第6話 『第六班の思い』

 駆ける。

 膨大なほどの妖力が澄人の脚力を上乗せし、人間ではありえないほどの速度で人外と化した克己へ接近した。

 がしかし、相手も既に人間ではない。常人には消えたようにしか、、、、、、、、見えない澄人の動きを確かに捉え、対応すべく右腕を振りかぶる。

 瞬間、人外同士の拳の激突。

 巻き起こる暴風は床に散らばる写真、床の上に積もった砂埃を吹き飛ばし、視界を悪くする。

 激突の衝撃により鈍くなった聴覚、砂埃に遮られた視覚────そこで頼りになるのは自身の本能と感覚だけだ。

 二人から溢れ出る妖力で胸が早鐘を打つ。呼吸が荒い。口の端からは興奮で唾液が流れ出し、自分も妖怪の端くれだと言うことを思い出させる。

 澄人の血の半分は妖怪だ。その血が妖力の流れと戦闘を求めているようで。

「────!!」

 湧き上がる興奮、流れ出る唾液を飲み込み、奥歯を食いしばる。

 悪い視界の中、拳に伝わる相手の硬い感覚を殴り飛ばし、なんとか背後に後退。同時、

「ッが、アアアアアア!!」

 相手はそれを読んでいた。不揃いの歪な両翼で砂埃を吹き飛ばし、そのままの勢いで澄人との距離を一気に詰める。犬のような尖った口先から唾液を飛ばし、吠え、そして鱗の見える右足を澄人の脇腹めがけて振り回した。

「い、づ……!!」

 真っ黒に染まる視界。遠のく意識を、地面を跳ねる衝撃に手伝われる形でなんとか手繰り寄せ、受け身をとる。

 脇腹にはひどい鈍痛が走り、脳内では『逃げなければ死ぬ』と何かが訴えかけていた。

「くっそ、想像以上だこれ……」

 澄人が育成学校に通って一年と少し。人外製造薬によって化け物と化したソレと対面するのは初めてであった。

 正直、自分も半妖だと言うことにかまけて嘗めていた。

 こっちには本物の妖怪の血が流れている。偽物なんかに負けるはずがない、と。だが────


「これは気ィ抜いたら、死ぬ」


 変化させた右腕を支えに、身体を起こし、克己へと向き合う。

 身体はまだ動く。視界はグラつくし痛みはまだ身体に引きこもっていやがるが、半妖特有の回復力でどうにかなるだろう。

「ッアアアアアア!!」

「うる、せェ!!」

 鼓膜よ破れろとばかりの克己の咆哮に、澄人が叫ぶ。

 同時に再び二人の距離は無へと変わり、そして。

「ら、ぁ!!」

 今度は澄人の右腕が克己の胴体へと炸裂した。

 拳に伝わるのは人の皮膚の柔らかい感覚ではなく、鱗のような硬い感覚。

 だが力任せの一撃はその鱗までもをねじ込み、克己の身体を吹き飛ばした。

「っ……てぇな、もう。クソ」

 だがしかし、痛いものは痛い。殴った方が傷つくとはどういうことだ、と内心毒を吐く澄人だ。

 硬い鱗のせいで拳は割れ、今もとめどなく血液が溢れている。真っ白な体毛は血の色に染まり、澄人の頭には血が地面に滴る音が響いてくる。

 正直しんどい。だが食い止めると見栄を張った手前、弱音は吐けないもので。男のイジ、とも言えるだろうか。

「ほら、起きやがれ……俺はまだ立って────」

「澄人くん、抜刀許可降りました!!」

 涙目になりながらの澄人の煽り。ソレを遮るように、天音の声が響いた。

「っああああああよかった! よかった!! 正直痛かったしもう立てなかったしそろそろ抜刀許可降りないと死を覚悟するとこだったよ肉弾戦超こええええ!!」

「……なんで私が出てきた途端弱音を吐くんですか。ほら、早くどうにかしましょう」

 隣に駆け寄る天音が、澄人の変化した右腕────その拳を見やり、ぎょっと目を見開く。が、強がっている澄人に気を使ってか、何も言わずに『退魔刀』の柄へと手をかけた。

「……実戦じゃ初抜刀だな。どうにか、なるかね」

 隣に立つ澄人の顔色は浮かない。先程の戦闘のダメージだけが原因ではないだろう。

 初の本格的な『妖力』の関係する戦闘。初の抜刀。

 いつも能天気な澄人でも、緊張はするんだなと天音は思わず苦笑を浮かべた。

 しかしまあ、天音も人のことは言えない。ほんの少し、柄を握る右手が震えているのが自分でもわかる。

「大丈夫でしょう。澄人くん、刀を扱う訓練だけは優秀だったんで」

「そっか、そだな。なんとかなるべ……二人なら」

 二人なら。放たれたその単語だけで、天音の不安が和らいだ。

 自分は独りじゃない。それだけで安心できる。

 元気付けるつもりが、自分が元気付けられるとは。まだまだだ、と。思わず天音はため息をひとつ。

「ええ。二人、なら」

 天音の嬉しそうなひとこと。それを合図に澄人は右腕の『変化』を解き、そして。


 腰に携えたその刀を、引き抜いた。


 鞘から現れたのは純白の刀身だ。だがしかし、見るからに万全の状態ではない。

 錆びているのだ。真っ白い、見るものの目を奪うような純白の刀身を、それこそ汚し、犯すように所々赤茶色い錆がこびりついている。

 風化したような見た目だが、これこそが『退魔刀』の正しい在り方なのである。

「ッアアアアアア!! ゔ、ぐ、ぁ!!!」

 再び咆哮が響いたのは、二人が戦闘の準備を終えたのと同時だった。舞い散る砂埃に隠れていた、殴り飛ばされた克己が唸り声をあげ、再び翼を大きく打つことで視界を確保。

 二人を睨みつけるそのひどく充血した目には、怒りと殺意のみが込められていた。

「そんな目で睨むなよ。今、楽にしてやるから」

 だがそんな殺意では二人の足は止められない。刀を構えると地を蹴り、二人で挟み込むように克己との距離を詰めていく。

「祓魔師育成学校校則、第三条『戦闘対象の対応について』────如何に相手に敵対意識があれど、『妖魔』以外の命を奪ってはいけない。並びに戦闘対象へと一生に関わるような攻撃を加えてはいけない。ですよ、澄人くん。絶対に腕を切り落としたりしないでくださいね!」

「わーってらい、切り落とすならまずは……厄介な翼!!」

 柄を握る手に力を込めながら、澄人が叫ぶ。

 澄人の視線は歪な、人の掌のような形をした翼────そこから離れることはなく、刀身は吸い込まれるようにその根元へと滑り込んでいく。

「……ッ!!」

 大して力むこともなく、一息。

 たった一息で真っ赤な刀身は音もなくその翼を斬り落とし、その傷口から大量の妖力が流れ出す。

 『退魔刀』────その刀身は、『紅葉ライト鉱石』という特殊な鉱石でできている。

 紅葉ライト鉱石は魔力、妖力に反応し、赤々と変色し、文字通りソレを『退ける』のだ。

 故に刀身自身が妖力で構成された翼を退け、そして容易く切り落とした。その異様すぎる切れ味に澄人は目を見開き、赤々と変色した刀身を見つめ、

「……おいおいおいなんだよこの切れ味。物騒すぎるだろ、何が共存だよ殺る気満々じゃねぇか……!!」

「っだ、が、あああああ!! ああああああ!!」

 困惑しながらのひとこと。ソレに被さるように克己の悲鳴が響き、天音によって切り落とされた、対の翼までもが鈍い音を立てながら床に落ちた。

「……想像以上の切れ味ですね。ですが、これで少しは毒抜きもできたでしょう。正気に戻ってくれれば良いのですが……」

 人外製造薬を服用し、人間からかなりかけ離れてしまった場合────その対象方はひとつしかない。

 妖力によって生み出された器官を斬り落とし、そこから生み出される妖力を抜いてやる。

 体の持ち主の意識が強ければそこで正気に戻ってくれるモノなのだが、もしも戻らなかった場合、その時点でソレを『妖魔』と判定し、殺すしかない。

 故にこれが澄人たちに出来る精一杯なのだ。妖力を身体の中から吐き出させてやった後は、全てはその身体の持ち主次第。

「頼む、呑まれんなよ!! 戻ってこいよクソ野郎!!」

「アアアアアアッ、が、あああ!!」

 澄人の叫びは届かない。切り口から吹き出る妖力を押さえ込むように、地面を転がり続ける克己の姿は見ていられるモノではなかった。

 そしてその光景を、


「────かつ、き?」


 一番見てはいけない者の声がした。

「ッ……!! 危ないから出てこないようにと言ったのに!!」

「そもそも恵先生ここまで来てたのかよ……!!」

「園児達を迎えに来た先生達の中に恵先生も────ではなくて!!」

 澄人が殴り飛ばした入り口。その影から恵が顔をのぞかせ、地べたを転がる克己のようなモノへ視線を向ける。

 恵の顔が強張ったのと同時、克己の視線がその強張った表情へと突き刺さった。

「マズ……ッ!」

 克己の膨れ上がった、人間離れした腕が振り上がる。狙いを定めた先は無防備に佇む恵だ。

「っ、ざけんな、ゴラ!!」

 部屋に響くのは鈍い音。滴る血液は恵の顔へと飛び散り、その表情をさらに強張らせる。

「……澄人、さん」

 振り下ろされた克己の腕を受け止めたのは、変化も何も施していない澄人の左腕だった。

 左腕は無様に折れ曲がり、肘から先の皮膚が青く、痛々しい色へと変色してしまっている。

 受け止める力を失った左腕に代わって、克己の腕を受け止めているのは左肩だ。その肩までもがギシギシと悲鳴をあげていた。

 白いモノが肘から飛び出し、無数の血液が床へと滴り落ちる。その都度意識のかけらまでもが床へと堕ちていく。

 意識を保っているのは両手で口を覆い、涙を堪える天音の表情と、痛みと、それから────

「イジ、だ、こんちくしょう」

 克己にこれ以上間違いを犯させまい、という意地であった。

 克己は必ず己に打ち勝ち、戻って来てくれる、と。それを心の底から信じているからこそ、戻って来た時に絶望を抱かせないように。


 弟をキチンと裁いて欲しい。


 そう思うのは簡単なことではない。恵が、克己のことを本気で愛している証拠だから。

 だからこそ、だからこそ。克己の手で、恵を殺めるだなんてことはあっていいわけがない。

「おいこら、戻って来やがれ。テメェのことを大切に思ってくれてる人が……っ、こんな顔、してんだぞ。こんな顔をさせてんのはテメェが縋った力と、テメェ自身だ」

「あ、づ……俺は、オレは、おれ、は────!」

 克己の呻きに、言葉が混じり始める。

 気がつけば殺意のみがこもっていた目にも悲しみの色が混じり、まっすぐと向けられた澄人の視線と絡まり合っていた。

「俺は、姉ちゃんのためを、おもって……!!」

 澄人の肩にのしかかっていた腕が、するりと床に落ちる。

「妖怪は、あぶねぇんだ。危険なんだ。イッショにいちャ、ダメなんだ────アイツらは、みんな、大切なものを奪ってく……!」

 克己の、苦しそうな言葉。ソレが吐き出されるたびに克己の腕は苦しさを紛らわすよう、悲しさを、憎しみを、自身の情けなさを押さえ込むように、地面を叩きつける。

「だから、俺が、守らなくちゃって……親父もお袋も、みんな俺が小さい頃に妖怪に殺された。俺みたいなバカと二人で生きていくことになったのも、姉ちゃんが満足に学生っつーモノを謳歌できなかったのも、全部全部、妖怪のせいだッ……ようやく姉ちゃんの夢も叶った。なのにその先には、憎い妖怪が居て、また邪魔されるんじゃねぇかって、思って────!!」

 十数年前に繰り広がられた人妖戦争。その戦争には多くの大人が駆り出された。

 魔術の覚えがある者も、全くの無力で、何もできない者も問わず、無差別に。

 その駆り出された大人の中に、克己の両親も居たのだろう。

 この楓町────まだそう名乗る前のこの街も、多大な被害を受けた。

 多くの人が死に、多くの人が喰われ、多くのモノが壊された。

 そして子供達……いや、子供達だけでなく大人達にも恐怖を植え付け、目を逸らしきれないほどの地獄と相対した。

 故に、怖がるのも仕方はない。嫌悪するのも仕方がない。遠ざけるのも仕方がない。差し伸ばされた手を払いのけるのも仕方がない。


 ────だが。


「なぁ、おまえ……紅葉保育園を、ちゃんと見たことがあるか?」


 この化音澄人交じりモノは、人と妖怪が共に笑い合う光景を知っている。

「すげーんだぜ、あそこは。本当に人と妖怪が関係なく笑いあって、遊んでるんだよ。『変幻』がまだ中途半端にしかできない子達もだ。あんなのを見たら、あの子達が恵先生────お姉さんの夢を、邪魔するだなんて考えられねぇよ」

「……なに、を?」

 未だ荒い呼吸を繰り返す克己の目が、困惑に染まる。

「おまえに足りないのは踏み出す勇気だ。妖怪達も人間と仲良くしようって踏み出してんのに、おまえはひとりで怖がって閉じこもってる。だから、周りが見えてねぇ」

「周りが、見えてねぇだと……?! 俺が何か、間違ったことを言ってるってのか!?」

「いやぁ、間違ってねぇから困ったもんなんだよ……妖怪は確かに怖いし、恐ろしいし、ごっついし、危険だ。この力を使ってる俺も、ごくたまこえーって思うもん」

 でも、と言葉を区切り、頭を抱え込む克己へ無事な右手を差し出す。

 まずはその一歩を、手助けするように。

「怖いのと同じくらい、いい奴らなんだ。知ってるか? 二丁目の『極潰死』って店。あそこな、ラーメン屋なんだけど働いてるのがみんな妖怪なんだ。だけどみんな愛想が良くて、味も良くて、すごく賑やかで……街行く妖怪達も、『変幻』を使って少しでも恐怖をとりはらおうってしてる可愛い奴らばっかなんだ。ホントは臆病で、嫌われるのを怖がってるくらいに。まだまだあるぞ、オススメの店も、良い妖怪ヒトも、沢山」

 人は嫌われるのを怖がる。だから、と言葉を飲み込み、仮面を被り、そして他人との距離を図って生きていく。

 それと同じように妖怪達も差し伸べた手が払われるのは怖い。だから『変幻』という仮面を被り、少しでも恐怖を取り払って、距離を縮めようと足掻く。

 一歩近づいてみれば、ちゃんと近くで見てやれば、人間も妖怪も根底は変わらない。だから怖がることはないんだ、と。

 澄人と天音は、本気で人間と妖怪の間に平和が生まれることを願っている。笑い会える日を待ち望んでいる。

 人間と妖怪……その間に揺れる、祓魔師という存在故に。その間に揺れる、半妖という存在故に。

 争いなんて馬鹿馬鹿しい。平和が一番だ、と。

「俺のわがままかもしれない。だけど一歩近づいて、臆病な妖怪おれたちの手を────取って、くれないか?」

 その言葉を最後に、とうとう澄人は意識を手放す。

 暗転する視界の中写り込んだのは涙目で駆け寄る天音と恵、それから……


 仕方ないな、と言いたげな苦笑を浮かべた、克己の姿であった。

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