第12話

死とは人生最大で最高の冒険旅行だと彼女は言う。


海辺を歩く白人の老夫婦が手をつないで歩いている。

旦那さんのアロハと奥さんのムームーは同じ柄。

このファッションは間違いなく本土からの観光客だろう。

「・・・ありがとう」

妻の声。

「・・・こちらこそだ、ハニー」

旦那さんの声も風に乗って聞こえた。

奥さんがにっこり微笑んだ。

いくつになっても「仲良し」は良いもんだ。

大きなココナッツが作る日陰に老夫婦は腰をおろした。

サラサラと雨季の終わりを告げる爽やかな風は、キラキラと輝く砂の上の小鳥達を包む。

静かに波は寄せては返す。

ハワイでは神の思し召しかのように時間はゆっくり、ゆっくり刻まれる。



夜明けから啓一とカパラは二時間も海に入っていただろうか、お腹が減って砂浜へ上がり啓一の握ったお握りとカパラの作った鳥の照り焼きを頬張り、いつの間にか寝てしまったらしい。いつものことだが、ハワイの波音と微風ほどよく効く惰眠誘導剤はない。


 老夫婦はいつの間にかワイキキに向かって海辺を歩き出していた。

 ずいぶん遠くになった二人を見つめ、啓一が言った、

「カパラとジェイドも年取ったらあんな夫婦になるんだろうね・・・」

言われたカパラは答えに窮して、なんやらとっても気恥ずかしく。


 4月のはじめ、沖にはたくさんのヨット、ダイヤモンドヘッドの彼方には赤、黄色、青のパラセールがぽっかり浮かぶ。

 人には、皆、それぞれの歴史が当たり前にある。親がいて、祖父母がいて、そのまた親がいる。

 ハワイの銘木、バニアンの樹の複雑にからみ合った幹のような家系図をアメリカでは「ファミリーツリー」と呼ぶ。

 いったい自分達のルーツ、祖先達はどれぐらいの連鎖×連鎖を繰り返して自分達の番にきたのだろうか。

 長いようで、振り返ればとっても短い人生。

 大統領だろうが大社長だろうが、誰か一人が死んだって時代は変わらず、時代は粛々と未来に向かう。多くの場合、そこには自分の存在など書類上の軌跡として残るだけかもしれない。



明日は啓一の父親の命日だった。


命日が近くなると啓一は最近「死」について考えることがあった。

なんで人間は死ぬのか、

死ぬ時、人間は怖くないのか、

死ぬと自分はどうなるのか、

そんな思いも今年の九月には高校生になる啓一の成長の証だろいうと、アパートの皆は見つめていた。

啓一は公立高校でいいと思っていたが、周り、特にお婆ちゃんが私立の名門プナホを薦めた。当然学費は高かったが・・・お婆ちゃんは、

「お父さんから言われてる」

の一点張りだった。


ふと目を覚ましたカパラは、啓一を起こした。

「ケイイチ、来週の土曜日、この公園の芝生のとことでやっているバーベキューに行こう」

眠そうにケイイチは、

「いいけど、なんで?」

「俺のお婆ちゃん知ってるだろ?」

「うん」

「最高なんだ」

啓一は何が最高かよく分からなっかたが快諾し、再び惰眠に戻った。

春休み、ケイイチの最高の人生はこれからだ。



翌週。

アラモアナ公園の土曜日、大きな木の下の昼下がり、啓一とカパラとジェイドはカパラのお婆ちゃん主催、というかカパラ一族主催のファミリーバーベキューパーティに参加した。

パーティの中盤からは、いつもカパラのウクレレ。今日はずいぶんと切なげな音色が風にのる。


ジェイドはカパラの当年八十歳になる婆様にケイイチのここ一年の成長の話をしていた。

海で遊んでいた啓一をジェイドは呼び寄せた。

「ケイイチ、お婆ちゃんにキミの死生観の疑問を聞いてごらん」

「死生観?」

「そ、ほら、死ぬのは怖くないのかって話」



カパラのお婆ちゃんは優しくケイイチに語り掛けた。

「そう、七十、八十歳を超えて生きていると、ある種の悟り、達観してきてね、そんな別れとか、死とか全然悲しくも、怖くもなくなるよ」

このハワイアン・レディ、最高の人間味を醸し出しているカパラの太っちょ婆様は今でも現役バリバリの仕事人で、ベルタニア通り沿いのダウンタウン、州知事もご用達の有名レイショップのデザイナー職人。最高にイカシていた。


「結局のところさ、人間は突然に生まれて、そして死んで『無』に帰っていくね。楽しいこと、美味しいこと、気持ちいいこと、たくさんしたって何もなくなっちゃうでしょ。辛いこと悲しいことも同じ、何もなくなっちゃうの。でもね、みんなが『死』という人生の最後のイベントを悲しく考えるか、明るく考えるかね。でも、キリストだって、仏様だって、死は来世への旅立ち、決して悲観的な事としてはとらえていないものよ」

カパラのウクレレは波と風に溶けて時空を漂う。

「ケイイチは宗教あるの?」

啓一はまだ宗教というものに興味がなかった。

「私はね、『死』は人生で最高の冒険旅行の始まりだって思っているの」

最高の冒険旅行・・・とジェイドが身を乗り出した。

カパラの婆様の言葉は二人の心に不思議な安らぎを与える。

「あの世へ旅立つ時ってね、この世の辛い事や悲しい思い出はこの世にゴミとして捨てて、良い思い出だけをね、あの世に持っていくことができるのよ」

「そうか、楽しい思い出は、あの世に持ってくお土産ね」

ジェイドが微笑んだ。

「そう。だから、生きている間はね、楽しいこと、嬉しいこと、美味しいこと、いろいろたくさんする方がいいに決まっているでしょ。だって、あの世に楽しいお土産たくさん持っていけるんだからね。人間は、生きているうちに楽しい思い出をたくさん作ること、大切」

カパラの婆様はそれは綺麗で、いい香りのするレイを作りながら淡々と語ってくれた。

「でもねえ、美味しいことし過ぎちゃって私はこんなに太っちゃったけどね。あの世に持っていく素敵なお土産、私はたくさん持ってるわ」

最後に彼女はとてもチャーミングにウィンクした。


カパラのウクレレはビートルズの「オール・マイ・ラビング」を奏でていた。

俺は天使のようなカパラの婆様の瞳のその輝きをみれば、時間を超越した大きな海原にふんわり浮かんでいるような感覚、自分の存在と悩みの小ささに気がついた。

アラモアナビーチの壮大に広がる青い空、ケイイチは亡き父と母の壮大な冒険旅行を思い描いた。


さすがのカパラの婆様、推定体重百キロオーバーの八十歳、伊達じゃない人生、天使の説得力にケイイチは感動。彼女の作る真っ白なプルメリアのレイが眩しく見えた。

どうせ、人間みんな死ぬ。どうせ、みんなに悲しい別れがある。だから、生きている間は流れに任せ、くよくよ、じめじめ、あんまり物事深くは考えず、ここは一回こっきりの人生、目の前の事を一生懸命、精一杯やるのだ!後悔しないように!と心で叫んだ啓一だった。


ハワイの太陽は皆に生きる勇気を与えてくれる。

人生まんざら捨てたもんじゃないよと。


●作中の詩「天国の特別な子ども」

エドナ・マシミラ(EDNA MASSIMILLA)作 大江祐子訳

JDS日本ダウン症協会「この子とともに強く明るく」より引用いたしました。


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