第11話

ミックスプレートのすすめ


ボクは悩みや問題を抱えていない人間は、この世に存在しないと思っている。

ボクの教会にも、仕事、人間関係、病気、家族、借金、恋、罪、たくさんの悩める人々がやってくる。ボクは、いつも彼らに対して、明日があるさ、ケセラセラと、

「今日を何とか生き抜けば、必ず今日より少し幸せな明日が絶対やって来ますよ」

「明日を信じて頑張りましょうよ。ここはハワイなんですから、何とかなりますよ」

そういって彼らを送り出す。ハワイらしい牧師の言葉と言われれば、その通り。今日を一生懸命頑張れば、間違いなく今日よりもっと素敵な明日がやってくるはず、とアパートの連中を見ていて、ボクはそれを確信する。


ホノルル・マラソンが終わればすぐにクリスマス。そして、新年。

四季がないハワイとて時は流れて、みんなの生きている証をこの世に刻む。



ホノルル・マラソンが終って、啓一は一週間、体中が痛くて動けなかった。

今、啓一はサーフィンに熱中している。目標は恥ずかしながらジェニー。もちろん今年のホノルル・マラソンにも出場宣言。目標は五時間以内だ。

お婆ちゃんが心配した学校の成績も問題なく、中の上の方はキープしている。


チャチはベルタニア通りのトヨタディラーに副社長でヘッドハントされた。賢太郎と啓一に向って嬉しそうに言う。

「まいったな、当分、俺はハワイにいるってことだから、これからもずーっとお前らの面倒を見なくちゃなぁいかんなぁ、ははは」

引きずっていた左足がだんだん良くなってきている。


チェルシーはロサンゼルスのエージェントに呼ばれて、来週、ブロードウェイの新作ミュージカルのオーディションに行く。

「当たって砕けろよ!でも、勝たなきゃしょうがないけどね」

と頼もしい。なにやら南国モノの作品らしいからチャンスはあるはずだ。


中庭でケイトとカパラの婚約パーティが開かれた。

溢れんばかりの笑顔とバーベキュー。飲んだビールは数知れず。

啓一は初めてスピーチをした。コーラウ山脈からワイキキにかけてオアフ島をまたぐ程の大きな虹が出ていた。


毎晩、アンはキャシーがキャスターを務めている夜のニュース番組を見ている。

「CNNのアンカーウーマンも夢ではないわよ」

アンは臆面もなく親しい人に言う。確かにモニターに映し出されるキャシーは輝いている。


ボクの教会で賢太郎の陶芸の個展を開いた。

ホノルル・アドバタイザーに高い評価の紹介記事が出た。賢太郎は胸を張り、山村さんは鼻を高くした。陽子さんは賢太郎をハワイに連れて来て本当に良かったと思った。



日曜日、朝。アラワイ運河の横、いつものベースボールグランド。

五回の表、突然のシャワーと呼ばれるスコール。雨で一時間の試合中断。

このシャワーが功を奏したか、試合再開後も奇跡のピッチングは続いた。

サイドスローから放たれる山なりの直球と完全に相手打者のタイミングを外すカーブ、そして決め球の新球、シンカー。

一球、一球ごとに玉のような汗がヨシダの爺様の額を流れ落ちる。しかし、瞳は少年のようにキラキラ輝いていた。

天国から亡き妻、カヨコさんが本当にヨシダの爺様の背中を押しているようだった。


九回裏、一対〇。フジヤマ巨人軍が勝っている。

ヨシダの爺様は、ノーヒットノーランどころか完全試合を続けている。

フジヤマ巨人軍の虎の子の一点は、七回表に啓一がホームを踏んだ。

啓一が内野安打で出塁。ワイルドピッチで二塁へ、そこでカパラの特大二塁打。啓一が必死の形相でホームインしたが、カパラが欲張って三塁を狙うも憤死。両チーム通じてチャンスらしいチャンスはこれだけだった。

ヨシダの爺様のピッチングも完璧に近ければ、敵のピッチャーも三人の継投策でフジヤマ巨人軍をこの一点に抑えていた。


最終回、キムチ・エンジェルスの攻撃も二アウト。

左の四番に三ボール、二ストライク。

その最後の一球にセンターを守るチャチは精神を集中させた。ファーストのカパラは緊張で喉がカラカラだった・・・そして、二人は自分の所に決してボールが飛んで来ないことを祈った。

レフトの啓一は、何か時間が止まってしまったような無機質な空気感に浸っていた。周りがギンギンに張り詰めて雑音が消えて無くなってしまったような。

この緊張感を壊すように、ヨシダの爺様が背筋を伸ばし、ダイヤモンドを守る仲間に振り返りった。ユニフォームのFUJIYAMAの文字が今日は随分と誇らしい。


「皆の衆、しまっていこう!ラスト一球じゃ」

皆がオーっと声をあげた。

「啓一や、そっちに飛んだら、頼んだぞ」

啓一はクラブをポンと鳴らして、

「オーケー」

大きな声で応えた。

ヨシダの爺様はボールを握りなおし、再びバッターに対峙した。

啓一がマウンドに立つヨシダの爺様の後姿を見つめる。

なんだが、人間、必死に頑張っていると本当に素敵な夢が叶うような気がした・・・啓一はふと早く逝ってしまった父の最後の言葉を今、思い出した。


グランドの横にある小さな観客席。

ケイト、チェルシー、キャシーの三人は手を取り合ってヨシダの爺様にパワーを送った。

アンと陽子さんは天を見上げて神に祈った。

山村さんは自分が投げているがごとく玉の汗を拭った。

賢太郎は腕を組んでこのピッチャーの最後の一球を信じた。


タイミングを掴み難い独特のフォーム。

腕を真後ろに振り出し体が大きく沈んだ。

ヨシダの爺様は決して力むことく、しかし、熱い魂を込めて渾身の一球を投げた。

スプリットの効いたシンカーだ。



ボクはその日、朝の日曜礼拝を終えて、何かの胸騒ぎ。この暑さのせいか、試合のせいか・・・

「そんな、今日・・・まさか」

などと気を揉んでいた。

いつものことならこの時間、啓一か誰かが戦況を携帯電話なり、メールで教えてくれるが、今日は誰一人として連絡がない。

ボクが出した「今日のエースの調子は?」のメールにも誰からも返信がない。

アパートの全員でヨシダの爺様の応援に行っているのは知ってるいし・・・。



楽園ハワイの青い空。

この空の下にいると、人は本当に素敵な夢が叶えられるような気がボクはする。

だからこそ、人はハワイを愛し、旅し、目指す。

ハワイにはみんなを優しく迎える「アロハスピリット」がある。

そして、多民族が呉越同舟の「ミックスプレート」がある。

 

ホノルルを東西に横断するコーラウ山脈から、海にそそぐトレードウィンドと呼ばれる風がある。その風がホノルルの街を爽やかにし、国際的な観光地に仕上げたと言っても過言でないだろう。

その時、アラワイ運河のベースボールグランドの方からトレードウインドに乗った大歓声がボクの教会まで届いた。        


その時、もちろん・・・天国でヨシダの爺様、最愛の妻カヨコさんがニッコリ微笑んでいた。                


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