Case 2 夜街の片隅で


 高くそびえるオフィスビルが立ち並び、多様な科属が入り混じった無数の獣人の群れがスクランブルを行きかう世界。


 成獣不妊法が施行されても、獣人達の持つ果てしない欲求が渦巻く。

それでも健全を目指す街の中には、やはり日の当たらない闇社会が存在していた。


 裏風俗である。


 不妊法を免れる特権階級の獣人たちで営む合法の風俗店と比べ、未だ避妊を受けてない法対象の獣人を集めた法外の営業店の方が、実際の市場の中心を占めていた。


 女の子は全て訳アリ嬢の為、運営側からすればリスクは伴うがその分収益率は高く、何よりも”質的”面で圧倒的に合法店のコたちを上回っているという事実があった。


 バックには当然、任侠世界が絡んでおり、警察の末端組織とも密接に金やサービスのやり取りがあり、業界では事実上の公認状態となっていた。


 繁華街からあぶれた狭い路地裏の通り、とある雑居ビルの地下に一つの裏風俗店があった。


 どう見ても場違いな白衣を着た人間の男は、周囲の目線の一切を気にしていない様子で、その店の入り口へと歩いていく。


 ビルの入り口前に立つの若いボーイ(クマ科ツキノワグマ属)が、その男を制止する。

「お客さんですか?なら科属名言ってくれますか?」


 男はボーイをちらっと見たが、そのまま止まらずに入り口に入ろうとする。

「おい、あんた聞いてんのか、コラ?ちょっと待てよ!」

 ボーイが男の肩に掴みかかろうとした時、ビルの中から少し年配のボーイ(クマ科ヒグマ属)が慌てて出てきた。


「おいやめろ!この人に触るな!

 どうも院長、すみません、こいつまだ新人なんですよ、ささ入ってください」


 ヒグマのボーイに連れられて院長は、暗く狭い階段を降り、突き当りの何の装飾もされていない錆びた鉄鋼扉を開いた。


 中は階段の静けさとは一変して、激しいサウンドの音楽が響き渡り、色とりどりのライトが天井や壁を余すとこなく反射させている。


 目が慣れてくると、無数の仕切りが広がり個別のブースが何部屋か作られているのが解る。器用なことに、そのブースの中には光が入らないよう設計されていて、薄暗い赤や黄色の光が中から漏れ出ていた。


「ここじゃあ声がよく聞こえないんですが!奥は静かですんで!」

 大音量にかき消されないようにヒグマのボーイが叫び、院長をさらに奥の部屋へと案内した。


 店の音が少し遠くに感じられる廊下まで歩き、奥の何も書かれていない部屋の扉を入る。


 中には、パーマヘアーにアロハシャツを着た50代くらいのイヌ科コリー属の女性が、おそらく店の嬢だろう、ロングヘアーで下着姿の20前後と見られるイヌ科プードル属の女性に語り掛けている様子があった。


「よお。おばちゃん」

 院長が挨拶する。強面の表情を一切動かさず、露の笑顔も作らずに言うが、パーマヘアーの女は満面の笑顔で感情たっぷりに返す。

「院長ちゃ~ん!来てくれはったんや!あんがとぉぅ~!」


「まず最初にこれ、今月の分」

 院長は白衣のポケットからジップロックに入った大量の錠剤を取り出した。


「きゃ~!ありがと~!これで皆、虫予防ができるわ!」

 渡したのは寄生虫予防薬だった。


 獣人にとって、各々の科属で特異性はあるが、ノミ・マダニ、フィラリア、回虫などの寄生虫は天敵である。

特に体を商売としている風俗嬢にとって、こういった感染症対策は絶対にやっておきたいことであったが、裏風俗である以上、その予防薬の入手は一般的ルートでは不可能であった。


「はい、これ謝礼ね」

 院長は厚い札束を受け取り、白衣のポケットに押し込む。


「その子?」

 院長が部屋の隅で膝を抱えているプードル女性を見る。うつむいたまま視線は虚ろだ。

「名前は?」

「アンジーよ、源氏名やけどね」と、おばちゃんが言う。

「あんたに聞いたんだけど?なんかしゃべれんの?」


 患者名 アンジー(源氏名)

獣人類イヌ科プードル属 21歳 未避妊女性

身長 154 cm Bw 42 kg

家族歴不明、既往歴不明、ワクチン接種歴不明・・・・


「不明ばっかじゃねーか」

 院長が資料のプリントを見ながら言う。


 コリーのおばちゃんは愛想よくフォローに入る。

「でも、小柄で可愛いプラス、メリハリあるスタイルは抜群よ!サービスはとってもエネルギッシュで、どんな殿方の欲望もあっという間に満たし~~~」

「俺は、ロンじゃねぇ」

 院長はぴしゃりと遮った。

「こんな情報じゃ何もわかりゃしねぇ、取りあえずどんな症状なんか言ってみろ。本人から聞きたい」


 アンジーは座りうつむいたまま顔を動かさない。

院長は彼女の前に腰を落とした。

「あんたが今どんな気持ちだとかは関係ねぇから。病気を知るのが俺の仕事だ。何時から、どのように、どんな状態なのかを言ってみろ」


「あんまイジメないであげて、アタイがちゃんと話すから」

 おばちゃんが心配そうに言う。


「アンジーは避妊が嫌で家出してきたの。

でもそれ受けないと、社会的な権利ももらえんで、進学も就職もできない世の中だから、皆こういう所で働くの。

・・・ここにいる子たちは、みんなアタイの娘みたいなもんやわ。みんな誰かを必要としたいし、必要とされたい。

・・・この仕事は決して悪いものでは無いって、アタイは信じてる。

でも・・・こんな必死になって生きている弱い子たちを・・・ただの玩具としか考えてない輩がいるの・・・」


 沸き上がる憤りで震えだすおばちゃんの声が、辛うじて絞り出される。

「・・・アンジーはそいつらに犯されたの」

 アンジーが声をあげて泣き出した。


 院長は感情なく言う。


「つまり、外陰部、膣前庭の炎症の有無と、尿路感染の可能性も考えた泌尿・生殖器系の疾患が疑われるってことだな?

”後ろ”はやられなかったのか?」

 アンジーは微かに首を縦に振った。


「肛門嚢、肛門周囲、直腸の検査もかよ」

 院長は、不本意だったが、ロンを呼ぶことにした。




「いよぅ、新入り!仕事慣れたか?」

 ロンが気さくにツキノワグマのボーイに話しかける。


「これはロン先生!いつもお立ちより、ありがとうございます!」


「いや、今日は仕事なんだけどね・・・」

 ロンは慣れた様子でビルの中に入って行く。


 奥の部屋に入ったロンはうずくまった女を見てすぐに言った。

「お、アンジーちゃんじゃん!院長、患者ってまさか彼女ですか?」


「ああ。お前なら普段の様子知ってそうだったからな。異常所見をまとめといてくれ」


「まかせといてください!この店のコなら俺、どんな異変にも気づいてあげられますから!」


「いつも触ってはるからね~」

 コリーのおばちゃんがにやけて言う。




 ヨーキー属のクレアは、顧客への”サービス”の最中であったが、頭の中は部屋の中のことが気になってしょうがなかった。

この店の指名率ナンバー1の美獣嬢である。


 クレアは持ち前の名器で、中年の男性客をあっという間に腑抜けにさせ、後の残りの時間を部屋への偵察に使うことにした。


 同じ訳アリな事情を持つ女同士、業界の仕事仲間は皆親しい。

アンジーとクレアもそうだった。オフの日は、互いに街へ出かけたり、困ったことがあったらすぐに助け合ってきた。

互いに隠し事無く何でも打ち明けあえる、気のおけない親友だと信じていた。


 しかし、ふとしたことがきっかけで生じた女同士の誤解とすれ違いが、クレアにアンジーに対する嫉妬心を生み始めた。

それはやがて、アンジーは友情を裏切ったという憎悪へと発展してしまい、クレアの中に潜む棘った部分を顕にさせたのだった。


 クレアの太客には、官僚から闇社会の上層部まで幅広い顔ぶれがいた。

一人の社会の迷い犬など、どうにでもしてやれることができた。

彼女は自分の人脈をつかって、アンジーを襲わせたのだ。

イヌ科雑種のチンピラ獣人を使った犯行だったから、クレアに繋がることなどあるはずなかった。


 しかし、その時、その場所に、クレアは居てしまったのだ。


何で、あそこに私はいたの・・・・?

どうして、犯されてるアンジーを見ていたかったの・・・?

考えられない・・・私は異常なの・・・・?


 クレアに、複数の雄犬に弄ばれ泣いてるアンジーの姿が蘇る。


「クレアちゃん・・・助けて・・・・」


うそよ・・・

私・・・あの時・・・

・・・気持ちよかった・・・・


もっとアンジーをめちゃくちゃにしてやりたいって思ってるなんて・・・


「お願い・・・クレアちゃん・・・・助け・・・・」


 ・・・・


「あんた、そこで何やってんの?」

 クレアの意識に、突然の院長の声だった。驚きで全身の被毛が一瞬に逆立った。

「あの女の診察ならもう終わったよ、ヤバい感染症の心配はなさそうだ。抗生剤飲ませて、一週間後再診だ」


「あ・・・そ・・・そうですか。アンジー良かった。ありがとうございました」

クレアはキョどりながら言う。

「そ・・それで・・・彼女、何か、言ってましたか?」


「あの女なら口が聞けねぇみてぇだ。あんたなら話すんじゃねぇ?汚ねぇうちのロンに触られてさらに落ち込んでると思うから、あんた慰めてやって。

 友達なんだろ?」


 院長の最後の言葉にクレアは胸が重くなった。

そして何より、アンジーは何も話さなかったこと・・・


・・・・どうして!


 その後暫くクレアは、バレる恐怖と友への罪悪感が入り混じった感情に苦しんだ。


 その感情は日に日に強さを増していった。

あれからも、アンジーは事件当時のことを口にしていない。


一体、彼女はどういうつもり?

復讐のつもり?私を怖がらせていたいの?


 クレアの疑心暗鬼は、再びアンジーに対する悪意へと変わっていった。




 深夜、休養を取っていたアンジーの住む賃貸住宅の一室。

椅子に縛り付けられ、身動きできない状態のアンジーを、彼女を襲った男獣人4人をバックにしてクレアが眺めている。

叫べないよう口輪を付けられ、恐怖なのか絶望なのか分からない瞳でクレアを見つめる。

完全にアンジーを支配したと感じるクレアの体に、不気味な興奮が沸いてくる。


「もう、思い通りにさせないわよ。今度は動画に残してあげる。そうすればあなたも本当に言えなくなるでしょう?」

 チンピラたちが、アンジーの体を触り始める。


「後で私を脅すつもりだったみたいだけど、一足遅かったわね。

でも何で今まで”かあさん”にバラさなかったの?」


 ”かあさん”とは、コリー属のおばちゃんのことである。

店のスタッフみんなが、親しみを込めて付けた呼び名である。


 アンジーの瞳から涙が零れ出す。

何を訴えたいのかも分からないその目は、憎悪では無いことだけは読み取れたことに、クレアの嗜虐心が刺激される。


「今回は時間掛けてやってやるわよ。ゆっくり楽しんじゃいなさい!」

クレアの指示に、チンピラたちがいきり立つ。


 その時だった。

玄関のチャイムがなる。


「何よ?遅れてきた男かしら?」

 クレアがインターフォンにでる。

「どなた?」


「再診だ。開けてくれる?」

 院長だった。


 再診って・・・!?

しかも何でこんな時間に?


 空間の雰囲気が凍り付く。

このタイミングで、全く空気の読まない部外者の登場に、クレアは腹立たしくなった。

こっちは屈強な男獣人が4人いる。

それに比べてあいつは一人。

あいつの科属は・・・・何かしら?

どちらにせよ、優生はこっち。中に入れたあと、脅して従わせよう。


 チンピラたちを潜ませ、クレアは院長を招き入れた。


「あれ?あんた確か店の?」

 クレアは何も答えず玄関の鍵を閉める。

直ぐにあいつは縛られたアンジーを発見し、襲い掛かるチンピラにボコボコにされる。

院長が部屋の奥へと入って行った。


「何してんの?あんた等の趣味?」


今よ!襲って!


・・・


 しかし、チンピラたちは全く動こうとしなかった。

クレアは声をあげる。

「何やってんの!あんた達!はやくこの男を・・・」


「あ~そういうことだったんだ。あんたが黒幕なんだな」

 院長は全く落ち着いていた。


 チンピラの一人が潜めていた物陰から恐る恐る顔を出した。

「ネェさん、ごめん。俺たち、その人知ってんだ。手ぇ出せば、間違いなく俺たち殺される・・・」


 形成を逆転されたと悟ったクレアに、落胆の感情に埋め尽くされる。力なくその場座り込み頭を抱えた。


「何よ・・・やっぱり私は悪者ね・・・・最後はこうなることぐらいわかってた・・・」


 院長はアンジーを解放し、口輪を外した。

「アンジー、再診だ。その後の調子は良いか?」


 クレアに、今度は恐怖の感情が沸き上がる。

その後の調子って・・・この状況見て、この人、何を言ってるの?


 アンジーは静かに頷く。


「よし、じゃあ念のため抗生剤をもう1週間処方する。そのまま飲み切りで治療終了だ。明日から仕事も復帰していいぞ」

 院長は白衣のポケットから薬を出し、アンジーの前に放り投げた。

「これで再診は終わりだ。じゃあな」

 そのまま玄関に向かいはじめた。


 呆然とするアンジーとクレアに、全くの興味など示していなかった。

この男は、本当に”診察だけしに来た”のだった。


「あ~、そういえば、店のおばちゃんがアンジー良くなったら皆で復帰パーティ開くって言ってたから」

 院長は去り際に二人に語り掛ける。


「おばちゃんは、店のコは皆自分の娘だって言ってたからな、あんたらの一人でも欠けたら悲しむだろう。

アンジーはそれが分かってたな。だから何も話さなかった。そんなボロボロにされても、よく耐えたな」


 アンジーがその場に静かに泣き崩れる。


 クレアも声を上げて泣き崩れる。


何よ・・・

あんたばっかりいい子じゃない・・・・

あんたがいつもそうだから私は・・・・


 クレアはさっきのアンジーの瞳を思い出す。

あれは、気づいてほしいと訴えかけていたのだった。


私は、ずっとあんたに裏切られたと思ってたのに・・・・

あんたの方は、信じてただなんて・・・


 互いに泣き合う二人の間に、無限とも感じられる時間が流れる。

アンジーはクレアに近づき、そっと彼女を抱きしめた。


「まだ・・・これからも・・・家族だよ・・・・」


 クレアはアンジーの肩に顔を埋める。


「一緒に帰ろう・・・かあさんのとこ・・・・」




 東の空が青く輝き出す夜明けの街を、束の間の静寂が風に乗る。

がらんと広がるスクランブルの上は、数時間後には無数の獣人達で埋め尽くされる。

今、その上を、一人の白衣を着た男が歩いていた。

彼は、人間だった。



Case2 End

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