一章 ねこねこ☆しゅべぇげりん②

 それから森野は数軒のアニメショップや中古屋を巡り、それに付き合わされる。

 秋葉原に来た直後はリュック一丁だった森野が、瞬く間にビニール袋や紙袋に装飾されていた。物語の終盤で、装備がカスタムされたロボットのような変貌ぶり。

 紙袋やリュックからはみ出ているポスターの束が、ビームサーベルに見えてくる不思議。


「まだまだ夜は長いコトよ! もう一軒行くネ!」


 軽快な足取りで進撃する森野だが、いつの間にか秋葉原の中心地からは離れていた。

 賑わいが薄れて、道も細くなっている。結構歩いてしまったらしい。


「飲み会かよ……俺はもう帰るからな」

「う、うぐぅ……ひどいヨぉ……」


 シワだらけの困りフェイスで哀願する森野は、気持ち悪い界の風雲児。

 腹も減ったし、時刻も夜八時を過ぎたところ。逃げるように森野と別れたのはいいが、比較的低いビルやマンションが立ち並ぶ閑静な住宅街まで来てしまった。

 結局──何も買わなかったし、見知らぬフード少女には、美少女ゲームについて演説される始末。とりあえず最寄り駅を探すため、スマホで地図アプリを開いた。


                  ※


「でゅふふ、かわいいなぁ」

「写真だけでいいから頼むですぞ」


 家に帰るため最寄り駅を探していたのだが、ふと──くぐもった男の声が聞こえてくる。

 前方の細くて薄暗い裏道の方からだった。


「や、ややや、うううぅ……ひゃ、ひゃあああ……」


 女性のか弱い悲鳴もするし、明らかに犯罪の匂い。

 近くに頼れそうな人もいないので、ここは俺が行くしかないだろう。


「悪用しないから。一流のカメコは極上の素材を撮りたくなるんだ、ぐふふ」

「コミケまで待てないですぞ。一枚だけでも撮らせてほしいですぞ」

「わ……そそそ、そのぉ……にゃ、にゃあああ……」


 現場に駆けつけると、予想通り二人の男が女の子に絡んでいた。というより、写真を撮ろうとしていた。身体をよじって嫌がる女の子へ、カメラのレンズを向けている。

 外灯に照らされた男たちの風貌や服装を見るに、どうやらアキバ系の中年男性。

 体格がいいカメラ男が邪魔で、女の子の姿はあまり窺えないが、かなりのパニック状態で怯えているような震えた声だった。


「おい、そこの変質者。その子嫌がってんだろ」


 強い口調でそう言うと、カメラ男二人はこちらをギロリと睨み付けてきた。


「なんだ、お前は。別にお前には関係ないですぞ」

「でゅふふ、どこで撮影しようとボクらの勝手だぁ」


 女の子は隙を見て、俺の背後へ隠れるように回り込む。一瞬だけはっきりと姿が照らされたが、パーカーの猫耳フードを深くかぶっていて、顔は窺えなかった。

 身長は小学生並みに小さくて、スカート──って、同じ系統の人物をどこかで?

 しかも、結構新しい記憶。周囲はおぼろげな外灯の明かりが散っているだけなので、見間違いかもしれない。だが、どもり気味の声にも覚えがあるような気がする。

 シャツの裾をギュッと力強く握っているのが、背中越しに感じられた。今はフード少女を無事に家へ帰すことだけを考えよう。


「困っている女の子を見過ごせない性格なんでね」

「我らが『ねこねこ☆しゅべぇげりん氏』に近づくな! パコり目的のイケメンめぇ」


 意味不明なことを叫んだカメラ男が、小生意気に指をパチンと弾くと、


「ふへへへへ……」


 前後の暗闇から、こいつらと同系統の眼鏡をかけた連中がゾロゾロと出現。仲間を待機させていたらしく、俺とフード少女は完全に袋のねずみである。


「笑わせんな。女の子を襲っていたのはお前らだろうが」

「我々は『ねこねこ☆しゅべぇげりん氏』を守っていただけだ! 可愛すぎて写真を撮りたくなるのは仕方ないですぞぉーーーーーーーーーーーーーーーーー!」

「ストーカーはみんな、そう言うんだよ!」


 争いの火ぶたは切られた。明らかに喧嘩など未経験なカメラ小僧たちは、運動不足ダイナマイトボディを活かして、低空タックルやボディプレスを仕掛けてくる。


「くっ! こいつら、意外に素早い!」


 躱すだけで精一杯なので、反撃の糸口がない。統率された俊敏な動きも驚きなのだが、視界が悪い夜間にも拘わらず、俺の死角へ狡猾に先回りしてくる。

 それもそのはず。連中の眼鏡が黒色の特殊形状レンズに変化していたからだ。


「我々は独身の中年社会人! 特殊な装備を買う金は有り余っているぅ!」

「あの黒い眼鏡……赤外線機能付きか!」

「カメラを武器に戦う守護者には必須アイテムですぞ!」


 フード少女を庇いながら、攻撃を回避し続けたものの、すぐに行き止まりへ追い込まれる。背後には高いコンクリート壁、唯一の退路である正面にはカメラ小僧。


「でゅふふ、出会い厨は永遠に我らの敵! 我々は三次元を捨てた選ばれし者なり! リア充どもは三次元から出てくるなぁ!」

「出会い厨とかパコり目的とかリア充とか、さっきから話が噛み合ってないんだよ!」


 せめて、フード少女だけでも逃がすことができれば……!



「私がこの世で大嫌いなのは、東雲甲のような不埒者と……貴様らのような馬鹿者だ」



 凛々しい発声と同時に、肌を切り裂くような風圧。月を背景に跳躍した人影が、剣を振るった瞬間、発生した衝撃波による視認不可な一閃。


「うぎゃあああああああああああ!」


 カメラ小僧たちの断末魔が轟き、次々と地面に屈していった。屍(もちろん生きてるよ)の山頂に君臨していたのは、優美な黒髪を纏いし和風少女──枚方ひらかた柚月ゆづき

 片手に握る木刀は月光を反射して、青白い光沢を放つ。風紀委員として、周囲を巡回していたのだろう。


「ここは私が引き受ける。今のうちに逃げろ」


 彼女は残党の前に勇ましく立ちはだかり、刀身を自らの真横へ掲げた。


「俺が守られるなんて、昔とは逆になっちゃったね」


 枚方さんの肩が一瞬だけ微動したのだが、言葉で返答することはない。


「とにかく、助けてくれてありがとう。ヒラカター……」

「……貴様も始末されたいか?」

「──ひらかたーさん」


 ぶち殺されそうな眼力だったので、呼び方を瞬時に訂正。枚方さんにこの場を預けた。


「逃げるよ! 俺に付いて来て!」


 フード少女へ逃走を促すも、当人は枚方さんの登場でなぜか呆けていたものだから、


「え、ええ、あの……にゃ、にゃあああああああああああああ……ぐへぇ……」


 自分の足が絡まってバランスを崩していた。転倒する前に、俺がフード少女を受け止められはしたが……かなりドンくさそうな足取りだ。


「ごめんね、荒っぽいけど我慢して!」


 フード少女の小枝のような細い手を握り、枚方さんが抉じ開けた退路を全力疾走。

 包囲網を突破することに成功する。そのまま道なりに、数十メートル走ったところで背後を確認するが、怪しげな人影が追跡してくることはなかった。

 一先ず安堵の息を吐きながら、足を止める。


「ここまでくれば、もう大丈夫だと思うよ、って……」

「ぜい……ぜい……は……はいぃぃ……はぁ……はぁ……死ぬ……死にますぅ……」


 フード少女は死にそうだった。すごく死にそうだった。

 前かがみで膝に手をつき、大きな胸が酸素を取り込む度に動く。

 確かに暑いし、俺が強引に手を引いての全力疾走をしたばかりだが、数十メートル走っただけ。もしかして、呼吸器系に病気や障害があるのかもしれない。


「ねぇ! どうしたの⁉ 喘息持ちだったとか⁉」

「はぁ……くは……いえ……お構いなく……です……ぜい……ぜい……」

「めちゃくちゃ苦しそうだぞ! 救急車とか呼んだほうが!」


 スマホで一一九番をタップしようとするが、フード少女に手で制される。

 必要ないということだろうが、このまま何もしないのは嫌だ。


「何かしてほしいことある⁉」

「い、いえ……本当に……はぁ……はぁ……大丈夫ですから……」

「大丈夫じゃないって! 薬か? ミネラルウォーターか? すぐに買ってきてやるぞ!」

「……で、では……ちぇ……チュリオを買ってきてもらえると……た、助かります……」

「チュ、チュリオでいいのか? あの炭酸飲料のチュリオでいいのか?」


 斜め上の要求に、思わず二回聞き返してしまう。俺の知識の中に存在するチュリオという名前は、泡がハジける炭酸飲料しかない。


「は、はい……お、お金は後から……渡しますので……」

「わ、分かった。ちょっと待ってて! もしさっきのカメラ小僧たちが来たら、大声で助けを呼ぶんだぞ!」


 とにかく汗の量や呼吸の乱れが尋常じゃない。ここは求めていることに応じておくのが妥当な選択肢。

 よーし、お兄ちゃんがチュリオを探しちゃうぞー……と、歩き始めたのはいいものの、近くの自販機にチュリオらしきモノはない。メーカーの本社がある某街のように、街中がチュリオの自販機だらけだったら探すのも楽なのだが、ここは孤独な街と名高い東京。


「あの子は小学生っぽいし、ごく飲みメロンサイダーでもいいかな」


 コンビニを数軒回ったが、チュリオは見つからず、メロンサイダーを数本購入。ビニール袋をぶら下げながら、先ほどの現場へ戻った。道端にある外灯の下で、フード少女は電柱へ寄りかかるように、ちょこんと体育座りをしていた。律儀に膝を両腕で抱えている。

 スカートで体育座りをしているものだから、白くて細い脚のラインが眩しい。

 正面に回り込めば、絶対にパンツが顔を出してしまうだろう。

 顔は窺えないが、小学生と思われる頭身なので、柄は縞パンかキャラ物、あるいはオーソドックスな純白リボン付きの上位三着だと予想。競馬だったら絶対に熱い三連単。


「ごめん、なかなか売ってなくてさ。メロンサイダーで妥協できないかな」

「あ、ありが……とうございます……。で、でも……ワタシはチュリオ以外……す、

水素水か芳醇ミネラル麦茶しか……の、飲まない系ですので……」


 無駄に意識が高いアスリート気質。少し変わった子かもしれない。


「それとも、子供には白くまっ子ホワイトソーダのほうがよかったかな?」

「……うぅ〜……こ、子供じゃ……ないですぅ……!」


 ぽこん、と腹を猫パンチしてくる。そのどさくさに紛れて、差し出したメロンサイダーを遠慮がちに受け取るフード少女。相当、喉が渇いているみたいだ。


「こ、これ……お金……」

「律儀だね。おごるのに」


 フード少女はスカートのポケットから、百五十円を取り出してこちらに差し出す。


「か、借りパクはエロゲーマーのタブー……です……」

「そうなの? それじゃあ、お金もらうね」


 プルプルと小刻みに手が震えているが、とりあえず代金を受け取っておいた。


「か、買ってきていただいて本当に、た、助かりました……。危ないところを助けていただいて……あ、ありがとうございました……」


 体育座りのまま、上半身だけ折り曲げてお辞儀をする少女。座って休んだからなのか、呼吸は落ち着いたようだ。喉を気持ちよく鳴らしながら、メロンサイダーを貪るように飲んでいる。

 勢いがありすぎて、口元から微量の飲料が零れ落ちていた。


「どう? 美味しいでしょ?」

「……わ、悪くはないですが、お、大人には甘すぎますね……。つ、次は……白くまっ子ホワイトソーダとやらを……飲んでみてもいいです……ね……」

「はいはい、気に入ったと。口からサイダー漏れてるよ」


 持っていたハンカチで口元を拭ってあげると、フード少女は「……ん、んんう……」と子供っぽいリアクションで応戦。小さな子供を世話する親の気持ちに共感できそうだ。

 白熱球の外灯にはっきりと晒されたフード少女は、やはり記憶に新しいシルエット。


「キミ、今日モフマップにいた子だよね?」


 そう尋ねると、フード少女はペットボトルから口を離して、ペコリと首を縦に振った。


「そ、そうです……。そ、それではあなたは、や、やっぱりあの時の……」

「うん。キミに説教された人」

「はぁはわわわ……す、すみません……。そ、その節は偉そうで無礼な物言いをぉ……」


 フード少女は慌てたように正座。そして、頭を何度も下げた。

 この子は常に畏まっているというか、基本的に遜っている。控えめな態度でオドオドしているというのが、今日会ったばかりのこの子のイメージ。


「それにしても、さっきはキミが死にそうになって驚いたよ。運動すると起こる発作みたいなものなの?」


 恥ずかしそうに太ももを擦り合わせているフード少女。


「た、単純に運動不足なんです……。わ、ワタシ……じ、自宅警備員ですから……」

「自宅警備員? CMでよく見かける総合警備会社みたいなもの?」

「い、いえ……そ、そのぉ……」


 女子小学生で美少女ゲーマーな警備員って……珍しいジャンルかもしれない。

 美少女ゲームを好きなことは目を瞑る。しかし、女子小学生が夜の警備業という危険な仕事に就いている件について、保護者に説教したくなる。遺憾の意を表明したい。


「とにかく、キミの親に会わせてくれない? どんな家庭の事情があるにせよ、そんな危険な仕事はやめさせないと。女子小学生を働かせるなんてまともじゃないよ」

「が、がーん……しょ、小学生って……」


 分かりやすい擬音を口にして、落ち込んだような仕草を見せるフード少女。


「お、親というか……ほ、保護者の兄なら……」

「それじゃあお兄さんでいいや。キミの稼いだお金で遊び呆けているようなやつだったら、俺が正義の鉄槌を下す。余計なおせっかいかもしれないけど、そんなのは許せない」


 なんだかスイッチが入ってしまった。


「まずはキミを家まで送るよ。さっきのこともあるし、一人で帰らせるわけにはいかない」

「い、今はまだ……無理かも……です……」

「どうして? もしかして、不良で遊び人の兄(想像)が家にいるとか⁉」


 心配した俺を気遣っているのか、フード少女は濡れた犬のような高速首振りで否定する。


「……た、単純に……もう疲れて動けませぇん……」


 ぼーん……頭の中で季節外れな除夜の鐘が鳴った。どもり気味な喋り方といい、極端な貧弱さといい……漠然としたデジャブを覚える。

 立ち上がれないほど疲弊していたフード少女を、膝から抱き上げた。


「これなら疲れないでしょ?」

「え、ええ、ふえええぇぇ……これ……お、お姫様抱っこ……です……」


 羞恥の泣き声は感じられたが、特に嫌がられもしない。小柄なフード少女の身体は羽毛のように軽やかで、腕に吸い付くほどの潤い。

 子供を誘拐している不審者だと誤解されたくないので、堂々と胸を張って歩き出す。

 作り笑顔と「足は痛くない?」などの理由付けを、ワザとらしく振り撒いておこう。


「兄妹かな? なんだか微笑ましいね」

「あんなイケメンで優しい兄が欲しいよう……」


 通行人の会話を聞く限り、変な誤解はされてないようだ。

 ──フード少女は緊張しているのか、口数が少なくなったので借りてきた猫状態に。


「……あ、あの……とき……も…………」


 ふいに一言だけ、そう聞こえたような気がした。

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