第14話 『懇願』
一歩、一歩と。踏みしめる脚が重い。
自分の足には重りが詰め込まれているようだった。
『おまえは囮にでもなってこい』
言ってしまえば自分は今から死ににいくようなものだった。一歩、一歩と進むたび、処刑台へと自分が向かって行っているような錯覚すらも覚える。
死ににいくのは怖い。だがもっと怖く辛いのは、自分がまた人を殺さなければいけないことだった。
片手に握ったハンドガン────銘柄も何もわからないそれには、既に返り血を浴びた後がある。
唯一着ることを許された白いワンピースにも、赤々と絵の具で不恰好な落書きをされていた。
祓魔師育成学校、その正門へと続く、長い長い一本道を歩んでいく。
遠目には仲良くしたかった人たちが暖かい日常を送っていた学生寮が見える。
自分にはもう、そこに戻る資格はない。今から、その人たちの居場所を────
何より、もう人を殺してしまった。そんな自分が、あの人たちに会っていいはずがない。彼たちは日常を守るために、悪を裁く人たちなのだから。
まっすぐで、暖かくて。今の自分には眩しすぎる。
────けど、
「……ああ。裁かれるなら、澄人か天音ちゃんが良かったなあ」
もしも、もしも。
それが許されるのなら。何も自分のことを知らない、赤の他人に裁かれ、殺されるくらいなら。
自分の気を許した相手に殺して欲しかった、さばいて欲しかった、と。
そんなもしもの願いを呟き、視線を前へ向ける。
同時に、信じられないものを見た。
「……なん、で」
見たかったはずの人影。同時に、見たくなかった人影。
彼はだらしなく伸びていたはずの前髪をヘアバンドで括りあげ、まっすぐな視線を向けている。
「なんで、よりにもよって、アンタが────」
アンタ、と。呼ばれた彼はいつも通りに笑顔を浮かべ、
「よぉ、よく来たな」
なんて。いけしゃあしゃあと、言い放った。
◇◆◇
最悪の予感がまさか的中するとはな、と。澄人は宮咲白雪と向かい合い、ひとり奥歯を噛みしめる。
白雪が身にまとっているのは天音から借りたセーラー服ではなく、澄人達と会った時と同じ、白いワンピース。
違いを挙げるとすればそのワンピースには返り血で趣味の悪い落書きが施されているのと、肩から大量のマガジンがぶら下げられていることだろうか。
「……なるほど。ウチのセンサーに引っかからないように、妖力やら魔力やら使わない武器を使ってここまできた、ってことか」
ボソリと呟く澄人に、白雪の表情が変わる。
唖然から哀。そして何かを堪えるような怒りに変わり、
「……なんで、こんなところにいるの?」
「そりゃあ、他の奴が居たらマズいからだよ。おおよそ1日くらいしか一緒に居られなかったとは言え、宮咲も大切な友達だからな」
投げかけた言葉を、澄人はスルリと躱す。
「……まるで、アタシがここに来ることを知ってたみたいな言いぶりだね」
「知ってた、ってより最悪の予想、って感じだったけどな。だって白いワンピースだけで、路地裏に転がされてたとか……しかも何をしてたか言えない、とか。全部怪しすぎるだろ」
「…………」
そんなのらりくらりと躱し、いつもの調子で放たれる澄人の言葉に、白雪は強く奥歯を噛み締めた。
マズった。少し気を抜きすぎた。油断しすぎだ。自業自得だ。バカ。おまえはいつもそうだ、少し気を抜けばこうやって────そんな自分を下卑する言葉の数々で、こみ上げる
「……天音ちゃん、は?」
「ああ、天音? 適当な理由つけて、学生寮を見に行かせた。他に伏兵が居ないとは限らねえし……おまえと天音、対面させるわけにもいかないし。天音が悲しむ」
「……そう」
気分が沈んでいく。
これ以上、この男とは話していたくない。これ以上話せばこみ上げる感情がどうしようもなくなって、自分が望まない方へと足を引っ張られていく気がする。
だから、
「……ここに来た、ってことは祓魔師としてここに来たんでしょう? アタシは言ってしまえば妖魔みたいなもの。誰かを殺そうとする、危険な存在────だから、澄人がアタシを殺して。死にたいんだ」
両手を広げ、懇願する。
殺してくれ、と。この呪縛から解いてほしい。死ねば全て楽になる。全部全部捨てて、楽になれるから。なのに────
「は? いや、殺さないけど」
何を言ってるんだこいつは、と言わんばかりに。顔を目一杯にしかめると、言い捨てた。
「……え?」
「いや、殺しに来たわけじゃねーよ、お前のこと」
「じゃあ澄人は、何をしに────」
理解が追いつかない。なんで澄人はこんなにもまっすぐな視線を向けてくるのか。何故、視線にはこんなにも信頼の色が込められているのか。
「俺はおまえを、助けに来た」
何故、人を殺した
わからない。わからない。この人は、何を期待しているのか。
「な、なんで……? 澄人は妖魔を、人の平和を脅かす妖怪を、殺すための祓魔師なんでしょ? ならアタシのことを殺すのも当たり前────そう、当たり前じゃない」
「いや確かに、妖魔を倒すのは俺たちの仕事だ。でも、」
「でもじゃないッ!!」
言葉を遮るように、食い気味に白雪は叫ぶ。これ以上続きは聞きたくなかった。
彼の声はダメだ。彼の言葉はダメだ。彼の言葉を、聞いちゃいけない。
「アタシを殺してくれないならそこを通して、澄人。邪魔しないで」
「それはできねーな。俺は祓魔師としてここにいる。町を守る連中のひとりとしてここにいる。だから、退くことはできない」
「ワガママ……ッ」
「よく言われるよ」
淡々と繰り替えされていく会話。
────限界だった。
拳を強く握り締める。手に握られていた銃はミシミシと悲鳴をあげ、拳が震えだす。手のひらにはわずかな痛みが走り、白雪の背中を押しているようだ。
「退いてくれないなら、撃つ。アタシは平気で人を殺せるロクデナシなの。あの世で、ここでアタシを殺さなかった自分を恨んで」
「ああ、良いぜ。撃ってみろよ」
「────ッ!!」
奥歯を強く噛みしめる。バカにされているようで嫌だった。
同時に引き金を引いてやると、一瞬視界が白く染まる。遅れて鼓膜を破るような発砲音が響き、澄人の肩が弾けた。
衝撃を受け、たたらを踏む澄人。視界が光に潰されても、肩口に痛みを受けても、澄人は白雪を見つめ続ける。
「ほら、アタシは簡単に人を撃っちゃうような人なんだから。澄人が救うような人じゃない。喜んで人を殺すの。仲間だっていとも簡単に、嬉々として見捨てた!」
「俺────には、そんな奴に見えないけどな。全然」
「そんなの、澄人のエゴでしょ? 勝手な理想で決めつけないで!!」
「勝手な理想だし思い込みかもしれない。でも、」
「早く殺すかそこをどいて!! もう嫌だ、嫌なの!! 嫌!!」
駄々をこねながら引き金を引く。
視界が霞む。狙いが定まらない。心臓部を狙って撃ったはずの一撃は太ももに直撃し、そしてひたいを狙ったはずの球は明後日の方向に飛んでいく。
なおも澄人は俯かない。なおも澄人は逃げない。むしろ白雪に歩み寄り、呼吸を整え、叫びをあげる。
「思い込みかもしれない。けど、本当に喜んで人を殺す奴は、涙を流しながら人を殺したりなんてしねぇ」
遮られなかった、澄人のまっすぐな言葉。
それは白雪の心に突き刺さり、分厚く、しかし脆く築き上げられた壁をいとも簡単に崩していく。
「なん、で……なんで、なんでもう……アタシは、たくさんの人を殺したのに。悪い人なのに、なんで殺してくれないの……?」
ひたすら流れていた涙を拭い、泣きじゃくる。膝が笑い出して立っていられなかった。
「もうどうしたら良いかわからないよ。わからない、わからない……」
泣きじゃくる白雪に、澄人は一歩。
重く、痛む足を引きずって、前へ。
「もう何処にも道は残ってないの。アイツのいいなりになって奴隷を続けるか、殺されるか……それしか道はなくて。諦めるしかなくて、もう────」
逃げようとすれば恐怖を植え付けられ、その恐怖が深く根づけば逃げようという意思すらもなくなる。
死のうと思っても自分の力じゃ死ねなかった。内を流れる妖力が、それを許してくれなかった。
なら、ソレに長けた者に殺されるしかない。それが叶わないのなら、一生奴隷として生きていくしかない。
そう決意するのにかなりの時間がかかった。なのに、尚も澄人は、甘い言葉をかけ続ける。
助けようと、手を差し伸べる。
「諦めるだなんて簡単に言わないでくれよ。悲しいぜ」
「簡単に言ってるわけじゃない……簡単なわけないよ。全部全部を諦めて死ぬのは簡単じゃない。でもそれくらいしか、楽になる方法はないんだから……何度も試したのにダメで。ダメで、ダメで……新しい方法なんか、なくて」
そして、もう一歩。澄人は白雪に歩み寄る。
すぐ間近で泣きじゃくる白雪を見下ろし、苦笑を浮かべて。
「新しい方法ならここにあるだろ。俺の手を取れ────んや、取ってくれ。俺に、宮咲を助けさせてくれ」
ズボンで手のひらの汗を拭き、差し出す。
最初から澄人はなんとなくわかっていた。いや、わからないはずがないのだが。
白雪は何かしらのワケありだ。しかもかなりの。救えるのなら救いたいと思っていたのだが、
「……というか、俺たちが育成学校の連中だって話した時に助けてって言って欲しかったよ。ほんの少しだけ残念だ」
「それは、その……どうやって逃げるか、必死で。できれば澄人たちは巻き込みたくなくて……澄人たちと過ごした日々が、暖かすぎて」
「んなら、それだからこそ俺たちに助けを求めてほしいよ。俺はおまえを、助けたい」
その案すらも出てこないまでに追い込まれていた白雪。それがすごく癪だった。
何より女の子にこんな顔をさせるのが、気に入らない。
「……ホントに、いいの?」
「おう、悪いわけあるか。助けさせてくれって頼み込んでるくらいだぜ? 助かりたいって思うことは恥ずかしいことでもねぇし。諦める、死にたい、殺してくれって言われるよりはよっぽどいい」
歯を剥いて、笑ってみせる。
そしておずおずと差し伸べられた手をひっ掴み、離さない。
助けを求める人を、放っておくことなんてできないから。
「……人を殺すたび、心臓が握りつぶされそうだった。怖かった。悲しかった。自分が生きるために誰かを踏み台にするたび、つらくてつらくて仕方なかった」
「……うん」
「辛かった。怖かった。ニュースで誰かが捕まったって聞くたび、次はアタシなんだって、言われてるみたいで、怖くて、怖くて」
「……そっか」
「ホントはいやだよ、死にたくないよ、怖いよ……でも、逆らえないんだよ……」
押し込んでいた感情が流れ出す。
怖かった。辛かった。恐ろしくて堪らなかった。
だけど、白雪の周りには誰も助けてくれる人がいなかった。だからこそ逃げることにしか目がいかず、ついつい盲目になってしまう。
「じゃあ、俺が────俺たちが、力になるから。宮咲に協力させてくれ。全部が全部大団円の世界ってのは、割と近くかもしれないぜ?」
しかし澄人が、天音が、第六班が。白雪の手を掴んで離さない。
助けを求める其の手を、強く、強く。
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