Case 4 歪んだ王国
1
「あたしの女子力は、53万です!!!!」
・・・・。
誰もあたしの声なんか聞いてやしない。
あたしの行くところは、常に檻の中だ。
バーバリは、僅かに膨らみ始めた胸を触りながら、女性へと変わる自分の体の違和感に戸惑う。
日に日に成長していく体も、自分の思いとは外の現象に思われた。
このままでは私は、ずっと生かされたままの機械だ!
早くこんな処抜け出して、わたし自身の道を見つけるんだ!
街へ出れば、きっと運命を感じられる人に・・・・
”プリンセス・バーバリ”
ネコ科ヒョウ属のライオン族の長女、14歳。
あどけなさのある無垢な顔つきとは真逆に、光沢ある被毛は大人の女性を思わせる艶色な雰囲気を醸し出している。
王位継承者第一位のプリンセスであった。
「赤い・・・糸?」
ココは、微かな意識の中でそれを見つめていた。
手足は後ろ手に拘束されている。
豊かな乳房を囲んだ麻縄が上半身を締め付ける。
大腿と脚は、座らされた椅子に括り付けられている。
叫ぼうにも、声は出なかった。
声帯を、切り取られていた。
この糸・・・何処へ繋がってるの?
ココの頸静脈から点滴ラインが伸びる。
彼女への輸液ではなく、彼女から血液を吸い取っていた。
”ココ”
ネコ科雑種族の少女、16歳。
記憶があるときから、ここに縛られている。
かつてどうしていたかなんて、思い出せなかった。
ただ、この部屋・・・
差し込む光が、氷付いたかのように動かない、静かな牢獄で・・・
毎日、誰かの玩具となって・・・
ココは、それ以上考えることを止めていた。
「・・・また、この夢かよ・・・」
ジョニーは寝起きの眼を指で押さえつけた。
ここ最近、よく見る夢。
夢は潜在意識が脳に喚起・比喩されて起こるものだと知っているし、目覚めればすぐに忘れるものであるはずだ。
しかし、この夢だけは、全くの思い出しも無いし、常に頭の中に残り続けている。
俺が、なんか女になってて、地下牢に閉じ込められていて、あれやこれやされて・・・
・・・。
ジョニーは自分の鼠蹊部が熱く硬直していることに気づいた。
「ま、起きればそんな悪くない夢かもね。夢の中で俺、結構いい女だったし」
ジョニーは布団から出て、洗面所へと向かった。
”ジョニー”
ネコ科ロシアンブルー属の青年、24歳。
灰色の短髪の被毛が、身軽そうな細い体を覆う。
現在、雑誌編集者に努める記者だった。
現在、追っている、ネコ科美少女の誘拐事件に、日夜心血を注いでいた。
自分が好きで選んだ仕事に、この忙しさは全くの苦ではなかった。
また新たにネットに流された動画。
拘束されたネコ科美少女から、血を抜く映像・・・
明らかに異常者の犯行だった。
何時撮られたのかはわからないが、この事件、細かな真相も隠されることなく世に伝えなければならない。
根拠は無いが、そんな使命をジョニーは感じ取っていた。
ネット世界では、秒単位で、世界中の個人達が、いざ我が個性を世の中に!と動画を送り出していた。
「院長!見てくださいよ~、この動画、面白いっすよ!何とも言えないリズムネタで、出てる女、あのAVの女優じゃないっすかね~?」
ロンが顎を手につきながら、パソコンを見てしゃべり出している。
「あ、そう。何か病気持ってね?あるんなら、連絡取ってウチに受診させろよ」
院長は、全く聞こえてないかのような反応を見せる。
ロンが、溜息を隠して言い出す。
「今日は暇っすね~。何か肺水腫とか、交通事故とか、熱くなれる緊急の患者みたいなの来ないっすかね?もう予防接種とか飽きましたよ~」
「罰当たりなこと言うなよ。俺たちはあくまで、ただの町医者だ。獣人の健康が第一だ。」
「そういえば、今度の免疫介在性溶血貧血の患者へ提供する血液、用意できたんですか?」
自己免疫による疾患で、赤血球が破壊されてしまうことで重篤な貧血に陥る病であった。
緊急の対症療法として、早急な献血療法が求められていた。
「宮殿のライオン族の娘が、あんな疾患になっちゃって、いきなり俺らに頼ってくるなんて、こっちとしてもどうしようもないっすもんね~。マジ、近親相姦のやりすぎっすよ!いい獣人作るっつったって、長生きできないんじゃねぇ~」
ロンはパソコンの画面をぼんやり見ながらつぶやく。
院長は、何も答えず、手に持った注射筒を見つめていた。
2
男は、カメラの動作を入念に確認していた。
暗いコンクリートに囲まれた部屋は、古風な牢獄を使いまわしたものであろうか?
記憶にある時から、ここに鎖で繋がれていたココには、知る術はなかった。
「じゃあ、はじめようか・・・」
男は不気味な唇を動かした。
両手を後ろ手に縛られ、両足首を鎖で引き上げられ左右に広げられていたココの陰部が顕になっている。
彼女はもはや恥じらう気力すらも見せられないほど、虚ろであった。
「そんな顔してちゃあ、ファンが泣いちゃうよ~。もっと、いやぁ~んって顔してくれなきゃ~。最初の気持ちをおもいだして、ほら~」
ココは答えない。
この後、男が癇癪を起すことは分かっていた。
「あ~、そうかい。じゃあ、血を抜かれ続ける方が君の趣味なんだね。この真正ドМ猫が!望みどうりのプレイしてやるよ!」
男はココに繋がった静脈ラインのシリンジポンプを引き上げる。
ココの血管から血液が吸い寄せられ、貯留瓶へと流れ込む。
ココは終始、口を開かなかった。
「最初の頃は、悲鳴をあげて可愛く泣いていたのに・・・死んじゃっても、いいの?」
男の顔の方が、涙で壊れていた。
ジョニーは夕暮れ町の街道を自転車で快走していた。
立ち寄ったコンビニで安売りの缶チューハイを飲み干し、ほろ酔い気分で危険な酒酔い運転に身を任せていた。
イヤホンからは、好きな音楽が流れ込んでくる。
今人気の、恋愛映画に挿入されたポップソングだ。
青春時代に憧れだったロマンスを、経験せずに終わった自分に見事に見せてくれた胸の締め付けに、ほろ酔い気分の滑走がとても心地良くさせてくれていた。
誘拐された、美少女・・・か。
俺に、そんなお姫様を助けられる力があったらな~。
リアルは全然ちゃいますよ。
好きな子にも好きと言えず、いざ好きと言っても迷惑がられて後は気まずくなる。
恋愛の方程式は、解けないからこそ魅了される・・・
「俺って、詩人になれるかな?」
ジョニーは独り笑い出した。
酒酔いの自転車青年の独り言を、聴ける者はだれもいなかったことに、彼も気づいていた。
「院長、お姫様が来たっすよ」
ロンがあまり関係なさそうな感じで院長室に入る。
「噂に聞く、じゃじゃ馬娘ですよ。最悪、俺がシメときましょうか?」
「いや、マジ、お前手を出すな」
院長は、静かにロンを制止させる素振りを見せ、患者のもとへ歩いて行った。
バーバリは、至って健康な自分に対し、周囲の気遣いに異常な羞恥心を感じていた。
いつもこうやって甘やかせられている。
常に誰かに守られなければ生きられない自分に対する嫌悪感は、彼女の大きなコンプレックスとなって周囲に発散させられていた。
「何であたしが病院なんていかなきゃならないの!あたしは元気じゃない!あんたらの思いすぎよ!みんな、パパの言いなりが・・・」
彼女を乗せた車は、ゆっくり病院の前へとタイヤを止めた。
3
バーバリはパット型パソコンで無料動画サイトを閲覧していた。
無数に存在する投稿動画の中には、有名人である彼女をネタにしたものも多く存在している。
「プリンセス・バーバリ、超セクシーコラージュwwww」
「バーバリ姫の無料エロ動画スレ」
「アイドルからスポーツ選手まで、美少女プリンセスのヤバすぎる男遍歴特集!」
・・・etc
匿名性を持った集団による誹謗中傷に関しては、何も気にしなかった。暇な変態獣人の勝手な評価は生まれた時からだった。
しかし、外から常に見られているのに、中からはどうすることもできないガラスの牢獄に縛り付けられている感じが、彼女の自尊心に響いていた。
「消えたネコ科美少女か?新たな牢獄での”処刑”動画公開!(*十八歳未満閲覧禁止)」
そのタグをクリックしようとした時、すぐ近くでバーバリを呼ぶ声がした。
「おい、姫さん。何回呼べば気が付くんだ。あんたの輸血治療を任されたこの病院の院長だ。院内でネットはやめてもらおうか?」
白衣を着た強面の男がまじかまで迫っていた。
父親以外の男に、こんな近くまで来られたのは初めてだった。思わぬ非日常的状況に叫びとも言えないような変な声が漏れ出る。
「ひ・・・あ・・・あの~、じゃあ、あなたが先生・・・ですのね?」
バーバリは、自然に敬語を選択して話し出した。
宮殿内の側近たちなら、間違いなくそんなことはしない。
命令口調で言いたいことは言いたいときにはっきりぶつけてやっていた。
それが外で評判となり、横暴との印象が根付いてしまったわけであるが、今の彼女はあたかも初めて他人と言葉を話すかのようであった。
「あんた、自分の病気のことは聞いてるな?先天性の異常だ。恨むなら生んだ先祖を恨むんだな」
院長は凍りきった視線を向けて淡々と話す。
その話の内容よりも、バーバリは何とかして目の前の担当医への挨拶を声に出そうとする。
・・・しかし、声が出ない。
出ないというより、挨拶の言葉が分からなくなっていた。
あれ?こういう時、何て言うんだっけ?
いつも側近たちが勝手に挨拶してきたから・・・彼らはあたしに何て言ってたっけ・・・?
あたしはいつも彼らに何て言ってたっけ・・・?
今、バーバリは、内側で思っていた自分と、初めて知る外での自分とのギャップを感じざるを得なかった。
「おい、聞いてんのか?姫さん」
院長の威圧的な声に、バーバリの口が反射的に動き出す。
「あ・・・おは・・・おはようございます・・・でございます。何卒本日はよろしく麗しゅう存じ願い申し上げます。」
「は?あんた他人と会話したことある?友達とかいねぇだろ?よく取り上げられる芸能人との熱愛とか、やっぱ全部ウソなんだな」
全く持って本当のことをあっさり言い放たれたバーバリの顔が一気に赤くなる。
あれだけの恥ずかしく弄られた動画を流され見せられても、全く何とも思わなかったのに・・・
「また声を掛ける。それまでによく自分を認識しておけ。その病気を甘く見るな」
院長はその場を後にした。
バーバリは突然、むかし読んだことのあるおとぎ話を思い出してしまった。
王国に囚われていたお姫様は、初めて外に出て、初めて水面に移る自分の姿を見て、その醜さに愕然としてしまうお話・・・
その王国に置かれていたのは、歪んだ鏡ばかりだったという・・・
病室に一人になったバーバリは心の中で叫ぶ。
いいえ!あたしは囚われのプリンセスよ!
悲劇のヒロインなんだから!
あんな無礼で下賤な人間属の態度をいちいち気になんかするなんて馬鹿げてる!
今はまだ飛び立つ時期じゃないってことね。早く病気直して、自由に向かってがんばるのだ~!
バーバリは再びパッドを手に取り、ネットを続けた。
サイト上では、誘拐ネコ科美少女の動画が自分のコラージュ動画の再生数を追い上げようとしていた。
4
動画が再生される。
若い妖艶な被毛で覆われた美しい体躯を、拘束縄が締め付ける。
発達した乳房と対照的な桃色の乳頭を、男の獣人の指が弄りだす。
女の子は微かに顔を歪め声を漏らすが、その声はほとんど発せられていなかった。
やめて・・・(やめろ!)
助けて・・・(誰かいないか!)
ここはどこ・・・(そこはどこなんだ!)
・・・(必ず見つけるから!)
・・・(君は誰なんだ!)
私は・・・・・・
ジョニーは編集部のデスクでその動画を見ていた。
運営側に速攻削除されるだろうから、速やかにデータをコピーして保存した。
拘束されたネコ科の女の子は、手も足も出せない状態で凌辱された挙句、最後は頸静脈に繋がれた点滴ラインから血液を抜かれ失神する。
動画は既に様々な凌辱パターンがアップされており、そのシリーズをコピーしたデータは裏のサイトで高値で売買されているほどだった。
投稿が新しくなるにつれて、女の子の表情は疲弊を増し、虚ろ気となっていく。
女の子が何者なのかはわからない。
メディアからは、誘拐された少女説、М系AV女優の自演説などが取りざたされているが、動画の投稿元も特定できず、事件性の確証が無いことから警察等の介入はまだされていなかった。
ただ、ジョニーには、この動画の中に囚われている少女のことが、何故か四六時中、頭から離れてくれなかった。
それは映像のショッキングさが焼き付けられているからではなく、もっと別な感情から来ていた。
俺は、このコを知っている・・・?
ずっと昔に、間違いなく俺は、このコと出会っている・・・?
ジョニーは動画を何度もリプレイさせた。
時にはスローや逆再生を行い、映像からすこしでものヒントを得ようとした。
「おい、ちょっといいか、変態」
突然後ろから声がかかる。ジョニーは慌ててパソコンの画面を閉じた。
直属の上司である編集長が立っていた。
「仕事中にそんなエロ動画見やがってが!」
「す、すみません・・・」
ネコ科ノルウェイジャン属の凄みの奇抜なヘアーも然ることながら、昔ながらの叩き上げジャーナリストとしての年輪を感じさせる渋みのある顔つきに、ジョニーは萎縮した。
いつもなら、そのまま謝罪して終わらせている場面であった。
「・・・・ですが、いいですか?」
ジョニーは編集長の目を見つめ上げ、これは真剣な話であるということを意思表示した。
思わぬ口ごたえに編集長が方眉を吊り上げる。
「この動画を、追いたいんです。必ず投稿者を突きとめて見せます」
「あほか?そんなもんどうやって突きとめるって言うんだ?それにお前にはプリンセスのネタを追わせていたはずだ、それは進んでいるのか?」
「あ~、バーバリ姫の情報もきちんと追っていますよ~。”IMHA”って噂はかなり信憑性高いと思います。宮殿は隠していますか、実は極秘ルートでお姫様が今どの病院にいるのかが掴めそうなんですよ」
こういう時のための切り札であった。
案の定、編集長の顔がいっきに明るくなる。
「まじか!そんな凄いことになっているなら尚更そのネタ追えよ!動画はその後好きに追っていいから!よくやったジョニー、頼りにしてるぜ~」
単純なところも、昔ながらの記者だからであろうか?ジョニーは苦笑いしたが、何だかんだでこの上司のことは嫌いではなかった。
「それじゃあ約束ですよ。早速、プリンセスの方を進めましょう!」
右手でガッツポーズを見せ、仕事用カバンを持ち、颯爽と記者としての現場へ向かった。
しかしジョニーの頭の中では、例の動画がリピートされ、停止することはなかった。
誰か・・・(俺が助けてやる!待ってろ!)
5
IMHA
免疫介在性溶血貧血
免疫が関与する赤血球の破壊亢進が貧血を 引き起こす疾患である。
羅患した者は自分の赤血球の維持ができなくなり、やがて全身が酸欠状態になる。
プリンセス・バーバリはこの病気だ。
貧血の自覚症状はまだ現れていないようだが、彼女のヘマトクリット値は既に20%を切った。
これが一桁代になる前に輸血をしなければ、もう治療は間に合わなくなる。
王国を束ねるライオン族の一人娘の生命の危機は、国の極秘事項として公には伏せられていたが、ネットの強大な情報力の前には僅かな時間稼ぎにしかなっていなかった。
黒のスーツを着た宮殿所属の高官獣人が、白衣の院長に詰め寄る。
「姫様の輸血は絶対成功するんだな?姫様の血液型はネコ科では特殊なAB型だ。一般の獣人にはまずいない、王族の高貴な血統だ。病気が根治するまでの血液、本当に用意できるのか?」
マンチカン属の座ったような目つきが院長を睨む。
横で見ていたロンは、その態度にいつ掴み上がってやろうかと身構えている。
高官が話終えるのを待って、院長が話し始める。
「なら、姫さんの親類からもらえねぇーの?」
「王族に血を流さすわけないだろ!少ないなら、その少ない猫たちに犠牲になってもらえ!王族の血液となって生きられるんだ。名誉なことだろう!」
ロンが利き腕の袖をめくり始めた。
「姫様を助けられなかったら、お前らの明日はないぞ!命がけでAB型の血液をあつめろ!そこらの雑種猫の一人や二人、潰してかまわん!」
「てめぇ!もう我慢なんねぇ!ならお前を潰してその血を使ってやるよ!」ロンがついに高官に詰め寄った。
「やるならやればいい。私はB型だ。副作用で姫様を死なせて、あんた等も死刑だ!」
高官も必死なのだろう、徐々に目が血走りはじめた。
ロンと今にも殴り合いに発展しそうになった。
「血なら、ある」院長は言った。
ココは裸の状態で暗い石の床に転がされていた。
首には輪が、両手足は枷で固定されており、それぞれが鎖で壁や天井に繋がれ固定されていた。
静脈へは、点滴が送られていた。
これまで抜かれた血漿分の脱水を補正する輸液であった。
扉から男が入ってくる。
ココの横に寝そべり、その体躯を愛撫する。
声帯を切り取られた喉からは、呻き声ともとれる声しか出ない。
散々に弄ばれた恥部にはもう感覚がなくなっていたが、男は飽きずに弄る。
自分が気持ちよければ、それでよかったのだった。
「次は、どんな動画を造ろうか?」
ココを愛撫しながら耳元にささやく。
当然、ココは虚ろのまま、何も答えられない。
この後コイツは癇癪を起し、わたしは血を抜かれる・・・
・・・早く、殺して・・・・
・・・(そいつを?)
・・・(わたしを)
ジョニーはカプセルホテルで目を覚ます。
日夜問わずの情報集めに奔走していくにつれて、この夢を見る頻度も多くなってきた。
これが例の動画の見過ぎのせいであるなら、説明は楽だ。
しかし、夢の中でジョニーはココだった。
ココの今の状態が、自分のことのように解る夢。
間違いなく、俺が夢の中でなっているココは、あの動画の女の子だ。
早くしないと、彼女が殺されてしまう!
でも、君は何処にいるんだ!
ジョニーは時計代わりにしている携帯を見る。
時刻はまだ深夜だったが、もはや眠れる状態でないと悟り、ホテルを後にした。
編集長からプリンセス・バーバリの新情報を催促するメールが何通も来ていたが、途中まで読んで全件削除した。
取りあえず例の病院に行ってみるか・・・
そして、自転車に乗り、橙色の街灯が照らす無人の道路を快走していった。
6
「私の女子力は・・・」
バーバリは自分独りの入院室で、独り劇場をしていた。
生まれた時からの箱入り王女にとって、側近以外の獣人は全くの意識の外の存在だった。
彼女を囲っているアイデンティティーの壁は、宮殿であり、王国である・・・はずだった。
「今、その壁の外にいる。
あたしの中に、あの人間の男が入り込んできた・・・
未知の巨人が、壁を壊して中の王国を襲う物語なら知ってるけど、まさにその状況なら攻撃を見せなきゃ!
あたしは王女で、王国の中の存在よ!巨人を駆逐しなくちゃ!」
バーバリは、次にパソコンで最近話題の恋愛映画の海賊版を閲覧する。
「はぁ~、素敵ね~」
将来出会えると期待する自分の恋の物語と照らし合わせて、胸のトキメキに酔った。
「そういうのは攻撃じゃなくって、籠城っつーんだよ」
院長が部屋の中にいた。
バーバリは驚きでパッド型パソコンを後ろに放り投げてしまった。
パソコンが壁にぶち当たり床へと落ちる。
「姫さん、あんた独りだと頭の中で思ってることがみんな口に出るんだな」
胸キュンの映画で仄かに赤らんでたバーバリの顔が、完全に赤くなる。
さっきと同じく、バーバリの頭がテンパる。
「え・・・え~と、おはよう麗しゅうですね・・・せ・・先生」
「あんまし興奮すんなよ、免疫系に響くぞ。俺が直々に回診だ。一応あんたはVIP患者なんでね」
そういって院長はバーバリの頭部を抑え、可視粘膜を観察する。
知らない男性に顔を掴まれるのも、唇や眼瞼をめくられるのも、瞳の奥を覗きこまれるのも、当然初めての体験であった。
バーバリの鼓動が急激に高鳴りだす。
成長期の体が自然に反応し、女性としての特徴とされる部分が過敏となる。
「オキシトシンを亢進させるな、って言っても無理か」
バーバリは何のことかわからない。
院長の触診は全身を巡り、終わったころにはバーバリの顔は恍惚に支配されていた。
院長は全く表情を変えることなく、所見をカルテに記入した。
「姫さん用の血を用意しといた。後で輸血をする。それまで余計な興奮されちゃ困るんだよ。パソコンは預かっておく」
院長は床に落ちたパソコンを拾い上げる。
バーバリは自分の赤らめた頬の温度を手で確認し、頭の中のことをしゃべり出さずにはいられなかった。
「こんなの、初めてよ。パパにだってこんなに触られたことないわ。何?この感覚?」
「触診しただけじゃねぇか。俺の仕事だ」
「先生、あたし、治ります?」
「きちんと治療を受ける態度ならな。治療ってのは患者と獣医のコミュニケーションが重要なんでね」
「あたし、もっと生きたいです」
「なら、俺を信じろ。ちゃんと自然にしゃべれるじゃん、プリンセス?」
「え・・・?」
バーバリはさっきまでの緊張が無くなっていることを自覚した。
はにかみの気持ちは彼女に自然な照れ笑いを作らせる。
「じゃあ、処置室で」
院長が出ていった後も、頬の赤らみと胸の鼓動はしばらく収まらなかった。
その時間は、とても心地よい悦びを感じ取らせてくれていた。
初めて、本気で生きていきたいと思わせてくれる程の気持ちだった。
7
しょうも無い夢だったな。
きっとしょうも無い一生だったと思いながら、自分は死んでいくのだろう。
男は暗い牢獄のような部屋で独り呟いた。
右手には殆ど燃えるところの残っていない煙草を指に挟んでいる。
傍には麻縄で全身を緊縛されたココが横たわる。
口は猿轡で塞がれ、やはり目は虚ろだ。
男は煙草を最後の一吸いをし、ゆっくり携帯を掛けた。
「あ、どうもです。自分はもう十分満足させていただきましたんで、あとはご自由にお使いください。それじゃ・・・」
男は携帯を切ると、そのまま拳銃を持ち替え、自らの頭を撃ちぬいた。
全ては動画となって流れていた。
ジョニーはその動画を病院の待合室で閲覧していた。
犯人は死んだのか?
ココはこの後どうなった?
まだ他の仲間が?
くそ!なのに何で俺はこんなところで自分の事を・・・
「おい、あんちゃん!ここはネットカフェじゃねぇ!エロ動画なら実家で観な!」
ロンが睨みを効かせてジョニーを恫喝した。
「エロ動画じゃないですよ先生!今、話題のサイコパス犯罪ですよ!犯人はこのココって女性を凌辱し、血を抜き、その映像をネットに流してるんです!エロ動画なんかじゃないんです!」
ジョニーの言葉の意味は、ロンには理解できなかった。
ロンにとって、彼が閲覧していた動画は、どう見てもエロ動画であったからだ。
「俺はココを助けるんだ!」
「へ~、その女の子、ココって言うんだ~、よく知ってんな、お前」
「俺には解る、ココと俺は繋がってる!夢のなかで!」
「あ~そうかい、がんばれよ」
「だからここに入院してるお姫様の情報だけ早く取材させてくれ!」
「何?お姫様?」
ロンの表情が変わる。
やはりこの病院にプリンセスはいる!
よし、この調子で早くこの仕事を終わらせ・・・・
ジョニーは急に眩暈を感じた数秒後に、意識を失った。
倒れたジョニーを足元にロンが携帯を掛ける。
「院長、血が来ました」
ジョニーは暗闇の中、椅子に縛られていた。
腕の血管からは血液を抜き取るチューブがつけられていた。
そしてそのチューブは、ジョニーと対面の位置で同じく椅子に縛られていたココの腕の血管へと繋がっていた。
ジョニーはココと目を合わす。
虚ろだったココの瞳に生気が宿る。
お互い、ようやく会えたことを感じ取る。
「やぁ、ははは」
ジョニーが笑顔をみせる。
ココもゆっくり笑みを浮かべて話し出す。
「赤い糸・・・君に繋がってたのね?」
「やっぱり君も、俺のこと解るんだ」
「夢でわたしのことを思っててくれた」
「ああ、俺は夢で君だった。だから君のことは自分のように解るんだ。ごめんよ、助けてあげられなくって・・・」
「ううん、いいの。君がわたしの事を生かしてくれた。だからもう十分よ。どうか、君は生きて・・・」
「え・・・・!?」
ジョニーは眼を覚ます。
病院の入院室のベットにいた。
横には仁王立ち姿で白衣を着た強面の・・・
「いよぅ、ご協力、感謝するぜ」
・・・人間、がいた。
8
ジョニーは頬が自分の涙で濡れているのを感じた。
この男は、一体俺に何をした!?
ココは無事なのか?
さっきのもやっぱり夢だったのか?
「夢じゃねぇーよ」
まるで自分の心の声が聞こえてたかのような院長の答えに、ジョニーは言葉が出なかった。
「あんたの血は、猫科では特殊なAB型だ。その血が姫さんを助けるのにどうしても必要だったんでな。あんたから少し”返してもらった”よ」
「返してもらった・・・?」
ジョニーの混乱した頭では、とても院長の言葉の意味が理解できなかった。
「俺は椅子に縛られて血を抜かれたんだ。そして目の前にはココがいた。もしかして、お前が犯人か!?」
「おいおい、俺はあんたの好きなエロ動画の監督じゃねぇーよ、俺はあんたにかつて入れたAB型の血液を分けてもらったって言ったんだ」
ジョニーはさらに混乱した。
この獣医は、俺から血を抜いたみたいだが、俺がAB型ってどういうことだ?
たしか、プリンセス・バーバリもAB型で・・・
「急を要するんでな。姫さんは自分の血液を維持できない体だ。だから一先ず対症療法として輸血を行う必要があった。
だけどAB型は貴重でね。俺も昔、交通事故にあったあんたに輸血したもんで使い切っちまったのよ。
あんたの上司の編集長とコネがあってね、うちの病院まで誘導させてもらったよ。
記者のあんたに直に頼むと色々不安だったんでね。なにせ極秘の症例だから」
院長の話を、ジョニーは最後まで聞ける余裕はなかった。
ジョニーは過去を思い出す。
数年前のこと・・・
・・・酒に酔っぱらったまま自転車で爆走していた自分を
・・・腕の血管へと繋がるチューブから、赤い血液を輸血される自分を
そして思い出す・・・
・・・経験せずに終わった淡い青春への憧れを描いた映画を
・・・恋心に似た感情を抱いてしまったAV女優を
俺は・・・
・・・
「院長、やっぱこの動画の女、ココ・キャンベルっていうAV女優っすよ。売名の為の自演動画にしちゃあ、エゲつないプレイっすね~」
ロンがタブレットPCを持って部屋に入ってきた。
「お姫さんのパソコン弄ってたら、履歴がこればっかだったんで、このままじゃロクな大人なんないっすよ、あの娘」
ジョニーは頭を抱えた。
院長は表情を変えることなく真実を伝えた。
「あんたへ輸血した血の出何処は俺も知らねぇ。だが、言っちゃ悪いが、闇のルートから取ってきたもんだ。もしかしたら、マフィアなんかに誘拐された少女からかもな。
だけどもう知る術なんてねぇ、俺はあの時あんたを助けるために手段は選ばなかった。俺の仕事だからな。
その血がもし、ドナーからの記憶を宿しているんだとしたら、その血を入れた姫さんにも影響出るかもな。あの姫さんも、あんたと同じくらい妄想癖あっからよ」
ジョニーの濡れた頬を、今度は本人の涙が濡らす。
院長は続ける。
「姫さんは次期女王様だ。そのうち情勢を変えられる力を持つ。
あのコは賢いよ。自分が見ている鏡は、歪んでいたかもしれないってことに、もう気づき始めた」
ジョニーは泣き崩れる。
仮に妄想だったとしても、彼女を助けたいという気持ちは本当だった・・・
しかし、それすらも、自分の無力の産物だったことに・・・
ジョニーは、昔読んだ、ある詩の一節を思い出していた。
人は、誰しもが自分のフィルターを通してでしか世界を視ることができない。
そのフィルターが歪んでいるかどうかなんて、どうして解ることができよう?
だから
歪んだ王国に、僕たちは住んでいる。
歪んだ鏡を、守っている。
(谷山浩子「王国」より)
Case4 End
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