Case 3 不要獣の墓石
1
都内のケージ(小屋)カフェ。
ケータイのアラームが鳴り、アトムは眼を開ける。
四方を薄い板で囲っただけの半畳程のケージに、固いクッションの上で、四時間は眠れただろうか?とても熟睡したという感覚は無い。体中が浮腫み、節々に重みを感じた。喉もカラカラだった。
ケージを出たアトムは、無料の清涼水を汲みがぶ飲みする。
トイレに入るが、便が思うように出ない。不規則な食事に、盲腸が弱ってきていることが実感された。
他にも同じケージが無数にあるが、誰が何をしているのか、全く知らない。
大きなイビキが響いてくる場所のあれば、ポルノビデオの音量が微かに漏れ出ている場所もある。
誰も気にしてないのではなく、気にしようとしていなかった。
獣人社会は今、未曾有の不景気であった。
真面な雇用が得られず、派遣社員や日雇労働で何とか日銭を稼ぎ、ここのような簡易のケージ式ホテルで寝泊まりしている獣人が増えてきていた。
アトム・カニンヘンは、ウサギ科ミニウサギ属の青年である。
ウサギ科というだけで、食肉系の獣人たちからも低身分の扱いをされ、その中でもミニウサギ属は侮蔑を込めて雑種ウサギと呼ばれている。
そのせいで、父親は若くしてストレス死し、母親は誰とも知らないライオンヘッドの男のところへと出かけたきり帰って来なかった。
まだ外は暗い時刻だが、伝票に記された退出時刻が迫っていたので、アトムは清算を済ませ、そこを後にした。
昼間は多くの会社員で埋め尽くされるオフィス街も、まだ深夜とも言えるその時間は静けさが広がっている。
夜風が冷え込む街道。アトムは、生活用品全てが入ったリュックサックを背に歩みを続けている。
見上げれば高層ビルが立ち並び、まるで無数の巨人達に裁かれているような感覚に陥った。
「ヤバいよ・・・このままじゃ・・・・」
アトムはもうすぐ30歳になろうとしている。
住居も無く、定職にも就けないまま20代を終えようとする焦りもあったが、それ以上に、彼は命の危険性に晒されていた。
不要獣殺処分法。
不幸にも生まれてしまった獣人で、将来的にその用途や成長が見込まれない獣人を対象に、一定の齢を迎えた者を保健所に留置し、その後も行く先を得られない者に至っては、法律の下で安楽死とする。
成獣不妊法が施行されて、無制限に増える獣人口はある程度抑制されたが、すでに生まれ落ちた者たちにも、国家の対策が及んでいた。
今の生活も勿論嫌だが・・・
俺は、まだ死にたくない・・・・
アトムは何かに追われているかのように、自然と速足になっていた。
向かう場所はなかった。
2
人々が起き出し、街がいつものように動き出した頃、外れの目立たない小さな公園のベンチでアトムは横になった。
金が無く、帰る家も無い者が過ごす、仕事の無い一日。
歩けば体力は減る。お腹もへり、金も減る。
腰を落とせる場所を見つけては、ひたすらに時間を消費させる。
他人との会話も無い。頭の中はネガティブ一色に固められた過去の記憶が永遠とリピートされる。
この苦行の先に、悟りはあるのだろうか?
アトムは暫くの眠りについた。
「・・・にいさん?にいさん?」
「・・・?」
アトムは誰かの声で目を覚ます。
暫くして、声を掛けられているのは自分であることに気が付く。
ネズミの獣人が立っていた。
「にいさん、この前もここにおったな?あんたぁも仕事無いんけ?」
ネズミ科の男であることは解る。全身被毛のこげ茶色は、自色なのか汚れなのかが分からない程、目の前の男はくたびれた格好だった。
良く見ると、被毛には無数の白髪が混じる。50は超えているだろうか?開いた口から歯が見れたが、数本しか無く、口腔内は色素沈着が激しかった。
アトムは、関わりを持たない方が良いと判断した。
「すみません、すぐ退きます」
「いやいいって、それよりにいさん、ワイの話し相手なってちょーよ」
「いや、これから仕事なんで」
「ほう?どこの何というとこや?ならそこまで一緒に行こうや。ワイもここ何カ月も暇なんや」
最悪だ・・・めんどくさいのに絡まれた。
行く宛てないのはすぐにバレるから、ここは少し付き合うか。
あとで恵みを求められても、俺だってない袖は振れぬ状態だ。残念なおじさんだ。
「おじさんは、何してらっしゃるんですか?」
アトムはなるべく男と目を合わせないように視線を遠くにやって話す。
「石を探してるんだ」
「石?ですか?売れたりするんですか?」
「売らんよ。墓石になるもんを探しとる」
「あはは、そうなんですね」
アトムはおじさんのジョークだと思い相槌のつもりで笑ってみせた。
おじさんの表情は変化は無い。
せっかく頂いた話のフリを絶やさないよう、アトムはさらにツッコミを入れる。
「もう死ぬんですか?」
「死ぬよ」
「まだ頑張りましょうよ。死ぬなんていつでもできるんだし、万策尽きるまで生きていましょうよ」
アトムは自分が言われたいことを口に出すしかなかった。
目の前のおじさんは、十年後の自分である可能性が極めて高く感じられたからだ。
おじさんは、ボキャブラリーが少ないせいか、何か言い表したいことがあるようだが言葉が見つからない様子を見せた。
諦めたのか、ゆっくりとヨレたシャツのポケットから、くしゃくしゃの赤い紙を取り出し、広げてアトムに見せた。
アトムは鼓動が一気に強くなったのを感じた。
さっきの発言への後悔が押し寄せる。
「赤紙・・・初めて見ました」
皺だらけの赤い紙には、不要獣殺処分法の内容と、おじさんの住居(おそらく保健所だろう)、科属、名前らしきものが記載されれいる。
執行予定日は、もう二年前であった。
アトムの気分が暗くなる。
いつ”死刑”を執り行われてもおかしくない目の前のおじさんは、この先の自分である。
このまま行った・・・この先の自分・・・・
その時のアトムには、過去をリピートしている余裕は無くなっていた。
「俺で良かったら話し相手になりますよ」
アトムはおじさんに話しかけた。
おじさんの為ではなかった。
自分の為に、どうしても、この人と話しておきたい気持ちになったのだ。
おじさんはアトムの隣に腰かけた。
久しぶりに、他人と話した。
3
場所は変わり、幻獣屠畜場。
ここは、獣人達の食肉となる肥育幻獣を屠殺解体する施設である。
「ドラゴン、もう1体はいりまーす!」
作業員の一人が大声でジュンコに報告する。
「あいよ!」
全身を魔力の効いた鎖で拘束しているが、死の直観を感じたのか?ドラゴンは眼を見開き必至に束縛から逃れようとしている。
ジュンコはクレーン車に乗り、入荷されたドラゴンの頭上へと移動する。
鎖が解かれたら瞬時に噛み殺される程にまで近づいても、彼女は平然としている。
ジュンコは、ドラゴンの頭部に空気銃を放つ。
一瞬にして意識を失い倒れこんだドラゴンの頸部を慣れた手つきで切り裂く。
ドラゴンの血が滝のように流れ落ち、全身の筋肉が痙攣を起こす。
痙攣が収束したのを見測り、そのまま首を切り落とした。
「よし、オチた!お前ら皮を剥げ!内臓取り出したらアタシんとこ持ってきな!」
遠くに避難していた作業員たちが一斉にドラゴンの処理を開始した。
食肉衛生監査技師の獣医師ジュンコは、次々に運ばれてくる屠畜幻獣の消化管、肝臓、脾臓、膀胱・子宮と、筋肉や頭部までも包丁で捌きながら、食肉に適しているかどうかを素早く見極めていく。
「今日はドラゴン・ロースがうめぇ日だな」
自分の体の500倍はある吊るされたドラゴンの枝肉を見あげて呟く。
エプロンはほぼ血の色で染まり、顔に飛び散る血しぶきも気にしない様子で目の前の”肉の塊”を捌いていく姿は、職人というべきオーラを放ち、他の作業員たちからは尊敬されていると同時に、恐れられてもいた。
一段落終えたジュンコは、施設の外の喫煙所で一服する。
近くでは獣人の作業員たちが、ひっそりと立ち話をする。
「本当にすげぇよな、ジュンコ技師長って。見た目あんなにいいオンナなのに、あの度胸とパワーときたら」
「あの人をモノにできる男なんて、この世にはいねぇだろうなぁ」
「あんま見るなよ。聞かれたら俺たちも肉用にされちまうぜ」
ジュンコのもとに1人の作業員が走ってくる。
イヌ科レトリバー属の男獣人だが、多忙なジュンコのスケジュールを管理するマネージャー的な存在だ。手には、指示されたのだろう、缶コーヒーとソフトクリームが握られている。
「ジュンコ技師長!買ってまいりました!あと、これから予定されている業務に一部変更があります!」
「つーか・・・・おまえさぁ・・・・・」
ジュンコが男を睨み、静かに話し出す。
「アイスはチョコレート味って・・・もう一万回言ったよな?・・・・・何でバニラなの?」
「すみません、売り切れてたもので~~~~ぐわぁ!!!」
ジュンコは男の顔面にソフトクリームを突き刺す。
レトリバーのパシリは半泣きになった。
「ごごごごめんなさい!直ぐに作らせてきます!」
「あ~、もういいよ・・・それより、仕事の変更ってなんだ?」
「はい、明日の保健所での業務です。急遽、殺処分指示が出た不要獣が入りました。何でもこれまで手違いで見過ごされてた獣人みたいで、ジュンコ技師長によろしくお願いしますとの、宮殿高官より伝達を承っておりま~~~~ぐふぇえ!!!」
ジュンコが男の急所を鷲掴みにする。握りつぶされんばかりの握力に、レトリバーから涙と鼻汁が溢れ出る。
「宮殿の獣人ごときが・・アタシに命令すんなって・・・もう十万回言ったよな?・・・・潰していい?」
「いいいいえ、それ、僕じゃないです!それに命令ではなく、お願いします!とのことでありまして!高官の声もかなり震えてましたし!」
「あ~、まじ・・・めんどくせぇ・・・・」
パシリを解放したジュンコは、缶コーヒーを開け、もう一本の煙草に火をつける。
泣きながらその場にうずくまるレトリバーを見て、近くの作業員たちは全員無言のまま、その場から離れた。
4
おじさんは、本当に楽しそうに話していた。
いじめられっ子だった小学生時代。
初恋が悲惨だった中学生時代。
結婚できた社会人時代。
子供を抱いた日、孤独になった日。
会社を辞め、社会に不要となった日。
何でだろう?
さっきまで全くの他人だったこのおじさんの話が、全然、残念な自虐に聞こえないなんて・・・・
アトムはおじさんの話を一言一句聞き漏らさないようにした。
これまで、一体、どれだけの人がこのおじさんの話をスルーしてきたのだろうか?
おじさんは、ただ、聞いてほしかった。
きっと、誰かと話すきっかけを作るために、苦し紛れの自作自演も演じてきたに違いない。
聞いてもらうことでさえ、拒否し続けられた者の気持ちが、何よりもアトムの胸に伝わってきた。
アトムは、おじさんがずっと出られなかった深淵の闇を知っている。
おじさんに比べれば、新米にすぎないが・・・
少なくとも、この闇がどれだけ恐ろしいものかは解る。
行く場所も、帰る場所も、そして居る場所無い、永遠に現在進行形で進みゆく闇・・・
誰かいないか?と叫んでも、声は届かない・・・
おじさんとアトムは、その闇の中で奇跡的に出会うことができたのだった。
おじさんが話疲れて一休みしたタイミングで、アトムは語り掛ける。
「一緒に生きましょうよ!俺も仕事しますし、おじさんも何かするでしょ?力合わせて一緒にこのドツボから脱出しましょう!一人じゃキツくても、二人なら何とかなりそうな気がするんです」
おじさんは、何か困った笑みを浮かべた後、静かに反応した。
「せやな、頑張ってみまひょ、よろしくなぁ、にいさんはエエ獣人やのぉ」
「じゃあこれからはこの公園が俺たちの会議場所にしましょう。何もすることが無いときは、ここに集まって作戦会議です。目標は、俺たちの社会復帰!俺のが若い分有利でしょうけど、おじさんのことはずっと応援していくんで!お互い裏切りや抜け駆けはなしっていうことで!」
アトムは自分でも信じられないくらいに言葉が溢れ出来たのを実感した。
金も無く、夢も無かった自分が求めていたのは、人生を共有できる仲間だった。
アトムに、明日の目的ができた。
仕事をした後、この公園でおじさんと話すのだ。
いつ以来だろうか?
明日のことが、楽しみに思える時間が持てるのは・・・
おじさんは、終始はにかんだ困り顔を崩さなかった。
アトムはそれがおじさんの素の顔だと思っていた。
アトムのケータイにメールが入る。
登録している派遣会社からだった。
「明日仕事が入りました。終わったらまたここに来ますよ」
おじさんが目を細めてにっこり笑う。
「やっぱ若ぇってええのう。ワシじゃあどこも雇ってもらえんてぇ、最後に仕事したのはもう一カ月以上前だわい」
「いやいや、おじさんだって色々経験があるじゃないですか?それを活かせる場所はきっとありますよ!ホームレスの生活も是非ご指導ください。この街で、金を使わず暮らす方法を、俺も学びたいんです」
アトムは開き直れたことによる清々しい気分になれていた。
幼い頃、落ちぶれた獣人のホームレス生活が取り上げられた番組を観て、こうなったら終わりだなと他人事としていた時期は確かにあった。
しかし、ものの見事に、自分がそうなった。
人生なんて、こんなもんなんだな・・・
これまでずっと抵抗してきた”諦め”に気づかせてくれたことに、アトムはおじさんとの出会いを感謝した。
「じゃあ今日は俺も一緒に石を探しますよ」
「にいさん、今日の仕事はええんか?」
「いえ、やっぱり今日は仕事ありませんでした」
「ほいか、ならコンビニの弁当が捨ててある場所や、雑誌集めて金にする方法とかを教えちゃる。あと、タダで体洗える穴場もな。身なりだけはちゃんとせんと、”狩り”にあったりしてしまうからな」
「おじさんがそれ言いますか?まぁ是非よろしくお願いします。じゃあ今日からおじさんは、師匠ってことで」
「よっしゃ、じゃあ早速行ってみようか。まずは朝飯の調達からだ」
2人は街の奥へと歩いて行った。
アトムは昔やったロールプレイングゲームを思い出した。
頼れる仲間と、街という名のダンジョンでの宝探しに、ずっと忘れていたワクワク感に心が躍った。
お互い、決して独りでは作り出せなかった充実した1日を過ごし、いつの間にか辺りは暗くなっていた。
「おじさんは何処で寝てるんですか?あ、保健所暮らしでしたね。なら俺はケージカフェに泊まります。明日は朝から仕事あるんで、終わったらまたここに来ます。今度は野宿ポイント教えてください」
アトムは久々の充実感を胸に、カフェの方向へ歩いて行った。
ケージカフェでは、相変わらず他人との関わりの無い風景が広がっていた。
アトムは、自分が如何に孤立の道を突き進んでいたのかが、ようやく理解できた気がした。
おじさんが話掛けてきてくれなかったら、この先もずっと自分というケージの中で時間を浪費していくところだったな・・・
アトムは、幼獣の時以来の「楽しみな明日」に喜びを噛み締め、眠りについた。
5
翌日。
アトムは派遣社員が集まる場所へと赴く。
自分以外にも何人かの獣人が来ているが、誰も互いに関わろうとしない。
皆同じ年齢くらいだからであろうか?
まだ”諦め”を受け入れられていない者たちの薄っぺらいプライドが、ケージカフェの仕切り板を連想させた。
昨日までとは違う今日の自分に、アトムは心地よい優越感を覚えた。
これもおじさんのおかげだ。
今日もこれが終わったらおじさんのレクチャーだ。ああ、忙しい。
送迎バスが現れ、派遣たちは無言で乗り込む。
辿り着いたのは、街から離れた山里のとある施設だった。
今日の仕事は、そこから出た医療廃棄物の片づけ作業で、そこがどういう場所かなんて、アトムには関心がなかった。
そこは、獣人の殺処分場。
不要獣の死刑場だった。
今朝、そこに、1人のネズミ科の男が連れ込まれていた。
ジュンコは、目の前に座らされたおじさんに話しかける。
「どうだい?・・・・あと数分で・・・死ねる気分は?・・・人生・・楽しかったんかい・・・?」
おじさんは、何も答えずにっこり笑う。
「あ、そう。・・・じゃあ、もう・・・死んでいいよね・・・」
ジュンコはおじさんの静脈留置に、ソムノペンチルを流し込む。
おじさんの意識は眠るように無くなり、そのまま心臓は鼓動を止めた。
アトムは、コンベアーから流れてくる医療廃棄物の選別作業を行っていた。
流れてくるものは、注射筒、針、手袋や点滴の瓶ばかりであったが、たまに実験用幻獣の死骸だろうか?有機物的な肉片が投げられてくることがあった。
今、アトムの前に一つの刻まれた肉片が流れてきた。
これまでのより、大きい・・・
一体、何の実験だ?
アトムは手順通りに、廃棄物と肉片を選り分ける。
廃棄物の一つに、生き物の眼玉があった。
途中でちぎられた視神経が伸びた眼球の角膜が、アトムを見つめていた。
アトムは一瞬たじろいだが、すぐにその目玉を分け、肉骨粉にする為の有機物の廃棄処理箱へと投げ込んだ。
一連の作業の後、日当を貰ったアトムは、昨日の公園のベンチへと歩いて行った。
いや~、今日の仕事は、グロテスクでしたよ~
一緒に働いてる連中も、何か顔が暗くってさ~
こっちが話しかけても、全然こっちに興味もってくれなくって~
今夜は寝床教えてくださいね~
目的達成には、やっぱり金が必要ですから、節約方法を教えてくださいね!
俺、まだまだ疲れてなんかいやしませんから!!
アトムは、おじさんと話していく風景を思い描いた。
今日のこの1日を、共有できるだれかが居る。
それが、彼の気持ちを弾ませてくれていた。
公園へ向かうアトムの足が、自然と早くなる。
時間は、夕方5時半頃。
駅周辺は帰宅ラッシュで煩雑となっているが、その公園は驚くほど静かだった。
「少し、早すぎたかな・・・」
おじさんは、まだ現れなかった。
アトムはおじさんを待っている間に、しばしの仮眠をとった。
「・・・にいさん。にいさん」
「・・・。」
アトムが目を開ける。
・・・ああ~、おじさん来たんだ。
しかし、アトムが寝明けの意識のなかで見た者は、イヌ科土佐属の男だった。
「いよぅ、にいさん。つーかアトム!お前、この前の再診に来なかったと思えば、こんなところで寝ていやがって、その後の体調はどうなんだ?」
ロンは凄みたっぷりに、アトムへ言い放つ。
アトムは、この前の、自分の便の出に違和感を覚えたことで、病院を受診していたことを思い出した。
「プリンペランはちゃんと飲んでるのか?院長がお前を毛球症だって診断したんだ。その後の経過も知らせないで、後で悪化したなんて文句言わせねーからな」
アトムはとっさに言い訳を話す。
「すみません。でも、あなた達の医療費がとても高くて・・・」
「ごちゃごちゃ言ってんじゃねぇ!てめぇが最初に診察お願いしてきたんだろ!途中で投げ出すのは俺たちのやり方じゃねぇ。死ぬのはお前だが、治るまできちっと診るのが、俺たちの役目だ!」
「無茶苦茶です・・・どうせ死ぬ獣人に、金目的の治療ばかりさせても、相手を不幸にさせるばかりじゃないですか!俺のことなんて、ほっといてくださいよ!」
アトムの必死の抵抗だった。
この社会は、弱い者には手を差し伸べると言いながらも、そんな弱い者たちの気持ちなど、全くと言っていいほど他人事である。
俺は弱い者だ。
だからこそ、もう環境を言い訳になんかしない。
強者に喰われるわけにはいかないんだ!
「もう止めとけ、ロン。そいつはもう治療しない」
いきり立つロンの後ろから、院長が現れる。
「お前、確かアトムつったけ?毛球症はウサギ科にとっては危険な病気だ、わかるな?」
アトムは静かに頷く。
ストレス等から放出されるアセチルコリン(ウサギ科では、自殺ホルモンと言われている)によって、胃腸の運動がストップし、栄養吸収・消化不良によって衰弱死する病である。
「俺らは病状を説明し、治療を進めた。でもお前は、それを拒んだ。っつーことでいいな?」
院長の眼が、冷たくアトムを刺す。
アトムは既に、目の前の男や、自分の死でさえも、怖いとは思っていなかった。
これから俺は、自分で生きていく。
おじさんと力を合わせて、このクソッたれの社会でサバイバーとなるんだ!
「話は以上だ。また何かあったら病院に来な。診察料分の相談なら聞いてやる。俺は獣医師だからな」
院長とロンは、街の奥へと消えていった。
アトムは、再びベンチに腰を掛け、おじさんを待った。
街の奥では。数多の獣人達が、各々の人生を胸に路上を渡り歩いている。
少しでも立ち止まれば、すぐに通行人の邪魔となるため、誰もが歩み続けなければならなかった。
歩道の隅の日陰には、疲れたのか、幾人かの獣人が地面に腰掛けて遠くを見つめている。
歩む世間は、彼らに何の興味も示さない。
ロンが院長に言う。
「さっきの若造、大丈夫っすかね?」
「自分がそれでいいなら、いいんじゃねーの?俺らには関係ねぇ。お前も、俺の病院で働くんなら、もっと人間らしくしろよ」
「いいえ、俺はイヌ科で十分っす!うまいもんもすぐ食いますし、いい女もいい女として抱きますっしね~」
「ウサギは寂しいと、死ぬっていうからな」
院長が呟くが、イヌ科のロンにはに聞こえなかった。
2人は、人込みで溢れかえる路上を突き進んで行った。
アトムは、公園のベンチに腰掛ける。
季節の冷えを運んでくる夜風が、肌を震えさせる。
「おじさん、まだかなぁ・・・」
アトムは、明日は同じケージカフェ獣人の誰かに、話しかけてみようと考えていた。
相手が話したくなければそれでいい。ただ、自分が話したいのだ。
仲間を作れば、この過酷な旅もきっと乗り切れる。
そんな気持ちが沸き続けていた。
おじさんが与えてくれた勇気と力を、途切れさせることはない。
アトムは、久々に爽快な夜空を見上げた。
思った以上に、星の数が多かった。
公園の片隅に、小さな石が積んであった。
天辺の石は、都会の静かな空を刺していた。
Case3 End
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