一章 ねこねこ☆しゅべぇげりん③
「合格アル! おめでとうネ!」
妙に癇に障る声と、パチパチという拍手。フード少女が暮らしているというアパートが目と鼻の先にある曲がり角から、見知った眼鏡男が現れた。
「なんで森野がここにいるんだ?」
「なんで、とは心外ネ。東雲氏をここまで連れまわしたのは誰だったアル?」
この住宅街付近まで来たのは森野に付き添ったからだ。普段ならこんな場所に用はない。
「ここまで俺を連れてきたのには、別の目的があったってことか?」
「そうアル。妹と会わせたかったネ」
「妹? 新作の抱き枕でも買ったのか?」
「いくら吾輩でも抱き枕と妹の区別はつくコトヨ! そこにいるアル。吾輩の可愛い妹が」
森野の目線は、俺の腕の中でぐだーっと項垂れているフード少女へ。
まさか……まさか、そんな──
「く、クズお兄ちゃん……」
フード少女が発した「お兄ちゃん」という単語に、俺は無言で驚愕した。
クズというのは聞かなかったことにするが、まさか森野にこんな愛らしい……いや、まだ素顔を見たわけじゃないので断言できないが、雰囲気や仕草が秀逸な妹がいるなんて。
「クズって……相変わらず容赦ないネ……」
「か、顔も声も……き、気持ち悪い……」
「ふえーーん! 東雲氏ぃ! 妹がイジめてくるアルぅ!」
気持ち悪い泣きっ面でこっちに寄ってくるクズ。
「うるせークズ」
「ふえーーん! 我が妹ぉ! 東雲氏がイジめてくるアルぅ!」
「く、クズお兄ちゃん……」
「ふえーーん! 助けてくだサイ! 誰か助けてくだ──」
森野の味方はいなかった。
泣き止んだ森野は得意げな顔をチラつかせて、後方に聳え立つアパートを指さす。
「こんなところで立ち話も暑いネ。とりあえず妹の部屋へ行くヨ」
「……お兄ちゃんは汚れたクズだから……手足の消毒を三回して……毛髪ロールを五回かけて……検便をしてから……毛髪ネットをかぶって……入れ……」
「吾輩だけ大手の食品工場レべルなんですガ……」
この会話だけで、この兄妹の力関係がなんとなく把握できた。
※
剥き出しの階段を上がり、二〇三号室の鍵をフード少女が開錠。
手馴れた順序で電気をつけると、玄関周辺が照らされた。間取りは玄関のすぐ近くに風呂場やキッチン、洗濯機がある一般的な1Kタイプ。
この地域の家賃相場に近いような小綺麗さを印象付ける。
「意外と綺麗なところに住んでいるんだな。ここで二人暮らしなのか?」
「いや、まあ、うむむ……遠慮なくあがるヨロシ」
「ちなみに誰だ、お前」
「新人の森野デス。日本語難しいデス。よろしくお願いシマス」
食品工場の外国人パートさんみたいな恰好の眼鏡男は、図々しくも森野と名乗った。
体毛が床に落ちない特殊作業着と毛髪ネットを着用しないと、部屋へ入れてもらえない可哀そうなクズお兄ちゃん。
汚物扱いの森野はともかく、フード少女はなぜ室内でもフードを取らないのだろう?
そんな疑問を感じつつも、案内されるがままに廊下の突き当たりにあるドアへ。
ここを開ければ部屋があるはずなのだが、森野は取っ手に手をかけながら立ち竦んでいた。この先には凶悪なモンスターでも潜んでいて、恐れているかのようだ。
「あ、開けるアル」
森野が引き戸を開けると──なにやら黒い壁が不安定に揺れる。
森野は軽やかなムーンウォークで後方に退避。キングオブポップとして名高いシンガーと見間違えるハイクオリティで、俺の背後まで素早く後退しやがった。
部屋が暗くて目視しづらいが、壁というよりは長方形の物体が積み重なっている塔。
俺の身長より遥かに高い謎の塔は、ドアを開けた振動でこちらへ襲い掛かってくる。
「だ、ダメです……! い、いきなり開けたらぁ……!」
フード少女からの警告が聞こえた時には、すでに遅し。重力に引かれて発生する雪崩。
「うわぁああああああああああああ!」
俺は絶叫しながら見事に尻餅をつき、雪崩の下敷きになってしまった。
「いったいなんだって……ん?」
崩れ落ちた塔の一つを手に取ってみると、長方形の箱だった。
週刊少年誌くらいの大きさだが、重くはないので下敷きでも生き残れたというわけだ。
「予想を超えていたネ。しばらく見ない間に進化しているアル」
森野が半ば呆れながら部屋の電気をつけると、崩れた塔の全貌が露わになる。カラフルな美少女イラストが満載……エッチなサンプルCGの箱に俺は押し潰されていた。
うん、これは間違いない。これは美少女ゲーム。俺は美少女ゲームに襲われたのだ。
美少女ゲーム様……俺を殺さないでおくれ。
「す、すみません……す、すみませぇん……」
床に散らばった美少女ゲームを慌てて拾うフード少女。
冷静になって部屋を見渡してみると、壁一面に据え付けられた本棚には、美少女ゲームやアニメのブルーレイボックス、漫画本などが雑に陳列されていた。
入りきらないものは、天井近くまで積み重なっている。それが崩れてきたというわけだ。
「東雲氏に崩れてきたのはエロゲタワーネ。エロゲーは中身が軽いから、押し潰されても大事には至らないアル」
「そういう問題か……? すごい部屋だな……」
呆気に取られた。人生初の開いた口が塞がらない状態と断言できる。
床にも美少女ゲームやらゲーム機、空ペットボトル、食べかけのお菓子の袋、コスプレ衣装が散乱。液晶テレビやパソコンは無造作に放置されていた。
その惨状に唯一秩序をもって存在するピンクのクッション。ぶっちゃけ、そこぐらいしか生活するスペースがない。悪く言えば、ゴミ屋敷の一歩手前という欲望の城。
「まーたペットボトルに用を足しているアルかぁ? 駄目ネ〜、トイレにはちゃんと、ドアぁァアアアアアアぁアアアアアア⁉」
「……うそばかり言うな……! し、東雲さんに誤解されちゃう……! クズ死ねっ……」
冗談を口走った食品製造業男に、ライトセーバーで襲い掛かるフード少女。
「ここで共同生活しているのか? 絶対に無理だろ……」
「吾輩は生活してないネ。今、ここに住んでいるのは妹のレナトだけヨ」
フード少女は、遠慮がちに頷いていた。両手をモジモジと股間の前で捏ねている。
部外者に部屋の惨状を知られて、恥ずかしさで悶絶というところか。
「キミ、レナトっていうんだ。珍しい名前だね」
「は、はい……。しょ、小学校では……よく珍しいと言われて……いました……」
小学生の割に胸の発育は立派だ。森野が頻繁に語るロリ巨乳とやらの属性かもしれない。
スレンダーな枚方さん(推定ながらAカップ)よりは間違いなく育っているし、Eカップの触り心地だったエンジェルバスト七海さんに迫る伸びしろを秘めている。
「森野が連呼しているから覚えたと思うけど、俺は東雲甲。コウでいいよ」
「こ、コウさん……これは運命の出会いです……。また、あなたに会えるなんて……」
胸に手を当てて、想いにふけるフード少女。また会った、とは……モフマップで『痴漢連鎖』を買ったときと、絡まれていた路上で会ったときを別にしているから?
運命と断定するには、いささか早すぎる。この子と出会う過程において森野が関わっていたからだ。俺をモフマップに連れてきたのも、レナトが絡まれていた現場の近くまで俺を引っ張りまわしたのも、元を辿れば全て森野。
「もしかして、あの連中はお前の知り合いか」
レナトに聞こえないよう、森野の耳元で呟く。
「さぁ? そんなカメラ好きの知り合いはいないアル」
肩を竦めながら、とぼける森野。カメラ小僧の姿を目撃していない人間が『カメラ好きの知り合い』なんて推測できるのはおかしいし、間違いなくコイツの差し金だろう。
最初から俺にレナトを助けさせる目的だったとすれば、連中が不自然に絡んできたことの合点がいく。レナトは首を傾げながら、ポカーンと突っ立っていた。
この子はおそらく、森野の企みを知らない。
「レナトのおすすめアニメを紹介してほしいな。俺はまだ初心者で、よく知らないんだ」
「……お、お安い御用です……! ちょ、ちょっと待ってください……」
嬉しそうに両手をパタパタと振ったレナトは、積み重なっている段ボールからDVDやブルーレイの類を漁り始めた。レナトを遠ざけたことで、森野も話しやすくなるはず。
「そろそろ教えろ。お前は俺にどうしてほしいんだ?」
「簡単アル。妹と一緒にここで生活してほしいネ」
「は?」
話が突然、あさっての方向へ。俺が「は?」という間抜けな声を出すのも仕方ない。
「だから、ここで妹と生活してほしいネ。というか、妹の社会復帰を援護してほしいアル」
「社会復帰? 俺はレナトに自宅警備員なんて過酷な労働をさせている件で、文句を言いにだな……」
「ぷ……ふひひひひ! 東雲氏は本当に天然ユニーク賞アル」
森野のゲス顔に腹が立ったので、チョークスリーパーで締め上げる。
「ぎゃぁああああ……分かったアル! 素直に言うから勘弁してほしいコトヨ……」
「さっさと洗いざらい吐け」
「男に対しては、サディストというよりヤンキーだネ……」
一先ず解放。次にふざけたら今度は締め落とす。
「東雲氏は自宅警備員の意味を知らないようでアルな。ずっと部屋に留まるという行為を職業に置き換えて、ネタにした名称ネ」
「ずっと部屋に留まり続ける行為ってもしかして……アレか」
「そうネ、妹は引きこもりネ。極度の人見知りアル」
我ながら鈍感だった。自宅を警備しているのではなく、常に自分の空間に閉じ籠っているというのが自宅警備員なのだ。
通称、引きこもり。欲望が詰め込まれたゴミ屋敷を、二十四時間体制で警備しているのがレナト。フードをずっとかぶって表情を隠していることや、妙にどもり気味の喋り方は、今まで他人とあまり接してこなかった故の代償なのかもしれない。
「吾輩が住む予定だったのに、すぐ妹に追い出されたネ……。今はオタ友の家に居候ヨ」
森野が今にも泣き出しそうな気持ち悪い顔をしていた。
引きこもりの妹に追い出されるなんて惨めすぎる。
「詳細は妹に聞くがヨロシ。なんたって東雲氏は、これから妹とここで同居するアル」
「そこが一番分からないから。なんで俺なんだ?」
「普通なら、人見知りな引きこもりへの援助なんて厄介事は敬遠するネ。でも、イケメン紳士として有名な東雲氏なら、引き受けてくれると思ったアルヨ」
「重度の人見知りにしては、俺と話せているような気がするんだが。結構ぎこちないし、どもり気味だけど」
最低限中の最低限だが、意思疎通のコミュニケーションはとれている……気はする。
「東雲氏に対する妹の警戒心を解くために、イベントを作る小細工させてもらったネ。東雲氏にカッコよく助けてもらったことで、心の距離が近くなったんだと思うヨ」
「イベントを作るって……今日はそれが狙いだったのか」
首を縦に振って肯定する森野だが、
「社会復帰の他に、理由はもう一つあるアル」
得意げに人差し指を立てた。
「最近、レナトの周囲に怪しい人影が付き纏っているアル。東雲氏がいることで男避けになるかもしれないネ」
「いや、さっきのお前らだろ。自作自演はやめろ。枚方さんに殺されろ」
「心外アル! カメコにもいくつかの派閥があるネ。吾輩たちのような見守る系の穏健派と、パコり目的出会い厨やローアングラーという過激派が!」
必死な形相でそう訴えかけてくる森野。思い返してみると、あのカメラ小僧たちは俺のことを出会い厨だの、パコり目的呼ばわりしていたっけか。
「あのカメラ小僧たちがレナトを守っていたのは本当で、俺をストーカーかなんかと誤解して攻撃をしてきたのか」
「そうアル。まあ……吾輩たちのようなオタ容姿だと、逆に変質者と間違えられるのが悲しいヨ……。東雲氏や枚方氏が勘違いするのも無理ないアルが、今日はそれをレナト救出イベントに利用させてもらったネ」
こいつらには可哀そうだが、一理ある。正直……森野や仲間たちがレナトの側にいると、女子小学生に付き纏うロリコンにしか思えない。
枚方さんは生真面目なので、なおさら警戒したことだろう。
「俺にレナトの保護者代わりをしてほしいってことだな。過激派が手を出せないように」
森野が「その通りネー」と親指を立てる。
「そもそも、なんで引きこもりのレナトに過激派が目を付けるんだ? 妹的な愛らしさはあるにしても、外の世界との交流は皆無なんだろ?」
「ちっちっち、情報化社会を舐めてるネー。これだから、女とだけ戯れて生きてきたアナログ人間は困るアル。レナトの真骨頂を見てみるヨロシ」
森野が意味深なことを言い、視線をレナトのほうへ。
俺もそれにつられて、視線を移すと──
「……お、おすすめのアニメ、さ、ささ、探して……きました……」
「ありがと…………………………んん⁉」
違和感に気付くまで五秒ほどかかってしまった。レナトだと認識していた少女が、黒い猫に変化していたので腰が抜けそうになる。冷静に観察すると正体が明らかに。
レナトの服装が、猫の着ぐるみパジャマにチェンジしているじゃないか。
もちろん猫フードをすっぽりかぶっているので、顔半分はほとんど窺えないが……。
「なに、その恰好……?」
「……へ、部屋でまったりするときは、いつもこの服ですが……へ、変でしょうか……? この衣装……可愛いと思うんですけど……ふへへ……」
ふへへ、と笑いながら口角を上げるレナト。
「これは大人気の深夜アニメ、『魔法猫ろこもこ☆ホロロ〜首都炎上編〜』に登場する魔法黒猫マトリちゃんコスプレだヨ」
「いや、知らないけどさ。なぜ当然のようにコスプレを──」
……と言いかけて、ようやく察する。
森野たちはカメコ、つまりカメラ小僧。主にコスプレ撮影を生業にしてきた。授業中に画像を編集しているし、本人も公言している。
オタク系のカメコが撮りたいのは、クオリティが高いコスプレイヤーの美少女で──
森野は「これを見るヨロシ」と、タブレットを差し出してくる。画面に映っていたのは、童顔だが目鼻立ちがくっきり際立つ可愛らしいコスプレイヤー。
タブレットを指でスワイプしていくと、様々な衣装を身に纏った写真が表示される。胸はそれなりの存在感を放っているため、小柄なロリ系統なのに漂う健全な色気。
キャラに寄せたカラフルなウィッグやカラコン、アクセサリー、メイクなどで装飾されたレイヤーは、おそらく本来の素顔とは大幅に異なっているだろうけど。
顔立ちが日本人っぽくない気もするが、カラコンやメイクでそう見えるだけか。
「もしかして……これ全部レナトなのか?」
「もしかしなくてもレナトだヨ」
画像をアップしているのは多目的交流ツール──つまりSNSで『ねこねこ☆しゅべぇげりん』というアカウントのフォロワー数は二十万弱。
ほとんどフォローをしていない状態で、これは著名人クラスの人気だ。
「そういえば、あのカメラ小僧も『ねこねこ☆しゅべぇげりん氏』とか言っていたような」
「今年の春からネット活動を始めて、この人気急上昇ぶりは凄いアル。大手サークルから夏コミでの売り子勧誘が殺到中ネ」
夏コミ……夏に開催される日本最大の同人誌即売会ということは、森野経由で知っている。コスプレをしたレナトは、オタク界のビッグイベントでも引く手数多なのか。
「一番人気がある女性レイヤーはどんな人なんだ?」
「きらきら✝ミツバチおーがすと氏だと思うヨ。吾輩も何枚か撮らせてもらったアル」
タブレットで検索すると、きらきら✝ミツバチおーがすとが主役のコスプレ画像まとめサイトや、公式のプロフィール画面が出てくる。
芸能事務所にも所属している現役女子大生モデルらしい。背が高くて足も長いのに加えて、エロそうな胸は推定C以上。男の性欲を執拗に刺激する理想的なモデル体型だった。
「うーん、事務所に所属しているだけあって美人なんだけど、派手な目立ちたがり屋って印象。ブランド品で着飾っているし、オタクが最も近づきにくいタイプだろうな」
「さすがは女性を手籠めにしてきた東雲氏アル。きらきら氏には信者も多いアルが、アンチ化したのも多いネ。レナトみたいな激レア天然国産物に顧客が流れる傾向ヨ」
「うなぎみたいに例えるんじゃねーよ。つまり、きらきらさんの元ファンが、颯爽と現れた新星のレナトに浮気しているってことか」
それを聞いたレナトは、首を左右に素早く振った。
「……わ、ワタシなんて雑魚です……雑種猫です……。は、ハンドルネームも……きらきら氏をリスペクトしたものですし……む、向こうは友人も多いと思います……。ぼ、ぼっちエリートのワタシと比較すること自体が……し、失礼になってしまいます……」
「〝女王蜂〟の異名を持つきらきら氏は、カリスマ性とリア充オーラ凄いからネ。アップされている画像を見れば、嫌でも伝わってくるアル」
森野が撮影した写真には、女王蜂が他の美人レイヤーとポーズを決めたり、大勢のファンに囲まれている姿が写し出されていた。熱狂的な人気ぶりが見て取れる。
「今でも熱狂的な狂信者が多いアルが、デビューした初期の頃はもっと素朴で親しみやすかったネ。現在は会費を月二万円払わないと、撮影すらさせてもらえないコトヨ」
会費たかっ! 過度な金儲けに走れば、初期のファンがアンチ化するのは当然か。
「しかーし、レナトの戦闘力も負けてないヨ。エロさの殴り合いならばっちこいネ!」
続けざまに森野が表示させたレナトの写真には、肌色成分が多いエロ衣装が多数。
小柄な割にボリューミーな胸の谷間や白すぎる太ももが、男子の理性を翻弄した。
「……こ、このクズ……。あまりキワどいのは……コウさんに見せないでよぉ……!」
「ぎゃーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ⁉ ありがとうございマス!」
露出過多のコスプレ姿を見られるのが照れ臭いのか、妹にライトセーバーで斬殺される森野。あとは任せたアル……と遺言を言い残し、俺にタブレットを託す。
「こ、コウさん……こ、ここ、これは違うんです……! た、高い衣装を買ってくれる代わりに、お兄ちゃんが撮影を……じゃ、ジャパニーズ土下座で頼んできてぇ……」
「うん、レナトと森野の力関係がよく分かったよ。クズお兄ちゃんだから仕方ないね」
引きこもりは身内相手だと強気になるらしいが、どうやら真実だったようだ。
気を取り直して画面に触れると、今度はレナトのコスプレ画像に寄せられたコメントやメッセージが表示された。フォロワー数が膨大なこともあってか、かなりの反応である。
「応援しています」や「カワイイ」というコメントが大半を占めているが、世の中にはいろいろな人間がいるわけで。
「今度、オフ会しませんか?」や「顔を見に行くから待っててね」という、出会い目的と思わしき輩まで見受けられる。裸や陰部の画像を求める気色悪いコメントも。
何回も同じ文章を残したりしていて、部外者の俺ですら身震いを起こした。
「……さ、最近、怖いんです……。そ、外を歩くと……変な視線を感じたり……背後に誰かの気配を感じたり……。ひ、人見知りでオドオドしてて貧弱なワタシなんかに……ね、粘着する変わり者は……い、いないと思うんですけど……」
「いや、ネットでこれだけの人気があれば、ストーカーや変質者がいても不思議じゃないよ。森野だって過激派がいると確信していたから、穏健派を護衛につけたわけだし」
その穏健派とやらが、欲望に負けて写真を撮り始めていたのは救えないけど。
「人気レイヤーが引退する事態が偶然重なったカラ、カメコも推しレイヤーが少ない現状ヨ。だから、レナトだけは守ろうと張り切るファンも多いネ」
「偶然……なのか? ストーカーやアンチの気配に恐怖した可能性もあると思うが」
「レナトへの行為を考えれば、その可能性も充分にあるヨ。でも……吾輩はレナトに引退はしてほしくないのが本音アル」
森野はそう言いながら、俺が持っていたタブレットを横から操作。SNS上で女王蜂のアカウントとやり取りした文面が表示された。最近のやり取りと思われる文面には、コスプレやアニメの話題で盛り上がる二人のコメント記録が、はっきりと残されている。
【ねこねこちゃんと実際に会って話してみたいなあ】
【い、いえいえ……ワタシなんて雑魚ですのにゃ。雑種猫ですのにゃ……。きらきら氏に会うなんて身の程知らずなのですにゃ】
ツッコまない。ネット上ではレナトの口調が猫語なことに。
【いつか、ねこねこちゃんとコミケに参加できたらめっちゃ嬉しいわ。待ってるで!】
女王蜂とのやり取りは、そんな言葉で締め括られていた。ネット上でしか付き合いのない二人だが、もしレナトが引きこもりから脱することができたら──
「コスプレはレナトが唯一、外の世界と繋がれる希望アル。顔を堂々と晒せる場所アル。東雲氏なりの方法で構わないから、どうにか状況を好転させてほしいコトヨ」
真面目な声色で懇願しながら、頭を下げた森野。コイツと友達になって数ヵ月程度だが、人前で頭を下げた姿を見るのは初めてだった。しかも、俺が元彼女にしてきた数々の愚行を知ったうえで、大事な妹の将来を託すという意思を示している。
「……ぼっちはもう嫌なんです……。また友達が……ほしいんです……うえぇえ……」
脆弱な声で涙を溢すレナト。また、ということは友達と呼べる人がいたということ。
縋っていた柱を失った虚無感を、一時的にでも解消していたのは、コスプレというツール。ネット上とはいえ、大勢の人と繋がり、交流を持っていた。
だが、皮肉にも人気に火が付いたことで、自分を邪な感情で舐る人間の欲望を垣間見てしまった。中途半端に繋がってしまったことで、レナトの臆病さが悪化してしまったのだ。
弱虫で貧弱で精神的に脆い女の子。俺はそんなレナトを守ってやりたいと、心から思ったんだ。レナトの頭へ優しく手を添えていたのが、その証拠。
女の子を責めたい衝動には何度も駆られているが、守りたいという衝動は……初めて。
「大丈夫。レナトはきっと強くなれる。だから、一緒に頑張っていこう」
「……コウさん……」
多少だが、心身の強張りが軽減されたらしい。声の震えが収まっている。
「学校にも行きたいです……。友達もほしいです……。か、過激派は怖いですけど……いつか……きらきら氏に会って……ぼっちを卒業したいです……」
「ああ、俺が叶えてあげる。友達を作って、学校へ行けるようにしてあげるから」
そう宣言する。オタクグッズや美少女ゲームが散乱している欲望塗れな部屋の中心で。
「で、でも……! こ、コウさんの申し出は……すごくありがたいのですが……」
俺からの申し出を、レナトは遠慮がちな言葉で渋った。
「わ、ワタシと関わったら……こ、コウさんにも迷惑を……」
煮え切らない様子を見せるレナトだが、こちらが引き下がったら現状を改善できないのは予想できる。俺がリードしてあげないと、という気持ちが強い。
「夏休みの間、俺はレナトと同棲する。東雲甲流の指導で社会復帰への特訓をするから」
「ど、同棲ですか、コウさんと……それなら……え……? ふぇええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ……⁉」
驚いた猫も真っ青な飛び上がりを披露した瞬間、傍にあったエロゲタワーが崩壊して、
「に、にゃあああああああああああ……⁉ む、無念なりぃいいいいいいいいいいい……」
レナトに隕石の如く降り注いだ。
投入されたのは同棲という名の劇薬。レナトは東雲甲流を理解していないようだが『社会復帰への協力』という件は、無事に承諾していただけたらしい。
こうして、俺とレナトの真夏のように暑く……なるかもしれない同棲生活が、一週間後の夏休み突入と同時に幕を開けることが決まった。
同居じゃなくて同棲と言わせてほしい。理由はなんとなくエロいから。
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