02-1 背中を向けた合同図形

 それが夢であることはすぐに察しがついた。

 毎夜見る夢だ。もはやこの夢を見るまでが、御剣みつるぎにとってルーチン化された一日に組み込まれているといっていい。

 適度に脚色された過去をなぞる、ありがちな夢だった。

 そこは暖色の照明に染められたリビング。木目を晒した壁と、古いことが逆に好まれるような家具。一方で、時代を語るテレビや食器洗浄機も完備されそれぞれの役目を果たしていた。揺り籠の様相を呈して前後するイスには年相応に色を落とした髪の父がいて、テレビが映すアニメーションを時折無粋な実況を挟んで見ていた。薄いメイクで料理を運ぶ若い母がその実況を皮肉り小さな笑いに変える。

 床にごろ寝で読書をしていた少年も父に呼ばれてイスに座った。

「いただきます」

 三人が同じタイミングで手を合わせ、会話の線が入り乱れながら食事が進む。

 父が恍け、母が呆れ、少年が少し顔をひきつらせて笑う。

 家族はいくつかの込み入った事情を抱えていた。それでもこの光景は、そこそこに幸せの形を描いていたのかもしれないと、十二歳の自分をテレビの中から客観視していつも御剣は思う。

 込み入った事情というのはどこの家族にもあるものだ。

 御剣家の場合、例えばそれは父の仕事であり、母の立場だった。

 父がなんの仕事をしているのか、少年は詳しく知らなかった。ただ、あまり人に言えない仕事だということは理解していた。

 母は少年にとって二人目の母だった。

 けれどどちらも、それが少年にとって、あるいは家族にとって、永遠に埋まらない溝になるとは思えなかった。なぜか多額のお金を持っている父と、やたら芝居じみた幸せを醸し出す母に対して少年の心はまだどう関わっていいかわからず揺れていたが、その揺れもいつか収まると、少年は漠然と思っていた。

 少年はそこそこに幸せだった。

 しかし御剣は知っている。これはその幸せが壊れるまでを抽出して再現した夢なのだと。

 季節は瞬きの内に流れる。

「──乃音のおと!」

 肩から血を流した父が青い顔をして玄関を開ける。父は妻よりも先に少年を抱きかかえると家の地下に作っておいた蔵に入っていった。広くも狭くもない、大量の埃だけが舞う灰色の蔵で、父は血の気の引いた顔で笑って少年に言う。

「羊が千匹出荷されるまでここから出るんじゃないぞ」

 少年は事情の半分もわからないまま頷いた。父は立てかけたはしごを上って蔵から出ると天井の四角い扉を閉めた。母が蔵に入ってくることはなかった。

 灰色の空間が光を失い真っ暗になった。冷たさと埃っぽさだけを感じるその場所で背中を地面につけ、少年は言われた通り羊を数える。

「……羊が一匹。羊が二匹」

 心臓がいつもより速く動いている。涼しいのにじっとりぬるい汗をかく。眠れる気配はなかった。喉を鳴らして泣きながら小さな声で羊百匹を数える少年を、御剣は真っ暗な空間から見ていた。見えないはずなのに見ていた。これが脚色。

 蔵まで届く銃声がしたのはそれからすぐ。

 続けざまに三発の銃声。間もなく三つの足音が天井を走った。

 一人目の銃弾に閉じていた目をかっ開かれ、二人目の銃弾に心臓を締めつけられ、三人目の銃弾に嘲笑された少年は蔵の中で震える。

 どうして自分はひとり、こんなところにいるのだろう?

 父の仕事がトラブルを家まで運んできたのはわかっていた。父は自分の仕事については明かさなかったが、“こういうとき”どうすればいいかは早くに教えてくれていた。

 ──ただ隠れていればいい。

 そう。自分はただ隠れていればいい。だから隠れている。この行動は正しいのだ。

 でもわからない。正しいことをしていれば自分は幸せになれるのかわからない。

 今までこういうことは起きたことがなかったから。

 羊を千匹数えたら、父と母はまたそこそこの幸せを与えてくれるだろうか? いつかはそれがこの上ない幸せに変わるだろうか? 自分がなにもしなくても、父と母は変わらず傍に居続けてくれるだろうか?

「羊が百四匹。羊が百五匹……」

 父はよくない人だったのかもしれない。母を本当の母とは呼べないのかもしれない。

 それでも、二人は自分にとって“いい親”であろうとしてくれていた。

 母は母として血の繋がっていない自分を育て、父は父として自分を守ってくれている。

「羊が百六。羊が百七……!」

 助けたい。けれど子供の自分になにができる? この蔵を飛び出してなにができる?

「羊が百八。羊がひゃっ、く、きゅうっ」

 闇の中で少年の歯がガチガチと互いを叩き合う。上の歯が「臆病者!」と罵れば、下の歯が「恩知らず!」と怒鳴る。

 自分が殺されるようなことがあってはならない。父さんと母さんが悲しむから。

 少なくともこのときの御剣は、まだそういう考え方をしていた。

 けれど同時に、自分などかなぐり捨てて助けたいとも、腹の底から思っていた。

「羊が……」

 と。羊が百十匹を数えたとき、“それ”は突然少年の前に現れた。

 前兆もなく、気配もなく。音もなく、匂いもなく。“それ”はまるで最初からそこにあったみたいにハッキリと、密閉された闇の中で浮いていた。これも一応脚色。正確には、光のひとつもない場所でそれは完全に闇と同化し、少年の目はその箱を箱としては映さなかった。けれどたしかに「そこになにかが現れた」という感覚はあった。

 そして闇に慣れた少年の目の前で、“それ”は一瞬網膜を焼き尽くさんばかりの眩い白光を放ち、人型に展開する。

 推定身長百三十センチ。少年よりいくらか小さい少女となった“それ”が口を開く。

「御剣乃音様。あなたは人身御供ひとみごくうに選ばれました」

“それ”は少年の理解を待たずに語る。

「私はあなたの願いを叶える立方体──エキセントリックボックスです。私は願われれば、一分間、あなたに願いを叶えるための力を与えることができます」

 夢でも見ているのかと少年は思った。しかし夢にしては胸の動悸がやけにリアルだった。

“それ”は声変わりも知らない少女の音色で語る。いやに丁寧な、人間味のない言葉を使って。

「ただし代償として、あなたを構成する諸要素の中から毎回ひとつを抽出し、私に捧げていただきます。あなたには毎度その要素を手放すかどうか、選択の機会が与えられます。拒めばその要素を失うことはありませんが、力を与えることもできません。また、抽出する要素は毎回ランダムに選ばれますが、力を放棄したからといってその順番が変わることはありません」

 この辺りで少年は頭から「なぜ」を排除する。闇から零れる言葉に全神経を傾ける。

「なお、あらかじめ申し上げておきますと、あらゆる願いの中で『死んだ人間を生き返らせる』ことだけはできませんのでご注意ください。加えて、力を行使する場合、あなたが代償を支払うと同時に、行使される側の記憶からあなたの存在を消させていただきます」

 テキストを入力された機械のようにペラペラと抑揚のない喋り方で最低限の情報を明かした“それ”は、「さて」と。

 一拍の間を挟むことで一方的で事務的な話を切り上げる。

「なにか質問はございますか?」

 示し合わせたみたいに、天井で新たな銃声が鳴った。

 どうやってここに入ってきた? どうして名前を知っている? エキセントリックボックスとは? 人身御供とは? おまえはいったいだれなんだ?

「なにか」ときかれて「これだ」と絞るには多すぎる、きくべきことがあった。

 しかし少年は十二歳にして知っていた。時間は有限であることを。それは病死した一人目の母が身をもって教えてくれたことだった。

『死んだ人間を生き返らせることはできない』

 ならば些細な疑問は大きな願いの足枷となる。

「その力は……」

 と、少年は問う。

「その力は……人を助けられるの?」

「はい」

 と、少女は答える。

 ────こうして運命の輪は歪んだ。

「なら僕は助けたい! 父さんと、母さんを!」

「ではそのための力を授けます」

 少女は一歩、少年に近づいた。

 闇は深く、やはりその姿が少年には見えない。

「代償は打算感情になりますが?」

「なんだそんなものか」と少年は言う。

「ああ。それは僕にいらない」

「かしこまりました」

 軽く首を垂れて少女は言う。

「では、失礼します」

 次の瞬間、少女から繰り出されたとは思えない力の一撃が少年の腹を抉り、その身体を吹き飛ばして蔵の壁に叩きつけた。高圧電流に触れたみたいな痛みが全身に走る。

「あっが、はあっ‼」

 少年は涙と嗚咽を垂れ流しながら、自身の内側で蠢く変化を感じていた。

 ──これなら、いける。

 立ち上がり、はしごを駆け上り、少年は天井の扉を押し開けた。

 暖色の光が闇を暴く。

 拳銃を携えた黒服の男が三人。いずれも屈強な身体つき。銃口の先には父と母。互いに胸から床に血を流して倒れている。

「では、一分間の『神代かみしろ』タイムを始めます」

 蔵から幼い声がして、少年の瞳が真っ赤に染まった。

 少年は土石流のように込み上げてくる雑多な感情を叫びに変えて男たちに跳びかかった。

 なんの躊躇いもなくトリガーが引かれ、少年は弾丸を肩に撃ち込まれる。

 弾丸が皮膚を貫くことはなく、プラスチックに弾かれたみたいに跳弾して壁を抉った。

 一瞬怯む男。少年は男から拳銃を奪い、男の顎に銃口を突きつけると即座に引き金を引く。鮮血を撒き散らしながら弾丸の勢いに押され倒れる男。

 そのようにして、残り二人もあっけなく十二歳の子供に命を奪われた。

 死体の上にそれぞれの銃を投げ捨て、少年は視界を遮る血飛沫だけを拭う。

「父さん! 母さん!」

 驚異の撃退を終え、両親の傍へ。

「……乃音……?」

 二人は今にも消えてしまいそうな命の灯を燻らせて我が子を見つめる。その「生」を尊びながら、違和感を覚えずにはいられない。

 この──血で濡れた子はいったいだれなのだろう……?

「今助けるから!」

 少年は二人の胸に手を翳す。

 傷はみるみるうちに塞がり、あっという間に二人の顔には生気が戻った。

「乃音!」

 母は違和感ごと息子を抱きしめた。一瞬遅れて、父も。

 ──助けられた。少年は愛の温もりの中で充足する。

「逃げよう。三人で」

 父が言う。

「ごめんね乃音。怖い思いをさせて」

 母が言う。

「…………」

 ああ。これは幸せへの逃避なのだろうと少年は思った。

「一分です」

 と、「生」を噛みしめる三人の間に割って入った少女。金色の髪に金色の瞳。朝を夕日で焼いたような色の服。小さな身体でスクリと立つ少女を見て、驚くくらいにイメージ通りの姿だと少年は笑った。

 警戒と撃退の姿勢を見せる両親を少年は宥める。

「この子はたぶん、大丈夫だから」

 自分たちをどうにかして救った息子に言われれば、二人は鵜呑みにするしかなかった。

「では、打算感情をいただきます」

 少年は自分を見下ろす少女に向かって頷く。抵抗する気はなかった。元々そういう条件で、人から外れた力をもらったのだ。これから自分はなにやら特別なことをされて、与えられた力と感情を奪われるのだろう。

「父さん、母さん」

 少年は最後に打算する。損得の換算をする。

「この家族は、幸せなのかな?」

 尋ねることで換算する。

「これから幸せになればいい」

 そう、父と母が答えた。

「……そうだね」

 そう思えるのなら、二人はこれから幸せに向かって進めるのだろう。ならば僕の選択は正しかった。

 このとき、人生最後の損得勘定によって決定づけられた。

 少年にとっての得とは──幸せとは──他人を幸せにすることなのだと。

 少女の唇が自分のそれと重なる。

 そこには驚きがあった。そこには羞恥があった。そしてそこには納得があった。授けられた能力と一緒に、自分の打算感情が奪われていくのがわかる。父と母は茫然とその様を見つめていた。

「では、また会う日まで」

 少女は口づけをやめるとそう言い残し、ぎゅいんと空間ごと巻き込むように収縮し、縦横二十センチの立方体へと姿を変えた。

 同時に少年を圧倒的な暴力が襲う。

 父の殴打によって鼓膜が裂け、母の絶叫は酷く遠くできこえた。

「だれだ貴様は⁉」

「血塗れの子供をよこしてくるなんて!」

 少年は意識が飛んでからもしばらく殴られ、蹴られ続けた。

 御剣は落ちた家族写真の上でそれを眺めていた。

 少年が目を覚ましたとき、そこに父と母の姿はなかった。どうやら無事に逃げたらしい。

 記憶を消された父の暴力は六月の雨のようで。母の冷たさは年老いた金属のようだった。

 こうなることが、少年にはわかっていた。少女の言葉は途中から咀嚼できなくなったが、それを噛んで小さくできないまま飲み込んだ少年には、両親を助けたいと願ったことによって自分の存在が両親の中から抜け落ちることがわかっていた。

 血に濡れた見ず知らずの子供が突然目の前に現れたら、だれだってそれを排除しようとする。決して「どうしたの?」とは尋ねない。ましてや二人のように、脅威に追われている人間ならそんな余裕はない。だからこうなることは必然だった。

「……いたいなあ……いたい、なぁ……っ」

 わかっていて、わかっていた通りになって、少年は泣き続けた。

 身体が、心が痛くて泣き続けた。

 もう二人が自分を愛してはくれないことに泣いた。幸せを自ら断ち切ったことに泣いた。そうすることしかできなかったことに泣いた。血に塗れて痣を作った十二歳は、小さな身体を丸めて泣いた。心臓を握りしめて泣いていた。

 動きさえしなければ、御剣には地に伏した少年が名も知らぬ三人の死骸と同じに見えた。

 過去と未来。いろいろを思って少年は泣いた。

 けれどたったひとつ、現在を思って泣くことはなかった。

 痛みを感じて泣いた。もう家族がいないことに泣いた。でも。その状況を「不幸」だと思って泣くことはなかった。できなかった。奪われた打算には、彼の中にあった他人と比べるものさしも含まれていた。

 彼は先を、あるいは昔を思って泣いたけれど、現状を嘆くことはなかった。

 少年は、自分が今「不幸」であるということを実感できないでいた。

 だから少年は存分に泣いてから行動を開始する。「幸せ」になるための行動を開始する。

 彼は「不幸」がなにかは知らないけれど、「幸せ」がなにかは知っていた。それは感情と直結する。

 自分などかなぐり捨てて人を助けたい。蔵で腹の底から思ったことだった。

 そうすることで悲しむ人はもういない。ならば自分が擦り切れるまで人を助けられる。

 少年は──御剣乃音は決意した。志した。人を助けるために生きることを。

 打算のない御剣にとって「人助け」とは無償の奉仕を意味していた。

 こうして彼の、自分を最低限に置いた人生が始まる。

 それは御剣にとって「幸せ」な人生の始まりだった。

「けれどここで夢は終わらない」

 御剣は夢で人生を追体験する。それはなにも印象的な一日だけではない。

 御剣は夢で千日の旅をする。眠る前日までを超濃縮して再現した夢を見る。

 だからこの話は脚色。両親との別離も、御剣の夢では一秒以下の出来事。

“家庭の事情”でひとりになった彼に以前より優しく接してくれるようになった真白ましろ

 徐々に人間味を帯びた喋り方になっていくエキセントリックボックス。

 次第に同じ行動を繰り返すようになって人間味を失っていく自分。

 エキセントリックボックスに譲渡した要素が主から忘れられることを拒んでいるみたいに、夢は過去の再現を繰り返す。

 だんだんと無感動になり、無感情になっていく自分を眺める御剣。しかし擦り減っていく自分の傍にはいつも、救われた人間がいた。テストの答案用紙に花丸をもらった中学の同級生。不倫関係を解消できた担任教師。迷子だった飼い犬を抱く老婆。空まで飛ばしてしまった風船を手にする子供。全員笑顔だった。それを見るだけで御剣は「幸せ」に近づいている気がした。

 ──そういえば、昨日の少女はどこへいったのだろう?

 そんな疑問を抱くまで夢は現在に近づき、そして。

 夢の御剣が眠ると同時に現実の御剣は目を覚ました。

「…………なにをしてるんだ?」

 身体にのしかかる重量感、小学生女子一個分。

 ベッドで眠る御剣の腰に跨ったスクランブルがにゅっと顔を近づける。

 金色のツインテールが重力通りに垂れて互いの頬を包んだ。

「キスしてみたい!」

 開口一番。起き抜けの要求だった。

 今か今かと許しを待ち望んで金色の瞳が輝いている。

 ため息ひとつ。御剣は羞恥心のない少女を降ろす。

 緩慢な動作でベッドから転がり出て、キッチンの鍋を火にかけた。

「ダメだ」

「えー! なんでなんで⁉」

 すっかり少女としての口ぶりが板についた彼女は、構われたがる子供のようにグイグイと御剣の袖を引っ張る。

 ずいぶん変わったなと、毎日のように御剣は思う。

 出会った頃はあんなに丁寧な、人らしくない喋り方をしていたのに。

 ──スクランブル。箱型のときと人型のときを区別するため、彼は彼女をそう呼ぶことにした。

 名前に特に意味はない。枕や鏡という名前に識別記号として以上の意味がないように。その名前にもなにか特別な想いを込めたりはしていない。渦を巻いているから渦巻き。茶葉から抽出したからお茶。たぶん安直さはそれ以上。

 あの日読んでいた本の章題がスクランブル。だから少女はスクランブル。

「なんでキスしちゃいけないのー?」

 御剣はカーテンを開けて湿気た部屋に日光を入れる。

 スクランブルの服がまた趣味の悪い七色に変わった。

「僕がしたくないからさ」

 スクランブルは出会って一年もすると、こうしてわからないことはすぐにきいてくるようになった。普通ならきくまでもなく感覚でわかるはずのことでも、彼女にはその感覚が欠落しているケースが多い。

「キスっていうのは、お互いに好きじゃないとしちゃいけないんだよ」

「乃音は私のこと嫌いなの?」

 スクランブルは剥き身で疑問を口にする。傷つく心がないから。

 その様はまるで、戦場で鎧が邪魔だと脱ぎ捨てる兵士のよう。

「おまえは僕のことが好きなのか?」

「うーん……」

 口に手を当てて唸ること数秒。指をパチンと鳴らしてスクランブルは答える。

「わかんない!」

 少女は無垢に御剣を見上げる。「好き」がなにか教えてほしいと見上げる。

 彼女は御剣から様々な要素を奪ってきたが、まだ羞恥心も愛情も教えてもらってはいなかった。それはまだ御剣のほうが持っていた。

「わからないならキスはしちゃいけないんだ」

「でもでもでも!」

 スクランブルは食い下がる。

「『神代』タイムのあと、いつもしてるよ?」

「あれはキスじゃない」

「じゃあなに?」

「契約だ」

 自分を構成する要素を差し出す条件を飲み、一分間『神代』と呼ばれる特別な力を扱える状態になれる。『神代』が終わると口づけをして、条件通り要素を差し出す。この一連を人身御供の契約と呼ぶ。

 打算。悲しみ。キスのうまさ。エトセトラ。御剣の失った要素は全てスクランブルに還元されていた。御剣が人間味を失えば失うだけ、スクランブルは人間に近づく。要素と力を交換する──それが人身御供とエキセントリックボックスの関係だ。

「契約はキスじゃないんだ」

「でも、キスしてるよ?」

 やれやれ。御剣は理屈で戦うのをやめた。

「僕は願いを叶えてもらうとき以外、おまえとキスをしたくないんだ」

「私が嫌いだから?」

「他に好きな人がいるからだよ」

 真白を愛している以上、戯れのキスをしてはいけない。それは真白を傷つけるから。

「はーい」

 つまらなそうに返事をして、スクランブルは円卓の前に座った。

 真白に作ってもらったカレーを幅の広い皿によそい、レンジで温めたごはんを放り込む。

「いただきます」

「いただきます」

 二人はパンと手を合わせた。

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