第3話

 その日、僕は初めて授業を無断欠席した。


 休み時間の喧騒からかけ離れた校庭や校舎はどこか寂しげだ。

 外から微かに聞こえてくるのは黒板にチョークを押し付けるカツカツという音と、扉で遮音された低く篭った複数の声。


 心は僅かに浮き足立ち、背徳感と解放感が同時に襲ってくる。


 部室というにはあまりにも生活感のあるこの場所に踏み入れてから、僕はずっと緊張に身を強張らせていた。

 さっきのはなんなのか、やはり僕の部屋に現れる怪奇現象と関係あるのだろうか。


 ――そして、そんな不可解な現象を一声で蹴散らしてしまった目の前の少女は一体何者なのか。


 頭の中で様々な疑問を駆け巡らせていると、壁際に置かれた大きなソファーに少女は突然勢いよく飛び込んだ。

 何事かとそのまま様子を伺っていると、手元にあった毛布を手繰り寄せてうつ伏せになる。


 そのあまりに突拍子の無い行動に、開いた口が塞がらなくなった。

 しかしこのままでは寝息が聞こえてきそうだったので、ついに僕から声を掛ける事にした。


「あのー……」

「……なに?」


 頭だけこちらに向け、眠たそうに瞼を瞬かせる。

 秒針の動く音がやけに大きく感じ、居心地の悪さを覚えてしまう。


「……色々と聞きたい事はあるんですけど、まずさっきのは音は何だったんですか?」

「音?」


 それだけ言って考える素振りを見せた後、何かに納得したような顔をする。


「あー、さっきの奴らの事ね。音しか聞こえなかったの?」


 今度は僕が首を傾げる番だった。

 音"しか"とはどういう事だろう。


 なるほどそうかそうかー、と一人で頷く少女に少しムッとしたが、やがて平然とした様子で恐ろしい事を口走った。


「てっきり同じものを見ていたと思ったんだけど、――"あんたには"見えないんだね」

「――――!」


 この人は、なにを言っているんだ?

 あの場には僕達しか居なかったハズだ。

 幻聴のように大多数の声が聞こえていたが、他にはなにも……。


 ――そこまで考えて、ついに結論に至ってしまう。


 いや、薄々どこかで分かっていた。

 ただ想像するだに悍ましいその光景を、無意識に答えから外していたに過ぎなかった。


 ――見えていたのだ、彼女には。


 僕が認識できないのと同じように、僕らを認識できずに通り過ぎていく。


 そんな、非日常に住まう何者かの群れを……。


「部室の前で立ち止まっていたから、てっきり入部希望者かと思った。けど、そうじゃないのね。その方が都合いいけど」


 少女はふぁ〜と欠伸をして起き上がると、ダルそうな表情のまま出口へ向かう。


 起きがった拍子に見えた胸元のリボンから、彼女が上級生だった事に今更気が付いた。

 身長があまりに低いので、同級生だと勝手に決めつけていたのだ。


「ち、ちょっと待って下さい!"先輩"!」

「!!」

「まだ聞きたい事が色々あるんです、もう少し話だけでも――」


 言い切る前に素早くこちらを振り向いた先輩は、どこか気持ちの悪い笑みを浮かべていて少し気味が悪かった。


「せ、先輩……。くふふ、いいだろういいだろう。なんでも聞いてくれ給えよ」


 得意げな態度が気に掛かったが、スルーしよう。


 お化け研究部なる部室を勝手に私室化させ、あらゆる処で変な噂が立っている。

 実際に会ってみれば極端にマイペースでちょっと気持ちの悪い人だが、お化けを見る事に対しては確かなようだ。


 この人なら、僕が抱えている問題を解決してくれるかもしれない――


 そんな一縷の望みをかけて、僕の部屋に現れる存在の事を打ち明けてみることにした。



 ※※※※※※



「ふ〜ん……」



 僕の話を聞き終えた先輩は、それだけの感想を残して考えに耽っていた。


 彼女ならどういう見解をするのかと、少し緊張気味に次の言葉を待つ。


 ふと時計を見るともうすぐ授業が終わる時間だった。

 端的に話していたと思っていたけれど、いつの間にかこんなに時間が経っていたのか。


 話を聞いている最中の彼女がとても興味深げに、それでいて面白い話でも聞くかのような反応だったので、つい夢中になっていたらしい。


 やがて深く息を吐いた後、季節に似つかわしくない遠い冬の夜空を思わせる瞳を真っ直ぐ僕に向けて、その結論を出した。


「わからない」

「は?」


 思わず頓狂な声が出てしまった。


 どこかで素晴らしい解決案を出してくれる事を期待していた僕は肩から脱力し、椅子に深く座り直す。


 そんな僕に向かって、真面目な表情から一転し口角を不敵に上げた先輩に嫌な予感がした。


「わからないから、面白い。だから放課後あんたの部屋を実際に見させて」

「えっ、今日ですか?」

「今日」

「そんな、いきなり言われても困ります。散らかってるし……」

「そんなのどうでもいいじゃない」

「いや全然良くないですけど」


 何なんだこの人は。

 人の都合など道端に落ちているゴミクズ程にも気にしていないのだろうか。


 とにかく押し問答があった後、押し負けた僕は放課後に先輩を家に招く事になった。



 響くチャイムの音と同時に吐いた溜息は、再び訪れた喧騒に掻き消されてしまった。

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