第2章『楓の街に白雪姫は泣く』
第8話 『アフタヌーントーク』
草木も寝静まる丑三つ時。それは妖怪、幽霊といった奇々怪界の本格的な活動時間といえる。
しかしそんな妖怪たちも眠り、世界に住む住人達が一切活動していない時間が存在する。
人と妖怪が共存する街、第二人妖特区『楓町』は、その時間を『
日の出の朝4時半から人間が活動を始める6時頃にかけて、世界は休息を取る。
その休息を取っているはずの楓町を、少女が逃げ惑うように、必死に足を回していた。
少女を追うのは3つの影。影はどれも殺気を放ち、怒鳴りこそはしないものの、少女の背中へ何度も何度も舌打ちを繰り返していた。
駆ける、駆ける、駆ける、駆ける。
何度も転びそうになりながらも、何度も足を挫きながらも、何度も何度も体を何処かへぶつけようと。止まることなく、ただただ逃げるために足を回し、駆けていく。
足がもう回らない。痛いところなんて、逆に痛くないところを探す方が難しいくらいだ。
────なら、追いかけてくる〝奴ら〟を殺せばいい。
「やだ、やだ……ッ! あたしは、あたしは、もう……!!」
少女には確かに、その力があった。追いかけてくる連中を一掃できるほどの力が。だがしかし、
「人を、殺したくなんて、ない……ッ!!」
少女は懇願し、逃げ惑う。
その頰には一筋の、涙が伝っていた。
◇◆◇
「おまえもう帰れよ……」
「テメェ俺はお客様だぞお客様。お冷出しやがれお冷!」
「お客様一名おかえりでェす!!」
「やめろ!?」
今日も今日とて賑やかな────いや。平日の昼過ぎとなれば流石に客足も疎らなラーメン屋、『極潰死』にて、学生2人の叫び声が飛び交う。
言うまでもないだろうが叫び声を上げているのは澄人と克己であり、上から克己、澄人、克己、澄人の順だ。
しかし帰れ帰れと言う克己だが、その顔は満更でもなさそうで。厨房からその光景を眺めている店主の『一反木綿』の、
そんな店主を見やる澄人の表情は渋い色。しかし相手にしては負けだとそのまま何も言わず、好物である備え付けの壺ニラを口に放り込むと、正面で何やら美味そうなモノを頬張る克己に問いかける。
「そういやおまえ、なんで平然と飯食ってんの。仕事中じゃねぇの? っつかなんで平日のこの時間に店に居るのさ。学校は?」
「質問責めかよ……学校は今日は三限目からで、今の時間は暇なんだよ。あと昼休みだから飯食ってる。コレはまかないだ」
「クッソ、美味そうなもん食いやがって……」
克己がどやぁ、とヤケにムカつく笑み(澄人談)でこれまた美味そうに口に運んで居るのは、店主作のまかないチャーハンだ。見た限り、具は厚切りのチャーシューとネギに卵。極潰死のチャーハンの具はハムとネギ、卵だったと澄人は記憶していたが、それはまぁまかないならではと言ったところだろうか。
「澄人の方こそなんでここに居るんだよ。暇なのか? んなことより何か食え。売り上げに貢献しろ」
「金がねぇ、依頼もねぇ、車もそれほど走ってねぇ」
「何言ってんだか……っつか、依頼ないのかよ。姉ちゃんに何か頼まれてるんじゃねぇの、おまえら」
ネタが通じなくて不満げな澄人に対し、呆れ気味な克己。しかしまあ、澄人に金も依頼もないのも事実ではある。
新川姉弟の依頼で、それなりの量の
そう、あくまでも今月初めてだ。前回までの依頼は自分達────主に澄人ではあるが────が壊した物の修理や弁償のせいで報酬からかなりの額引かれていたせいで生活はカッツカツであった。
カッツカツの生活にお金が入ったとしても、限界状態から『今月なんとか生活できるかな』に変わっただけなわけで。今月もまだ澄人と天音には贅沢のできない毎日が待っている。
「……それと恵さんの頼まれごと、だっけ。アレは天音が『澄人くんは園児と絡むととてもめんどくさいので一緒に働くのは嫌です』って言いやがるもんだから、日替わりになってな。今日は俺暇なの」
恵からの頼まれごとというのは、紅葉保育園の手伝いだ。
『そ、そんなんでいいんですか?! 他にもっと、なにか、こう……やりようがあるんじゃ……』
新川姉弟の一件が、克己が全力で頭を下げる、なんてことで解決した日のこと。
言い出した澄人達第六班と妖怪の親達はその結末に納得していたのだが、『キチンと裁いて欲しい』と依頼してきた恵は納得してくれなかった。
と言ったものの、それだけで済んだとわかった瞬間、数秒だけ安堵の表情を浮かべたのを澄人達は知っている。なんというか、姉としては安心だが保育園の先生としては解せない、というか。そんな複雑な心境の様子で。思わず新川姉弟を除く全員が吹き出してしまう、なんて一幕もあった。
ここにいる全員で克己をぶん殴る、なんてかなり物騒な提案が恵から飛び出し、その場の全員でなんとか押しとどめて。
報酬の上乗せやらやはり殴らせるか、やら数分口論を繰り広げた挙句『依頼がなくてお金に困っている時、保育園の手伝いをして小遣い稼ぎをさせてもらう』というところに落ち着いたというわけである。
「しかしまあ、澄人は子供ウケとジジババウケは良いからな。ちょうど良い仕事なんじゃねぇのか? がははははは!」
そんな澄人の思考を遮ったのは、店主の潡兵衛の豪快な笑い声だった。
とうとうほぼ皆無の客足のせいで暇を持て余したのか、大きめの皿を2つ乗せたお盆と共に、澄人と克己の元へと飛んできた。
「そら、食いな澄人。今月もモノ壊しまくって金がねーんだろ?」
と、克己と澄人の間をからかうように飛び回ってから、お盆の上の皿をひとつ、澄人の前へと滑り込ませる。
皿の上にたんまりと盛られていたのは克己が食べているものと同じチャーハンだ。
鼻腔をくすぐるよく焼けたチャーシューの匂いと、食べ盛り育ち盛りの澄人には嬉しい物量の暴力に澄人の腹は叫びを上げ、そして同時にその目が爛々と輝いた。
「マッッッジか!! いいのか大将!!」
「良いぜ良いぜ、たんまり食いな」
「よっしゃあ!!」
つゆが跳ねてシミだらけの、布のような胸を張る潡兵衛を横目に、チャーハンをかきこむ。
口に入れた途端胃袋が歓声を上げ、噛みしめる度になんとも言い難い満足感がこみ上げる。このために生まれてきたのだ、生まれてきてよかった、とまで今の澄人は言えるだろう。流石に朝食抜きは堪えたらしい。
うほー、やらんはー、やら歓声をあげる澄人に、克己は冷たい視線。がしかしその視線は澄人の腰に向き、ふと、レンゲを皿の上に置きながら問いかけた。
「……なあ、澄人。今日はあの刀、持ってきてないのか」
「んぁ、刀? あー、『退魔刀』のことなー……アレ持ち出すのめんどくさいんだぜ? 許可を2つも取らなきゃいけない」
かきこむ作業を中断して、遠い目をし始める澄人。
取らねばいけない2つの許可は、『退魔刀持ち出し許可』と『退魔刀所持の許可』だ。
書いて字のごとく、持ち出す許可と街中で所持する許可である。
2つとも許可を取るのに必要なものは、合計して4枚の書類。それから2時間に渡る許可待ちの待機時間。
そりゃあもう澄人からしたらめんどくさくて仕方なく、本当に必要な時しか持ち出さない。だいたい『変化』のゴリ押しでどうにかなるし、というのは澄人の弁である。
なんてため息を吐きつつ生徒手帳の退魔刀についての概要を見せてやると、つられて克己までもが遠い目になった。
「……おまえも大変なんだな」
「……まあな。いやでも、色々と書かなきゃいけない、ってのはよくわかるし、書いてるとなるほどって思うんだけどな。不必要にアレを街中に持って行ったら、色んな人が何事かってビビっちまうし」
澄人の脳裏をよぎり、蘇る感覚は克己の翼を両断した感覚と、その光景。
赤々と変色した刀身と、その切れ味は────
「ごっそさん! じゃあ俺はそろそろパトロールに戻るから。美味かったぜ大将!」
湧き上がる嫌な感覚を飲みくだし、誤魔化すように立ち上がり声をあげる。
笑顔で手を振り駆け出した澄人の背中は、潡兵衛と克己にはほんの少し危うげに見えた。
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