第2話 『この世の地獄と反省文』

 とある一室。壁に立てかけられた時計は午後三時ごろを無表情にさしている。

「地獄だ……ここがこの世の地獄か」

 窓から吹き込む熱を孕んだ風と、蝉の大合唱をバックに澄人が呟いた。

 天井を仰ぐ目は何処か死んだ魚のようで、ものすごい疲労感が感じられる。

 部屋を見渡してみれば、目立つ内装は壁際に立つ本棚とふたつのソファと、ソレに挟まれるように鎮座している机くらいというもの。その圧迫感も、どうやら澄人の疲労感に拍車をかけているようだった。

 机の上に置かれているのは紙の山。分厚さはおおよそ5ミリ程度で、一番上の紙には『反省文』とミミズの這ったような文字が。つまりはそういうことである。

「……まー手前テメェみたいなヤツには地獄かもな。つっても今週入ってまだ四日なのに反省文三回目……そろそろ慣れて来たんじゃねーの?」

 はぁ、とため息まじりに澄人に向けられた呟き。

 その気怠げな声の主は、澄人の正面に座る男、真岸教諭だ。

 薄っすらと汚れた青ジャージと、首から下げたピンク色のホイッスルに、顎に蓄えた仏頂ヒゲが特徴の男だ。その特徴的なヒゲをじょりじょりとさすりながら澄人に向けられている視線は『呆れ』一色。まあ今週に入ってから三回目────ほぼ一日一回ペースで反省文を書かされている澄人に、毎度毎度付き合っていれば呆れもするというものである。

「慣れる訳ァねーですよ。何度書いてもめんどくさいし、何度書いても慣れない。ごめんなさいでした! だけで済んだりしない?」

「しねーな。んなことすれば『二年第六班の化け猫』の評判がダダ下がりだ。『退魔刀』の所持の許可も抜刀許可も、出撃許可も出なけりゃ依頼も回してもらえない。それでもいいなら俺はそれで提出してくるけど?」

「悪かった、ホントすまんです。あと化け猫って呼び方はやめてくれ。名付け親がずっと呼んでるからいつまで経っても本名で呼ばれる回数のが少ねぇんだよ……」

 突然飛び出したアダ名に澄人はげんなりと机に突っ伏す。

 化け猫、というのは澄人の苗字の『化音かのん』の読み方を弄って変えたモノだ。

 澄人の『変化』使用後の姿が獣っぽい────まあつまり猫によく似ている、ということで澄人と真岸教諭の予想を遥かに超え、広まってしまったのが現状。

 ここ、祓魔師育成学校極東第二支部ふつましいくせいがっこうきょくとうだいにしぶの教師はほぼほぼ澄人のことをこのアダ名で呼び、先ほど澄人自身がボヤいたように本名で呼ばれることの方が少ない。澄人にしてみれば控えめに言っても冗談シャレにすらできないというもの。

「つっても手前が化け猫、ってのは我ながら言えて妙、だと思うけどな。前回は家ひとつを腕一本で倒壊させて、今度はターゲットの右腕を複雑骨折、それから頭蓋骨にヒビと肋二本の骨折ときた。いよいよどっちが悪者かわからねーぞ」

「ぅ……」

 ため息まじりの真岸教諭の言葉に、澄人は唸り声を上げて黙り込む。

 向こうが下手にガードしたからだ、抜刀の許可を出さなかったからだ、と色々言い訳はできる。

 が、澄人自身、未だ力の制御すらできないことに負い目を感じている。故に言い訳は喉に引っかかったっきり口から出ることはなく、ただただ苦味を噛みつぶすことしかできない。

 これは遊びではない。立派な仕事の一環だ。だからこそ、何度も何度も失敗を繰り返すわけにはいかない。


「まー随分と悪者っぽい顔してるけどな」

「誰が悪人ヅラだ!?」


 澄人の思考を遮断するような真岸教諭の揶揄いに、声を上げる澄人。人よりややつり上がった目をさらにつり上げるのも忘れない。

 まぁしかし、悪人ヅラというのも否定できないというもの。目つきだけではなく、色々なところから俗にいう『不良』のような雰囲気が漂っているわけで。

 ────そんな悪人ヅラが、『いらない気をかけたな』と苦笑に歪む。

 普段気遣いができないともっぱら有名な真岸教諭が気づき、渋い空気を追いやったのだ。よっぽど酷い顔をしていたらしい。

「まーわかってんなら良いんだよ。次また同じような失敗しやがったら42×34用紙に125枚以上で反省文書かせるからな」

「それいよいよ小説じゃねぇか!! 普通の原稿用紙60枚で苦戦してるってのに……」

「ソレを適当な新人賞に送りつけてやる」

「嫌がらせだな? 嫌がらせだな!?」

「俺はいたって本気さ。手前の書いたモンならいける!!」

 その自信は一体どこから、と急激に増した疲労感を吐き出すべく大きなため息。至って本気だ、などと真岸教諭は言っているが表情はニヤケ顔を隠しきれてない。しかも澄人の反省文はといえば、真岸教諭が思わず笑い出すほどの酷い出来だ。従って、これは完璧に澄人は遊ばれている。

 しかし反省文のノルマ量が少なく────いや、それ以前に数々の失敗を繰り返せど反省文と書類数枚で済んでいるのは真岸教諭のおかげでもある。

 それがわかっているから澄人は真岸教諭に頭が上がらないし、それがわかっているから真岸教諭は澄人を揶揄っている。というか遊んでいるまである。

 すっかり確立してしまった上下関係に再び澄人がため息を漏らすと、


「……楽しそうな声が聞こえてきましたが。澄人くん、反省文は書き終えたんですか?」


 ぴしゃり、と。戸が閉まる音と同時に、冷たい声が響いた。

 戸の方へと視線をやれば、声の主である天音と目が合う。

 天音は特徴的なサイドテールを揺らしながら澄人へと歩み寄り、その表情には先ほど響いた声音のソレと同じく、冷たい表情が貼り付けられていた。

「終わった、終わりました。こんな調子で、はい」

「……一応、終わったみたいですね。内容はともあれ」

 ふぅ、とため息まじりに原稿用紙の山へと目を向ける天音。その目は『やっと終わったか』と語っており、どれだけ待たされたのか……ついで、その疲労感が滲み出ている。

「すみません、真岸先生。またウチのダメリーダーが迷惑をかけて」

「良いってもんよ、手前も苦労するな天野。ダメな仲間を持つとよ、全部責任が自分にも降りかかるってもんで……」

「そうですね、ダメな仲間を持つと……」

「二人してダメダメ連呼すんのやめてくれ。割と心が痛い」

 澄人をよそに進んでいく二人の会話に、頭を抱えながらのひと言。

 それを受けて二人は満足げに笑みを浮かべると頷き、真岸教諭は「それで?」と前置きをして、

「タイミング見計らって入ってきたっつーことはなんかあるんじゃねーのか?」

 顎で天音に本題を促す。

 と、それを受けた天音が咳払いをひとつ挟んで、澄人の襟首を引っ掴んだ。

「はい。第六班へと新しい依頼が届きまして……依頼主は応接室で待たせているので、なるべく早く行かないと」

「待て天音。気持ちはわかるけどなんで襟首? 襟首なんで?」

「クソ猫にはこの処理で十分です」

 掴むのが服の袖やら裾なら可愛い光景なのだが、現実掴まれているのは襟首だ。

 まさしく飼い主に怒られている猫の図である。やっぱり少し怒ってるな、と澄人は内心溜息をついた。

「というわけで、失礼します真岸先生」

「おう、じゃーな。気をつけんだぞ化け猫!」

「善処する」

「それ絶対気をつけられねーヤツの台詞だよな!?」

 真岸教諭の叫び声を背中に、生徒指導室の戸を閉める。

 廊下に出た澄人を待ち受けていたのは、ムワッとした嫌な暑さと、溢れ出る疲労感だけであった。

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