Case 7 狂ったイマジナリーライン

 イマジナリーライン

・・・トリマーがカットを行うに当たって事前に思い描く想定線のこと。

ラインを境に片方の被毛を長く、もう片方の被毛を短くする目安とするその線は、トリミングの完成度に大きく影響する。




ビル群が天にそびえ並ぶ街。

その隙間には網目のようにアスファルトの道が張り巡らす。

その上には、多種多様な無数の獣人たちが埋め尽くす。


 駅前の最も慌ただしいスクランブル交差点を見下ろす巨大スクリーンでは、大消費市場に向けての旬な情報が発せられ続けている。


 眩しく発光する映像が、その男を映し出す。

聞きなじみのあるアナウンサーの声で、言葉が飾られる。


「今回紹介しますのは、今や世界的な天才トリマー、ラッセン・テリアさんです!

彼は、若干28歳という若さで、全ての栄光と富を手に入れた者の一人と言ってよいでしょう!

その類まれなるグルーミングセンスは、これまでに多くのトップモデル達を担当!

都会での下積み時代を経た後、自ら美容専門会社を立ち上げ、瞬く間に上場企業にまで伸し上げた青年実業家でもあります!

また、ご本人自身もモデルや俳優として活躍する一方、執筆本もベストセラーとなる多彩ぶり。昨年には、世界的グラビアアイドルとの電撃結婚も話題となりました。

今や公私共に絶好調を突き走るラッセンさんに、今回インタビューを行いました!」


 取材用のマイクを向けられ、イヌ科テリア属の男の笑顔がズームされる。

いわゆる”イケメン”との形容が相応しく、美しく整った真っ白な歯が、話題の芸能人を強く印象つけている。


 二人の会話に合わせて、画面の下部には字幕が協調される。


「Q,ぶっちゃけ、年収ってお幾らくらいなんですか?」


「A,ふふっ・・・いきなりなんですか~!ちょっと~!まぁ、経営者なんで、それなりには~」


「Q,現在、奥様が妊娠中とのことですが、初めて子供を持つことに対して、どういったお気持ちですか?」


「A,僕がまだ成れていないのは父親です。新しい出会いは、僕自身を変えてくれますから、一緒に成長していこうねって気持ちですね!」


「Q,今度から番組でメインキャストも務めるそうですが、ラッセンさんの魅力が最大限観られそうですね!番組に対する、意気込みをどうぞ!」


 ラッセンはメイクと照明で輝いているように見せた瞳をカメラに向ける。

「え~、視聴者の皆さん、今度からお送りする僕の番組、”栄光のイマジナリーライン”。この番組は、世の中で起きている様々な事件や、数々の有名人、著名人たちを、美の視点からぶった切る、全く新しい情報系バラエティ番組です。

記念すべき初回放送は、なんと生放送でお送りさせていただきます。是非、ご覧ください!」


「ラッセンさん、どうもありがとうございました!」





 都会の怒号が轟くスクランブルの上、一人のダックス属の女が立ちつくしていた。

留まることの無い獣人たちの流れが、彼女の肩や肘にぶつかっていく。


 腰に下げた小さなバックを、愛おしそうに撫でる。

中には、年期の入ったステンレス製のハサミとクシが揃えられていた。


 スクリーンの次に、女は携帯電話を眺める。

電話帳の、ラッセンと表示されてる番号へと掛ける為の一押しが、出来ずにいた。




スタジオから出るラッセンに、番組プロデューサーが興奮気味に話しかける。

「ラッセンちゃ~ん!番宣お疲れ!すんごく良かったよ!これで視聴率15は固いんじゃないかな?スポンサーも大喜びだよ~!」


 ラッセンは白い歯を満面に見せた営業スマイルで応える。

「いやいやいや~、あんなんで・・・・良くって、20じゃないっすか?」

「このやろ~!調子乗りやがって~!はははは!」


 バカ笑いをする二人の傍を、新米のADが通りかかる。

ラッセンはADを引き留めて言った。

「あ、君?楽屋にコーヒー淹れといてくれる?ブランド間違えないでよ~、俺ってデリケートだから」


「いえ、でもまだ仕事が・・・」


「あん?”雑巾”が言うこと聞かねぇの?」

 ラッセンから営業スマイルが消える。


 ADは慌てて了解し直し、湯沸室へと走った。

目下の模様は、一瞬アイシャドーかと思ったが、疲労と寝不足からくる濃いクマだった。


 勝ってこれてねぇ一般獣が!俺に口応えしやがって!





 ラッセンは楽屋でケータイに怒鳴りつける。

「何!またクレーム!おいおい勘弁しろよ、俺は忙しんだよ。やらかしたスタッフに土下座でもさせて収めさせろ!そっちのことはそっちで何とかしろ!いちいち俺に持ってくんな!」


 ラッセンがオーナーであるトリミング会社のチーフトリマー兼、マネージャーを任せられているチワワ属の女性マイリーにとって、社長のこの態度はいつものことだった。


 ここで働くトリマーには、一人一日5件以上の顧客担当のノルマが課せられていた。

全身が被毛である獣人の美容は、通常のシャンプー&カットだけでも2時間は掛かる。


 毎日10時間以上の立ち仕事を強要されるトリマーの世界、並大抵の精神力では、生き残れなかった。


 ラッセンのような成功を夢見て都会に出てくる若者たちは、その過酷な労働、社会人としての責任、接客業としてのプレッシャーに負けて、殆どが1年を持たずに脱落していく。


 マイリーはクレームを出してきた顧客に対し謝罪文を作成し、自費で粗品も用意した。

やらかした新人はすっかり自信を無くしていたので、もう明日出社するかどうか分からない。

これくらいで辞めるような人材ならその程度なのだろうが、教育しては辞めていく新人に、終わりのない長距離走を走らされている感覚に疲弊していった。


 マイリーの手は、長年のシャンプーの刺激で老婆のような形になっていた。

日に日に増えてくる白髪を隠すため、全身の被毛を染めていた。

目じりの皺も濃く、ほうれい線も深い。化粧をしなければとても出社はできない。


 愛を知らないまま老いていく体を憂いながら、自分にできることは、もうこの仕事しかないということに、苦い溜息をついた。





 深夜、ラッセンは高層マンションの最上階の自宅に戻る。

部屋は暗く、料理も用意されていない。当然だ。

グラビアアイドルの妻とは、別居中だった。


 我の強い者同士の結婚。こうなることは良くあるんだろう。

しかし、今はまだ時期が悪かった。

ラッセンには、自分の番組を成功させるために、汚れたイメージの付くスキャンダルだけは絶対に避けたいことだった。


 あくまで夫婦仲睦まじいってことになっている。

両サイドの事務所からマスコミに厳戒令がでているので、しばらく心配はいらなかった。


 ラッセンはお気に入りの銘柄のウイスキーをグラスに注ぐ。

窓一面に大きく広がるパノラマの夜景が、ラッセンを慰める。


俺が勝ち取ったもんだ・・・

これが俺の恋人だ・・・・


 静かな都会の夜景と過ごす時間に、携帯電話のバイブが震える。

舌打ちとともに携帯をとるラッセンは、その着信元にさらに気分がイラついた。


「はい?何だよ?こんな時間に」

 イラつきを隠さない口調で電話にでる。


 相手は、ラッセンの前の嫁、サニーだった。

電話から、怯えた声が聞こえてくる。今にも泣き出しそうに震えている。


「あの・・・実は・・・・」


「んだよっ?金か?それならもう”今月分”は振り込んだっつーの!」


「・・・違うの・・・リョースケが・・・病気なの・・・・」


ウイスキーのグラスが、鈍く音を立てた。




 病院のICU室では、イヌ科雑種属の仔犬獣人が酸素マスクを付けて眠っている。

今にも途切れそうな小さな寝息と、取り付けられた心電図の音がだけが規則正しく刻まれていた。


 ダックス属のサニーが、院長に声を掛ける。


「あの・・・うちの子は?」


 院長が無表情で答える。


「パルボウィルス感染症だ。頻回の下痢嘔吐で酷い脱水症状を起こしている。激しい消化管の炎症でDICの危険もある。はっきり言って、助かる保証はねぇ。予防接種はしてなかったのか?」


「前の主人と別れてから、私も忙しくて・・・まさかこんなことになるなんて・・・・」


 サニーはハンカチで目を覆う。

院長は、慰める様子もなく、淡々と事実を言う。


「泣いても始まんねぇ。この3日間が勝負だ。本人の生命力が足りなかったら、その間に死ぬ。元旦那も呼んで、励ましてやるんだな。いまどこなん?」


「言えません・・・」


「は?何で?」


「私の前の主人は・・・この子の父親は・・・・」




「まじっすか!あのラッセン・テリアに子供がいたってことっすか!」

 ロンが興奮気味に唾を飛ばす。

「でも、テレビじゃ今はもう結婚してて、これから第一子が生まれるっていう報道でしたけどね~」


「隠し子がいたってことね」

 バーバリが察し付いたかのように言う。

「ネットの噂話はデマじゃなかったってわけ!何でも、トリマーとしての下積み時代の時から同棲してた女性がいたらしいわよ!たしかその人、ダックス属で同じトリマーさんで」


「もろ当てはまってるじゃないっすか!なら、そっこーであのラッセン・テリアをここに呼びましょうよ!院長!」


「あんた、バカじゃないの?ラッセンは今、とってもクリーンなイメージの有名人よ。新番組も控えてる大事な時に、隠し子のことが発覚するようなこと、出来るわけないじゃないの」


娘とも呼べる程の年下のバーバリにバカ呼ばわりをされ、しかもタメ口で・・・・

 ロンは切ない時代の流れを感じざるを得なかった。


「だからね!先生!アタシにいい考えがあるの!」

 バーバリは自慢のマズルを突きだし、院長に詰め寄る。


 院長は表情一つ動かさない。




「院長さ~ん!水臭いじゃないっすか~?こんなおいしいネタあるなら、真っ先に教えてくださいよ~」

 奇抜なヘアーが印象的なネコ科ノルウェイジャン属のジャーナリストが病院に表れた。

年期の入った手帳とハンチングが、熟練記者のオーラを放っていた。


「この前の事、お忘れで~?うちの部下の血液が欲しいっておっしゃるから、ここへ誘導してあげたじゃありませんか?」


「悪いが、患者の守秘義務があるんでね。この話題はまだダメだ。代わりに別の情報をくれてやる」


 院長はバーバリの首根っこをつまみ上げ、自分の体に引き寄せた。


 ネコ科にとって首根っこは母性や安心の刺激を引き起こされる部位である。

そこを突然つままれ、院長のおおきな体に抱き寄せられたバーバリの頬は赤くなり、尻尾が硬直した。


「え~!先生!やっぱり、アタシのことを~」


「バーバリ姫の情報追ってたろ?コイツだ。今ここでバイトしてる」


「・・・え?ちょっ!?」


 ノルウェイジャンの記者は、被毛を逆立てさせ反応した。

「マジっすか!この美猫ナースちゃんが!確かによく見れば本物じゃないっすか~!すげぇネタだ!ありがとうございます!」


 バーバリが患者だった時は、決して彼女の情報を漏らそうとはしなかった院長だったが、今はもう患者では無いので、どうでもよかった。


「ちょっと~!何で言うの~!パパにだって社会科公務としか言ってないのよ!」


「お前、目立つの好きだろ?それに国王なら知ってるぜ。未成年者のバイト受け入れ側が、保護者と話してないわけないだろ」


「う~!もう!」

 バーバリは頬を膨らませた。

バイトしてることがバレることよりも、これでこの病院に新たに看護師志望の獣人が集まり、院長を独り占めできなくなるかもしれないことが気に入らなかった。




「・・・って、何でロンまで一緒なのよ~」

 ナース服のままテレビ局まで出向いたバーバリは、さらに頬を膨らませた。


 局まで病院スタッフである自分が足を運び、内密にラッセンを子供の元へ連れて行かせるというのが彼女の狙いだった。

 興味あるテレビ業界の中を覗け、院長からも褒められるであろう最高の策に、完全なる邪魔者が付き添われたことに不満一杯だった。


「しょうがねぇだろ?院長が俺も一緒に行けっつーんだから」

 ロンは白衣の姿でバーバリの隣を歩く。


 一見してみれば、おじさん医師と若い美女ナースで、その関係は絶対訳アリであると勘違いされそうな二人であったが、局の中では全く違っていた。

ここでは、年中無休で仮想大会の環境であった。

すれ違う誰もがドラマの撮影と思い、全くの奇異な視線が感じられないことに、逆に二人は戸惑う程だった。


「・・さすが・・・非日常を日常に発信させる現場なだけあるわね」

 バーバリは自分が対峙している環境を目の当たりにし、思った言葉を隠しきれない。


「この際、俺ら付き合ってることにしてもいいんじゃねぇの?」

「ふざけないで!パパに言うわよ!」

 ロンの冗談にも本気を感じてしまうバーバリであった。


 ロンを同行させたのは、彼女の本当は誠実すぎる性格を見据えた院長の計らいであったことを、ロンは理解していた。


 二人は番組収録を待ったラッセンが控える楽屋に出向く。

スケジュールに無いアポなし訪問に、ラッセンは苛立ちを募らせる。


「何だよ急に?リョースケの病気のことか?俺だって心配してるよ、でも今日は大事な収録日なんだ。俺がさらなる勝利を手に入れるための、大切な日なんだよ。ね?わかってよ?」


 不機嫌さを隠そうとしないラッセンの態度に、バーバリはいきり立つ。

「ちょっとアンタ!子供が死にかけてるのよ!フツー真っ先に病院へっていうのが大人の流れじゃない!隠し子だかなんだか知んないけど、大切な命が頑張ってるの、応援しないわけ!?」


 感情に任せ相手へと詰め寄るバーバリを、ロンは大人の対応で制止する。

「いや~すみません、ラッセンさん。何せお母様からの強いご要望でありまして、リョースケちゃんは重い病と闘っています。ここはどうか、お父様である貴方様からも、エールをと思いまして」


「は?何で俺のエールが必要なん?病気を治すのがお前らの仕事だろ?何、人任せにしてるの?」


 ラッセンのその言葉に、ロンはブチ切れる。


「てめぇ!いいから病院来いよ!おらぁ~!」


 院長はこういったロンの性格も考慮していたのだろうか?場が瞬く間に混乱する。


 一人、落ち着いた態度を取っていたラッセンは、いきり立つ二人に言う。


「リョースケのことは確かに心配だ。まだ若いのに、ここで終わるなんてもったいない。

でもな、決して俺は冷たいわけじゃない。何でかって言うと、リョースケは本当は俺の子供じゃないからなんだよ」


 ラッセンの衝撃発言に、ロンとバーバリは凍りつく。


「サニーはとんでもない遊び女でね、違う男と何度も寝たって話しだ。だから俺は別れた。そこを急に、リョースケは俺との子供だって言ってきやがった。

そんなん信用できる?俺は仕方なく養育費を払い続けたよ。リョースケともたまにだけど会ったりした。でも正直、自分の子供かどうかわからない子犬に、そこまで愛情は感じられなかったね」


「DNA鑑定は、しなかったの?」

 バーバリは言った。


「あー?やろうって言ったさ!でもアイツがさえねぇんだよ。フツーさせるだろ?疚しい事がなけりゃさぁ。だから俺には自分の勝利を犠牲にしてまで、今から見舞いに行く義理なんて無いってわけ!

わかったらもう帰ってリョースケの治療に専念してくれよ」


「でも・・・あなたは養育費払ってたのよね?やっぱり、可愛かったんじゃないの?リョースケちゃんのことが」

 バーバリは戸惑いを隠せてない様子で言う。


 ラッセンは、少し考えたように見えた。


「仮に、本当に、リョースケが俺の子供だとしたら、きっと、勝つよ。この程度で負けて死ぬようじゃ、それは俺の子供じゃない」

 ラッセンのカリスマ性溢れる口調の言葉に、バーバリは口出しできない。


「いいか、お姫さま?この世は勝ち負けが全てだ。勝負は生まれた瞬間から始まっている。

まずは、多数派を占めるイヌ科かネコ科に生まれること。それも違属での雑種ではなく、キチッとした血統にな。違う科どうしの混雑なんて論外だ。そこで大多数の獣人が脱落する。

不要な雑種属には不妊手術が法律で定められているだろ?どうしようもない者には、殺処分の運命だ。

科属に恵まれても、その後は競争の連続だ。幼獣の頃から受験によって優劣がつけられ、我を張る必要性を覚えさせられる。

学級の時点で勝ち組負け組みが決められ、自分のポジションを維持するために仮想敵としてイジメの対象をつくりあげる。

プライドを固定された獣人は、それを揺ぎ無いものにさせる為にさらなる競争を強いられる。負ければ自分を失う程にな。

自分を維持するために、勝ち進んでいった者が手に入れられるもの、それが栄光だ。

世の獣人は、負けてもいいじゃないだとか、人生は勝ち負けじゃないとか言うが、そんなの負けた大多数への慰めでしかない。

結果が全てだ。敗者には発言する資格なんてない。ただ優しい言葉を待つだけの、オナニー野浪だ。

仮にリョースケが俺の本当の子供だったとしても、リョースケはもう勝負の世界に放り出されているんだ。俺の息子なら、まずは勝ってみせろってんだ!俺がそうしてきたようにな!」


 瞳をギラつかせ、白い歯をむき出しに語るその顔に、ずっと黙っていたロンの鉄拳が飛んできた。


「てめぇ・・・言いたいことは、それだけか・・・・?」

 ワナワナ震えるロンは、抑える感情を振り絞るようにラッセンに言った。




深夜の暗いクラクションが遠くから響き届く病院に、チワワ属のマイリーが駆けつける。


「サニーちゃん!リョースケ君は!」


 たった独り、ひたすらに目の前の現実と向き合い続けたサニーは、女神でも現れたかのような眩しい一声に涙が溢れ出した。


「マイリーちゃん!ううぅ・・・・」


 サニーはマイリーに抱きつき、胸の中で泣きじゃくる。


 マイリーのシャンプーの刺激で爛れた腕は、ずっと孤独な不安と戦っていたサニーを優しく抱きこむ。


「大丈夫よ!リョースケちゃんは強い子だから、きっと助かるわ。一緒に応援してあげましょう」


 心電図の音だけが響く病院で、二人はそのまま勇気を共有し合った。





 ラッセンはロンに殴られた頬部をずっと摩っていた。

彼に手を出したロンと付き添っていたバーバリは、その後すぐに警備員に連行され、所轄の留置所まで送られていった。


 ラッセンは収録スタジオへと入る。


「これから始まる自分の番組の生放送に、これまでの事は全て忘れて集中しよう」


 ラッセンは自分に言い聞かせる。




「ラッセンちゃ~ん!大変だよ!」

 番組プロデューサーが慌てた様子でラッセンの傍へ駆け寄る。


「君に隠し子がいたってこと、さらにその隠し子が今大変な病気に陥ってることが、マスコミにバレたよ!」


「え!?何で!?」

 ラッセンの表情が凍てつく。


バカな!そんなはずは無い!サニーのことも、リョースケのことも、業界内では誰も知らないことなのに・・・


 戸惑うラッセンに、プロデューサーは言う。

「これからの生放送はもう止められない。君がそこで誠意を見せたら、数字もぐんっと上がるんじゃないかな?逆境をチャンスにかえるんだよ!」


 このプロデューサーは視聴率のことしか頭にないことが、ラッセンにはよくわかった。

いつもの営業スマイルを見せることなく、彼は言う。


「俺の事務所は反対しますよ、絶対!そんなの、根拠の無いネットの情報ですよ!俺に子供はいません!もうすぐ本番なんで、邪魔しないでもらえますか?」


 言葉とは逆に、ラッセンの動揺は強くなっていった。

さっきの獣人どもがバラしたのか?・・・いや、いくらなんでも早すぎる。

でもマスコミだって俺を怒らすとどうなるかぐらい解ってるはずだ。

それなのに、何故7・・・?


何か、俺を越える、大きな力の存在を感じる・・・


この収録だけは、絶対成功させなければ!


でも・・・


・・・何だ?この、後ろ髪を引かれるような感覚は!?



・・・



「それはリョースケがあんたの子供だからだ。それ以外の理由はねぇ」


 突然聞こえてきた知らない男の声に、ラッセンの被毛は逆立った。


 ラッセンは振り返る。

照明の当たらない場所でひっそりと収録を待つカメラマンと音声機器の間、目にクマを蓄えたADの傍に、その男はいた。


 数々の獣人がこの都会にはいる。

それらを見てきたラッセンでさえも、その男の存在は驚愕を覚えた。


マジで?・・・あれって、やっぱ・・・人間?



夜の寒い空の下、止まっているような時の中、集中治療室から聞こえてくる心電図の音だけが静かに刻まれていた。


 時の流れを感じさせる色褪せた病院のソファに二人は座る。

気持ちが少し落ちつたサニーは、隣にいてくれるマイリーに言う。


「元気だった?マイリーちゃん。リョースケが産まれた時以来じゃない?」


「そうね、私もずっと忙しかったから。”あの人”はすっかり変わっちゃって・・・」


「懐かしいわね・・・三人で下積みしてた頃・・・・幸せだった」


「このことはラッセンから聞いたの。でも彼は番組収録で来られないって・・・」


「・・・そっか」


 二人は、あの頃から変わらないものを、何か見つけようとしたが、頭に浮かぶ物はなかった。

心電図の音が、寂しく響く。


 マイリーは思い出したように時計を見た。

「確か、これから生放送よ。リョースケちゃんに、見せてあげましょ!」


 マイリーはスマフォのテレビアプリを開いた。


 放送開始前の時報が鳴るところだった。





 本番数秒前。


 そこでは、まるで時間は静止していた。


 それはラッセンの体感時間がそれだけ長く感じたものなのかは分からない。


 ただその数秒間のうちに、確かにその白衣を着た人間の男は現れ、ラッセンに話した。


「リョースケは間違いなくあんたの子供だ。あんたもトリマーなら分かるだろ?

カットを行うに当たって決められるテリア種のイマジナリーラインは、親子で似るってこと。

あんたのややアブノーマルなそれは、リョースケにも特徴づいている。間違いなく、親子でなければ有り得ない。」


 ラッセンは声を発せられない。

自らの栄光を勝ち取ることに邁進し続けていたことによって、そんな簡単なことすら見えていなかった。


 固まり動けないラッセンの脳裏に、リョースケが産まれた時のことが蘇る。


赤ん坊のリョースケを抱いて笑うサニーを。

もらい泣きして喜ぶマイリーを。


 時計はそこからさらに逆回りをする。


三人で修行した下積み時代を。

マイリーに負けまいと必死になる自分を。

サニーとの出会いを。


トリマーになりたいという、イメージを描いたばかりの自分を。


・・・あの日々、楽しかったなぁ。


何に勝っても、あの日々は手に入らなかった。


 ラッセンは眼が熱くなる。


 あれから自分の夢への想定線は狂ってしまっていたことに、サニーとリョースケへの愛おしさとマイリーへの感謝が湧いてきて止まらなくなっていた。


「因みにあんたの子供のことをジャーナリストに言ったのは俺だ。守秘義務のある情報も、場合によっては開示しなきゃな。これから生放送だろ?皆、観てるぜ」


 ラッセンは圧縮された時間の中、辛うじて声を出す。


「リョースケは、助かりますか・・・?」


「あんた次第だ」



・・・



「本番5秒前でーす!3、2、1・・・・」

 ADがキューのサインを出した。


 時間は急に動き出していた。

白衣の男は消えていた。





 病院ではマイリーがスマフォを昏睡状態のリョースケに近づける。

音は聞こえているだろうか?心電図の波形が興奮を捉えたかのように踊った。


 スマフォの画面が番組のタイトルコールを行う。



   ”ラッセン・テリアの栄光のイマジナリーライン”



 ステージの上、画面の中央に映るラッセンが話し出す。


「えー・・・今回・・・初回生放送って・・ことで、番組を・・・お・・お送りさせていただきます」


 ラッセンは緊張していた。

これまでその確固とした自信から、決してそんなことはなく、客観的にも異様な雰囲気が感じられた。


「・・・ですがその前に・・・・


・・・・


・・・・その・・・前に・・・・」


 スタジオがその異変に気付く。

MCの異常に、プロデューサーの顔が、青ざめていった。


 ラッセンは涙ぐみ、鼻をすすり出す。

しばらくうつむいて、再びカメラに目を戻す。


「リョースケが・・・俺の子供が・・・・病気なんです。・・・・行かせてください」


 ラッセンは、カメラから消えた。


 番組が始まった数分間。事態を飲み込めた者は誰もいなかった。


 ただ一人の仔犬だけは。


 病室で呆然とするサニーとマイリーの隣でリョースケが寝言を発した。


「パパ、おかえり」


 心電図の心拍音が早くなり、目覚めの兆候を示していた。




Case7 End




 この後、前代未聞の放送事故に、大混乱が起きたことは言うまでもない。

事の一部始終が、連日トップニュースで報じられた。


 あの放送前の数秒間で、彼に何が起きたのかは、誰もが説明できなかった。

そして、もっとも不可解なのは、院長がなぜあの時スタジオに居たのか?であった。

重篤患者がいるのに、院長が病院を離れるわけがないと、ロンもバーバリも感じていた。


 院長はあの時ずっと病院にいたという話も出ている。

では、あの時スタジオに現れた白衣の男は誰だったのか?


 真相の気になる謎に頭を巡らせながら、二人は留置場の中で過ごしていた。


「ねぇ・・・」バーバリが言う。

「俺たち・・・」ロンも恐る恐る反応する。


 そして、二人は同時に叫ぶ。


「忘れられてる!!」

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