ケモナーズ・メディスン ~ 獣人界の獣医師 ~

Gashin-K

Season 1

Case 1 成獣不妊法


 その日の空は厚い雲で隠され、重力が鉛色の雨粒を地上へ幾度となく叩き付けている。

山々に住む野生の幻獣たちは、恵みの一日を自分たちの群れで暮らす。この日は獣人のハンターに狙われることもない。


 診療所の待合室では、一人の女性が窓際に顔を持たれ掛け虚ろな目で外を見つめていた。

地面に叩き付けられる雨粒一つ一つに、名前なんて無い。最期は同じ一つの塊になるだけだ。


「フェライン様、診察室にお入りください」

声が聞こえた診察室へと進む。それは自分の体では無い気がした。


 患者名:チャーミー・フェライン

成獣不妊法対象者、本日手術予定

獣人類哺乳目ネコ科雑種属、女性、19歳、

身長160cm、Bw 49 kg

全身均一な桃色の被毛、耳は一般耳、瞳はエメラルド色、肩まで下げた髪の毛にまだあどけなさが残る表情には、これから自分の身に起こる運命を受け入れることができていない様子が表れている。


 担当医はイヌ科土佐属の男、40歳であった。患者の容姿に看取れている様子を隠そうともしない。


「チャーミー・フェラインさんですね。今回あなたの手術を担当しますロンです。ロン先生で構いません。まずは身体検査をしますので、下着も含め身に着けている物は全て脱いでください。」


 当然のように戸惑いが襲う。しかし、決められた手順である。チャーミーは恥じらいながら衣類を脱ぐ。


 若い被毛は光沢をもち、柔らかに全身を包んでいる。臍部を中心に胸部から下腹部までは被毛は薄くなっている。微かに割れて見える腹筋と、ハリのある整った乳房、健康的に形どっている腸骨ラインから下は肉厚を感じる大腿と、尾椎の付け根からスレンダーな尾が伸びている。


 久々の上玉にロンはこの仕事のやりがいを噛み締めた。


「それじゃあ触診しますね、まずは乳癌検査をっと~」


 ロンの固く乾燥した肉球が乳頭に触れる。


 チャーミーの体が硬直し、頬は火照りを増した。微かな吐息をもらす。動かないようにしていても、沸き起こる生理的な刺激に尾が敏感に反応を示し地面と水平に振子運動をしてしまう。


 ロンはチャーミーの被毛を一つ一つ分けながら全身の皮膚の状態もチェックする。若い女性の香りがイヌ科の嗅覚に心地よく響く。ロンの触診視診が陰部に及ぶ。もはや我慢ができなくなったロンは、ついにチャーミーを診察床に押し倒し、火照った顔を長い舌で激しく舐めだした。


「いや!先生、止めて!」


 チャーミーは声を漏らす。ロンを押しのけようとするが、土佐属の力にネコ科は到底及ばなかった。

ロンは涙を浮かべたチャーミーの顔にさらに興奮を増し、激しく息遣いながら聞かせた。


「どうせ、君は今日で女じゃなくなるんだから、最後のいい思いでを作ってやるよ、へへへ」


 その言葉をチャーミーは酷く冷静に聞き取れた。抵抗していた体から力が抜ける。


そうだ、わたしは今日で女じゃなくなる。これから卵巣と子宮を取り除かれるんだ。


 成獣不妊法。

余分な遺伝子の繁殖拡大防止と、精錬された子孫の保持を目的として作られたこの法律により、ある特権階級以外の獣人は生殖適齢期までに不妊手術を受ける義務が生じていた。

男性ならば精巣の摘出、女性ならば卵巣子宮の摘出である。


 施術後は、もはや生殖能力がもたらす快楽もなくなるらしい。好きな人も好きとは思えなくなってしまうのだろうか?


いや!わたしはもっと恋がしたい!好きな人との子供も欲しい!こんな法律、どうして・・・


 ロンの愛撫が続く。チャーミーは精神を体と引き離そうとしたが、性的感覚の束縛の前には無駄な足掻きだった。


「おい、ロン、てめぇ何やってんの?」


 2人しかいないと思われていた診察室に、いつの間にか一人の男が立っている。


 ロンが慌てて起き上がり乱れた着衣を直すことも忘れてしゃべりだす。


「あああ・・・こ・・・これはですね・・・・院長・・・・」


院長?どうやらこのクリニックのトップらしい。


 涙で曇ったチャーミーの眼に、蛍光灯をバックに仁王立ちしたガタイの大きいシルエットが移る。

次に白衣と首から下げた聴診器が認識された。


 次第に眼が慣れたチャーミーがみれたのは、もみあげがつながった顎鬚、淵のある眼鏡、短髪に眉毛のつり上がった強面の・・・・


 チャーミーは自分に見えていたものを把握するのに時間がかかった。


・・・うそ、この人、人間!?


「いや~これには訳がありまして・・・なんというかイヌ科で俺みたいなオオカミ寄りの属ってのは食欲と並んで性欲が力の根源にあって~~~ぎゃあ!」


 男がロンの鼠蹊部を足で蹴り上げた。天井を突きそうな勢いでロンの体は跳ね上がり、そのまま後方に倒れこんだ。


 そしてロンの髪を鷲掴みにして顔を近づけて言った。

「汚ねぇもんを診察室でオッタテやがって、こんどやったら陰茎切除するっつったよな?」


「すすすすみません。もう二度としませんから!堪忍してください!」

 急所を突かれた激痛と目の前の恐怖で、ロンの顔は涙と涎の亢進を抑えられずくしゃくしゃだった。


 院長と呼ばれる男は次にチャーミーの方を向いた。

「身体検査は終わりだ、服を着ろ」


「あの・・・」チャーミーは恐る恐る口を開いた。


「何だ?」


「人間の方・・・ですか?」


「は?何当たり前のこと言ってんの?それより早く服着ろよ。そしたら次は血液検査だ」

 男は表情を全く変えることなく答えた。


 チャーミーは人間を見たのが初めてだった。

体表にほとんど被毛を持たない哺乳目で、特に際立った身体能力も持たない生物。

その無防備な存在の割には繁殖力にも乏しく、一人の個体が生涯残す子孫は2人にも満たないと言われ、今では最重要絶滅危惧種として国家が積極的に保護を掲げている。


 顕になっている男の表皮に、頬が再び赤らんだ。

「あ・・あの・・・」

 チャーミーははにかみながら言う。


「さっきは、ありがとうございました、え~と・・・何とお呼びすれば?」


「院長でいいよ」

 男がシリンジに針を付けながら言う。

「あと、礼なんかいらないよ。あんたがあんな状態じゃ、これからやる血液検査に影響がでるからな」


「あ・・・そう・・・ですよね」

 さっきの診察室での事に、まだ彼女の尾が踊っている。


「じゃあ腕出して」

 男はチャーミーの右腕の静脈に管を通す。そのまま管から血液を抜き、プラグでふたをした管をそのまま腕に留置した。

「血液検査で異常なかったら、こっから麻酔入れるから。そのまま眠ってれば一時間くらいで終わるから」

 淡々と話す男の表情には、一切の優しさも慈悲も含まれていなかった。

 チャーミーの涙腺が再び腫脹してきた。


「何か質問ある?」

 チャーミーはゆっくり首を振った。




 診療所の扉の前をネコ科の男が行ったり来たりしていた。

恋人が避妊手術を受ける直前に、自分が行ったところでどう振る舞えば良いのかが分からず、中に入る勇気が持てないでいた。


 男は時計を見る。まだ手術は始まっていないだろう。会うなら今しかない。


 でも、何と声をかけたらいい?女性じゃなくなっても、君を大事にするとでも言うのか?それで彼女が救われたことになるのか?


 やっぱり分からない。彼女のことを愛してたのに、何故この状況になってそんなことが頭をよぎるんだ!?


 男はそのまま立ちつくした。

いっそ引き上げようと考えた。


「おいお前、そんなとこで何やってんだよ?」

 外から男の様子を伺ってたロンが、業を煮やして扉を開けた。


「あ、お前、あのチャーミーってコのオトコだろ?悪いが最後の楽しみは俺が奪~~~ぎゃあ!」

 ロンのケツに蹴りが入る。ロンは前方に倒れこむ。院長だった。


「自分の犯罪自慢してんじゃねーよ」

「すすすすみません・・・つい調子に・・・・」


「で、あんたは入んの?」

 院長は男に目線を移した。威嚇たっぷりの雰囲気に、男の声が詰まる。


「まあいいや。女はもう麻酔で眠ったから、面会なら終わってからにしてくれる?」


 院長が扉を閉めようとした途端、男の口が反射的に動き出す。

「俺、レオンって言います!チャーミーの傍にいます!入れてください!」


「あ、そう、じゃあ会わせてやるから来な」

 院長はレオンを手術室まで連れて行った。


 手術台にはチャーミーが仰向けに寝かせられていた。

口からは直接肺に酸素を送り込むチューブが伸び、人工呼吸器に繋がっている。

定期的な肺の膨らみと心拍音が、彼女を完全な機械へと変えていた。

器具台には、これから彼女の体を侵襲する冷たい色をした金属類が並べられている。

目を引く心電図のモニターは、まるで彼女の魂がそこに転送されたかのようで、彼女もそこから自分の抜け殻を見つめているのではないかと感じられた。


 レオンはチャーミーの手を取り頬ずりをしながら、涙声で呟いた。

「何でこんなことしなきゃならないんだ・・・」


「法律で決まってるからだろ」

 院長が感情の無い声で言う。

「お偉いさんが決めたことを、お偉いさんを信じる皆がやってるんだから、お前らもやるんだよ。幼獣でも解る簡単な理屈だ」


 全く自分の気持ちを考えるつもりの無い院長をレオンは睨みつけるが、院長は続ける。

「確かに別の世界から見たらこの法律は異常かもしれないな。でも俺らはこの世界の存在だ。この世界のルールに従うんだよ。てめぇが受け入れられるか?それが強さだ」


「なら俺は弱いよ!今、目の前で彼女が大切なものを失おうとしてるのに、何もできねぇんだからな!」

レオンの叫びが手術室中に響いた。

 振動のせいだろうか、これまで一定だった心電図の波形が乱れた。


 暫くの沈黙の後、院長は波形が通常に戻っているのを確認してから話し出す。

「あんた、去勢してんの?」


「・・・ああ、14の時に取ったよ。だから何だ!」


「へ~、自分はもう男じゃねぇってのに、この女が女じゃなくなるのは嫌なんだ」


「嫌だよ!愛してるから!」


 レオンは自分が何を言ったのか解らなかった。何を考えたわけではない。ただ、本当に、腹が叫んでいた。

診療所の扉を開ける前では、とても出てこなかった気持ちであった。

心電図の波形がまた乱れた気がした。


「あ、そう。じゃあもう手術始めるから出てけ」

 その声にもやはり、優しさや慈悲の気持ちは含まれていなかった。

手術室が再び機械音だけになる。


「おい、ロン!いつまでそこにいるんだ!仕事しろ!」

 扉の外で尻を撫でていたロンは、慌てて手術室へ走った。


 点灯した手術中の文字を、レオンは悲しみと憎悪と贖罪が入り混じった感情を抱き、睨みつけていた。




 ネコ科雑種属、チャーミー・フェライン、19歳

神獣歴135297年267転、避妊完了

証明として摘出卵巣、及び子宮を提示する。


 宮殿の審査官の前には、子宮頸・子宮体から対照的に広げられた子宮角と、その両端から伸びる卵管・卵巣が置かれている。


「ご苦労さん、ロン先生。これでまた余分な雑種猫が減るよ。謝礼は振り込んどくから。院長によろしくな」

 ネコ科マンチカン属の審査官は、作ったような笑みでロンを見送った。


 ロンは応えずに宮殿を去った。

「ちっ、お国の飼い猫が!」


 入院室ではチャーミーに掛かった麻酔がまだ覚めずにいた。

心電図の波形が、一定の間隔で彼女の鼓動を刻んでいた。


 寄り添うレオンが不安そうに院長に言う。

「いつになったら目を覚ますんだよ。まさか失敗したんじゃねぇだろうな?」


「あ?誰に物を言ってんだ?」

 院長は無表情で返す。


「俺の麻酔は、王子様のキスで覚めるんだよ」


 ・・・。


 レオンは苦笑の限りを表現して言い捨てた。

「・・・マジ意味わかんねぇ・・・ここに来てジョークで慰めとは、ほとほとあんたは最低なクズ医だな!お前、人間だろ?知ってるぜ、ものすげぇ感情が原始的だって!ホントそうだな!」


「だから滅んだのかもな」

 院長は全く表情を変えないまま二人を見ていた。


「審査官に検体を渡してきました」

 戻ってきたロンが言う。

「しかし大丈夫ですかね?後で問題にならなきゃいいんですけど・・・」


「お前の卑猥な犯罪行為がバレるより確率は低い。宮殿に渡した一角獣の子宮は双角子宮で、ネコ科のものとは区別しにくい。審査官はそこまで見てねぇ。お役所仕事だ、モノがありゃあいいんだよ」


 一角獣は野生に住む幻獣で、最近、院長の趣味であるハンティングで狩猟された雌の個体が院内に保存されていたのだった。

チャーミーの体には、メス一つ入れていなかったのだ。


 ロンは特に問題視してない様子で言う。

「しかしあのカップル、気づきますかね?女の体にまだ子宮も卵巣も残っているのを」


「気づくか気づかないかは、あいつらの問題だ。俺らには関係ねぇ。お互いの気持ちが変わらないんなら、そのうち気づくんじゃねぇの?」


「いや~、院長、流石です!一生付いていきます!それならもう一度あの女とヤっても~~~ぎゃあ!」

 院長はロンの陰茎目掛けて垂直蹴りを入れた。


 入院室のレオンは、静かに眠るチャーミーの唇にそっと口づけをした。

心電図の波形が間隔を狭め始めた。雨はいつの間にか上がっていた。



Case1 End

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