第7話 『ラーメン屋、始めました』

 男はひとり、景色を眺めていた。

 目の前に広がるのはコンクリートのジャングルと、所々に見える和風の建築物。

 侘び寂びを感じる、だなんて洒落たことを言う者もいるが、疎らに佇むそれは景観を壊してしまっていると言っても良い。

 妖怪たちの『やはり移り住むなら和風の家でないと』という申し出を二つ返事でオーケーしたのはこの男自身なのだが、我ながら今になってなぜ悩まなかったのかと苦笑を漏らした。


 ────否、悩まなかったのではない。悩めなかったのだ。


 男の頭には『平和』を作ることのみが居座り、別のことを考えることを邪魔していたのだ。


 ────平和のための条約? 殺意のある武器の量産の禁止? 馬鹿馬鹿しい。求めるのは平和。それだけだ。


 それが完成すれば全てが終わる。全てが終わればまた始められる。終わりのための、準備を。


 なんて言ったって、平和は『悪意』の最高の隠れ家なのだから。


「……さて。初の抜刀者が出たわけだが」


 男は笑う。自身の目指す未来を、奴らに叩きつけてやる結末を想うだけで笑みが漏れた。

 まるで恋を覚えた乙女のような、純粋な笑み。


「アイツは、アレを見てどう動くかな?」


 男は殺戮と血飛沫と吐き気がするほどの妖力、魔力の奔流に、恋をしていた。


 ◇◆◇


「もう大丈夫そうだンね」

「おぉふ……よかったー。我ながら、治癒スピードにはゾッとしねぇけども……」

 もうすっかり元どおりの左腕を回しつつ、澄人がホッと胸をなでおろす。

 場所は祓魔師育成学校の一室。保健室だ。

 澄人の鼻腔をくすぐるのは薬の匂いとほんの少しの紅茶の香り。ついでにサロンパスの匂い。

 あまり薬品の匂いが好きではない澄人でも居心地が良いと感じるのは、対面する男の人の良さ故か、はたまた。

「そうだねーン……澄人っちのせいでボク、ここにいる意味を無くしそうなンだけっど。毎日がつまらないなー!」

「よく言うぜ。いろんな女子生徒に声かけてここに連れ込んで楽しんでること、俺知ってるからな」

「いーやいや怪しいことはしてないよン……そんなことしてたらボク、クビだかンね、クビ」

 言いながら、男は中性的な顔を苦笑に歪める。

 男の名前は藤野ふじの 藍那あいな。白い髪と同じく白い白衣、女と言われても頷いてしまうような美貌が特徴の育成学校の職員だ。

 そして年齢は14。澄人の3つ下である。にも関わらず容姿は20歳と言われても信じれるほどのもので、未だに対面する澄人自身も年下だとは信じられない。

 というのも、


「ボクは人間と夢魔の半妖ハーフだからねン。ちょこーっとだけ、夢に潜り込ませてもらってるだぁけ」


 この藍那も、人間と妖怪の間に生まれた子供なのだ。悪魔の方が人間より肉体面の成長が早い、というのは本人の弁である。

 元の容姿のままでは威厳もクソもないんで、『変幻』を用いて見た目を変えてるのでは? と噂も飛び交っているのだが、それはまた別の話。

 半妖と言えば人間と妖怪の混じり物────故にこの育成学校でもあまりいい顔はされないものだが、藍那は生徒からの支持が厚い。特に女子。

 曰く、「半妖? 藍那先生ならいいかなぁ……」と頬を赤らめる女子生徒。

 曰く、「半妖ねぇ……藍那先生なら平気だよ、私。着痩せしてるタイプなんだよあの人。ほんとスゴいの……」と頬を赤らめる女子生徒。

 曰く、「あのクソ猫も夢魔野郎も嫌いです」と冷たい目の女子生徒。

 曰く、曰く、曰く。悉くの女子生徒が藍那の話をすると頬を赤らめる点を鑑みても、やはり怪しいことしてるのでは……? と疑いが拭いきれない澄人。何より胡散臭いのもいけない。

「……ナルホド」

 とは思ってもこれ以上口に出してしまってはどうなるのかわからないし、カタコト気味に頷くしかない。この保健室を度々訪れている澄人としては、藍那の機嫌を損ねて出禁、なんてのはなかなか洒落にならないわけで。

 この保健室は自分で『回復魔術』が使えないものが主に利用する。

 大方の連中は同じ班に回復魔術を専門に学んだものが居て、その仲間に治療を頼む。故に保健室の出番はほぼほぼない。今月の利用者数も澄人、天音、それからもうひとり、、、、、と寂しいものだ。

 そう。澄人と天音はこの保健室の常連。2人して、回復魔術が使えないのである。一切、と言っても過言ではないほどに。

 天音は『妖力』を用いた『変幻』のエキスパート。

 澄人は『変化』を用いたゴリ押しのエキスパート。

 後者に限っては怪我も絶えず、保健室の利用数もうなぎのぼりというもので。

「まぁいいや、もう万全ってことでオーケーなのな?」

「ん〜おけおっけ。この回復魔術のエキスパートの藍那先生が太鼓判を押してアゲル」

「よっしゃ、じゃあ今日から任務再開ってことで!!」

 椅子から勢いよく立ち上がり、腕をこれまた勢いよく振り上げる澄人。

 新川姉弟の一件があってから、早いこと一週間が経った。

 その一週間、左腕の骨折のせいで「安静にしているように」と家のベッドに縛り付けられて居たのだ。元気が有りあまり、「暴れまわってやる!!」と意気込むのも無理はない。……どこか遠くで真岸教諭が胃を痛めた気配がしたが、そこはまぁ気にしない。細かいことを気にしないのは澄人の美点であると自負している。

 そんな様子の澄人を見上げ、思わず藍那は苦笑を漏らす。元気なのはいいことだ、と頷きつつ、

「……ああ、そう。依頼といえば、彼はどうなったの?」

 ふと、今月のもうひとりの保健室の利用者を想い、問いかける。


「……アイツ? ふふ。上手くやってんよ」


 ◇◆◇


「……なんでパフェって約束だったのに、ラーメンに変わってるんですかね」

「いいじゃんかよ別に。天音も好きだろ? ここのラーメン」

「好き、ですけど……」

 解せぬ、と表情を歪める天音に対し、ヘラヘラと備え付けの壺ニラを口に放り込む澄人。

 2人が今いるのは妖怪のみが営業しているラーメン店、『極潰死』の店内である。

 今日もここはたくさんの人で賑わい、そして従業員の妖怪たちが所狭しと動き回っている。

「そもそも、完治したらラーメンに行こうって言ってたの天音じゃんか」

「確かに言いました。でもパフェの約束とこれとは別だと思うんです」

「今回の新川姉弟の件、俺の手柄の方が大きいと思うんだけどどうよ?」

「そうやって自分の成果を盾にして私の主張をねじ伏せるのは最低だと思うんですけどどうです?」

 2人でニラを摘みながらの攻防戦。互いに譲らないものの、天音は強く否定できずにいる。


『キチンと弟を裁いて欲しいんです』


 そう願って居た新川姉────恵だったが、今回は意外なことに攫った妖怪の親に頭を下げ、「すみませんでした!」と声を大にして謝るだけで許された。

 それもこれも澄人の声かけのおかげであった。どういうわけか寸前まで克己を殺す勢いで怒っていた親達なのだが、澄人が色々と話をしただけで渋々『心を込めて謝ってくれるなら』と頷いてくれたのである。

 その話というのは、


「……待たせ致しました。ラーメン2つで良かったッスか」


 このラーメン屋、極潰死で働く、という条件の追加。

 意外なことに克己が攫った子供の中に、この極潰死の店主の息子がいて。従業員が足りないと常に嘆いていた店主に、『妖怪の良さを教えるためにもさ。働き手がいなかったんだろ? どーよどーよ』とごますり────片腕は吊るしてある状態なのでとても不恰好だった────をひとつ。存分にこき使う、という条件も追加で、何とか店主が他の親達にも掛け合い、という流れだ。

「どーよ克己くん。ここの働き心地は」

「どーもクソも、こき使われすぎて死にそうだよ」

「存分にシゴいてやれって言ったからな」

「俺が死ぬ前にぶっ殺すぞクソ猫」

 眉間にしわを寄せて、どえらい形相で澄人を睨みつける克己。と言ってもその表情に根っからの拒否はなく、満更でもないようだった。

 正直澄人は不安で仕方なかったのだが、満喫しているようで何より、と。ラーメンを啜る。

 そして、


「……なぁ、澄人」

「おん?」

「妖怪もなかなか、悪くねーな」


 照れくさそうな克己の一言に、思わず吹き出した。

 しかし澄人が言葉を返す前に、そそくさと克己は厨房へと戻ってしまう。

 奥から聞こえてくるのは「あまり澄人ンとこで油売ってんなよ!」という店主の怒鳴り声。すっかり手篭めにされている様子に、思わず再び吹き出して。


「……そうだろ。妖怪もなかなかどうして、悪くねーんですよ」


 しみじみと、優しく呟く。

 思わず浮かんだ笑みはそれはもう嬉しそうで、幸せそうで。

 こうして、ゆっくり、ゆっくりと妖怪と人間の距離は狭まって行く。

 完全にその距離がゼロになるその日まで、化音澄人は走り続ける。


 目指すゴールは、まだまだ遠い。

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