二章 SADSトレーニング②


                  ※


 ──なんだかんだで、アパート前の夜道に佇む大きな黒猫。周囲を忙しなく見回したり、身体を縮こまらせたりと、天性の挙動不審さが群を抜いていた。


「つ、つつ、釣りなんてやったことありませんし……そ、そもそも……外で活動すること自体が……ワタシにはハードルが高くてぇ……」


 軽く小突いたら泣き出しそうな必死感を醸し出すレナト。


「俺はレナトのことを詳しく知らない。だからレナトがぼっちエリートをどこまで拗らせているのか、最初に確認しておく必要があるんだ。弟子の実力を知らなきゃ、コーチは務まらないんだよ」

「……な、謎の説得力が……! で、でもでも……」

「でもでも、じゃない。それに、いきなり過激なことをさせるわけじゃないよ。ちょっとその辺を散歩してもらうだけ」


 想像より低いハードルで安心したのか、レナトはほっと胸を撫で下ろす。

 だがしかし、俺の口からは予想だにせぬ言葉が⁉


「これからレナトには人間を釣ってもらいます」


 意味がよく伝わってないため、レナトは猫みたいな鳴き声とセットで首を傾げた。


「とりあえず、通行人に道を尋ねてみて。現在のレナトが持っているコミュニケーション能力がどれだけなのか、この目で見極めたいからさ」

「……ふえぇええ……し、知らない人に……いきなり話しかけるなんてムリですよぉ……」

「やってみなきゃ分からないでしょ。案外、これがキッカケで自分の隠された魅力が引き出されたりするかもしれないよ」


 さすがに困惑の沈黙に陥るレナトだったが、小さい両手をギュッと握り締めた。


「……わ、分かりました……。移動範囲は近所だけ……で良いんですよね……?」

「コンビニへの道を尋ねるだけで構わないから。五分くらいしたら戻ってきて」


 観念したレナトは、トコトコと早歩きで探索を開始。俺の目が届く範囲で、住宅街の夜道を恐る恐る彷徨っている。

 俺とレナトは知り合ってから日が浅い。レナトの人見知りレベルや普段の挙動、隠された魅力などを熟知しなくては、最適なアドバイスができないというもの。

 教師だって教え子の得意分野や不得意分野を知ったうえで、効率よく勉強を教える。レナトの不得意な部分を改善して、秘めた魅力をもっと伸ばすために夜釣りは不可避。


「そういえば、森野はレナトの周囲に怪しい人影が付き纏っているとか言っていたな。レナトをエサにしたら、もしかして食いついたり?」


 そんな俺の思惑を知る由もなく、黒猫着ぐるみコスプレのぼっちエリートは、おろおろと外灯の下を漂う。

 未成年の補導が迫る時間帯とはいえ、帰宅者も若干歩いているのだが、レナトが不格好な挙動不審さで懸命に接近しても「な、なに? こわっ」と、逃げられていた。

 そりゃあ怖いだろうなぁ。薄暗く静まり返った道で、真っ黒な着ぐるみ状の物体がいきなり近づいて来たら。都会の住人はシビアだよ、そこのところ。

 遠目から見るその姿は、まるで生者に引き寄せられた生ける屍。コスプレが趣味のゾンビ小学生とカテゴライズしたいくらいだ。

 そんなことを考えているうちに、


「す、すみませぇえええん……」


 レナトさん、無念の帰還。当然ながら誰にも話しかけていないので、収穫はゼロである。

 ここまでは予想通り。剥き出しの釣り針に魚が寄ってこないのなら、美味しそうなエサで強引に食いつかせればいい。


「仕方ないから、服を一枚脱ごうか」

「ふえ……?」


 困惑混じりの可愛らしい疑問符をいただく。


「仕方ないから、服を一枚脱ごうか」

「……い、いえ……き、聞こえていますけど……な、なな、なんで服をぉ……」


 両手をぱたぱたと振るレナトから、動揺を表現した抗議の声が返ってくる。俺としても平然とした態度で脱ぎ出されては困るし、一応は恥じらってくれたので安心した。


「レナトは自分から話しかけられなかったじゃん?」

「はいぃ……」

「だったらフェロモン全開で誘惑するしかないじゃん」


 推定五秒間ほどの短い沈黙を挟み──


「ちょ、ちょっと何を言っているのか分かりません……」


 地味に辛辣な言葉を浴びせられた。つい最近、七海さんにも同じことを言われた気が。

 そうなんです。こんな流れが導入口となり、大抵の恋人たちは恥辱に耐え切れず逃げて行く。年単位で恋人関係が続いたのは、最初に付き合った女の子だけだ。

 しかし、俺は救いを待つ女の子のためのSADSになる。


「少しだけエッチな姿で夜道を歩けば、通行人のほうから話しかけてくれると思うんだ。レナトがそこまでの勇気を秘めているか、自分を変えたいと心から願っているのか……本気度が見たいんだよ。本気のキミを、俺は本気で応援したいから」


 だから俺は一歩も引くわけにはいかない。世界中から「なんか言葉巧みに如何わしいことを要求してない?」と疑われようとも、譲るわけにはいかないんだ。


「せめてフードだけでも脱がないと、相手も心を開いてくれない。素顔を隠した赤の他人がいきなり近づいて来たら、誰だって警戒しちゃうでしょ?」

「で、でもでも……」


 着ぐるみコスのフードに両手を添えたレナトは、脱ぐどころか目深にかぶり直す。俺の求めは断固として受け入れられない、とでも言わんばかりに。


「……わ、ワタシなんかを見ると……不快な思いをする人がいるかもしれません……。つ、辛い思いをする人もいるかもしれません……」

「そんなことは──」

「……ワタシという存在は……消えたほうがいいんです……。こ、コスプレして……顔を隠して……存在しない者として……生きるしか……」


 自意識過剰。自分に対する他人の評価や視線が過剰に気になって仕方ない状態。

 でも、俺はその言葉で片付けてしまうのは不適当な気がしていた。俺が思っていた以上にレナトはコスプレに依存していて、儚く消し飛びそうな脆い自我を保っている。

 フードで素顔を隠し、コスプレで二次元のキャラになりきり、現実の孤独な境遇を脳内から排除するため……だとしたら。


「キミは自分を変えたいから、勇気を振り絞って俺を受け入れたんだと思ってる。だから同情するためじゃなく、状況を打破するために俺はここにいる。今日という日を、最高のスタートラインとするために──」


 軽く一呼吸置いた俺は極上のキメ顔で、


「ぱんつを脱いで」


 そう言い放った。躊躇なく。おはようございます、みたいな挨拶のテンションで。


「……そ、そろそろ活動限界時間がぁ……」


 チープな言い訳を述べながらアパート方面へ逃げようとするので、路肩のコンクリ壁にレナトを追い込み──壁に手を突いて逃げ場を封じた。


「……は、はわわぁ……ど、どど、どうして、ぱ、ぱぱぱ、ぱんつをぉ……!」


 壁ドン状態で迫られて、レナトは激しい動揺を隠せない。


「深夜の路上という釣り場に相応しいエサ=ぱんつを穿かないエロエロ女児。オーケー?」

「な、なるほどぉ…………え、ええぇ……⁉ よ、よく考えると……おかしいような……」


 一瞬、肯定しかけるレナト。あっ、これちょろい。もう一押しで懐柔できる。


「今のリア充女子は基本的にブラをしないし、ぱんつも気分によっては穿かないんだよ。このままだと、経験のないレナトは女子の会話に付いていけない……。友達作りにおいて、同年代の会話に混ざれないのは致命的とも言える」

「う、うむむ……い、一理あるかもしれませんねぇ……」

「いつもの私服に着替えてもらうけど、フードは取らなくてもいい。でも、中身はありのままのレナトで勝負しないと本当の実力が測れないんだ」


 東雲甲式の理論武装。レナトは少し考え込んだ挙句、黙って頷くしかなくなる。



 一旦、重い足取りでアパートへ戻ったレナトは、数分後に俺の元へ帰投。

 猫耳パーカーにスカートという馴染みの服装に着替えてもらったのだが、下着は身に着けていない。しかし外見上では特に違和感がなく、普通の小学生という印象。


「へ、変です……。ま、股下がすーすーしてぇ……パーカーの生地が胸に擦れて……」


 やはりムズムズするらしい。右手はスカートを押さえながら、内股で震えている。


「見た目は普通だから、露出狂ってわけでもないしね。学校生活では相手から話しかけてもらえる魅力が必要不可欠だから、確認させてもらうよ」

「ふ、ふえぇええええ……や、やっぱり恥ずかしいですよぉ……」


 泣き言が止まらないレナトだったが、再び闇夜への航海を開始した。

 ある意味、恥ずかしいのは俺のほうですよ。小学生っぽい女の子を言い包めて、ブラとぱんつを半強制的に脱がせるなんて……世間にバレたら社会的に終わる。


「欲望のためじゃなく、俺を必要としてくれる女の子のために力を使うと決めた。たとえ、世界の倫理委員会やPTA、モンペを敵に回したとしても」


 意味深に格好良いことを呟いてみて、背徳感を封殺しようという浅はかな自分。股間を右手で隠すように歩くレナトを遠い目で観察しながら、夜風に吐息を混じらせた。

 ミイラ取りがミイラになるとは、よく耳にするが、変質者取りが変質者になることもあるのが社会の厳しさ。

 時刻は深夜十一時近く。フードで顔、右手で股間を隠している謎の少女が、周囲を警戒しながら不自然に歩いていたら──


「あのー、ちょっといいですか?」

「ふ、ふえ……は、はわわわぁ……⁉」


 周囲を巡回していたであろう女性警察官に、職務質問的な声をかけられても不思議ではなかった。案の定、警察官と相対したレナトは、ビクンと身体を震わせて後ずさり。


「こんな遅い時間に、子供が一人で何をしているのかな〜?」

「は、はわわわわわわぁ……にゃ、にゃあぁああああぁ……」


 レナトは激しく動揺しまくって、普通の受け答えすらできない。人見知りに加えて、おそらく初体験であろう職務質問にすっかり萎縮していた。


「ついさっき『子供が夜道を徘徊しながら、通行人を妨害している』って通報があったのよ。子供は夜中に出歩いちゃいけないって親に教わらなかったのかなぁ?」

「こ、こん、こんここここ、こ、こんび……こ、こん、コンビ……こんびにぃ……」

「あ、コンビニに行きたかったの。夜中はお腹が減るわよね」


 警察官のお姉さんは幼児をあやす口調で、レナトの意思をなんとなく汲み取り始めた。


「わ、わわ、ワタシは……これ……こ、これにてぇ……」


 一刻も早く楽になりたいレナトは立ち去ろうとするも、


「ちょっと待って」


 怪しさ全開で逆効果。勘を働かせた女性警察官が、咄嗟に呼び止めた。


「さっきから股間を押さえたり、胸をやたら気にしたりしてるわよね? どうして?」

「ふ、ふぇ⁉」


 レナトから漏れ出た豪快な裏声は、不審者の香りをさらに強調してしまう。変質者のエサとして放ったレナトが、変質者候補生となるのだ。俺の手によって。

 ちらっ。レナトがこちらを向いて、無言の助けを求めてくる。しかし、俺は二回ほど頷いてみた。特に助け舟の意図はない。


「あなたみたいな小さい少女を疑いたくはないけど、女性が危険物とか薬物の類を隠し持つところは下着の中が結構多いのよ。男性警察官だとセクハラだなんだで、身体検査できない部分でしょ?」

「そ、そんなもの……もも、も、持ってませぇん……!」


 そりゃそうだ。物体を隠す下着を身に着けていないのが問題なのだから。


「一瞬で終わるからさ、ちょっと身体検査させて。服の上から身体を軽く触るだけだから痛くないし、そんなに怖がらないで」


「そ、それはぁ……はわわわぁ……!」


 レナトが怖がっているのは痛みや不審物所持などではない。ノーパンノーブラで夜道を徘徊するという痴女スタイルなのが、公共の場で判明してしまうことなのだ!


「ではでは、失礼して。両手は上にあげて、そのままバンザイしていてね〜」

「あ、ああ……だ、だめ……だめです……よぉ……」


 背後に立った女性警察官は、馴れた手付きでレナトの身体を弄る。フェザータッチでくすぐったいのか、レナトの口からは途切れ途切れの吐息が漏れた。

 ますは肩周りに触れてから、検査の手が胸の周囲へ。揉むというよりは撫でる軌道を描きながら、胸に異物の感触がないか確かめていた。


「あ、やあ……はあ……ううん……」


 なすがままのレナト。ノーブラがバレるかもしれないという危機感と、もどかしく甘い刺激が、初心な少女の理性を掻き乱す。

 あくまで事務的に、淡々と検査する女性警察官に開発されていくレナトは、芸術作品にも等しい。俺は貴族の気分で鑑賞せざるを得ないじゃないか。


「あれ? ブラジャーしてないの? そろそろ着けてもいい成長具合だと思うけどね〜」

「ひゃ、ひゃひぃいいいい……⁉」


 身長の割には育ちが順調な胸を下から持ち上げて、アドバイスする女性警察官。厚手のパーカ越しとはいえ、そこは女性の豊富な経験値。ノーブラを見破ったようだ。

 ノーブラでの外出は稀にあり得る。今はカップ付きの肌着などが豊富なので、ちょっとコンビニへ行くときなどはノーブラな女子も多いと聞く。

 検査の手はレナトの身体をなぞり、


「やっ……そ、そこは……!」

 スカートに隠されたお尻の周辺へ。手触りが良さげな山脈を徐々に下って、レナトの背後から股間へ手を回す女性警察官。


「そ、そこまでぇ……ふぇええええええ……」


 露骨に焦るレナト。ノーブラは稀にあり得るが、ノーパンとなると痴女の領域。ノーパンで外を出歩くという行為に興奮を覚える変態系少女の称号は間違いない。


「あっ……はあ、んんっ……さ、触っちゃ……だ、だめぇ……」

「くすぐったいのは分かるけど、もう少しだから我慢してね〜」


 太ももあたりのポケットを弄りながら、指先は太ももをゆっくりと蹂躙。


「あっ……ああっ……!」


 レナトのエッチな声が一際大きく響いたのは、女性警察官の指先が恥骨の守備範囲へ差し掛かった瞬間だった。さすがにスカートの上から、手触りだけでノーパンとは分からないはず。レナトが秘めている天然のエロさやフェロモンは、よーく理解した。

 この段階で、準備運動代わりの確認は充分すぎるほど完了したのだ。


「まさかとは思うけど……あなた、パンツ──」


 そろそろ引き際か……。東雲甲、武力介入に移行する。


「こんなところにいたんだ。まったく心配かけさせて」


 俺はなるべく自然な口調で、職質の現場に参上。レナトを迎えに来たという雰囲気を前面に押し出す。


「あなたはご家族のかた?」

「そうです。コンビニに行ったまま帰ってこないので、心配になってしまって」


 浅く頭を下げて謝罪した俺は、レナトを連れて現場から離れようとする……も、


「待ちなさい。その子、ブラもパンツも身に着けていないってことは……人目を盗んで露出行為を──」


 背後からの追撃。お仕事に熱心なのはいいが、貴女は知り過ぎてしまったようだ。

 仕方ない。俺は踵を返して、女性警察官に接近。自らの指で彼女の顎をクイっと持ち、俺の瞳を強制的に見つめさせた。


「あまり深入りすると……貴女の身体を検査せざるを得ません。快感で全てを忘れてしまうほど……隅々までね」

「そ、そんなことしたら逮捕よ」


 炸裂したのは、艶やかな低音ボイスとへヴィな笑顔。鮮やかに決まった。硬派な女性警察官にすら愚行を許し、瞳を蕩けさせてしまう妙技『爽やかな冬朝──笑顔日和デイ・スマイリング』が。


「なに、これ……? 急に胸が温かくなって……」


 疑いの眼差しから、恋する乙女の瞳へ変化した女性警察官。全身の力が半強制的に抜けていき、俺のほうへ身体を預けてきた。

 反射的に彼女の首筋へ舌を這わせたところで勝る自我。自重しろ。理性で抑えるんだ。


「お仕事、頑張ってください。それでは失礼します」


 呆けた相手にそう言い残して、レナトの手を引きながら夜の景色に紛れていく。プチ修羅場を潜り抜けた安堵感と、レナトをもっと知ることができた達成感を胸に留めながら。


「今後は、ぱんつを穿かないで出歩いちゃダメだよ。レナトに前科がついたら大変だ」

「は、はいぃ……。き、気を付けます……。ぱ、ぱんつ……穿きます……」


 極度の緊張状態から解放されたレナトは、胸に手を当てて深呼吸。同時に重要な事実に気付いたようで、隣を歩く俺のほうへすぐさま首を捻った。


「……よ、よく考えてみれば……コウさんのせいじゃないですかぁ……!」

「あ、流れ星だ」

「……え、ええ、どこですか……? って……誤魔化さないでくださいぃ……! ふにゃあぁあああああ……!」


 レナトの子猫みたいな愛らしい怒りを宥めながら、同棲初日の夜は更けていった。

 人間は極限状態に陥ると、より信頼関係が深まるらしい。今日の出来事は二人の距離を縮めるには最適だったというわけで、俺が思い描いた理想通りのプラン。

 長いようで短い夏休みは、一日たりとも無駄にできない。


「今年の夏コミに参加しようか。レナトはコスプレでさ」


 なので、明確に分かりやすい目標を設定してみることにした。


「……え、ええ……⁉ そ、そんなの……学校にも行けないワタシにはムリなんじゃ……」

「夏コミという戦場を生き残ることができれば、学校生活なんてお遊戯会みたいなものだ。この短期間でレナトを立派なコスプレ兵士に育て上げてみせる!」

「そ、兵士じゃなくて……コスプレ野良猫くらいまで……育てていただければ……」


 やや遠慮気味ながらも、レナトは賛同してくれたみたいだ。

 アパートに戻ってから俺はすぐに寝てしまったのだが、レナトは朝までコスプレ衣装作りに励んでいたらしい。夏コミという目標を設定したことで、気合が入ったようだ。

 目指せ、ぼっちエリート卒業。明日からは本格的に実践を始めていきますよ。

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