第12話 『漣』

 夕暮れが窓から差し込む。

 窓の向こうからはひぐらしの切ない声が響き、ひとりでいる寂しさがじわり、じわりと込み上げた。

「……もう。アタシを置いて、突然バタバタし始めて」

 白雪がボヤくのは、祓魔師育成学校第二学生寮、305号室。普段澄人と天音の賑やかなやり取りが響くはずのそこには、今は白雪ひとりしか居ない。

 ベッドの上にぽつん、と腰掛ける姿は、親鳥が帰ってくるのを待っている雛のような、何処か寂しい雰囲気を感じさせた。

「今日の夕飯、なんだろ」

 自然と独り言が増える。声を発していないと独りでいる寂しさに押しつぶされそうだった。

 思い返すのは昨日の夕飯。久しぶりに温かいご飯を食べて、ご飯を食べながら楽しい会話を交わして。

 ご飯と同様、すごく暖かい時間だったと覚えている。

 故に、暖かさを知ってしまったばかりに、味わってしまったばかりに────慣れているはず、、、、、、、のひとりの時間が、つらく、長く、重く感じてしまう。


「────────」


 よぎった思考に、ひとり顔をしかめる。

 ひとりでいるからだ、周りに誰もいないからだ。だからそんなことを考えるんだ、と。言い聞かせていると、けたたましい着信音が、白雪に現実を突きつけた。

 音の元は天音から借りた制服────そのスカートのポケットの中に押し込まれた、ガラパゴスケータイだ。

 登録されている連絡先はたったひとつ。そこに連絡する以外は何も許されないよう設定されているソレが、震えながら『早く出ろ』と主張しているようだった。


 ケータイを開く手が重い。震える指先で通話開始のボタンを押すと、受話器の向こう側からは不機嫌な声が聞こえてきた。

『おい、いまどこにいやがる』

「……それは、言えない」

『はぁ? おまえの立場わかっててそんなこと言ってんのか』

「アタシは〝おまえ〟なんかじゃない。アタシは、宮咲白雪で────」

 体だけでなく、反論する声までもが震えだす。

 受話器の向こうの男は、依然不機嫌のまま。白雪の反論で余計に機嫌を損ねたのか、

『偉そうなこと言ってるんじゃねぇよ!! テメェごときが調子に乗りやがって、気持ち悪い。半妖混じりが粋がってんじゃねえぞ!!』

 さらに声を荒げ、唾を飛ばしながらがなりたてる。

 しかし白雪も黙ったままではいられない。男の怒鳴りに肩を大きく跳ねさせたが、なんとか大きく呼吸を繰り返すことで喉の震えを押し殺した。

「偉そうな、って……そもそも前回のことが終わったら、アタシも優斗も開放してくれるって、約束で……」

 しかしそんな白雪のひとことも────


『はぁ? しらねぇなぁそんなもん。覚えてねぇや』


 ────けらけら、と。不快な笑い声をあげながら、切り捨てた。

「……しょ、書類にサインだって、もらって……」

『書類ィ? ンなもんシュレッダーにかけちまったわ。いやぁ、コーヒーこぼしちまったんだよ。仕方ねぇなぁ!』

 がはははは、と。受話器の向こうから聞こえてくるのは楽しそうな笑い声。

 心底白雪のことをバカにしたような笑い声に、思わずケータイを握る手が震える。

 ミシリ、ミシリ、と音を立てるケータイ。

 湧き上がるのはどす黒い怒りの感情。押さえ込むのがやっとのほどのソレは妖怪の本能を呼び起こし、殺人衝動を駆り立てる。


 だが、


『早く帰ってきやがれ。前と同じ場所な。早く帰ってこないと、優斗の命はないと思え』

「────はい」


 白雪は逆らえず、ただただ従順な駒でいるしかない。

 握りつぶす勢いで通話終了のボタンを押し込み、奥歯を強く噛み締めてベッドを強く殴りつける。

 しかしそれでも怒りは収まらず、ソレは涙という形で溢れ出し、


「……ごめんね、天音ちゃん、澄人。今日は一緒にご飯、食べられそうにない」


 ここには居ない2人の名を呼んで、立ち上がる。


 ────『俺は化音 澄人。澄人って呼んでくれ』

 ────『私は天野 天音。天音って呼んでください』


 今も蘇る初めてできた友達の声は、今の白雪には痛く、鋭く、眩しすぎた。


 ◇◆◇


「くっそ、突然の呼び出しってどういうことだよ!」

 保育園のバイトが終わり、その足で祓魔師育成学校、その正門を目指し駆けていく。

 悪態を吐く澄人の顔はひどく不機嫌で、隣を走る天音ですら苦笑を浮かべてしまうほどだ。

「白雪ちゃん、夕飯をかなり楽しみにしてくれてたみたいですからね。少し、申し訳ないです」

「少しどころじゃなく合わせる顔がねーよ……今日の夕飯は期待しとけ、とか言っちまったのに」

 言いながら、今日の夕飯当番である澄人は大きく溜息。

 2人の脳裏に蘇るのは白雪の満面の笑みだ。そんな嬉しそうな顔で『期待してる』なんて言われてしまえば、台所を任されている立場としては裏切れない。

「……手早く終わらせて帰ろう」

「はい、わかりました」

 2人が表情を引き締めたのと同時。正門をくぐり抜け、西棟と東棟の間を縫って校庭へと駆けていく。

 既に校庭にはほとんどの生徒が集まっていて、不穏な空気を漂わせていた。

「……にしても、緊急集会って何があったんだろうな」

「わかりません。電話では、ただ『非常事態だ』と言われただけで……」

「肝心なことはぼかされたんだな、クソ。何があったんだか……」

 絶えずため息を繰り返す2人に、4人の人影が歩み寄る。

「……ハ、なんだ。随分と遅い到着じゃないか、第六班」

 そして投げかけられた言葉に顔を上げ、声の主は満足げに、澄人達の眼の前で皮肉な笑みを浮かべた。

「……誰だっけ、アンタ」

「祓魔師育成学校二年第三班 班長、アイン・ヴァームレスだ。貴様の知能は猿以下か?」

「あー……」

 第三班、という単語といちいち悪態を吐く態度、それから綺麗な金髪を搔き上げる動きに思い当たったものがあったのか、澄人は掌をぽん、と合わせた。

 二年第三班班長、アイン・ヴァームレス。第三班の班長といえば、研修期間において、魔術、体術、退魔刀を扱った戦闘、全てにおいて第1位をもぎ取ってきた超エリートだ。

 何やら外国の偉い血筋とのハーフで、ヤケに偉そうな態度だったと澄人は記憶している。

「初の抜刀者、初の人外との戦闘────ソレから生還した者がこのようなバカの半妖ハーフとは。ウチの評価も下がるというものだ」

「はいはい、素直に生還おめでとうって言えねえのかよ」

 このように度々憎まれ口を叩き、その都度澄人達に『半妖』という単語を投げつける。


 曰く、両親を殺され妖怪にただならぬ恨みがある。

 曰く、自分も半妖であり、世間からの目を気にして隠しているものの、対抗意識は隠しきれていない。


 様々な噂が飛び交っているものの、真実を知るのは第三班の仲間だけらしい。

 ────ただ、アインの悪態はその仲間たちにすら苦笑されているのだが。アイン自身、それには気づかない。

 永遠と続くかと思われたアインの悪態は、設置されたスピーカーから走ったノイズによって中断される。

 同時に校庭に集まった全員の視線が校舎へと向き、ざわついていた空気が一変、静まり返った。

『これで全員集合……だな。諸君、よく集まってくれた』

 スピーカーから響いた声は、若い男の声。男の声からはやや焦りの色が感じ取れて、周りにいる全員が同時に息を飲んだのがわかった。

『これより学園側から、緊急任務を発令する。対象は、この場にいる全員だ。よって、これよりこの場の全員に『退魔刀』の持ち出し、並びに抜刀を許可する』

 息を飲むだけの沈黙が、囁き声によってさざめき、その場にいる全員の心を煽っていく。

 そして、そのさざなみは────


『依頼内容は校長の殺害────ソレを企てた者の確保。生死は問わない』


 ────告げられた依頼内容によって、大きな波に変わり澄人達を飲み込む。


 7月24日、午後18時15分。


 後に『祓魔師育成学校校長暗殺事案』として語り継がれるその夜が、幕を開けた。

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