二章 SADSトレーニング④

 ある意味ハードなトレーニングメニューを熟しながら、数日が経過した頃。

 俺は日用品や食料の買い出しに、街へ繰り出す。レナトも誘ったのだが昼の屋外はハードルが高いらしく、部屋中を逃げ回って抵抗された。結果、御一人様でのぶらり散歩。

 クーラー全開で冷え切った部屋から、真夏の屋外へ飛び出した瞬間、


「あっつ……」


 温度差で立ち眩みに似た症状に襲われる。レナトだったら秒殺間違いなし。

 今後の生活に使う物や食料を買い漁り、一時間程度で帰宅すると、


「すー……すー……」


 レナトは美少女ゲームを掛布団にして、スヤスヤと寝息をたてていた。屋外の暑さなんて、異世界の話題とでも思っているに違いない。ユニフォームと化したスク水ニーソを装備したまま夢心地。猫耳フードをアイマスク代わりにして、縮こまりながら熟睡している。

 時刻は正午前──レナトの生活リズムは昼夜逆転している。

 俺より遅くまで寝ているのではなく、朝まで寝ていないだけなのだ。


「ぐへへ……ブラジャー脱がせちゃうにゃあぁ……すー……すー……」


 いったいどんな夢を見ているのかは知らないが、キャラが変わりすぎている。夢の中では、美少女ゲームの主人公になっているらしい。

 だらしなくよだれを垂らしていたが、とても幸せそうだった。


「……すー……すー……んにゃあぁあああああああ……ぐへ……」


 俺が歩いた振動で、エロゲタワーがレナトに崩れ落ちた。やはりこの部屋は散らかりすぎだろう。生活習慣や環境から根本的に改善していかなければ、脱引きこもりの道はない。

 掃除の邪魔なので、寝ているレナトの頬をぷにぷにと押してみるが、


「……うんにゅうぅ……クリックしないでくだしゃい、コウさぁん……そ、そこはダメでしゅう……ら、らめぇええぇ……むにゃむや……」


 起きる気配ナシのスク水娘。今度は責めから受けにチェンジしたらしい。双丘の天辺を押さえて、左右に寝返りながら悶えていた。

 夢の中ではその部分をクリックされているんですか、そうですか。


「レナトぉ、掃除するぞぉ〜。起きろぉ〜」

「ふぇえええぇ……明日から頑張りますぅ……くかー……」

「掃除機でおっぱい吸っちゃうぞぉ〜」

「にゃあぁあ……エッチなことは……ダメですぅ……すぴー……すぴー……」


 奇跡的に会話が成立した。


「コウしゃあぁん……ワタシの衣装……どうれふかぁ……? えっちですぅ……」


 むっつりスケベ猫の寝言はともかく、レナトの周囲には作りかけのコスプレ衣装が散乱していた。深夜から朝方まで毎晩、手縫いやミシンでコツコツと作業をしているみたいだ。


「すごいな、レナトは」


 素人の俺には、どのように複雑な衣装を制作しているのか見当もつかない。エッチなことをして起こそうと思ったが、レナトなりに日々頑張っている証の爆睡。

 そこはかとない罪悪感には勝てず、今日のところは大目に見てあげよう。

 散らかっているお菓子のゴミや、空のペットボトルを分別して、ゴミ袋にまとめる。

 足の踏み場が顔を出してきたところで、床に散乱している美少女ゲームや漫画本の類、聳え立つ無数のエロゲタワーを壁際の本棚へ移送しようとするが、


「これは……」


 本棚にギッシリと詰まっていたのは、授業で黒板を書き写す普通のノート。勝手に見るのは申し訳ないと思いつつも、適当なノートを手に取り、パラパラと捲ってみた。

 書かれていたのは、コスプレ衣装の設計図。お世辞にも上手いとは言えないイラストや説明文だが、レナトなりに頭を悩ませながら日々書き溜めていたらしい。

 コツコツと積み重ねた努力を体現したのが、クローゼットから雪崩の如く溢れ出しているコスプレ衣装。たった三ヵ月あまりで、レナトは塵を積もらせて山を作り上げたのだ。

 レナトの傍らに落ちていた最新のノートには、小さい文字でこう記してあった。


 今度こそ がんばりたいにゃ


 寝る間も惜しんで制作中のコスプレ衣装に、そんな願いを込めたのだろうか。

 引きこもりを治したい。友達が欲しい。小さいけど、レナトにとっては大きい願いを。

 いつの間にか茜色の夕日が差し込んできたレナトの部屋で、俺はノートを読みながら作業の手をすっかり休めてしまっていた。


「ふにゃあぁ……? お、おはようございます……コウさぁあん……」

「おはよ、レナト」


 おはようございます、ではない時間帯に目を覚ますレナト。怠そうなレナトの腰へ手を回し、ゆっくりと上半身を起こしてあげた。


「……あ、あれ? へ、部屋がなんだか……広くなったような……」

「いくらか掃除したからね。脱ぎ散らかしていた下着は、クローゼットの引き出しに入れておいたから」

「は、はわわわぁ……し、下着を見られて……。お、お恥ずかしい限りです……」


 ぺこぺこと恐縮したレナトだが、俺が手に持っていたコスプレノートに気付いたようで、


「ふぁああああ……! そ、そのノートはぁ……! ワタシだけのマル秘のぉ……!」


 地に上がった魚の霊が憑依したのだろうか、涙目でビチビチと跳ね回っている。ノートの表紙を改めて見てみると、魔方陣か紋章と見間違ってしまう謎の一文字が。


「これ、㊙って書いてあったんだ……」

「うう……か、漢字を書くのは苦手でぇ……。こ、コウさんはイジワルです……。も、もう知らないです……」


 イジけてしまったが、まったく怖くない。むしろ、これがレナトの魅力。

 それを堪能したいがために、レナトへちょっかいを出したくて仕方がないのだ。


「ごめんごめん。頭撫でてあげるから許してよ」

「え、えええ……? わ、ワタシ……コウさんに褒めてもらうようなことは何も……」


 猫耳フード越しに頭を撫でると、レナトは頬を桃色に染めながら身構えた。

 俺は制作途中の衣装を手に取り、困惑していたレナトの前へ掲げる。


「レナトなりに少しずつ努力しているからね。俺は服飾について詳しくないけど、ここまでの衣装を作り上げたのは凄いと思うよ」

「す、好きですから……。こ、コスプレして……違うキャラになりきって生きるのが……。先が見えない不安を……忘れさせてくれる……唯一の拠り所みたいなもの……なんです……」


 そう訴えかけるレナト。コスプレは不安や孤独を打ち消す魔法のアイテムであり、趣味の領域を遥かに超えているのだが……俺の目が節穴じゃなければ、脆い大黒柱に縋っているようにも見えてしまう。だからこそ〝友達〟という二本目の強固な柱を、早急に打ち立てなくてはならない。


「コスプレしながらエッチなことをするのも好きだよね」

「そ、それも……って、それは好きじゃありませぇえん……!」


 誘導尋問には引っかからなかったが、初々しい恋人同士みたいな沈黙の空気に。相手の行動を探っているかのように、期待しているかのように、どちらも動かない。

 俺が顔を近づけたら、レナトも顔を近づけてくれるのだろうか?


 ピンポーン、ピンポーン!


「うわっ⁉」

「ふ、ふぇえええ……」


 耳障りなインターホンの音が、火照った気持ちを急速に宥めた。猛烈に照れ臭くなり、背中合わせになる二人。スク水というフィルターを通したレナトの体温を味わう。


「で、出なくていいの? 誰か来たんじゃない?」

「こ、こんな姿じゃ出られませんよぉおお……」


 今のレナトは、スク水ニーソにパーカーを羽織っている過激なフォーム。変態女の子だと思われてしまう可能性が高い。レナトは変態じゃなく、ムッツリスケベなんだ。

 ぼっちが部屋でプールごっこをしていました状態で、初対面の人と話すのは無理だろう。


「た、たぶん宅配だと思います……。わ、ワタシ、某通販サイトをよく使いますから……」

「分かった。俺が受け取ってくるよ」

「あ、ありがとうございます……。い、いま注文しているぶんの代金はすでに払っていますので……う、受け取りのサインだけ……お願いできれば……」


 俺が玄関に向かうと、レナトはクローゼットの中にダイブ。よほどスク水ニーソ姿を見られたくないようだ。自称、猫だから丸まって身動きをしない。

 ドアを開けると、真夏の生暖かい外気が流入。そこには帽子を深くかぶった眼鏡の配達員が、段ボールを一箱抱えながら立っていた。長袖長ズボンに小太り体型、しかもマスク着用なので大粒の汗を滝のように流しながら。

 段ボールの側面には某通販サイトのロゴが記載してあるので、レナト宛てに間違いない。


「お届け物です。こちらのPC部品でお間違えないでしょうか?」

「暑い中お疲れ様です。たぶんそれで間違いないかと」

「失礼ですが、受取人はご本人様でしょうか?」


 配達員に尋ねられる。炎上防止のために、俺の設定はレナトの兄だと指定されたっけか。


「いえ、兄です。妹は用事があって外出中なんですよ」

「では、こちらに受領のサインを頂けますか? フルネームでお願いします」


 配達員から段ボールに入った商品を受け取ると、続けざまに紙とボールペンを渡される。

 受領のサインって苗字とかで構わなかったような?

 通販や宅配をあまり使わないので、確実なことは言えないけど。


「あの、早くサインしてもらえますかね? 次の配達先もあるんで」


 苛立ち気味の配達員に煽られるし、妙に身体を揺らして室内を覗くような仕草を見せる。

 真夏の屋外で待たされているからなのか、態度が鼻につくな。

 そういえばレナトの苗字ってなんだ? 兄が森野だから森野レナトか?

 無事に届けた証として管理するだけだろうし〝東雲レナト〟と書いた受領書を返す。


「ありがとうございましたー」


 軽く会釈しながら、配達員はそそくさと引き上げて行った。


 俺は中身が入っている段ボールを抱えながら、極寒に冷えた部屋へと戻る。


「お〜い、そこに隠れている変態スク水猫さーん」

「は、はぁ〜い……」


 ゆっくりと、クローゼットから這い出てくるスク水の黒猫さん。猫耳パーカー越しに俺の方を観察したり、うーうー唸ったりしている。


「はい、届いた荷物。また美少女ゲームとか買ったんでしょ?」

「……い、いろんなものを買いすぎて……予想できません……」


 段ボールを手渡すと、レナトはさっそく開封……しようとするが、手が止まった。


「こ、これ……おかしいです……。だ、段ボールに貼ってあるはずの伝票が……どこにもありません……」


 そう指摘されて、俺も違和感に気付く。

 段ボール自体は某大手通販サイトのロゴが印刷されているものの、発送元の情報や発送先の情報等が記載してある伝票が、どこにも貼り付けられていないのだ。


「それじゃあ、あの男はいったい──」


 瞳を見開きながら、手が震え始めたレナト。

 俺が代わりに段ボールカッターで封を切り、開封すると──


「なんだこれ…………」


 真っ先に突き刺さった感情は悍ましい狂気。

 レナトの写真が数十枚ほど同封されており、どれもカメラ目線ではない。いや、フード着用なので目線は分からないが、顔の向きが明らかに違う。


「こ、こんな写真……わ、ワタシは知らないです……」


 震えた声で首を振るレナト。


「盗撮か……。レナトが月一で外出する瞬間を狙っているのかもしれない」

 中身を漁っていると、写真に埋もれた一枚の紙を発見。俺の動悸が不安定に再加速した。



 ねこねこ☆しゅべぇげりん氏へ捧ぐ 愛の詩


 僕のエンジェル いつもいつも 君だけを感じてる

 止まらないよ この想いフォーエバー 君さえいれば なにもいらない

 だから 君は 僕だけのもの


 これ以上 魅力的な 君の姿を 僕以外に見せるのは 許さない



 あまりの嫌悪感に耐えかねて、手紙をぐしゃりと握り潰す。


「さっきの男がストーカーだったのか。まさか配達員に成り済ましているなんて……」


 レナトの家から排出される通販の段ボール量は尋常じゃない。ストーカーがアパート周辺を調査しているなら、知っていてもおかしくない。

 その段ボールと同じものを利用して、堂々と配達しにくるなんて。帽子とマスク、眼鏡で顔を隠していたのは、顔バレ対策だったのだろう。

 もし、レナトが一人で部屋にいて、あの男から荷物を受け取っていたら?

 もし、俺が兄だと口に出さないで、レナトの彼氏だと誤解されたとしたら?

 たらればの憶測ではあるが、想像するだけでも背筋が凍る。


「……う、うう……うぐっ……うええぇ……ふっうう……」


 俺でさえ恐怖を禁じ得ないのだから、レナトは比べ物にならないほどの深い絶望に囚われているはずだ。それを物語るのは、頬を伝う大粒の涙。


「大丈夫。俺がいる……俺が守るから」


 俺ができるのは、レナトが泣き止むまで抱き締めてあげることだけ。

 胸元にしがみ付いて泣き喚くレナトの頭を、フード越しに撫でてあげることだけ。


                   ※


 心身共に衰弱したレナトは俺の太ももを枕代わりに、慎ましい寝息をたてていた。

 タイミングを見計らってスマホを耳に当てた俺は、通話先の森野へ事情を説明する。


『──過激派が本格的に動き出したアルか。かなり厄介だネ』

「警察に相談するべきなんじゃないのか? 付き纏いどころか、家にまで来てるんだぞ」

『──部屋に侵入するとか、相手に性的な目的で触れるとか、奇行がエスカレートしないと逮捕は難しいネ。最初は警察から犯人に警告があると思うアルが、犯人が逆上して凶行に及ぶパターンも少なくないヨ。吾輩はそれが恐ろしいネ』


 事前に相談していたのに、被害者への殺傷を防げなかったという事件は多く耳にする。


『──アイドル的な人気者には、昔からこういう過激派ファンが数多くいるネ。いちいち逮捕していたらキリがないと思われているアル』

「もはや、ファンじゃなくて過激なアンチだろ。エスカレートしないうちに対応しないと、学校へ行くどころじゃなくなってしまうぞ」

『──吾輩たち穏健派は、できる限り協力するアル。東雲氏も気を付けるコトヨ』

 俺たちはより一層の団結を約束して、通話を切った。胸に不安感を沈殿させたままで。



                    ――この続きは本編でお楽しみ下さい!

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俺色に染めるぼっちエリートのしつけ方 著:あまさきみりと 角川スニーカー文庫 @sneaker

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