第9話 『アフタヌーンガールズトーク』

「わあ、すごい……」

 運ばれてきた保育園の給食を前に、思わず天音がほう、と呟いた。

 今日の給食の献立は白いご飯に魚の重ね煮、ほうれん草の海苔和えと味噌汁。おまけにデザートの桃だ。

 言ってしまえば天音と澄人の昨晩の夕飯より豪華でしっかりしている。ちゃんとバランスやら何やら考えてあるだけでも驚きなのに、デザート付きである。なんともまあ、なんてはっきりしない呟きしか漏らせない天音の心境たるや。

「明日からはもっと、ちゃんと、夕飯、作ろう」

 まさか保育園児の方がちゃんとしたご飯を食べているとは、なんてショックからなんとか立ち直り、ぐっと右手を強く握りしめる天音。

 そんな光景を魚の重ね煮を箸で切り崩していた恵は苦笑を浮かべて、

「そうですねぇ。キチンと料理ができた方が、澄人くんにもモテますよ」

 からかうようなひとこと。しかしそのひとことに、天音は頬を赤らめるわけでもなく、ムッとした表情を浮かべて味噌汁を啜るだけだ。

 というのも、恵が天音に澄人の話題を振るのはこれで6回目。午前だけで6回だ。それだけの回数同じ人の話題を振られればムッともするものだろう。しかも全て色恋沙汰である。

 何を勘違いしてるのだろうか、と短くため息を吐く。天音が澄人に抱いている感情は恋心ではなく、一種の憧れや尊敬。それから仲間としての信頼と、感謝である。

 故に気づけば彼のことばかり気にかけているし、彼のことばかりを見てしまう。それは心配だからであり、そんなピンク色なことでは決してない。

「……澄人くん、お腹大丈夫かな。かなり空かせてたけど」

 故にこんなことを無意識のウチに呟いてしまうのも仕方がないことなのだ。仕方がない。断じて。

 ……しかしそんなことを考えている表情が、恵からすれば面白いことに天音は気がつかない。

「そういえば、良かったんですか? 澄人くんが壊したドア代の修理費まで出していただいて」

 ふと、対面に座る恵へと問いかける。

 対する恵はまた天音の口から澄人の名前が出たことが嬉しいのか、にやり、と口元に笑みを浮かべ、気にしないでください、とばかりに片手を横に振った。

「大丈夫です。保育園の手伝いの件だけでは、私が物足りないなって思っただけなんで。私からの感謝の気持ち、とでも思ってくれれば。……それに、澄人くん可愛いじゃないですか」

「……澄人くんが、可愛い?」

 脈絡なく飛び出した可愛い、と言う単語。またからかう気かと身構える天音だが、恵本人は柔らかい笑みを浮かべると、

「ええ、可愛いです。色々なことに一生懸命で、まっすぐで……心の底から、平和を願ってる。私、あそこまで真剣に園児のみんなと遊ぶ人初めて見ました。助けてもらった……思い出補正? もあると思うんですけど」

「……は、はぁ」

 天音の目をまっすぐと見て、言葉を紡いでいく。

 いたって真剣な様子で語られていくその様子に、天音は食事の手を止めて固まるしかない。

「……あんないい人、みすみす逃しちゃうようだったら、私が貰っちゃいますよ?」

「────────」

 とうとう、天音は言葉を失った。

 澄人に相手ができるのは良いことだ。別に天音自身になんの損害もない。むしろ自分の重荷がひとつ降りて、気が楽になるくらいのはずなのに。

 胸にわだかまるのはなんとも言えない感情だ。これでは、まるで────

「すなおじゃねーなー」

「つんでれだなー」

「ねーちゃんつんでれー」

 なんとも言い難い思考を遮るのは、園児たちの声だった。

「やっぱつんでれのねーちゃんこええからいやだなー」

「えっ?」

「つんでれのねーちゃんよりくそねこのがすきー!」

「ゔっ」

 そして、園児からのまたもや脈絡のない押収にやられ、カラカラと音を立てながら箸を机の上にとり落す。

 なんとか立ち直った天音であったが、その後から口に運んだ給食は、やけにしょっぱかったことを覚えている。


 ◇◆◇


「……私よりも、まさか、ホントに、澄人くんの方が、人気……ふふ……」

 楓町商店街。八百屋魚屋肉屋本屋、カラオケやゲーセンといった娯楽施設まで立ち並ぶその通りを、天音はひとりため息を吐きながら歩いていく。

 その手にはたくさんの食材が入ったビニール袋が下げられていて、昼間の決意を胸に買い物をした……のだが。意外な園児からの不人気がそうとう心に来ているらしい。

 天音が子供好きだからといって、子供が天音のことを好いてくれるとは限らない。なんとも世知辛い世の中か。

 漫画ならば今の天音の額には青い線が3本ほど走っているだろうか。体から発される負のオーラは、通行人の殆どが天音を避けて歩いていく程。

 しかし、


「────妖力の残り香」


 そんな負けムードも長くは続かない。鼻腔をくすぐる妖力の香りに顔をしかめ、その根源へと視線を巡らせる。

 周りの通行人たちも気付き始めているようで、ざわざわと騒ぎ立て始めた。

 どうやらその香りは肉屋とパン屋、その間の細い路地から漂っているようで。

 周りを警戒しながら、一歩、一歩と路地へと足を踏み入れていく。


 息を呑む。思い出すのは先日の新川姉弟の事案────その戦闘だ。

 妖力が、クスリが、魔力が関われば周りの人間を気にして戦っている暇はない。一刻も早く状況を確認して澄人に連絡して、安全を確保せねば。

 そしてとうとう、天音はその根源の姿を捉える。

 パン屋の勝手口────その脇に積まれた廃棄処分のゴミ袋の山に、ひとりの少女が横たわっている。

 見たところ、年齢は澄人や天音と同じくらいだろうか。黒い髪を短く、肩口で切りそろえた少女は、天音の気配を感じ取ると勢いよく立ち上がる。

「……誰だ。あんたも、アタシを追って来たの?」

 汚れの目立つ白いワンピースの裾を握りしめ、天音を睨みつける少女。

 声は掠れていた。目の焦点も合わず、はっきりしない。足はガクガクと震えて、膝や脛などあちこちに転んだような傷が見えた。

「……私は祓魔師育成学校極東第二支部、二年第六班の天野 天音です。ここで貴女が何をしていたのか、聞かせてもらえますか」

 言い終えて、睨み合う。

 相手が妖力の気配を放っている限り、迂闊には近寄れない。相手を刺激して暴れさせるわけにもいかず、天音はただただむず痒さを押し殺してその場に立ち尽くすしかない。

 数秒、沈黙とにらみ合いが続く。永遠に続くと思われたその時間が、とうとう動き始めた。


「アタシ、は────」


 ワンピースの少女が力尽き、その場に倒れるという形で。

「え、え……っ、えっ、と。これ、どうすれば」

 こんな時に澄人がいてくれれば、と動揺する天音だったが、そんな天音の鼓膜を揺さぶったのは、


 ぐぅ、ぎゅるるる、と。


 元気すぎるほどの、少女の腹の虫の叫びであった。

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