一章 ねこねこ☆しゅべぇげりん④
同棲が決まった日の深夜。俺と森野はアパートを後にして、薄暗い帰路に就く。
「東雲氏はレナトの兄、という設定でお願いネ。彼氏というウワサが広まると、炎上して穏健派まで過激派やアンチになりかねないアル」
「はいはい……。オタクってメチャクチャ面倒くさい奴が多いのな」
「はっはっはーっ! 恋には情熱的でピュアなんだと思うアル」
褒めてないのに誇らしげな森野。
「今日も穏健派が到着する前に、レナトの周辺で不審な影を目撃したとの報告があったアル。注意するヨロシ」
「考えたんだが、レナトがコスプレをやめてネットを絶てば、ストーカー問題は時間と共に解決するんじゃないのか?」
おそらく、俺以外でもこの提案をするだろう。
森野は納得したような表情を浮かべながらも、夜空を見上げる。
「レナトは臆病な性格だから……今まで学校に馴染めてなかったアル。楽しそうな顔や嬉しそうな顔なんて見たことなかったネ」
スマホを操作し、画像を見せてくる森野。
そこに映っていたのは、デジカメで撮影された集合写真……右上には、長すぎる前髪で瞳がすっぽりと隠れた女の子の顔写真が合成されていた。
「吾輩たちが転校してきた頃の写真ネ。学校も休みがちで部屋に引きこもって、家族ともほとんど会話してなかったアル」
例外なく幼い顔立ちなので、レナトが通う小学校の集合写真なのだろう。
そこにレナトの姿はなかった。欠席者の宿命である合成写真のレナト……以外は。
「でも……吾輩がコスプレ文化を教えてから、レナトは笑うようになったアル。今年は少しだけ学校にも行っていたヨ」
「そっか。最近はレナトなりに頑張ってはいたんだな」
「吾輩はウザがられているけど、それだけでも嬉しかった。本当に嬉しかった……」
声を滲ませ、陳腐な語尾を忘れている森野のことを、今だけは良い兄貴だと思った。
普段はふざけているくせに、レナトのことを心配しているのが伝わってきたから。
「コスプレを奪ってしまったら、レナトは今以上の孤独に戻ってしまうヨ。レナトを……頼むアル。こんなこと、親友の東雲氏にしか頼めないネ」
そして、森野は深々と頭を下げた。歩道のど真ん中で、人目を憚らず。
「俺は自分の意思で、レナトを応援すると決めたんだ。お前に頼まれる筋合いはないね」
「東雲氏……大好きアルーーーーーーーーーー‼」
抱き着いてきた森野をひょいっと華麗に躱し、刻一刻と迫る終電に乗り遅れないよう、俺は都会の夜道を疾走した。
※
日付が変わって翌日。
来週から夏休みという邪念で浮つき始めた校内で、俺は枚方さんのクラスを訪れた。
女性陣からの黄色い歓声に愛想笑いしながら、枚方さんが座る窓際の席へ。右隣には机があるものの、教科書の類は何一つ入っていなかった。
そういえば、森野が言っていた〝隣のクラス〟はここか……。
「何用だ? 私は貴様と対話することなど未来永劫ないが」
すぐ前に立つ俺と目も合わせようとせず、鉛筆をカッターナイフで淡々と削っている枚方さん。リズミカルな削り音が、気まずい空間を絶妙に誤魔化す。
「昨日、助けてくれたお礼を言いにきたんだ。ありがとう」
「ふん、礼には及ばん。偶然にも通り掛かっただけのこと。用が済んだのなら、速やかに自分の教室へ帰れ」
枚方さんは仏教面でそう吐き捨てて、削った鉛筆を筆箱へ戻そうとする。枚方さんに似合わないキャラものファンシー筆箱は、記憶の奥深くから想い出を掘り起こす。
「あ、それは俺が買ってあげた──」
「……………………っっっ! 場を変えるぞっ!」
椅子を引く甲高い音を響かせながら、血相変えた枚方さんが起立。俺のネクタイを引いて、大注目が注がれていた教室から連れ出す。
閑散とした空き教室へ連行された俺は、枚方さんに壁際へ追い込まれた。右手を壁に押し当てながら、俺へプレッシャーを与える有難味のない壁ドン状態となる。
「き〜さ〜ま〜、過去に関する発言は禁句だと、幾度も警告しているはずだがァ」
「枚方さん……顔が恐いんですが」
名刀にも劣らない切れ味の眼光は、人を睨み殺せるレベル。俺が小動物なら圧死確実だ。
「嬉しかったんだ。まだ枚方さんが、筆箱を大切に使ってくれていたから」
「物を粗雑に使い捨てず、末永く愛用する性分なのだ。深い意味など断じてない」
重い溜め息を吐いた枚方さんは、踵を返して自分の教室へ戻ろうとするも──
「たとえ善意であったとしても、複雑な事柄に首を突っ込むのはやめておけ。昨夜は偶然にも助太刀することができたが、今度は守りきれる保証はないぞ」
決して振り返らず、強者の覇気が宿っている背中で語る。
「でも、心配してくれるんだ。枚方さんはやっぱり優しいね」
東雲甲が誇る三種の妙技の一つ『爽やかな冬朝──
「馬鹿者っ……! もう知らん……!」
表情をこちらに見せることなく、枚方さんは足早に空き教室から出て行ってしまった。
東雲甲を嫌悪していそうな枚方さんに、効力があるとは思っていなかったけど……。
「コウくん、ここにいたんだ。もう授業始まっちゃうよ」
入口からひょっこりと顔を出す七海さん。
「枚方さんと喧嘩でもしたのぉ? 顔を真っ赤にして立ち去っていったよ」
「え、なんで? 純粋に感謝しただけなんだけど」
「いや、わたしに質問されても困るよ」
うーん、さらに怒らせちゃったのかな。そんなつもりじゃなかったんだけど。
「……で、七海さんは俺たちの様子をこっそり覗いていたのかな? 普通はこんなところに来ないよね」
「え、えぇー? そ、そんなことないよぉ?」
目が泳ぎまくっている素直な七海さんを堪能させてもらった。
「……わたしの家で起きた出来事だけど、まったく気にしてないよ。むしろ恋人だったコウくんのこと、なにも知らなかったんだなぁって反省したんだぁ」
「いや、俺が全面的に悪かったのは明らかだから。本当にごめん」
「ううん。わたしが舞い上がって、自分の幸せしか見えていなかったから……」
謝罪の弁を言い合い、反省会のような流れから──お互いに微笑む。別れて以来、互いに多少の気まずさを抱えていたが、徐々に友人と呼べる間柄へ回帰してきた気がした。
「わたしだって被害者の会なんだから、遠慮なく相談してねぇ。コウくんが頑張れるように、わたしが頑張るって決めたの」
予想はしていたが、七海さんも被害者の会に名を刻んでしまったらしい……。
「あれ? 被害者の会って、俺を恨んでいるんじゃないの?」
「あ、あーっ! 恨んでる、恨んでるよぉ! コウくんに活を注入するのだぁ!」
分かりやすく焦る七海さんだが、照れを含んだ屈託のない笑顔を返してくれた。
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