プロローグ②

 その日の放課後。

 

 真夏の足音が聞こえる尻上がりな暑さは、立っているだけで汗ばむほど。昼に約束した通り、俺は七海さんの家にお邪魔していた。築浅の大きな一軒家。

 カウンターキッチンがあるリビングで、お手製の晩ご飯をご馳走してもらえることに。

 七海さんが制服にエプロンという男殺しな衣装で調理をしている間、ご両親に挨拶でもしようと考えていたが、姿は見当たらなかった。

 まだ日が暮れ始めた時間帯なので、仕事から帰宅していないのだろうか。


「そういえば、ご両親は?」


 出来立てのカレーをテーブルで食しながら、対面に座る七海さんへ尋ねてみる。


「さっき電話があったんだけど、お父さんは残業、お母さんは友達とご飯に行くとかで、何時に帰れるか分からないってさ。せっかくご飯を用意したのにねぇ」

「じゃあ、結果的に二人きりだね」


 もぉ〜仕方ないなぁ、とでも言いたげな膨れ顔からの──


「……ち、違うよ⁉ コウくんが来るからって追い出したわけじゃないからねぇ⁉ だ、だだ、だって、夕飯を一緒に食べるだ、だだ、だけだもんね⁉」


 誤解を招かないよう、両手を上下に振りながら慌てて弁解する七海さん。歓談していた場が、不思議な沈黙で包まれる。チラチラと、こちらの様子を窺うような。

 神様の気まぐれで二人きりの状況に陥ってしまったとはいえ、七海さんも年頃の女の子であるわけで。

 これは誘っていますね。研ぎ澄まされた第六感が、そう囁く。

 夕食後、シンクで食器を洗っている七海さんの背後からそっと抱き締めてみる。


「ふ、ふああ……こ、コウくん」

「ごめんね、なんかこうしたくなってさ」


 彼女の髪から感じるのは、コンディショナーの甘美な芳香。

 並みの男性なら、香りだけで惑わされてしまう。

 華奢な首回りへ添えるように両腕を回しながら、俺は彼女の耳元へ口を近づけて──


「このあと、七海さんの部屋に行ってもいいかな?」


 息を吹きかける程度の声量でお誘い。ローマ字だとOSA・SOI。

 瞳を見開いて戸惑った七海さんだったが「うん……いいよ」と、上目遣いの許可。ご両親が不在ということで、七海さんも『そういうイベント』を想定済みだったのだろう。

 快諾? していただけたので、さっそく七海さんの部屋へ入室。

 うん、さすがは今どきのオシャレ女子。薄いピンク基調の内装や木製の小物が醸し出す雰囲気は、女子力という果汁が凝縮されたフルーツみたいだ。


 お互いにベッドへ腰かける。肩と肩が触れ合ってもおかしくない距離で。


 俯いて両手を擦り合わせている七海さんを、ふいにベッドへ押し倒す。覆い被さった俺を受け入れるかのように、彼女は全身を脱力させて、瞳をゆっくりと閉じた。


 極上の素材を一週間かけて熟成させ、恋愛というスパイスで下ごしらえ、彼女のプライベート空間という隠れ家的な名店……東雲甲という三つ星のシェフ(自称)が、究極の一皿を調理する条件が整った!


「七海……お前ってさ、良い声で嫌がってくれそうだよね」


 急に呼び捨て&お前呼びになったことに疑問を抱く隙も与えず、俺は七海さんの四肢をベッドの骨組みへ紐で繋いで拘束し、動きを完全に封じた。

 その時間──僅か〇・五秒以下。


「え、ええ、ちょっと、な、なに⁉ あっ⁉」


 七海さんの視界を一瞬で封じた手捌きは、伝統工芸に等しい匠の技。

 で、でたーっ! 東雲甲が全世界に誇る三種の妙技の一つ『狂闇きょうあんに染まる恥辱連鎖ちじょくれんさ──秒速の暗堕キースリンク・フェルメンシア』がーっ!


 精神を極限まで集中し、目隠しとフィーリングを合わせることで、東雲甲は目隠しを一秒以下で女性に巻きつけることができるのだ。

 四肢を拘束した技も同様、ポケットに忍ばせておいたロング目隠しで瞬時に拘束したに過ぎない。基本の応用というわけだ。


「く、くすぐったい……はぁ、はぁ……ふぅ、んんう、やっ……!」


 左手で腰回りを撫でるだけで、彼女から漏れ出す淫靡な吐息。次第に……右手を豊かな胸の中腹へ添えると、絶妙の弾力が俺の指を包み込む。


「あ、ああっん、はっ……だ、だめぇ……」


 首元へソフトキスの雨を降らせると、身体の震えも大きくなった。

 同時攻撃で抵抗力が削がれているのか、七海さんは声を必死に押し殺す。身を捩りながら快感を受け流そうとするも、拘束の影響で上手くいかない。


「七海がエロく悶える声を聞かせろよ。そういうつもりで、俺を誘ったんだろ?」


 さあ、早く許しを請え。それとも、必死に強がりの言葉を並べてみせろ。


「……いいよ」


 七海さんは目隠しをされながらも、覆い被さる俺を正面から見据えた。


「……好きにしていいよ。コウくんが望むことは、全て受け入れるから」


 うあぁぁーーーーーーーーーーーーっ⁉ 襲い掛かる強烈な眩暈と視界不良。

 俺は千鳥足でよろめきながら、ベッドサイドへ再び腰かけた。


「コウくん……どうしたの? わ、わたし、覚悟はできてるよ……?」


 不安げな声で問いかける磔状態の七海さん。強制的に拘束しておいてアレだけど、冷静な状態で考えてみるとシュールな光景だ。究極のマゾ女に見えなくもない。


「それじゃあ、ダメなんだ……」

「な、なんで……?」

「最初は嫌がって抵抗するけど、与え続けられた快感によって最終的には俺を求める姿が好きなんだよ! 要するに、言葉や態度では嫌がっている彼女を、ねちっこく責めるのが生きがいなんだ! やめられない! 止まらない!」


 ──七海さんの頭上には、巨大な疑問符が。


「コウくん」

「はい、なんでしょう」

「ちょっと何を言っているのか分からないよ」

「ですよね」


 冷静にツッコまれた今の俺は、ただの燃え残り。冷や水をぶっかけられて放置された木炭。薄い煙くらいの覇気しか漂っていないだろう。


「とりあえず、手足の拘束と目隠しを解いてほしいんだけどぉ……」


 七海さんが懇願するも無反応を貫く。俺は自分の鞄を持って帰り支度を始めた。


「──今日はこのまま帰ろうかな。七海さんは変態ってことで放置してさ」

「ちょ、待って! お願い解いてぇ! お父さんとお母さんが帰ってきたら、変態娘だと誤解されちゃうから!」

「でも、俺に放置されて嬉しいでしょ?」

「む、むう……」


 冗談で言ったつもりなのに「む、むう……」なんて可愛らしい〝ぐぬぬ顔〟を披露してくれた。再び投下された燃料が、俺の瞳に火を灯す。


「七海さんってやっぱり最高だよ。悔しいけど逆らえない表情が……すっごく興奮する」


 自分の鞄に忍ばせておいた電動の筆を解放。筆なのに電動なのです。仕様です。


「七海さんという極上のキャンバスに至高の名画を描く。観る者全てを歓喜に震え上がらせることができるアーティストなんだ」


「意味分からない! ホントに意味分からないからぁ! あっ……!」


 現代技術の結晶とも名高い電動の筆で、七海さんの鎖骨付近を撫でる。柔らかな毛先が小刻みに振動し、真っ白なキャンバスに快楽という名の絵画を創造していくのだ。

 初めての七海さんに妙技は尚早。程よく刺激を与える機械で、身も心も俺色に馴染ませていく。


「あっ……こ、コウ……くん……! んっんん……やっ……だめ……だよぉ……」


 くすぐったいだろう。もどかしいだろう。下書きなのだから当たり前。彼女の制服を徐々にはだけさせて、露出したブラの上から筆責めの洗礼を施す。


「はっ……うんっ、んんっ……あぁ……わ、わたし……このままじゃ……」


 七海さんの部屋に響く彼女の湿った喘ぎ。昂ぶって、昂ぶって、昂ぶって……脳内の景色を現実へ着実に創り出す。


「完全に七海さんが堕ちたら、放置して帰るから。ベッドに縛り付けられた状態で家族の帰宅を待つと良いよ」

「や、やだぁ……! そ、そんなことになったら……あっ……ううっ、ん……恥ずかしすぎておかしくなっちゃう……よぉ……」


 全世界よ、瞬きせずに刮目せよ。これが──東雲甲だ。

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