二章 SADSトレーニング①

 担任の先生が「過度な染髪をしたり、事故に遭わないようにね〜」と締めて、教室が歓喜の渦に包まれた。ついに来ました、夏休み。

 さっそく友人同士で予定を打ち合わせしたり、一ヵ月会えなくなるね感を利用して意中の異性と通話アプリのIDを交換したりと、健全な高校生らしいノリに染まる。

 昨年までなら「東雲しののめくーん、海でも行こうよ〜☆」とのお誘いが数件相次いでいたが、


「東雲! ナンパ合宿の講師をお願いするぜ!」


 高校最初の夏休みは、冴えない男子からの暑苦しい問い合わせしかなかった。

 それもそのはず。

 ギラッ……………………‼

 教室の見回りに来た枚方ひらかたさんが、暗殺者の眼光を掃射したことで、女子は完全に萎縮していたからだ。エロい話をしていた輩は例外なく、生徒指導室へ連行されていった。

 俺は速攻で帰宅し、着替えや日用品をボストンバッグへ詰め込んで準備は完了。親には帰宅部の強化合宿という見え透いた嘘をついたが、半笑いで承諾された。

 母親に至っては「どうせ女の子の家でしょ? 遊びでいちゃいちゃするのはいいけど、柚月ちゃんにバレないようにしなさい。相手の姉妹とか母親まで寝取っちゃダメよ」などと、軽い口調で手を振られる。あなたの息子はそんな鬼畜人間ではありません。


 蒸し暑さが滞る夕暮れの時刻、レナト家の玄関ドアを開けると──


「……ふ、ふつつかな猫ですが……よ、よろしく……お願いします……」


 大きい猫が身体を折り曲げながら、丁寧に三つ指をついていた。

 インパクトが強い光景が、唐突に視界へ飛び込んできたものだから、


「すみません。間違えました」


 と、ドアを閉める。少し経つと、ドアの向こうから「ふぇええええ……」という困り声。

 なんだ、やっぱりここはレナトの部屋じゃないか。

 再びドアを開けると、廊下に項垂れる猫……じゃなくて、着ぐるみコスをしたレナトを発見。どうやら、俺が帰ってしまったと悲観して落ち込んでいたようだ。


「……こ、コウさんは……イジワルです……」

「あはは、ごめんごめん」


 ぷくーっと頬を膨らませて怒るレナトを宥めながら、室内へお邪魔することに。

 通販の空き段ボールを次々と畳み、紐で十字に縛って一時的に玄関の外へ立て掛けておく。あとは馴染みの古紙回収業者が、勝手に持っていくらしい。

 床の散乱物を避けて、なんとか半径一メートル程度の生活スペースを確保した。


「寒くない? いつもこんなにクーラー強くしているの?」


 クーラーが過剰に効いているため、刺すような寒さすら覚える。


「ぴ、PCとかゲーム機……わ、ワタシも含めて、あ、暑いのが苦手なんです……」


 俺たちは向かい合って座りながら、湯飲みに注いだチュリオを飲んでいた。


「もう、ご飯食べた?」

「は、はい……。れ、レタス太郎とチュリオを……飲み食いしたです……」


 ──ご飯の話を振っても、ご飯のイメージなんてまるで湧かない。

 レナトの声も裏返っているし、お互いにガチガチで緊張しまくっている。

 新婚初夜ならぬ同棲初夜。一週間ほど前に出会った者同士が、同じ空間の空気を吸うというレアなシチュエーションなので無理もない。


「お、お風呂どうですか……?」


 レナトが俯きながら提案した。


「俺はレナトの後でいいよ。先に入って」

「で、ではお先に……失礼しますね……」


 レナトは無造作に置かれていたバスタオルと着替えを拾い、小走りで風呂場へ。


「こ、このドア……あ、開けないでくださいね……? ひ、ヒマならゲームをやっていても……いいですから……」


 レナトは遠慮がちに、廊下へと繋がるドアを閉めた。二〜三秒後には、しゅるしゅるという服が擦れるような音。脱衣所では、レナトが生まれたままの姿へと進化している。

 分厚い猫耳パーカーも脱いでいるわけで、レナトの素顔が露わになっているはず。


「うーむ、見たい」


 まずは初めの一歩から。フードを取って、俺に素顔を見せてほしい。

 ほどなくして奏でられたのはシャワーの水音。レナトが素顔で、全裸で、温かい水をいろんな箇所に押し当てているに違いない。

 特に腋や股間、ここは特に夏場は要チェキだ。蒸れやすくて敏感という女性のデリケートゾーン。たぶん小学生なので性欲の対象外だが、十年後くらいのレナトだったら……俺は彼氏面で突撃するね。

 ボディソープをたっぷりと垂らしたスポンジを、背中から敏感なところへ這うように滑らせながら、入念に手入れをしていく。背後から抱え込むように。

 するとどうでしょう……我慢していたはずの淫靡な声が、レナトの小さいお口から漏れ始める。こんなのいけないと思いながらも、止まらない疼き。勝手に熱くなる身体の底。

 脇から手を伸ばし、二つのお胸を下から持ち上げてみる。タプタプと揺らして、羞恥心を煽ることも忘れない。焦らすのは基本。

 お胸の山頂にある、花の蕾を思わせる自己主張。

 未成熟にも拘わらず、綺麗な桃色で甘そうな果実。泡のヴェールを纏わせながら、形をなぞっていって、指の腹でかすらせるように──


 ぶううううううううううううううん!


「おあ⁉」


 俺を妄想から現実に戻す小刻みな振動。ポケットに入れていたスマホが震えたのだ。

 新着メッセージが一件。差出人は森野もりのとかいうクズお兄ちゃん。


【いろんな種類のエロゲーをやってみると、今後の参考になるかもアル】


 意味不明──美少女ゲームを攻略しても、レナトの人見知りが治るわけがない。


「あれ? あのソフトは……」


 通販の段ボールに入っていた〝とある美少女ゲーム〟に目を奪われる。

 制服姿の女性が、背後から男に身体を触られているパッケージイラスト。

『痴漢連鎖〜地下鉄FINAL〜』。

 モフマップでは年齢制限で買えず、通販で購入したってところか。過去の経験上、女の子の入浴と買い物はエンドレスなので、男は時間を持て余すんだよな。

 ゲームをしていてもいい、とレナトは言っていたし、試しにプレイしてみよう。

 通販でお馴染みのロゴが書かれた段ボールの上に、ぽつんと置かれたノートパソコン。

 デスクトップ画面には『痴漢連鎖』のショートカットが作成されていた。


「もうインストールしてある。手間が省けるな」


 初対面から一週間ほど経つわけだし、プレイ済みでも不思議じゃない。さっそくクリックして、ゲームを起動させてみることに。

 メーカーロゴからタイトルが……ばーん!

 そして、ムービーと共にボーカル曲が流れ始める。痴漢されるヒロインのキャラ紹介や、痴漢されている場面のイラストが次々と映し出された。


「痴漢ゲーなのに、無駄にかっこいい曲だな!」


 思わず口に出してしまう。シリアス風な速い曲調と、快楽に堕ちていく心境を代弁した歌詞で、痴漢にも深いドラマがあるような錯覚を与えてくる……。

 すごいよー。痴漢ゲーすごすぎるよー。

『痴漢は生きるか死ぬかの駆け引きだ。半端な覚悟の奴は磨り潰される』

 この主人公、冒頭から名言っぽいことを言い出す。あと、無駄にイケメンだ。

 ふむふむ、要するに……無数の駅を探索しながらヒロインを物色し、地下鉄の中で痴漢をするシミュレーションゲームのようだ。

 ヒロインが抵抗すると抵抗ゲージが溜まり、MAXになると逃げられるか駅員に捕まってゲームオーバー。操作やシステム自体は難しくなさそうだが、さて。

 駅を選ぶと、制服姿の女の子と遭遇。プレイの手を止めて、説明書のキャラ紹介を読む。


綾瀬あやせ美羽みはね、千鳥学園の一年生で新体操部のエース。将来を期待されているが、彼女にはある悩みが……」


 き、気になる。こんな純粋で可憐な女子高生に悩みなんてあるのか?

 あれ、登場人物は十八歳以上って書いてあるけど……一年生っておかしくない?

 制服を着ているから専門や大学生ではなさそうだし、もしかして、学校を休みがちで留年してしまったのか⁉ そんな子に痴漢していいのかな……。


『くくく……まずはあの女の牝を引き出すために、利用できる情報を仕入れないとな』


 この主人公、どうやらすぐには獲物を喰わずに、入念に情報を集める慎重派のようだ。


「部活から帰るのは二十時過ぎ……自主練が日課だから、一人で地下鉄に乗る場合が多いのか。この時間帯に千鳥学園前駅を選択すれば、会える可能性が高いんだな」


 なんだかんだで、多少は脳を使う。たかが痴漢ゲーだと見縊っていた。


 プレイ開始から十分後──

 好青年を装って綾瀬美羽に近づいた主人公が、様々な情報を引き出す。

 新体操部ではエースと持て囃されているが、周囲には心を閉ざす孤高の存在。感情の起伏に乏しく、演技が教科書通りの物足りなさで悩んでいるとか。


『ふっ、お前の閉ざされた欲求を解放してやる』


 ついに魔手が綾瀬の身体を弄ぶターン。画面上には無数のコマンドが現れた。


 ・上半身を触る ・下半身を触る ・言葉責め


 いきなり触るのは抵抗ゲージが溜まりそうだと判断し、挨拶代わりの言葉責め。


『お前は痴漢に胸を触られただけで感じる淫乱女だ』

『ち、ちがっ……わたしは淫乱なんかじゃありません』


 快感ゲージが刺激された。主人公は瞬時に、綾瀬が鉄仮面を装った隠れMな体質であることを見抜く。抵抗が弱くなってきたところで、上半身のコマンドをクリック。


『やっ! やめて……んっ、いやっ! ンんっ……ああっ』


 こうかはばつぐんだ! 責めを繰り返すと、喘ぎ声が徐々に大きくなってくる。

 通常責めを続けたことでスキルが極められて、奥義を使えるようになった。


『稲妻の閃光は神速の剣となりて 淫辱の門を貫かん──ライトニングフォース!』

『……ああっ、なんで……わたし、痴漢されているのに……イヤなのに……んあっん、気持ち良くなってる……』


 なんか凄いのデターーーーっ‼


 プレイ開始から二十分後──綾瀬美羽、陥落。


『身体を触られるなんて嫌だったのに……自分の中で押し殺していた感情が解放されたような。今は自分が自分じゃないみたいに……観客を魅了できる』

『俺はお前の淫乱な素質を開花させたに過ぎない。感情のない人形のような演技で舞う姿は、本当のお前じゃない。淫靡な顔を曝け出してこそ、お前は頂点に立つことができる』


 主人公が良い奴に思えてくるのは俺だけ? 森野はこれを教えたかったのか?

 レナトの未知なる素質を引き出させて、彼女を頂点へ導けるように。


「こ、これだ! 俺にしかできない方法で、レナトの魅力を引き出せるかもしれない!」


 ノブレス・オブリージュ。強き力を弱き者のために、助けを求めるレナトのために使う。

 俺は義務を負ったのだ。欲望のためではなく、救世主として唯一無二な男。


 プレイ開始から三十分後──

 この痴漢スキルを組み合わせると、感度が二倍になるんだな。

 焦らしコマンドも有効に使わないと、このヒロインは陥落しないのかも。


 そして、プレイ開始から一時間──


「よっしゃーっ! 気が強いエリート女警備員を堕とした! 口では嫌がるのに、身体は快楽に逆らえないんじゃーっ!」


 地下鉄という餌場での壮絶な戦いを制す。思うように快楽ゲージが蓄積されず、すぐに抵抗ゲージが上昇するので、かなりの難易度だった。

 俺は余韻に浸りながら、両手をあげて後ろに寝転ぶ。


「………………………………」


 無言で目が合ったのは、ちょこんと正座待機をしている黒猫パジャマのレナト。

 ふ、ふええぇえええ……と、俺が言いたいくらい変な汗がドッと噴き出す。


「……いつからそこに?」

「……ら、ライトニングフォースを使ったあたりで……」


 先ほどまで張り巡らせていた思考回路が緊急停止。俺は寝転んだまま石化した。


「……た、楽しそうでしたねぇ……」

「ち、違うんだ! これはキミのためを思って勉強していたんだよ! 参考書代わりで!」


 苦しい言い訳を並べる痴漢ゲーム楽しみすぎ男。くっ、笑え! いっそ殺せ!

 レナトは赤ちゃんみたいな四つん這い歩行で近づいてきて、俺の隣にぺたんと女の子座り。起き上がった俺の手を取り、マウスへと導いた。


「……そ、それなら……一緒に勉強したいです……」


 照れ臭いのか、パソコン画面に顔を向けながら囁くレナト。

 小さい手のひらから、湯上りレナトのホットな感触が伝わってくる。


「ああ、一緒に勉強しようか」


 こうして、奇妙な同棲生活は本格的なスタートを切った。

 分からないことを問いかけると、レナトはどもり気味ながらも、一生懸命に身振り手振りを交えて教えてくれる。それは深夜まで続いた。


「スクール水着にニーソックスっておかしくない?」

「な、なにを言ってやがりますか⁉ こ、この組み合わせは王道中の王道です! こ、紺色のスク水のVラインと黒ニーソの放物線が協定を結び、この世の全てを──」


 あまりにも初歩的すぎる質問には、興奮気味で怒られたりするが、それがまた可愛らしかったりする。だから、また初歩的な質問をしてしまう。


「エロ目的では買わないと思うけどさ、たまに遊ぶくらいなら痴漢ゲーも悪くないよね」

「……コウさん……痴漢ゲーは遊びじゃないんです……。遊びじゃないんです……!」


 痴漢ゲームに本気のレナトさんに対して、軽々しい失言でした……。

 結果的に俺とレナトの距離は縮まったようだし、『痴漢連鎖』に感謝しなくては。

 痴漢連鎖先輩に教えてもらった大切なことがある。


 俺は正義のヒーローでも救世主でもない ただのSADSだ。

 だったら 救いを求める女の子のSADSになってやる。


「レナトのスペックを確認したいから、まずは夜釣りにでも行こうか」


 不意のお誘いに「ふえ?」と間抜け声を漏らすレナト。

 陽気な雰囲気と無駄な勢いを用いながら「まあまあまあ、親睦も兼ねてね」と強引に誘導する世渡りスキルで、深夜の屋外へと連れ出した。

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