第1章 イマジナリーフレンド

第2話

 晴れて中学を卒業した僕は、地方から遠く離れた都会の高校を選んだ。


 お節介の過ぎる両親からの束縛を逃れるという事は、まだ子供の僕には素晴らしい事の様に思えたからだ。


 ご飯の時間が決まっている訳でもないし、夜更かしや遅い帰宅を怒られる事も無い。

 そんなささやかな自由を手に入れた事に、喜びで胸がいっぱいになったのを覚えている。


 しかし家はあまり裕福では無い。アルバイトでもして家賃の一部を自己負担しなければならなかった為、最寄り駅から徒歩30分離れた月三万円という格安物件を借りる事になった。

 内装はきちんと清掃されていたが、隣のビルのせいで日当たりが悪い。そのせいで、どこか不気味な雰囲気を醸し出していた。


『しゃっーした!!』


 と、勢いだけの挨拶を済ませ、早々に引き上げた引越し業者の背中を玄関先で見送る。

 振り返り、伽藍とした部屋を見た時は少し心細い思いをした。


 その後慣れない一人暮らしや、新しい環境に四苦八苦したが無事に入校は済む。多くの部活の勧誘を丁寧に断り、同じ地方出身者という隣の席の奴ともそれなりに打ち解ける事が出来た。


 目まぐるしい日々は一瞬で過ぎ去り、早くも6月を迎える。


 この頃になると教室内でも何組かのグループが形成され、スクールカーストが暗黙に敷かれていた。

 コミュニケーション能力に著しい問題がある訳でもなかった為、僕は一介のモブ生徒という素晴らしいポジションをキープ出来た。この時はまだ、一年間は平和な日々が送れると安堵していたのだった。



 ――その日も何事も無く学校が終わり、夕方から降り始めていた小雨が西日で反射している帰路を急いでいた。


 電車を乗り継ぎ乗り継いで、やけに重く感じる学生鞄をぶら下げ30分。

 やっとの思いで自宅に到着し、服に着いた雨粒を払い落として玄関に入る。乾かす為に急いで制服をハンガーに掛け、窓際に干している最中にそれは起こった。



 ――――――――――――!!



 何の前触れも無く、キーンという鋭い耳鳴りがした。

 突然の事に訳も分からずその場で蹲った僕は、周囲に異変がないか部屋を見渡す。

 狭い部屋だ、少し首を回すだけでその全景を捉える事が出来てしまった。


 そして、僕は安易に振り返った事をすぐに後悔する。

 指先から始まり、肩を抜けて全身へ広がる震えは抑えきれず、身動きが取れなくなった。


 ――数メートル先、部屋の片隅に"何か"が居る。


 気が付いた瞬間その情報だけが脳を支配し、目をそらす事も叶わず金縛りにあった様に固まってしまう。黒い影から降り注ぐ空虚な視線を一身に受け、僕はこの時生まれて初めて心の底から恐怖を感じた。


 数秒……いや、数時間だっただろうか。

 あまりに気が動転していて時間の感覚が完全に無くなってしまっていた。


 とにかく気が遠くなるほどの時間を、僕は得体の知れない何かと対峙し続けた。

 やがてその姿が薄らいで完全に消えた後も、暫く恐怖に支配され続けたのだった。



 ※※※※※※



 ――翌朝。


 結局あの後眠れる筈も無く、黒い影が現れた対角に位置する場所で、布団を上着のように羽織り一晩中警戒していた。この街へ来てから日も浅いし、何より高校に入ったばかりだった僕に取れる手段はそれしか無かったからだ。


 やがて朝を迎え、学校に辿り着いた僕は隈の浮かぶ瞼を擦りながら教室へ入る。


 あまりに見るに堪えない顔をしていたのか、クラスメイトから口々に心配するような言葉を掛けられた。

 しかし部屋に幽霊が出た!なんて高校生にもなって恥ずかしてくて言えたものじゃない。

 愛想笑いで適当に答えて、一先ずこの事は誰にも言わずにいようと決めた。



 ――その日も、その翌日も黒い影は僕の部屋に現れた。


 時間は不定期で、現れる直前には必ず酷い耳鳴りがする。

 暫く堪えていると勝手に消えてしまうし、影は佇んでいるだけで何か害をなしてくる気配もなかった。

 ただ、見られているという事は強く感じる。それは、影が無い時でも偶にあって心底気味が悪かった。


 幽霊なんて居るか居ないか曖昧な存在を何処かで疑っていたけれど、こうまでハッキリと見てしまったらもう疑う余地は無かった。


 そんな悪夢のような日々が続き、6月も半ばに差し掛かった頃学校でこんな噂を耳にした。


「ねぇ、二年に居る変な先輩の噂知ってる〜?」

「ん?どんな噂?」


 クラスの女子の他愛も無い噂話だ。

 睡眠不足が続いて机に突っ伏していた僕の耳に、勝手に流れ込んできた会話だった。


「なんかね、廊下の壁をじっと見つめていたり、何も無いところでぶつぶつ呟いていたり、兎に角薄気味悪いんだって〜」

「ふーん、何だろうね?電波な人??」


 それだけ聞いたら確かにそう思ってしまうだろう。僕だって今の状況が無ければ同じ事を思ったに違いない。

 けれど、僅かに現状と関係性のある話題だったのでそのまま聞き耳を立てていた。


「それだけじゃなくて、え〜と……。なんとか研究部とかいう部活を一人で立てて、部室を私物化したりとか色々問題児らしいよ〜」

「ふーん、変な人だね」



 でも見た目がすっごく可愛いんだって〜、と続いたので僕はそれ以上会話を聞くのをやめた。


 ……なんだ、結局妬みじゃないか。


 容姿の良い人間は少し変わった場所があるだけで、鬼の首を取らんとする女子達から袋叩きにされてしまう。

 きっとその先輩も、彼女らが言うほど変人ではないのかもしれない。


 そして、もしかしたら僕が今抱えている問題の解決の糸口を見つけてくれるかもしれない。


 と、そんな自分に都合の良い願望と、ほんの僅かな下心を抱えて僕は席を立ち上がった。


「おい、透。もう授業が始まるぞ?どこへ行くんだ」

「ちょっとね、すぐ戻るよ」


 席へ戻ってきた隣人の制止を振り払い、そのなんとか研究部とかいう部室を探しに教室を出た。


 始業直前の人気の少ない廊下を急ぎ足で歩く。

 僅かな情報だけで見つかるか不安だったがそれは杞憂に終わり、くだんの部室は見つかった。


「えーと、お化け研究部……??」


 校舎3階の一番端。日の陰った廊下に突き出た教室名が書いてあるプレートには、セロテープで雑に貼られた白い紙の上にそう書いてあった。


「胡散臭すぎる……」


 溜息を吐き、踵を返す。

 勝手に期待して勝手に落胆するなんて我ながら人として良くないと思いながらも、教室を後にしようとした時だった。


 劈くような鋭い悲鳴が、僕の鼓膜を刺激した。

 いや、正確には鼓膜は振動していない。

 それはあの黒い影が現れる瞬間の耳鳴りのような、頭の内側から響くような音だった。


 更に悲鳴と混じって、様々な声が反響している。


 『※※※、※※※※※※※、※※※※』


 低い男性の声や、甲高い笑い声、子供の泣き声や囁くような声。

 もちろん周囲には誰も居ない。それでも鳴り止まぬ有象無象の声に世界が支配されて、僕は今にも泣いて逃げ出すという寸前だった。



「――うるさい」



 突如、鈴を転がしたような声が蹲る僕の頭上から降り注ぎ、気がつけば得体の知れない喧騒は何事もなかった様に過ぎ去っていた。


「い、今のは……?」


 何が起こったのか把握しようと周囲を見渡すと、目の前に栗色の髪を下げた少女が一人ぽつんと立っている事に気が付いた。


「……この廊下は霊道になっているのよ。今のは雑魚の群が通り過ぎただけ」


 で、あんたは?と平然と問い掛けてくる少女。

 対して僕は未だに恐怖が収まらず、全身の震えを抑える事すらままならない。


 そうこうしている内に始業のチャイムが鳴った。

 少女は溜息を吐いたと思うと懐から一つの鍵を取り出して、お化け研究部の扉を解錠する。


「まぁ、とりあえず入ったら?」


 確かにこのまま廊下に居てはマズい。

 その時はそんな安易な考えだった。


 でも今にして思えばあの瞬間。僕は部室に足を踏み入れたと同時に、非日常へと足を踏み入れてしまったのだろう。



 ――これが、先輩との出会いだった。

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