Case 6 天使の墜ちた街(後編)


「あんたらが新しい先生か?どうだね?ワシのコレクションは?美しいだろう?」


 ドン・ブッチリーノは、”面談”にやってきた院長とロンを自室へと誘う。


 部屋一面に、おそらく全て仔犬だろう、何も衣類を身に着けていない何種類ものイヌ科の少年達が立ち並んでいた。


 ロンは、彼らが全く微動せずに固まっていることに直ぐに気づいた。


 全員、生きたまま変えられた”剥製”であった。


 ロンが恐怖で萎縮する。


 中央のテーブルにブッチリーノが座った。


 足元にはサファイア色の被毛をしたメイド姿の美少女が、横座り(女の子座り)をしていた。

頸には首輪がつけられている。ブッチリーノはチェーンリードを短く握った。


「この子は、今のワシのメイドでクーと言うんだ。いつもワシの傍に置いている。気にせんでくれよ」


 ブッチリーノがチェーンリードを揺らした。


 クーは、長いまつ毛で大きく見える瞳の視線を終始落としたまま、ブッチリーノの鼠蹊部へと顔を近づけた。


 ズボンのジッパーが静かに開かれる音の後、クーは頭部を前後に動かす。

陰圧で唾液と口唇が弾ける音が響く。


 部屋中がブッチリーノの膿皮症と包皮膿症の臭いで包まれ、ロンは思わず嗚咽した。

さらに、クーがよく見たら美少女ではなく、いわゆる男の娘であったことに、身の震えを覚えた。


 ロンのドン引きを他所に、ブッチリーノはクーに”ご奉仕”を続けさせながら言う。


「あんたらには、今日からこのワシの行動すべてに付き添ってもらう。因みにあんたらで三番目の主治医だ。まぁ、よろしく頼む」


 イタグレ属の男が巨大なバケットを持ってきて、テーブルに置いた。

イヌ科の獣人と思われる男が、その中に詰められていた。

バケットからはみ出た前肢から、粘性を持った血が滴り落ちる。


 ロンの意識がトびそうになる。


 イタグレ属の男がブッチリーノの代わりに言う。


「この医者は、結局ドンの咳の症状を治せなかったんだ。散々注射やら採血やらさせておいて、この前のレントゲン検査で、さらに酷くなってます、だなんてぬかしやがった。

この結果は当然だよな。お前らも、こうならないように、しっかりとドンを頼んだぜ」


 震えを隠すことのできないロンの横で、ようやく院長が口を開く。


「さっきカルテを見ました。咳が治らないのは当然です。肺水腫になってるのに、飲んでるのはエース阻害剤だけではね。利尿剤と気管拡張剤をすぐに追加します。幸い、腎臓はまだ丈夫みたいなので」


 目の前の異常な光景にも全く動じずに治療方針を話す院長に、場の誰もが唖然とした。

そのことも気にしていないかのように、院長は続ける。


「ステロイド剤は中止します。代わりに免疫抑制剤とシャンプー療法で皮膚炎は対処します。インシュリンも今使用しているのを止めて、俺の指示する薬を使ってください。

食餌も管理させてもらいます。俺の指示するフードをすぐに取り寄せて、決まった時間に決まった量を食べてもらいますから」


 イタグレ属の男がドスの効いた声で言う。

「てめぇ!ドンに指図するってぇのか!?今この場で撃ち殺されてぇか!」


 ロンはすぐに謝ろうとしたが、先に院長が口を出した。


「治りたいんですよね?なら、俺を信じてください」


 これまで眉一つ動かさなかったブッチリーノの表情が一瞬緩んだように見えた。

そのただの一言は、奇妙な程に彼の心を掴んだようだ。


「・・・・信じろ?・・・か。初めて言われたな、そんなこと・・・・治せるか?」


「俺の治療方針に従うなら。あなた次第ですから」


「いいだろう。あんたの言う通りにしよう。アラン、すぐにこの男の言う薬とフードを手配しろ!」


 イタグレ属の男はアランと言うらしい。

アランは院長を一度睨んだ後、扉の外へと走った。


「あと、もう一つ」院長が繋がれたクーを見て言う。


「何だ?」


「そいつでの”戯れ”は、もう止めた方がいいですよ。”濃厚接触”が過ぎますぜ」


この男は、突然、何を・・・・!?


 クーは鼓動が急激に早くなるのを感じた。





 マメシバ属の會長は、甲斐属のカイを引き連れ、趣味の幻獣狩りを楽しみながら”今後の予定”について話し合っていた。


「お前んとこのロンって土佐属の男から、何か連絡はあったのか?」

 會長は猟銃を構え、数百メートル先のユニコーンの母子を狙う。


「は!上手く潜入に成功したそうです」


「そうかぁ。よくやった。これでお前ぇに気持ちよく”親子盃”やれるってもんだよぉ!頑張ってくれ!」


「は、はい!ありがとうございます!」


 親子盃を貰えることは、今後の組織の主導権を甲斐・土佐組連合が貰えることを意味していた。

會長引退後の椅子を、同系列の秋田組と争うカイにとって、今回の計画は命に代えても成功しなければならなかった。


「早速だがカイよぉ?ブッチリーノがシノギでやってる獣身売買のシンジケートの情報が欲しい。今度どこで取引が行われるのかとか詳細な情報がな」

 母ユニコーンが少し動いたので、會長は標準を合わせ直しながら言った。


「は!直ぐにロンに伝えます。」


「あともう一つ、ブッチリーノの方からも”野犬”が入り込んだらしい」


「まさか!?」


 草をせっせと食べる子供のユニコーンの背中を、母親が優しく頬で撫でおろしていた。


「お前ぇ、徹底的に調べろ。そして、消せ!」

 會長の猟銃の音が、山中に響き渡った。




院長の治療が開始され、その効果はたちまちブッチリーノの臨床症状に現れた。


 利尿剤の投与により、彼を悩ませていた咳の症状は改善、循環が良くなり浮腫み症状も和らいだ。

ステロイドの休薬によってクッシングの症状も無くなり、新薬の投与で安定した血糖値の維持が可能となった。

免疫抑制療法による過剰なアトピー性の反応も抑制され、シャンプー療法での二次感染も起こらずにいる。


 決められた食餌によるカロリー制限は、胃腸や肝臓の代謝を助け、抗酸化作用を得た皮膚のバリア機能の改善は、瞬く間にブッチリーノの被毛を三十年は若返らせていた。


「おい、院長?俺たちの目的忘れてんじゃねぇだろうな?」


 ロンは日に日に元気になっていくブッチリーノを見ていて、殺される不安が無くなると同時に沸き起こる別の不安に悩まされていた。


「おじきが會長に命じられた。奴らがシノギでやってる獣身売買のシンジケートを潰す為に、襲撃を起こす計画らしい。取引の場所と日時、そして構成員の数の情報が欲しいから、何とか聞き出さねぇと」


 柴組連合とブッチリーノ・ファミリーの大抗争の勃発が確実に迫っていたことに、ロンは焦りを感じていた。


「今のあんたはブッチリーノからめちゃめちゃ信用されている!チャンスだぞ!」


「ならお前が聞き出せよ?俺は主治医として働けとしか言われてないからな」

 院長は無表情に返した。


「てめぇ!やっぱり寝返るつもりじゃ・・・」


 牙を剥き出しにするロンの視界に、いつの間にかアランの姿が入り込んでいた。

ロンの血の気が引く。


「ドンがお呼びだ。先生方」

 ロンの焦りと逆に、アランは何も警戒をしてない様子に見えた。





 二人はアランに連れられブッチリーノが待っていると聞いた、”地下室”へと向かった。

屋敷の地下に広がる石畳の廊下は、紆余曲折に伸び分かれており、迷宮との呼び方が正しかった。


 院長は何故かそこを迷うことなくどんどん歩き進んでいった。


 部屋の中は松明の火だけで照らされた、古今東西の拘束具と拷問器具が並ぶ。

その中の一つの十字架をした器具に、裸にされたクーが括り付けられていた。


 既に”戯れ”は一通りの情事を終えており、クーのサファイア色の被毛は、そのボリュームある尻尾の先までブッチリーノの体液でカピカピであった。

瞳は虚ろで、抵抗する力も奪われていた。両乳首に付けられた小型バイブが虚しく動き続ける。よわよわしく噛み締めるボール型の猿轡からは唾液が滴り落ちていた。


「いや~、先生!あんたのおかげで、もうこんなに元気だよ!こんなにこの子を弄り倒しても、まだ力が溢れてくるんだ!だからあんたにも、この快楽を分けてあげたくってね。

ここにある道具は好きに使っていい!欲しい男の娘がいたら言ってくれ。って、やっぱり普通に女かな?」

 上半身裸の脂肪を揺らすフレンチブルが言う。


「いや、俺はそんな趣味ないんで」


 つれない院長にめげず、ブッチリーノは本題を話す。


「この部屋はワシとクーしか通さない。あんたらをここに呼んだのは、ここでしか話せない内容だからだ。

実はな、柴組に潜らせたヤツの情報だと、どうも”化け狐”が入り込んでいるらしい。柴犬側の潜入スパイがな」


 ロンの背筋が凍る。早くなる鼓動を抑えられない。


「あんたらじゃないってワシは思ってる。あんたらなら、ワシを元気にしてどうするんだってことになるからなぁ。だからここであんたらには話しとこうと思ってな」


 ロンに作戦が上手く行っている実感が湧いてきた。

この流れを利用したい気持ちが、彼を先走らせた。


「ドン・ブッチリーノ。多大なご高配を頂き感激しております。私の方は部類の女好きを謳っておりましてぇ。

今度の獣身売買には格別な美少女獣人たちが手に入るとのことで、是非、参加奉らせて頂ければと思うのですがぁ・・・」


 ロンのいかにもな恭しい態度だったが、ブッチリーノは笑みを浮かべ応じた。


「いいだろう。今度の”取引”には、あんたらも連れて行こう。場所と時刻も教える。連れていく人数もな。武器とかは持って行かんから、軽いピクニック感覚だからな」


 ブッチリーノの言葉を、ロンはしっかりと記憶した。


「ずいぶんと、気前いいんですね?」

院長が言った。


「うん?ああ、そうだな。遠慮は要らないからな。好きなコを選ぶがいい。ワシのこの子みたいに」

 ブッチリーノは、磔のままのクーを眺める。


 院長は黙って、クーの”生体”を観察していた。




人気のない真夜中の埠頭に、一隻の船が着岸する。

大勢の少年少女の獣人たちが、詰め込まれていた。


 世界各地から誘拐された者もいれば、売買目的で闇のブリーダーによって生産された者もいる。


「今回はコーギー属とマラミュート属の仔犬が入ってるらしいぜ。ネコ科はどうか分からんが、希少なAB型の血を持つ血統が手に入ったって噂だ。あんたんとこの供血猫にどうだい?」

 札束の入った巨大なケースを片手に持つアランが院長に言う。


「AB型じゃ需要がねぇーよ。必要になったら寄こしてくれ」


 埠頭の錆びれた倉庫の中、アランを筆頭に数人のブッチリーノ・ファミリーのメンバーが黒服にサングラスの格好で取引を待つ。その中に、院長とロンも立たされていた。


 平然と構える院長を他所に、ロンはこれから起こる柴組一派の襲撃を思い、緊張で身構えていた。


 カイは配下の組員を引き連れ、来るその時を待ち、拳銃の安全装置を解除する。


 獣身売買の現場を押さえ、ファミリー側の構成員を皆殺にし、ブッチリーノへの強請りへと持っていく孝作であった。


 これが成功すれば、柴組連合が圧倒的な有利に立てる。

甲斐・土佐組連合の親子盃は確実となり、秋田組を凌いで組織を牛耳ることができる。

失敗は許されない、獣人生最大の賭けであった。


 着いた船から、北の王国の最大マフィア組織、シベリアン・ファミリーの幹部が姿を現す。

ハスキー属の銀色の被毛を海風に棚引かせた青い瞳が、一切の情には応じない構えを見せ付ける。


「約束の品だ。金は?」


 アランが静かにケースを置き、中身を開けて見せる。


「よし、いいだろう。あと今回の品の中に、キツネ族の少女が混じっている。処理はそっちでしてくれ。サファイア色の被毛だから、毛皮くらいは高くつくはずだ」


 アランのケースを受け取り、船から手枷と首輪に、チェーンリードで繋がれた少年少女の獣人たちが降ろされていった。


 カイは、息を潜めながらスマフォのシャッターを回す。画像のデータは、その場で柴組本部へと送信していった。


これで決まった!

俺たちの勝利は確実だ!

後は、この場に居る獣人どもを皆殺しに・・・


 カイのスマフォに突然着信が入る。

會長からだった。


 カイは慌てて応答を押す。

マメシバ属の長老らしい、落ち着いた高めの声が聞こえてきた。


「カイよぉ。お前ぇ、今、一体何をしてんだ?」


 カイは返答に困った。會長の言っている意味が分からなかった。


「ウチは、ブッチリーノ・ファミリーと今後も共存の方向で合意したんだ。それなのにお前ぇって奴は、何をこんな分けの分からない画像を送ってきやがる?」


 カイは、身震いを抑えきれない声で返答する。

「あなたからの・・・ご命令でしょう・・・?」


「何言ってんだ?お前ぇ、秋田組から連絡受けてねぇんか?あいつらは、お前ぇみてぇな好戦的な立場を他所に、きちっとブッチリーノ・ファミリーと話つけてきたんだぜ?俺は奴等に盃をやる予定だ。組織の存続のためにも、柴犬種の存続のためにも、お前ぇら闘犬種は、用済みだ」


 事の事態を悟ったカイの目に、涙が溢れ出る。


 会長は、自分らと同じくして、秋田組も動かしていた。

それで最終的に有利になった方を取ったのだった。


この前言っていた“野犬”というのは、秋田組のことを暗に仄めかしていたことだったのか!


 今となっては、自分らがその野犬に貶められてしまっている。


この場、この状況で、俺は・・・


「誰だテメェら!親分!こいつら柴組の連中です!銃を構えてやがります!下がってください!」


 ブッチリーノ側の獣人が、一斉にマシンガンを取り出す。

全ては、悟られていた。


 手も足も出ないカイの目の前で、全ての部下は射殺された。

甲斐属、土佐属の男たちの死体群が出来上がる。


 事態を飲み込めたロンも、涙を止められなかった。

しかし、感情を抑えるしかなかった。

取り押さえられるカイを見て、今にもふち切れそうな理性の中、ただ一人平然と構える人間属の男の姿を、心の拠り所にしていた。




少女の名前はスーといった。

イヌ科の亜科キツネ属の少女であった。

光沢あるサファイア色の被毛に、整ったマズルと耳介、大きな瞳に長いまつ毛、ほっそりした柔らかな体付きに、体の半分はあるボリューム豊かな尻尾は、どの大人獣人から見ても思わず見入ってしまう程の美しさだった。


 絶世とも言えるイヌ科の美少女は、白シャツのみの着衣で、両腕を後ろに組まれ縛られている。


 スーの他にも、コーギー属やマラミュート属の少女もいる。


 皆、自分がどこから来たのかを語ろうとしない。

思い出したくもないようだ。


 そして、この先を考えることも・・・


「おー、今回はすげぇべっぴんちゃんがいるじゃないか~。こりゃあエロいのが撮れそうだ~」


 ノルウェイジャン属のネコ科獣人と、数人の被毛が剥げかけた中年のイヌ科獣人がスーたちを品定めした。


 一人一人を立たせて、顔から尾の先まで、乳首、陰部、耳介に鼻梁までもを触りだした。

他の少女たちは、自分が何をされているのか分からないようだ。どうして縛られているのかも。


 スーには全てが理解できていた。

これまでもこのように大人の男獣人から、幾度となく体を玩具にされてきていた。

その日々は、スーの心と体を年齢以上に大人へと発達させていた。


「すげぇ!このキツネちゃん!めちゃくちゃ感度いい!見た目も可愛いし、これなら高く売れるぞ!」


 ノルウェイジャン属の男は興奮しながらカメラを回す。

イヌ科の中年男たちは、揃って服を脱ぎ始め、イヌ科の加齢臭とも言うべきマラセチア臭が辺りに立ち込める。

薄くなった被毛から見える皮膚には、ノミが走り回っている。


 苔癬化の激しい肥厚した鼠蹊部からは、尿臭のキツい膿の染み出た陰茎が、スーに向けられた。


 スーは全く動じなかった。

これまで何度もされた事だった。


 世の中に蔓延る”児獣ポルノ”は、国が定める規制法こそあれど、それに喜ぶ大人獣人がいる限り、マフィアの絶好のシノギ手段であった。


 他の少女たちもそれぞれ別の小部屋へと連れていかれる。

スーの入った部屋には、束縛椅子、手錠、鞭、蝋燭、首輪にリード、大きめのペットシーツが備えられていた。


「じゃあ、先ずはここでおしっこしようか~?はい、片足上げて~」


 ノルウェイジャン属の男はしゃがみ込み、スーの足元からカメラを向けた。


 無言で、そっと、スーは右足を挙上させる。

そして、そのまま足元の変態猫の顔面を目掛けて、蹴りを打ち込んだ。


 周りのイヌ科獣人の男たちも、咄嗟に押さえつけようと少女の体に襲い掛かった。

上半身を麻縄で縛り上げられていたスーであったが、華麗な蹴り捌きで襲い来る男たちをなぎ倒した。


 踵で倒れた獣人たちの気管を潰す。

僅か数秒で、大人のイヌ科の男たちを戦闘不能にさせた。


 拷問器具の一つで縄を切りほどき、顔の痛みに耐えもがくノルウェイジャン属の男に詰め寄った。


「お・・おじょうちゃん・・・待ってくれよ・・俺はただ頼まれてやってるだけなんだよ。フリーのライターはこうでもしないと名前が売れないから・・・・」


「お兄ちゃんは、どこ?」


 スーは船を降りてから、初めてしゃべった。






 ロンは険しい顔で柴組の本部へと出向く。


 一連の港での出来事で、完全に捨て駒とされた甲斐・土佐組の怒りと無念を思い、その怒りで理性を保つことに精一杯であった。


 全身の筋肉を震わすロンに、會長はリラックスした様子で話す。


「お前はよく働いてくれた。お前らとの計画を俺も推してたってのは本当だ。だけど今回はブッチリーノ側の方から和解案を持ち出してきたんだ。双方、血を流すのは最小限にしたいってな。

話進めたのは秋田組の奴らだ。俺も立場ってのがあるからよぉ、今回のことはもう水に流してくれ。今度はおめぇに甲斐・土佐組を次いでもらいてぇって思ってんだよ」


 會長はロンの肩をポンと叩く。


「おじきは・・・俺たちの組は・・・柴犬とは親子であり兄弟であると思ってました。任を売るのが俺たちの家系の流儀なのに、こんな裏切りを・・・柴組も地に落ちましたね。

俺らも実は潜らせたスパイだったことが知れたら、ブッチリーノ側はどう思いますかね?」」


 怒りの収まらないロンに、會長は困った顔をして見せる。


「ところでロン。お前が連れてきた獣医の先生、めちゃくちゃ腕いいみたいだな。あのブッチリーノをあんなに元気にさせるたぁ、俺も一度診てもらいたかったよ~」


「何ですか、いきなりそんな話題を・・・って、”診てもらいたかった”?」


 ロンが気づいた時にはもう遅かった。

怒りで我を忘れていたロンの周りには、すでに拳銃を構えた柴犬たちが土佐犬の体を狙っていた。


しまった!會長は俺たちまで消すつもりだ!


「実はカイの仕出かしたことで、こっちも詫びを入れなきゃなんねぇんだ。向こうに取っ捕まったカイの処刑プラス、こっちからもシメシ付けなきゃあなんねぇ。まぁ、ちょうど口封じにも為るし。お前、生贄になれ」


 ワナワナ震え、気の狂わんばかりの怒りと絶望に涙を流し出したロンを一切憐れむ様子もなく、會長はテーブルの上に皿を置いた。


「食ってくれるか、ロン?俺からのご馳走だ」


 その皿には、大量のチョコレートが盛られていた。




ロンはテオブロミンの作用する神経中毒を引き起こしながら、ドン・ブッチリーノのいる館の地下迷宮の奥へと運び込まれていった。


 そのさなか、痙攣し、朦朧とする意識の中、地下迷宮を走り回る多くの獣人兵士の姿を見た。


 それは、かつてこの獣人界を焦土と化したとされる“彼の世界”との戦争の光景だった。




 神獣大戦・・・

神獣歴13万5千・・・くらい年前。


 それ以前の獣たちは、ある一つの属の為の食料であり、道具であり、慰みの玩具でもあった。


 その一つの属が何というのかは、どの記録にも残されていなかった。

ただあるのは、その全てを支配していた属は、自らの手によって、神獣様を呼び出してしまったということだ。


 その一つの属が欲していたものは、“転生”と言われる現象の一つの移転先として、この獣人界そのものを支配することだった。


 増え続ける人口に、“彼の世界”での存続を諦めた多くのよそ者たちが、この世界に目をつけた。


 次々に転生してくる者たちと一緒に、獣人界には存在しなかった病原体や文明兵器が襲った。


 その時に獣人界にいた獣は、9割以上の科属が死に絶えたと言われている。


 怒った神獣様は、平和しか知らなかった獣人たちに武器を持たせ、転生支配をしてくる“彼の世界”と戦った。


 どちらの世界が消えたのか?

今ある世界はどちら側のものなのか?


 そして、神獣様の行方についても、その後の記録は一切ない。


 古典的な都市伝説ではあるが、その異世界で支配階級にあった属というのは・・・・・・




「おい、ロン!顔をあげろ!」

 痙攣の治まりゆくロンに、一人の男が話しかける。


 ロンは、僅かに回復した意識の中、白衣を着た被毛のほとんど持たない人間属の男を認識した。


「ジアゼパムを打っといた。しばらくは昏睡状態になるが、意識が戻ったんなら大丈夫だ。俺が分かるか?」


 ロンは襲い来る強烈な睡魔に耐え、辛うじて声を振り絞った。


「・・・・神獣様・・・・・」


 深い眠りに落ちたロンを置き、院長は立ち上がる。

迷宮の通路には、大勢のブッチリーノ・ファミリーの獣人たちが倒れていた。


「まずいな。既にウィルスのRNA変異は完了しちまってるか・・・」

 呟く院長は、傍に倒れていたイタグレ属のアランを見つけ、意識の有無を確認する。


「おい、助けてやるからボスのいるところを言え。あのキツネは今どこだ?」


 アランは炎症を起こした肺と気管を搾り出し、苦しそうに答える。


「こ・・・この先の・・・最奥の地下牢だ・・・・もう一人の・・キツネも・・・あそこに行った」


「何だと、もう一匹!?ということは!」


 院長は聴診器を手に握り、深い迷宮の最奥部まで走った。






 ブッチリーノは倒れそうなくらいの高熱と、粘性の増した気管枝の苦しい呼吸音にも関わらず、全裸で縛り上げられたクーの身体を貪っていた。


「ぜぇー、ぜぇー・・・クーよ・・・お前の身体さえあれば、ワシは死んでも構わないんだよ・・・一緒に昇天といこうじゃないか・・・ゲヘヘエ・・」


 ブッチリーノの理性は壊れかけていた。

ウィルスが中枢部にまで達した神経障害により眼振する瞳が、血走り充血している。

亢進する唾液と鼻汁にクシャクシャになった顔面が、クーのマズルに擦り付けられる。

止まらないアセチリコリンの分泌は、彼の陰茎を硬直させ収まらせなかった。


 子狐の肛門に、フレンチブルの陰茎が突き刺さる。


 身動き出来ない体に、壊されそうな肛門括約筋の痛みに耐えながら、クーは“その時”を待っていた。


 ブッチリーノの頭部に、背後から巨大な斧が振り下ろされる。


 クーと同じサファイア色の被毛をもつ、キツネ属の少女だった。


「お兄ちゃん!やっと会えた!」

 スーはクーの拘束を解き、ボロボロになった彼の体を抱きしめる。


 スーのこれまで堪え続けた、飽和点などとうに超えていた辛さと寂しさが、堰を切ったように涙として溢れ出た。

彼女の体も、同じようにボロボロだった。


 クーも思いっきり抱きしめた。


 頭を割られたブッチリーノは、止まり行く生命活動の中、それでもクーへと手を伸ばそうとした。

しかし、届くことなく、地面へと落ちた。


「早く逃げよう!“あいつ”がまだこの世界に・・・」

 焦るスーに対して、クーは落ち着いた様子でいう。


「もう、大丈夫だよ。僕の細胞の中で、変異は無事に遂げられた。これから感染は拡大していく。このフレンチブルの男との“濃厚接触”のおかげで、ウィルスは外に出ることができた。だからもう、心配することなんて・・・」


「いいえ、まだよ!わたしはお兄ちゃんと暮らしたいの!だからこの世界に“転生”を・・・」


「やはり、転生族がまだいたか・・・」

 二人の背後に、白衣を着た人間の男が立っていた。


「あんたら、獣人界に転生してきた奴らだろ?キツネ属を選ぶとは、死角だったぜ。それもかなり強い身体能力を与えられてんな。

悲劇の獣人生に耐え忍びながら、最後は兄妹と一緒に平和に暮らす。そういうシナリオだろ?

その為、邪魔な獣人たちをこの世界から消すために、ウィルスまで持ち込んだ。しかし威力を発揮させるためには、この世界の生物の細胞に順応させる必要があった。外に出して感染させるためには、ある程度の濃厚な接触が必要だった。違うか?」


 人間の男は、二人に歩みよる。

スーが斧を構え、交戦状態に入った。


「近寄らないで!あんたも殺すわよ!」


「転生後は、思ったようには行かなかったみたいだな。あんたらの一度は築いた楽園も、滅んじまったんだからな。悪く思うなよ、俺にもこの世界での人生がかかってるんでね」


 全てを悟ったスーは、しなやかな肉体を乱舞させ、斧で男に襲いかかった。


 スーの目の前に“あの日”と同じ光が広がる。

自分たちの街を消し去った、墜ちた天使の放つ光だった。


 スーは躊躇わずに男へと斧を振り続ける。

全ての攻撃は男に当たっているかに見えた。

しかし、男は全くダメージを受けていない。


 光が広がりを落ち着かせた後、クーが目にしたものは、力なく手足を落としたスーの頸を掴み上げていた白衣の男だった。


 頸椎の髄神経から潰されたスーの体は、もはや指一つ動かせられなくなっていた。

呼吸筋への神経伝達も遮断されようとしていた。


 クーが叫ぶ。

「やめろぉ!そんなことをして何になるんだ!もうウィルスは外へ伝染した!もう止められないだろ!」


「あんたらの細胞内で変異したウィルスだ。あんたらには病原性を発揮しないってことだろ?つまりこの体には”抗体”がある。それをワクチンにする」


「なら僕を殺せ!妹は関係ない!」


 クーの叫びが部屋中に響く。

スーは辛うじて膨らませた肺の空気で、かすれた声を振り絞る。


「お・・にいちゃ・・・と・・・一緒に・・・・冒険・・・・・・したい・・・だけ・・・・」


 クーに、スーの無念さが伝わる。


 憧れだった獣人に転生し、兄妹で生まれ落ちた街で一緒に楽園を造りあげていくため、毎日が大冒険だったこの世界での生活・・・

その日常は、獣人としての父と母も、戦争によって消滅させられた。


 自分たちも行った転生によって引き起こされた戦争によって、自分たちが築いてきた愛するものたちも消されてしまった。


 それでも、僕らは獣人として生きる道を選び、ここまで来た。


 ただ僕らは、獣人として、獣人界で暮らしたかっただけなのだ。


「頼む・・・妹を殺さないで・・・抗体なら僕の体を使えばいい。だから・・・」

クーが涙を流し、懇願する。


 男は、全く表情を変えずに言い放つ。

「ダメだ。グラウンド・ゼロの生物は、例外なく根絶する」


「やめろぉぉぉぉぉ!」


 男はスーの頭部を反対方向へと捻じ曲げた。

彼女の瞳から、生気の光が瞬時に消えるとともに、一筋の涙が頬を伝うのが見えた。


「うぉぉおおおおぉおお!」

 理性の弾けたクーは男に飛び掛かる。


 しかし男の拳はクーの胸部を貫き、肺の呼吸能力と心臓の循環能力を止めた。


 破られた肺血管の血液がクーの口から溢れ出る。

絶命に至るまでの最期の一呼吸で、男へと尋ねる。


「・・・・・・お前も・・・・転生者なんだろ・・・・・なら・・・何で・・・こんなこと・・・」


「俺は、獣医師だからな。”害獣”を殺すのも、俺の仕事だ」

 男は無表情のまま答えた。


 息絶えたスーの体と重なるように、クーの体も倒れこんだ。



10


ドン・ブッチリーノの葬儀に、喪服を着た大勢の獣人達が参列していた。

ファミリー側の構成員はもちろん、柴組會長も部下を引き連れ、運ばれていく棺を見送っていた。

ウエスティー属の神父が、神聖さを感じさせる白い被毛をたなびかせ、天への祈りの言葉を呟いている。


 會長もその言葉に聴き入りながら、これまで接してきた多くの死を思い描いていた。


 突然、會長は左腹部に熱を感じた。

覗いて見ると、鋭利なナイフが刺し付けられていた。


 會長はナイフを持つ手から上り、その男の顔を見た。


 甲斐属の男、カイであった。


「會長・・・お別れを言いにきました」


 片目の潰れたカイの顔は、とても穏やかに見えた。

突き刺したナイフを抜き、今度は肋間に刺し込んだ。

胸膜、横隔膜を突き破り、組織をかき混ぜられる會長の口から血が溢れ出る。


 声を上げることもなく、音も立てずに、會長はその場に倒れ込んだ。


 大勢の参列者たちは、神父の言葉を聴き入っていた。



「汝、我らが世界を護りし神獣よ

 この旅立つ魂を、安らぎの地まで送り届け給え


 再びこのような地に、転生を起こさぬように

 この者を運ぶ天使が、墜ちることのないよう、道を照らし導き給え


 汝の翼は夜、忘れさせる夜、辛さ悲しさを忘れさせる翼

 汝の被毛は海、思い出させる海、忘れたくなかった人を映す海


 逃げなさい獣よ、怖れの国から、闇色翼に抱き守られながら

 逃げなさい心よ、憂いの国から、時も届かない夢に逃げなさい


 歌ってもらえる宛がなければ、人は自ら歌人になる

 どんなに酷い雨の中でも、自分の声は聞こえるから


 再びこのような地に、転生を起こさぬように

 この者を運ぶ天使が、墜ちることのないよう、道を照らし導き給え


 この者を運ぶ天使が、墜ちることのないよう・・・・


 この者を・・・・」




 會長は静かに呼吸を止めた。


 カイの行方は、誰も知らない。






 院長の読み通り、クーとスーの血清からは、彼らが細胞内に隠し持っていたウィルスの変異株への抗体タンパクが抽出された。


 宮殿直営の国立獣人保険局は、彼らの体を使い切り、直ぐに新型ウイルスのワクチンを製造した。

結果、感染拡大は抑えられ、既に感染を起こしてしまっていた館にいた獣人たちも回復に至ることができた。


 ブッチリーノ亡き後のファミリーは、イタグレ属のアランが引き継いだ。


 院長に命を救われた借りも生じ、柴組一派と協力をして、今後も彼の病院をバックアップしていく方針で決定した。


 そして、ロンは、公園のゴミ箱を漁っていた。

組からの裏切りを受け、結局生き残ってしまった彼には、行く場所が無かった。


 雨風に晒され汚れきった被毛に、ハエが集る。


 住む場所も無いまま、街を彷徨っていた。


 行く当てのない徘徊に疲れ切り、ベンチへ座り込む”迷い犬”に、一人の人間属の男が話しかける。

「お前、行くとこないのか?」


 ロンは相手も見ずに言う。

「何だよ?保健所か?もう殺処分かよ?次生まれてくるなら、俺はこの世界はもう嫌だぜ。こんな裏切りに満ちた世界なんざ・・・」


「そうじゃなくて、今は犬手が欲しいんでね。病院がこれから忙しくなるからな。別に嫌ならいいさ」

 男は、院長は、土佐属の男に名刺を渡した。

「気が向いたら来な。お前の忠誠心は、買ってるんでね」


 院長が去った後、ロンは名刺をじっと見つめる。



   ケモナーズ・メディスン

     獣人界の獣医師


       院長      




・・・・




おい!

何やってんだよ!俺!

早く院長追いかけろよ!

行くとこないし、また奴らに捕まったりしたら・・・


「待ってください!俺、ついて行きます!院長ぉぉぉぉぉ!」


 ロンは宿直室のベッドから飛び起きる。


 両腕を引き延ばし、必死に何かにしがみつこうとした。

ロンのひび割れた肉球が、バーバリの発達段階の両胸を鷲掴みにする。


 瞬間、バーバリの回し蹴りがロンの頭部を襲撃した。


 ロンはベッドから弾き出される。


「いきなり何よ!この変態ドスケベエロ中年クソオヤジ犬!死ね!生まれてきたことを土下座して死ね!」

 バーバリは胸を両腕で隠し、ショックで涙ぐむ。


 院長が眠そうに部屋に入ってきた。

「いきなり何だ?急患か?」


「先生!この変態土佐犬を今すぐ撃ち殺してください!こいつ、アタシの胸を~!」

 バーバリはあたかもより酷く乱暴をされたかのように、ナース服の乱れを直す仕草をした。


「すすすすすみません、院長。ちょっと昔の夢をみてたもんで・・・あいてて」

 ロンが戻らない頸の曲がりを気にしながら言う。


「ほら、俺たちで解決した、あのキツネの・・・」


「お前、気絶してただけじゃねぇーか?」


「いや、あれは院長の打った薬のせいで~」


 二人の会話に除けられないようにバーバリが入り込む。

「ねぇねぇ、キツネって誰のこと~?」


「もう、寝る」

 院長は全く興味なかったのか、あるいはそれ以上話したくなかったのか、宿直室から出ていった。




 冬の夜風が強かった。

眠れない街には、今日も多種多様な獣人達が、各々の獣人生を胸に突き進んでいた。


 被毛に覆われた獣たちの住む世界も、やはり寒い面はあるのだろう。

転生しても、そこが本当に憧れていた世界であるとは限らない。


 選んだ属性や職種が、本当にベストなモノだったかなんて。


 院長はあの時の兄妹を思い出した。

二人の亡骸は、その後保険局により焼却処分をされた。

 あの後、せめてもの弔いに、院長は二人の墓を建てた。

 夜空を、一筋の流れ星が走っていくのが見えた。

 また一人、天使がどこかに墜ちたかのようだった。



Case6 End

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