第18話

 玄関を上がってすぐ右手には、横幅のある薄暗い廊下が伸びていた。

 その左右には襖で区切るような広い座敷部屋があって、奥にはリビングが見える。

 廊下の途中には玄関の方に向かって階段が斜めに伸びていて、こちらから行くと振り返るようにして二階へ登る構造だ。


 隣人は金属バットを構え、僕は頻りに周囲を警戒しながら春咲さんの探索を開始した。


「一体どこにいるんだろう……」

「知らん。けど、この屋敷内にいるのは間違いない」


 誘拐犯がいたらコイツでぶん殴ってやる。と、隣人は金属バットを一振りしてみせた。

 もう片方の拳には、春咲さんの髪留めが握られている。


 まだ誘拐されたと決まった訳ではないし、そもそも相手が霊的な何かなら隣人でも対処できない。

 どちらにしても、最悪のケースだ。


 しかし、学校を休んでまでこの廃屋に来た理由は何だろうか。

 忘れ物をしたとか、そんな理由ならまだ良い。

 もし何かに取り憑かれていたなら……と、嫌な考えばかりが僕の頭を駆け巡る。


 二つの座敷部屋には、春咲さんはおろか痕跡すら見当たらなかった。

 腐りかけた畳を踏み抜かないよう注意して、その薄気味悪い部屋を早々に出る。


「2階は……、後回しにするか」


 隣人は途中の階段を見上げただけで、リビングの方へと進んだ。

 後ろに続く僕も同じように階段を見上げると、その先には光が完全に途絶えた暗闇が広がっていた。


 思わず身震いしてしまう。出来れば階段の先には行きたくない……。


 僕は再び訪れそうになる恐怖を払うように、軽く頭を振って隣人の後を追う。



 廊下の奥のリビングには、食器や家電などがそのまま放置されていた。

 どれも埃を被り、足元には新聞紙やら割れた食器が散乱している。

 一体どれだけ放置されているのだろう。この家はまさに廃墟だ。


 隣人がリビングを探索している間、僕は左奥に見えた扉へと足元に注意して歩み寄る。

 立て付けの悪い戸を開くと、そこにはタイル貼りの小さな浴室があった。


 うっ……嫌な感じだ。


 水場というのはどうして他の場所に比べて気味悪く感じるのだろうか。

 僕は塗装の剥げた風呂桶を覗き込んで、小さな悲鳴をあげた。


「どうした?!」

「こ、これ……」


 隣人がリビングから駆け込んで来る。

 僕が指差す方を覗いて、彼が息を呑んだのがわかった。


「悪趣味にも程があるな……」


 風呂桶の中には、赤ん坊の人形が転がっていた。

 それだけでも不気味なのに、人形の顔は何かで抉り抜かれたように大きな穴が空いていた。

 目も鼻も口も無いその人形の中身は、当然空っぽだ。


「こ、この人形ってさ、西村さんが言ってた例の人形じゃないかな」

「そうかもな。でも何でこんな所にあるんだ?」


 西村さん達が訪れた際に見たという人形。

 突然階段の下に現れ、すぐに姿を消したという不可解な人形だ。


 普通に考えるなら、この廃屋に居た他の誰かが悪戯に置いた可能性が高いだろう。

 一人でに人形が動き出す何てこと、あり得ない。


 しかし、その人形を見た瞬間。微かに耳鳴りを感じた僕は、そのあり得ない可能性を考えてしまっていた。



 ト  ト ト   ト



「え……?」

「な、なんだ今の音は」


 開いた浴室の扉。そのずっと奥から聞こえてきた僅かな音に、僕らは警戒する。


 ——ん?"僕ら"は?


「ま、まって。今の音が聞こえたの?」

「何を言っているんだ?微かにだが、確かに聞こえただろ」


 おばけの見えない隣人にも聞こえた……ということは、霊的な現象ではないのかな。


 だとしても背筋の凍るような音だった。上顎に舌を巻き打つような……。


 今この廃屋に僕ら以外の人がいるとするならば、春咲さんの可能性が高い。


「行くぞ!!」

「う、うん」


 僕らは人形に触れず、浴室から飛び出した。向かうは階段の先、光の届かない2階だ。

 逸る隣人の背中を追いかけ階段を登りきると、先程の音が再び聞こえてくる。


「雪菜ぁあ!何処にいる!!」

「春咲さん!!」


 二人で呼びかけながら真っ暗な2階を探索するも、その姿は何処にも見当たらない。


 2階部分には、1階の座敷部屋を半分にしたくらいの小部屋が3つあった。

 その全ての部屋の窓には木の板が打ち付けられていて、時間の感覚がわからなくなるほどの暗闇だった。

 僕らはスマートフォンの明かりを懐中電灯代わりにし、全ての部屋を周った。


「おかしい……」

「何が?」


 隣人は足を止めて顎に手をやると、何かを考え始めた。


「——2階だ。部屋が少なくないか?」

「……え?」


 その言葉に、僕は広い廊下を見渡す。

 階段を登ってすぐ部屋が二つ。更に左奥に一つ。

 特に違和感を感じないが……。


 隣人は廊下の右奥に進み、壁に耳を当てる。


「ここだ。この先から音が聞こえる」

「そんな、まさか」


 どういう事だろう。

 その空間には扉も何もない。

 部屋なんて存在する筈がなかった。


 一つ手前の部屋に戻り再度見渡すと、壁際に大きな箪笥が置かれていた。

 この廃屋の家具は殆どがそのまま放置されていたが、その中でも特に大きな箪笥だった。


「……透、ちょっと手伝ってくれ」


 隣人と協力して箪笥を避けると、人一人がやっと通れるくらいの小さな通路が現れた。


「——隠し通路?冗談でしょ」


 そんなもの、映画や漫画の中にしか存在しないと思っていた。

 それをまさか、こんな廃屋で見る事になるなんて……。


「この先に雪菜が囚われているかもしれない。先に行くぞ」

「ま、待ってよ!」


 僕の制止も聞かず、隣人はスマホの明かりを照らすと細い通路に入ってしまう。

 幽霊を信じていないとはいえ、勇気のある行動だ。


 その背中によく見知った人を幻視してしまい、恐怖に震えながらも僕は心に叱咤を打つ。


 こんな所で怖気付いてどうする。

 あの人に着いていくなら、これくらいの困難簡単に乗り越えられるようにならなくちゃ。


 そう決心して、僕もスマホを握りしめたのだった。



 ※※※※※※



 通路を抜けた先で、隣人は固まっていた。


「どうしたの?」


 そう問いかけるも返事はない。

 不思議に思って顔を上げると、目の前の座敷部屋には"牢屋"としか形容できないものがあった。


「————っ」


 なんだこれ、なんだこれ。

 何故、家の中に牢屋なんてあるんだ?

 何故、こんなものが……。


 無意識に脳が高速で回転する。身体の奥底で、これ以上踏み込んではいけないと警鐘が鳴り響く。

 固唾を呑み、震える拳を開く事も出来ず、僕は鉄格子の前で立ち尽くしてしまう。


「——雪菜っ!!」


 何かに弾かれたように、隣人は鉄格子へと駆け寄った。

 その勢いに、僕もやっとの思いで意識を覚醒させる。


 スマホの明かりを牢屋の中へと照らすと、その奥には春咲さんが座っていた。


 トト  ト ト


 半開きの口からは、先程から鳴っていた不規則で不気味な音が聞こえる。

 長く垂れた黒い前髪で表情は伺えないが、何かに怯えているかのように全身を震わせていた。


 よく見ると、その顔には自分で掻きむしった様な痛々しい複数の爪痕が刻まれていた。


「どうしたんだ、雪菜!しっかりしろ!!」


 隣人は変わり果てた春咲さんの姿に我を失い、鉄格子の扉を両手で掴んで激しく揺らす。

 鍵が掛かっているのか、扉はビクともしない。


「——ッチ、雪菜!聞こえないのか!!おい!!」


 尚も大声で呼びかけるも、春咲さんは少しも反応を見せる様子はない。

 一体、何がどうなっているんだ。



 ——ふと、僕の脳裏にある記憶が過った。


 そうだ、何かで見た事がある。


 昔、精神異常者や世間に知られたくない人間を屋敷の中に閉じ込めてしまう風習がこの国にはあった。

 その人に充てがわれるのは、自宅の敷地内に作られる牢屋——"座敷牢"。

 殺す訳にもいかず、最低限のモノと質素な食事だけを与え続ける。


 そんな地獄の様な時間を一人、死ぬまで孤独に過ごさなくてはならない。


 恐ろしい風習だ。僕はその話を知ったとき、人間の業の深さに吐きそうになったのを思い出した。



 でも、それはあくまで昔の話だ。まさか現代に、それもこんな都会に存在するハズがない。


 必死で思考を巡らせていると、春咲さんは再び自分の顔面を掻き毟り始めた。


「や、やめろ。何を、やってるんだ」


 ガリ、ガリと肉を削る嫌な音が座敷牢に響く。

 その指先からは、血が流れ始めていた。


「お願いだ、頼む!!やめてくれッ!!」


 隣人は絶叫すると、鉄格子を掴んだまま力無く項垂れてしまった。


 ——まずい、このままでは本当に取り返しの付かない事になる!


 僕は思考を中断し、意を決する。

 隣人の足元に転がっていた金属バットを掴み取り、そのまま鉄格子の扉へと全力で駆けた。


「どいて!!」

「なっ!?」



 ————ガギィインッ!!!



 火花が散り、金属のぶつかり合う音が激しく鼓膜を刺激する。


 しかし、扉はビクともしない。

 ——ダメ、か……。


 諦めかけていると、錆びた鉄同士が擦れる嫌な音を立てて、扉が僅かに開いた。


「あ、開いた……?」


 ビリビリと痛む手に顔を顰めていると、すかさず隣人が春咲さんに駆け寄る。


「おい、しっかりしろ!大丈夫か?」


 両手を掴み、顔を覗き込む。

 前髪の隙間から覗いた瞳から、春咲さんは正気を取り戻したように見えた。


「——わ、私は……?ここは何処なの……?」

「いい、何も考えなくて良いんだ……。とにかくすぐに此処を出よう」


 「ひー君……」と、隣人のあだ名を静かに呟いた春咲さんは、再び瞼を落とす。

 その表情は安堵に満ちていて、憑き物が取れたようだった。


 肩を優しく抱いて立ち上がった隣人は、ここにきて初めて笑顔を見せた。

 ——本当に、良かった……。





 良かっ……た…………?





 何かを、何かを忘れている気がする。


 そうだ、春咲さんは何故こんな状態になった。



 増幅する耳鳴りと、一層濃くなる暗闇。


 ——僕は息を呑んで周囲を見渡す。




 ノイズの掛かる視界。


 僅かに見える赤煤けた壁紙が、この部屋の異常さを物語っている。



 そうして肩を抱いて戻ってくる二人の背後には、









 顔の無い、子供が

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る