一章 ねこねこ☆しゅべぇげりん①

 夏休み間近の教室では、退屈な授業が展開されている。

 俺は頬杖をつきながら、自分の席でぼんやりと教師の声を聞き流していた。


東雲しののめくんと七海ななみさん、もう別れたって。王子と姫みたいなお似合いの二人だったのに」

「七海さんの美貌でも東雲くんに釣り合わなかったのかぁ〜」


 それと同時に、クラスメイトの女子から洩れている密談も聞き流す毎日。すぐ目の前の席にいる七海さんも、真面目に黒板を書き写しながら何かを思っているはず。

 噂になるのは仕方ない。まだ高校一年の夏休み前なのに、三人と別れているんだから。


「東雲と同じ中学の人から聞いた話だけど、その頃は告白をほとんど断ってたとか」

「実際、東雲くんの彼女は女子からの嫉妬がヤバそうだし、彼なりの優しさなんじゃないのかな? 私たちのような庶民は、遠くから東雲くんを眺めるだけで満足だけどね〜」


 いちいち噂話に反応してもキリがないので、平常心を維持しながら受け流す。

 衣替えで白ワイシャツになった元彼女の背中に、薄らと透ける桃色のブラひも。乱れそうな集中力を補うため、ブラひもと見つめ合ってみる。

 ……こういうとき、元彼女と同クラスは辛いよね。しかも、俺の一つ前の席だからね。

 ブラひもは何も答えてくれなかった。


「ぬふふ、まーたやりすぎたアルか? 変態の東雲氏も懲りないネ」


 隣席の森野もりのに茶化される。分厚い眼鏡をかけているオタクだが、顔は西洋風というアンバランスな男。あと、エセ中国語が驚異的なウザさを誇る。一人多国籍軍か。

 半月ほど前に起きた七海家討ち入り事件以来、俺は女性との距離を置いている。

 友達の森野とつるむ機会が多くなり、自分を見つめ直す冷却期間を過ごしていた。


「東雲氏は彼女にいろいろ求めすぎアル。無駄にイケメンなんだカラ、もう少しノーマルでエッチな関係を心掛けないといけないネ」


 カチカチと、クリック音が響く。授業中でもおかまいなしに、ノートパソコンを弄る森野。コスプレとやらの写真を加工処理したり、背景を合成しているとか何とか。

 盗撮アーティストの朝は早い。至高のアングルを研究し、念入りな下見はプロ入り前から続けてきた日課だ。森野氏は言う。将来の夢は女の子のパンツに変身するこ──


「勝手に変なナレーションはやめてほしいネ!」

「勝手に心を読むな」

「なんとなくバカにしているのは伝わってくるアル……。女性だけじゃなく、男にも優しくしてほしいヨ!」


 気持ち悪いので無視。それより、森野に茶化された言葉がボディブローの如く、時間差で効く。確かに俺は彼女という存在に対して、一方的に求めすぎている。

 ノーマルな関係を意識はするのだが、女の子の紅潮した顔や悶え顔を欲してしまう。嫌々な顔を恥ずかしがらせるのが好きでたまらない。

 それが本当の恋ではないことを、被害者の会に自覚させられてしまった。


「東雲氏、そなたもエロゲーやってみればヨロシ? ヒロインにビッチは皆無……ジャンルも豊富で、どんな要求にも応えてくれるアル」


 なぜか自信満々に、美少女ゲームのプレイ画面を突き付けてくるオタク野郎はさておき、俺は世間で一般的な〝普通の恋愛〟というものをしたことがない──俺にとっての普通が彼女たちにとっての異常。

 告白されて、数日ほど付き合って、東雲甲の真実を曝け出した途端に関係は終わりへと向かう。特に高校へ入ってからの約三ヵ月は、そんなサイクルを繰り返していただけ。


「俺は変態なだけで、恋愛には向いてないのかな」


 七海さんのブラひもは、やはり答えてくれない。

 見つめ合うと素直にお喋りできない俺とブラひも。


「オー、変態の東雲氏は心の友ネ! 久しぶりにエロゲー買いにいかないアルか? 傷ついた心を癒してくれるのは二次元だけヨ。来週から夏休みだし、時間はたっぷりネ!」


 こいつに「心の友」扱いされるのは非常〜〜〜〜〜〜に心外なのだが、


「たまにはいいか。付き添うだけな」

「しぇいしぇい! 放課後の予定を開けておくヨロシ」


 気晴らしに漫画やゲームを買ってみるのも悪くはない。何かに熱中すれば、不要なことを考えなくて済む。考えないようにと強く思うほど、脳裏から離れない。

 俺もいっそのこと、二次元に生きてみようか。プログラミングされた女の子なら、俺の要求を断らない──いかん、森野菌の初期症状が。しばらくは自分を見つめ直す時間。

 普通にお付き合いできる運命の女の子と巡り会える日まで、己を徹底的に磨くのだ。


「コウくん、森野くん、授業中だから静かにねぇ。森野くんはパソコン片付けてね」


 七海さんに可愛らしく怒られた男二人。平謝りして、声のトーンを抑える。


「あと……コウくんはわたしのブラを観察するのやめてよぉ……もう」


 バレていたらしい。ブラひもとの二ヵ国協議は平行線のまま打ち切られた。七海さんとまともに会話したのは、半月前に別れて以来だったのでブラひもに感謝です。


「そういえば、隣のクラスの病弱美少女はいつになったら現れるアルか?」

「違うクラスの俺が事情に詳しいわけないだろ。お前、この話題好きだな」

「いや〜、ビッチとリア充に汚染される前に吾輩が救い出したいんダヨ」


 森野はよく、この話題を振ってくる。上井草高校に入学してから三ヵ月ほど経つが、隣のクラスには春先の僅かな期間しか登校していない病欠の生徒がいるとか。

 他のクラスとは元彼女以外にあまり接点がないし、事情は詳しくない。


「もしかして……病院で意識不明の美少女が、やり残したことを達成するために現れていた泣きエロゲ的設定かもしれないネ! そのうち吾輩の記憶から徐々に消えていって……アアッーーーっ! 吾輩だけはずっと覚えているヨ!」

「俺はお前に関する記憶を消したいが」

「二人とも〜うるさいよぉ」


 また七海さんに叱られたところで、蒸し暑い教室のBGMは教師の声に戻る。迷走中の俺は、太陽が照りつける窓の外をぼんやりと眺めた。

 来週で一学期も終わりということだが、夏休みは何をしようかな。七海さんとも別れたし、退屈で持て余しそうな一ヵ月になりそうで萎える。

 それだけ俺は『女の子を中心にした人生だった』ということなのかな。


                  ※


 帰宅部のエースである俺と森野は、躊躇なく放課後の学校から離脱。

 電車に揺られて数十分──秋葉原に着く。一人ではあまり来ない場所だが、森野とは何度か訪れたことがある。

 リュックサックを大切に背負い、丸めたポスターやタペストリーとやらを紙袋に刺し、チェックシャツを戦闘服とした兵たちに覆われた大通り。しかし、リアルが充実していると思わしき雰囲気の人々も普通に歩いていた。

 アニメ文化がメディアに取り上げられている効果もあり、外国人観光客の増加も目立つ。一昔前とは明らかに異なる最近の秋葉原。そこへ保護色のように溶け込む森野は、オールドスタイルの元祖オタクと言っても過言ではない。


「お前もさ、ファッションとかヘアースタイルに気を遣うオタクになればいいのに。今はそういう人が多くなっているんだろ?」

「バカバカバカっ! ああいうのはリア充が会話のネタに利用しているだけネ!」


 最近のオタク事情に憤慨する森野。


「吾輩のような伝統を重んじる本物のオタクは減ってきているネ。リア充がギャップをアピールするために『あ〜、俺めっちゃオタクだわ〜。アンピースを全巻持ってるわ〜』とか抜かしたら懲役刑にしてほしいアル! 教室で堂々と薄い本を読んでから出直せヨォ!」


 なんか騒ぎ始めたので、適切な距離を保って放置。


「お兄さん、格好いいですね! メイド喫茶に来ませんか?」


 可愛いメイドさんが集まってきたーっ。

 メイドさんに出来心で手なんか出したら、枚方さんに斬殺されそうで怖い。美少女からの頼みや告白は、全て受け入れることが自分の理念。

 しかし、ここは心を鬼にして「ごめん、また今度ね」と優しくお断りした。


「おい、森野。モフマップはここだろ?」


 いつも立ち寄るアニメ系電気ショップを、なぜかスルーして通り過ぎる森野。


「今日は他のトコロから回るアル。夜にしか来ない──」

「何が?」

「い、いや、夜にしか入荷しないグッズがあるネ! 日が沈んだらまた来るアル」


 限定品か? 俺にはよく分からないし、分からなくてもいいけど。

 ゲームセンターや中古屋を巡っていると、外灯や車のヘッドライトがチラホラと点灯する時間帯になっていた。有名なアニメショップや電気店の大型看板が眩しい。

 夜になったのでモフマップビルの三階へ。美少女ゲームコーナーに足を踏み入れると、目の前には豊富な種類のパッケージが並べられていた。


「さぁ〜て、夏休みに備えてエロゲを三本は買うアルヨ〜」


 成人指定の商品も扱っているスペースなので、俺や森野が入るのはあまり好ましくない。

 カラフルな髪色の美少女イラストが視界に入り込んで、目がチカチカする。

 美少女ゲームの女の子って髪を染めているのか? ピンクとか校則違反だろ。

 森野曰く、細かいところはツッコんじゃいけないらしい。一方の森野は、三匹の初期モンスターを選ぶ主人公の如く、瞳を輝かせながら物色していた。


「それはOPだけの地雷アル。注意するヨロシ」

「はぁ……そうでござんすか」


 何気なく手に取ったゲームを注意される。地雷? どこかにスイッチでもあるのか?

 ──裏や側面を見ても、それらしきモノは確認できない。

 どこからどう見ても美少女ゲームなのに、実は兵器だったなんて。日本もいつの間にか物騒になったものだ。興味が湧いてきたので、地雷探しをすることに。

 タイトル別のあ行から順に、衝撃を与えないよう、ゆっくりとパッケージを確認していく。どれも爆発に繋がるような怪しい部品は確認できない。

 エッチシーンのサンプルCGだけが、次々と脳に刻まれていく。


「それは吾輩おススメの隠れた名作ヨ。でも爆死したから次はないアル」

「爆死するような地雷の改良なんてできるか!」

「地雷じゃないネ! 腹筋崩壊するヨ!」

「これは腹に巻きつけるタイプなのかよ……」


 俺が本気で困惑していると、森野はクッソ腹立つ顔で嘲笑ってくる。


「東雲氏……おもしろいアル。天然の素質アルヨ」

「なんだか俺をバカにしてないか?」

「いやいや、それも才能アル。そのままのそなたがおもしろ……魅力的ネ」


 はぐらかす森野にちょいと腹が立ったので、背負っていた遠足リュックにグーパンをかます。乾いたような甲高い音が無数に弾けた。


「あァっ! やめるコトよ! 吾輩の四次元ポケットには夢と希望がいっぱいネ! ビックリおもちゃ箱ネ!」


 取り乱しながら、中身の無事を確認して安堵の息を吐く森野。


「これだからニワカは困るアル。吾輩が責任を持って鍛えなければならないネ」

「とりあえず人生やり直せ」


 森野は世界で一人取り残されても、楽しく生き抜けるだろう。


「エロゲデビューには葉っぱや鍵が王道ネ。慣れてきたら、あくびぃそふと、うぃんごみら系にシフトするのもヨロシ。ハードさを求めるならユリスソフト、コメディなら梨ソフトかなーと個人的には思うアル。厨二ならレフトやリスも〜」


 不明な言語で語り始めた。通訳さーん、助けてくれー。いや、もはや人間としての言語じゃない。かろうじて、哺乳類に属している可能性がある生命体が森野。


「何を言っているのかまったく分からん。バウリンガルのアプリ起動させるから」

「吾輩は犬でアルか⁉」


 手ぶらで帰るのもアレだし、一本くらいなら美少女ゲームを買ってみようか悩む。

 熱く語り出した森野から逃げるように、全年齢向けのコーナーへ避難。イラストがカッコいい系のソフトを手に取ってみるが、シリーズの種類が豊富でいまいちピンと来ない。

 それと、美少女ゲームというのは無駄に箱がでかい。隠す場所に困りそうだが、現在は彼女もいないので、特に問題なさそうだ。

 能力バトル系と思わしきノベルゲームを手に取ろうとすると、


「あ……」

「あ……」


 もう片方からも手が伸びてくる。細くて白い綺麗な手。お互いに同じひらがな一文字を声に出しながら、動作を停止させる。ゆっくり隣に視線を移すと、可愛らしい猫耳がついたパーカーのフードを深くかぶった人が、同じゲームに手を伸ばしていた。

 季節は夏なのに、とても暑そうな分厚い服装。

 猫耳フードで目元や髪型は見えないが、スカートを穿いているので、たぶん女性だろう。

 きめ細やかな手の肌や口元から察するに、歳はかなり若そうな印象を受けた。

 背丈はだいぶ低い。小学生……だとしても驚かない。


 き、気まずい。運命の出会いにしては、シチュエーションが特殊すぎる。

 本やレンタルDVDならともかく、美少女ゲームで手と手が触れ合ってしまうなんて。

 森野は十八禁コーナーの盟主だし、全年齢のコーナーには俺とこの女の子だけ。アニソンと思われるポップな曲が、空気を読まずに虚しく流れていた。


「……あ、あ、あなた……は……」

「どうしたの?」


 ぎこちなく唇を動かして、何かを伝えようとしているフード少女。

 ニワカのあなたは遠慮してください、とでも言いたそうなので、購入権を譲ることに。


「どうぞ」

「い、いえ、ど……どどど、ど、どうぞ……です……」


 そよ風より小さな声で遠慮される。


「いやいや、レディファーストってことで」

「い、いい、いえいえ、お、おお、お構いなく……です……」


 お互いに購入権を譲り合う。

 フード少女は俺のことを怖がっているのだろうか、様子を窺いながら一歩引いた位置に下がっていた。在庫があれば二人とも購入できるのだろうが、俺は気分転換のつもりだったので、別に無理しなくても問題はない。


「俺はそんなに買う気なかったから。なんとなく暇潰しで見ていただけ」

「……ど、どういうことです?」


 俺の何気ない一言で、謙虚だった女の子の雰囲気が一変する。


「どういうことって、とりあえず暇潰し──」

「ひ、暇潰しってなんです⁉ えええ、エロゲーのことディスってんですか⁉」


 へ? ディス……なに?


「え、えええ、エロゲーには夢とロマンが詰まってるんです! だ、誰だってその物語の主人公に、ヒロインにだってなれるんです! 現実では満たせない欲求を満たしてくれる魔法のアイテムなんです! あ、アナタはそれが分かってんのですか⁉ そ、それはまさしく友情・愛情・亀参上みたいなモノなんです!」


 初対面にも拘わらず、凄まじい剣幕で罵倒される。いきなり、懸命に背伸びしながらググッと顔をこちらに近づけてきたため、女の子独特の甘い香りが心地良い。

 顔半分は相変わらずフードで窺えないが、ふんわり柔らかそうな薄桃色の唇が、台詞に合わせて忙しなく形を変えていた。

 フード少女は、俺が手に取ろうとしたゲームを指さしながら、


「こ、このゲームはD・コウスケさんの原画というだけでも買う価値があるんですが、シナリオも厨二要素満載で、詠唱なんかはラテン語なんですよ! し、しかも、男性向けなのにイケメンキャラが大勢いるんです! じょ、女性キャラも激しく萌えますし、これでこのお値段はお買い得中のお買い得ですから! る、ルートが追加された最新版を買ってください! さぁ! さぁ! さぁ! い、今なら設定資料集とスティポ、タペストリーがついてます! こ、これで買わないなんてエロゲーマーの恥なのですよ!」


 な、なげェええええええええええ……。

「素晴らしい演説ありがとう」と心の中で感謝しながら、凄まじく鬼熱すぎて一歩引いてしまう。ニワカがオタクにおススメのアニメやゲームを尋ねて、求めていた答えの二十倍の濃度で返される気持ちが、痛いほど分かった。


「わ、ワタシ……失礼なことをぉ……。はぁ……はぁ……す、すみませんでしたぁ……」


 一通りの想いが詰まった言葉を吐き出して、フード少女は電池が切れたらしい。

 酸素を何度も取り込みながら、天に祈るような四つん這いで謝罪を繰り返す。


「何かお探しですか? お取り寄せやご予約もできますが」


 気を利かせてくれたモフマップの店員が、俺たちに話しかけてくる。


「い、いいい……あ、あああ……っっっ……!」


 文字にならない言葉を呟いたフード少女は、


「わ、わわ、ワタシは、『痴漢連鎖〜地下鉄FINAL〜』、を買うので、だだ、だ、大丈夫ですからぁ……」


 凄まじいタイトルを口走りながら、美少女ゲームのフロアを後にした。叫んだから店員が来たと思って、恥ずかしかったのだろうか?

 小学生(推定)が、『痴漢連鎖〜地下鉄FINAL〜』を堂々と買いに来た勇気は凄いけど。

 さっきまで十八禁コーナーにいた森野が、コソコソと前かがみで俺の元へ。同じ種族だと勘違いされそうなので、ぜひやめてくれ。まず背筋を伸ばすことから始めてほしい。


「ふぅ……あぶないアル」

「ん? なに?」

「な、なんでもないネ! あの小さくてチャーミングな雰囲気の娘は知り合いアルか?」


 森野が警戒しながら周囲を見渡している。すでに、女の子の姿はどこにもない。


「顔はよく見えなかったけど、初対面のはず。お前が現実の女を褒めるのは珍しいな」

「あ、あー、あの娘はビッチ! 東雲氏はミルクココアのように甘いネ! 現代の中高生なんてビッチの集まりヨ! 信用できるのは二次元のロリだけネ!」

「恥ずかしいから静かにしろな」


 ……今日のコイツは言動が不自然だな。

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