邪鬼』と人間の半妖なんです。今さっきやったのは、天邪鬼の力で奥里を【反転】させただけ、ですね」
「と、言われても……」
天邪鬼。古来より、人の心を見計らっていたずらしたがる小鬼、とされている。現代ではひねくれ者や、つむじ曲がり、思っていることと【反転】したことを言ってしまう人間の性格のことも言う。
その鬼と人間の間に生まれた天音には、その天邪鬼の力がほんの一部ではあるが遺伝していた。
それが、反転。声に妖力を乗せてかける洗脳系の妖術のようなモノで、他者の言いよう、心、評価を文字通り反転させる力だ。
「言葉には力が宿る。有言実行、とはよく言うじゃないですか。つまりその言葉────『集団でボコボコにして手酷く絶対にぶっ殺す』、を反転させてしまえば……そうですね。『バカなことを口走ったあまり自分だけでは飽き足らず、周りの仲間も自分も絶対に殺せない』、になります」
「……えっ、と。つまり、今奥里の仲間はみんな、優斗────弟に手を出せない、ってこと?」
「はい。そういうことになります」
天音のやけにツヤツヤした笑顔に、白雪がほっと胸をなでおろす。
鎖が一気に解けたようだった。肩にかかっていた重荷が、どかっと一気に降ろされたような感覚。
「まぁでも、そんな便利な能力だから妖力の消費が激しくて、月に三回使うのが限界なんだけどな」
言いながら、澄人が「さて、」と前置き。同時に腕を組むと、顎に指を添えた。
「あとはアイツの場所の特定か。どうしたもんかな」
ううむ、と唸り声を上げる澄人と、同じように腕を組んで考え込む白雪。白雪本人には隠れている場所を知らせていないようで、天音の腹が余計に立ったのはまた別の話。
「……あいつの怒鳴り声、やけに響いてたよね」
ボソリ、と白雪が引っかかりを呟く。
確かに奥里の怒鳴り声はやけに反響し、やかましかった。なんて苦笑したのと同時に、一気にパズルのピースがはまり始める。
「身を隠せて、声が響くような場所────」
あ、と。間抜けな声を漏らしたのは澄人だけではなく、天音も一緒で。
「災害級妖怪用の避難シェルター!!」
2人は同時に、掌を合わせて。
また白雪はひとり、話に置いていかれるのであった。
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