第10話 『暖かい良心』
305号室、と札がかけられた扉の前で、天音が大きくため息を吐く。
場所は祓魔師育成学校極東第二支部の学生寮。育成学校の校舎から10分ほど歩いた先にある建物がソレだ。
ワンルームとそこそこ広めの台所、風呂とトイレは別といったのが挙げられる特徴で、ひとり住むだけでやっとな広さなのだが、そこに澄人と天音は諸事情があって2人で住んでいた。
天音の吐き出されたため息には疲労と空腹、それから『どうしてこうなったのか』という呆れの色が含まれていて、心なしか表情も浮かない。というか、情けない表情というか。
とりあえず呼吸を落ち着けてから扉の鍵を開けて、ゆっくりと扉を引いてやる。よく見慣れた廊下の先の部屋で、澄人が何やら漫画本片手にぼーっとしてるのが見えた。
「……えーっと、澄人くん」
情けない、とても小さな声。澄人の元に届く前に、床に墜落してもおかしくない声量である。
しかしそれでも澄人の耳には届いたようで、ゆるりと天音に視線を向け、何やら眉間にしわを寄せた。
「どした、天音。そんなところで突っ立って犬か猫でも拾ってきたような顔をして」
「ゔっ」
澄人の言葉に天音の喉に言葉が詰まり、思わず顔ごと目を逸らす。
何故こういう時だけ目ざといのか、と内心悪態を吐く天音だが、澄人自身は首を傾げ、なんのこっちゃとさらに寄せた皺を深める。
完全に本能というか、何気ない発言だったのだが。今の天音にはすごく痛い。
「えっと、なんと言いますか……拾ってきたのは、犬でも猫でもなく……」
「…………うん?」
ここまで
口に出すのも気まずく、とりあえず手招きをひとつ。
それを受けてさらに皺を深めた澄人は天音に歩み寄り、促されるまま扉の外にひょっこりと顔を出す。そこに居たのは────
「……えぇ、えー」
────否、倒れて居たのは、犬でも猫でもなく、ヒト。
白いワンピースの女の子が、野菜やら何やらが詰まっている袋の隣に横たわっていて。
そして目を覚ましたその少女と、目があった。
◇◆◇
「えーっと、その。まぁ、なに? うん。なんだ」
なんと言うべきか。言葉に迷い迷って、挙句なんとも言えない澄人。
そしてその隣に座る天音は苦笑を浮かべるだけで、その天音の正面の少女はがつ、むしゃ、と音を立てながら料理を頬張る始末。
なんと言うか。一見、『娘が彼氏を初めて家に連れてきて、夕飯まで一緒に食べることになったのだけども連れてきた男が不良男で、とんでもない食欲で、なにを思ったのか食事中に娘が席を立って会話に困った両親』のような。というか澄人の内心はソレであった。
「……君、よく食べるのな」
「……澄人くん、そうじゃないでしょう」
言葉に困ってなんでもないようなことを言い放った澄人を、天音が横目で見ながら肘で小突く。
なんと言うか。完璧、『娘が彼氏を初めて家に連れてきて、夕飯まで一緒に食べることになったのだけども連れてきた男が不良男で、とんでもない食欲で、なにを思ったのか食事中に娘が席を立って会話に困った両親』のような。というか天音の内心はソレであった。
吐き出す言葉を迷う祓魔師育成学校第六班一行。連れてきたのは天音だろ、だとか、ですが……だとか押し付けあっていると、食事の手を止めて少女が小さくため息を吐いた。
「……ご飯貰ってるし、あそこから助けて貰ったのも、傷の手当てして貰ったのも事実だし。だから聞きたいこととかあるんなら、モノによるけど答えるよ」
じ、と。澄人と天音を見つめる少女の視線は真剣そのもので。思わず言葉に困っていた2人は揃って面食らい、言葉を失ってしまった。
数秒の間沈黙が続く。時計の針の音だけが部屋に響き、そして。
「……じゃあ、とりあえず名前と年齢。それから、商店街で何をしていたのか、なんでそんなに怪我してるのか、ってとこかな」
落ち着きを取り戻した澄人が問いかけ、対して少女は意外そうに目を見開く。
「意外だな。アンタ、礼儀も関係なくズバズバ踏み込んでくるタイプに見えるのに」
「それ遠回しに俺のこと雰囲気からロクデナシだって言ってね?」
「澄人くんは雰囲気も中身も根っこもロクデナシですよ」
「えぇ……」
少女からでなく隣にいる、仲間のはずの天音からも突然の口撃を受け頰をひきつらせる澄人。何やら言いたいことはたくさんあるようだが、なんとか飲み込み少女に顎だけで言葉の続きを促した。
「……名前は
「逃げてた、と言うと何から逃げてたんですか?」
「……それも言えない」
結局わかったことは年齢と名前だけ。
意外と制限が硬い少女────改め、白雪の返しに、思わず澄人と天音はため息をひとつ。
「まー言えないなら仕方ないな」
「そうですね、仕方ありません」
仕方ない、と再び食事を口に運ぶ作業に戻る2人。そっちの醤油取って、なんて完璧日常的な会話に戻った途端、
「えっ、えっ、えっ!? いいの、仕方ないの!? アタシ結構言えないこと多かったから、無理矢理にでも聞いてくると思ったんだけど……なんならほら、アタシスリーサイズくらいなら聞かれれば答えるしその」
「なに、スリーサイズ?」
「澄人くん殺しますよ」
白雪のとんでもない発言と同時に澄人の目の前に星が飛んだ。ついでに視界には白雪が映っていたはずなのに、いつの間にか天井と睨めっこしている。具体的に言えば肘鉄が入り、床と後頭部が感動の再会を果たしたことになる。
「いっでえええええ眉間が、眉間がごっつ痛い!!」
「……まったく。しかしまあ、無理やり聞き出すようなことはしませんよ。流石に怪しい人を家に長く置いておくわけにもいきませんが……そのワンピース、洗って綺麗になるまでは、ウチに居てくれていいですから」
今度は白雪が、天音の言葉に面食らう番だった。
……何か裏があるのでは、とか。罠にはめられてるんじゃ、とか。色々と勘ぐってしまう白雪だが、断じてそんなことはない。
2人は根っからこうなのだ。お腹を空かせて、しかも怪我をしているなら放ってなんて置けない。
後味が悪い、と澄人は言う。
澄人くんがそう言うなら、と天音は言う。
平和のために、なんて本気で言う2人だ。人助けに対価や下心なんてものはあって良いわけがない、と。
未だ床をのたうち回る澄人と、それを冷たい目で見下ろす天音を見て、どうやら本当に罠でもなんでもないんだと理解した白雪。
しかし、ひとつだけ言わねばならないことがあった。
「……でも、良いの? 2人とも気づいてると思うけど、アタシ……
2人の顔を見るのが怖くて、奥歯を噛み締めて視線を俯かせる。
人々が恐れる妖怪と、人間のその間に生まれた自分。
それは世間からも疎まれ、白い目で見られるのがこの世界の現実であった。
『あっちいけ! バケモノ!』
未だに胸に刻まれている、苦くて痛い思い出。
一度、周りに馴染もうと歩み寄ったことがある。
しかし、歩み寄ったその手は叩き落とされ、そして向けられたのは恐怖の目だけだった。
以来、誰とも関わらない。誰かと関わるのは怖いことだ。自分が誰かと仲良くして良いはずがない。
ずっと、自分に言い聞かせてきた。なのに、
「……いや、別に関係ないよな。っつか俺たち、宮咲が半妖だって気づいてたし」
「ええ。再生しはじめた傷口から、妖力がバリバリ溢れてますからね」
「それに俺たちも半妖だし」
「えぇ、そうですね」
あっさりと、2人は関係ないなんて言いのけた。
それだけでは飽き足らず、自分たちも半妖だと。
「────────」
思わず、言葉を失う。
なんて言って良いかわからない。なんと言うべきなのかわからない。言葉を発する口どころか、頭までもが思考を停止して、ただただ2人を見つめることしかできない。
本気で頭の上に「?」を浮かべやがる2人。もう、何が何だかわからなくて。
「……ふ、ふふ。はははは、あは、あはは」
「お、おい宮咲? 壊れた? 壊れたか!?」
込み上げてくるよくわからない感情に駆られて、笑って、笑って。
よく味もわからないまま夕食を腹に押し込んで、また笑って。こんなに笑ったのは久しぶりだなぁ、なんて。
その後に何があったのか、どんな話をしていたのかは、白雪自身覚えていない。
ただただ、その夜はすごく、暖かかったと。胸を張って言える。
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