第4話

ファイティング・エンジェル


ボクがそのバーに恥ずかしながらよく行っていたのは・・・五年前くらい。場所はワイキキ。超ビキニのダンサーが小さなステージで踊るバー。彼女はプロのダンサーだった。よくアメリカ映画に出てくるちょっとエッチなバーを想像してもらえればいいかもしれない。

ボクは聖職をしばし、いや、しばしば休んでサーファー仲間とその店にはよく飲みに出かけた。弁解をするわけではないが、彼女の同級生がボクらの仲間の一人で、チェルシーともけっこう前、このバーで踊る前から一緒に遊んでいた間柄。でも、友達の女の子がエロチックな姿で踊る姿、見てるこっちが恥ずかしかったが、チェルシーはプロだった。彼女は仕事中、ボクらの顔は熟したパイナップルか、牧場の間の抜けた牛に見えると笑っていた。いやいや、女のド根性恐るべし!そうボクらみんな思っていた。



チェルシーはノースショアの玄関口、ハレイワで生まれた。

ホノルルからはH1を経由してH2を北上、パイナップル畑を見ながらカメハメハ・ハイウェイを海に抜ければ海岸沿いの街に出る。「マツモトストア」で有名な典型的ハワイの田舎町だ。両親は日系四世、厳しい家庭で育った。地元の高校に入った年に両親は離婚し、母親は生まれ故郷であるハワイ島のコナに帰った。

チェルシーは父親と一緒に暮らし高校を卒業するまでハレイワで過ごしたが、卒業式の日に彼女はホノルルに出た。

アメリカの場合、高校を卒業するとほとんどの親は子供を放任する。働く者、学校に行く者、軍隊に入る者。生活費、学費を自分で稼いで、あるいは数ある奨学金制度を活用して大学に通うのも珍しいことではなかった。チェルシーの行動は至極アメリカ的な行動だった。ホノルルに出るとまずは先輩の家に二週間居候させてもらい、ルームシェアする人間を探した。

一週間後、ハワイ大学のカフェテラスの掲示板で「ペンサコラ通りを北に行った三階建てのコンドミニアム。その二階の三ベッドルーム三バスルームに共有のリビング、キッチンのひと部屋。アジア系女性限定ルームメイト募集」の張り紙を見つけ、すぐに広告主にコンタクトを取ってここに決めた。

水道光熱費、電話代込の六百ドル。ルームメイトは広告主であるハワイ大学に通う男子学生アンディ二十才とダウンタウンの広告会社のデザイナーアシスタントをやっている女性、ジャニー二十二才だった。アンディはベトナム系、ジャニーは韓国系。これにジャパニーズ系のチェルシーが加わり、オリエンタルルームの出来上り。大家との契約主はアンディ。醤油的生活習慣の理由からアンディはルームメイトに東洋系を選ぶことに最初に決めていた。そして条件のもうひとつが女性限定。アンディはここアメリカでは珍しくない同性愛主義者、ルームメイトは気を使わない女性を、というのも堂々の条件の一つでもあった。チェルシーの契約期間は六カ月単位。今までアルバイトで貯めた三千ドルとパパから借りた二千ドルを持ってのチェルシー新生活が始まった。一九九三年、十八才の夏だった。


チェルシーには夢があった。それはダンサーとして身を立て、できれば夢のブロードウェイを目指したかった。もちろん、彼女のダンサーとしての素養は学内では高い評価を得てはいたが、ハワイの片田舎育ちの自分にはかなりのハードルの高さであることはわかっていた。まずはホノルルに出て資金を稼ぎ、次のステップで西海岸。ハリウッドにあるアメリカン・アカデミー・カレッジのダンス学科に入り本格的な「芸」の道を極めて実力をつける。そして、いつかはニューヨーク進出。十代最後にチェルシーが描いたシンプルな未来の絵だった。

ハレイワの町から出てくれば眩いホノルルの街並みも、長引く不況で、そうそう景気の良いアルバイトが転がっているわけではなかった。日本料理屋で半年、ここで働いていてはブロードウェイまでの軍資金を稼ぐのに五年はかかると早々に諦め、クヒオ通りの観光客が集まるビキニ・パブのダンサーに転職した。



一九九五年、三月二十五日。チェルシーは一人で東京へ行った。

二年間弱働いたワイキキの店で、ある日、彼女は東京で数店バー、パブ、クラブを経営する会社オーナーの日本人と知り合い、自分の経営する店の一軒で踊らないかと誘いを受けた。無論、即答を避けると数日後、ちゃんとした待遇条件も記した契約書を持ってそのオーナーは部下らしき男と二人で店にやってきた。どうせ、観光客相手に超ビキニで胸を揺らし、腰を振って、足を上げてチップを頂く度胸があるなら、同じ仕事でもっと良いお金が稼げる東京への出稼ぎが自然な決断か、はたまた罠にはまってマッサージパーラーの風呂に沈んで売春婦への転落か。

翌朝、急遽チェルシーにケアモク通りのカフェに集合をかけられたボクに弁護士も含めた友達数人は、その契約書を熟読し、損得を分析して考えた。

我々の結論、契約書は問題なし。ただしビキニのトップを取って踊ること以外は。

そんな会議が始まって三時間後、チェルシーは東京へ行くと、我々に宣言した。

長引く不況の中、ハワイで踊っていても目指すブロードウェイは遠く。どうせ一回だけの人生、自身のルーツ、日本で働くのも悪くはないかと思い、チェルシーは日本に行くことを決心した。ダンサーのチップはお客一人、一~二ドルがハワイの相場、日本ではだいたい千円という話を聞いて、手っ取り早く現金を手にするためには今はロスでもなく、ニューヨークでもなく東京だとチェルシーは悟った。



成田は春の大雪だった。チェルシーは初めて見る雪の歓迎に感激した。

迎えは誰も来ていなかった。出迎え無しは契約書通り、初めて吐く白い息を見ながらチェルシーはさすがに日本の寒さには肩を震わせた。チェルシーの日本語力は日常会話には全く問題なく、雪の中、これからの生活拠点である赤坂の「シャンピア・ホテル」にリムジンとタクシーを乗り継いで向かった。見た目、肌は健康的な小麦色、髪は真っ直ぐに伸びたサラサラの黒髪、沖縄あたりのハーフという雰囲気で純粋な日本人には見えなかった。ただしオーナーから、

「日本語できる?」

と、日本人からのよくある質問には、

「ほんの、少しだけ」

「なに人?」

「アメリカ人」

と答え、外人客からのよくある質問、

「英語できる?」

に対しては、

「イエス」

「なに人?」

「日本人」

と答えるように進言された。

どうやら夜の六本木営業的には、日本人には日本語が少々喋れるアメリカ人の振舞いが好まれ、白人、特にアメリカ人に対しては英語の話せる黒髪の日本女性がもてることを知った。


チェルシーが働くバーは六本木の星条旗通りにあった。地下にある「フラミンゴ」という名前の店。客は日本人とアメリカ人が半分ずつだった。有名な日本の俳優やスポーツ選手、たまに来日中のハリウッドのスターも来ていた。ダンスのステージ、フロアにはテーブルにストゥール、奥にはソファーセットが三つ並んでいる。フロアには日本人ホステス、外人ホステス。外人の方が多く、国籍もまちまちでイギリス、イスラエルからロシア、オーストラリア、アメリカ、カナダ、メキシコ、コスタリカ・・・よくまぁこんなにも集めたものと客も感心するが、太平洋の孤島から飛び出してきたチェルシーも東京の凄さには大いに驚かされた。


ダンサーは彼女を入れて六人、チェルシー以外は皆白人でカナダ二人、アメリカ二人、オーストラリアから来た娘が一人。ここではワイキキと違ってトップレスで踊った。店の入口で客は一枚千円でチケットを五千円から一万円分買う。ダンスタイムが始まると、ほろ酔い気分の客は口にチケットをくわえ、ダンサーがこのチケットを胸で挟んで取る。アメリカではよくあるスタイルのエロチックなバーだった。胸で挟み取ったチケットは店の終わった後、キャッシャーで一枚千円の現金と交換する仕組。店が手数料を取らないのは良心的。つまり、チェルシーは本格的なトップレスバーのダンサーになったわけだ。

チェルシーの感覚にすれば、要はビキニの上を取るか取らないかは大した問題ではなく、知り合いが誰もいないここ東京で、むしろ自慢のバストを見せて多くのお金が稼げるのであれば、それほど気にはならなかった。

一ステージ踊って二十枚以上のチップ、つまりは二万円、一日四ステージで合計八万円以上を稼いだ。ダンサーも客に指名されれば席に着く。そこで指名料は入る。しかし、充満する紫煙、ついつい客から勧められれば飲む酒。お金も貯まるが酒の量もいく。桜満開の綺麗さを素直に楽しむも、夏を過ぎれば疲労で体が思うように動かなくなる日が続いた。

「だったら、吸ってごらん。疲れ取れるよ」

とカナダから来たキャロルに渡された白い粉。チェルシーはあまりの体の辛さにワラをも掴む気持で鼻腔に吸い入れた。高校時代に数回試したコカインだった。



気が付けば三年が過ぎた。

途中通常半年の滞在期間を最長の一年に延長して台湾に旅行して再入国。半年後さらに半年延長して一年、もう、完全に体がいうことを利かなくなってきた。九月二十二日に帰国を決めた、その二週間前の九月八日、もの凄く残暑が厳しい日だった。最悪のタイミングでチェルシーは急性肝炎で倒れた。動けない、が、何とか自分で救急車を呼んで病院へ。

退院までは三カ月の絶対安静の診断。異国の病気入院の心細さに目の前が真っ暗になり、我が身の不幸を招いた、自身の愚かさを憂いた。多少の体の無理をしてでも根性ですぐにハワイに戻って人生のリセットをしたいが、体が全く動かない。そして、毎日泣いた。


一九九八年、十二月二十日、退院。その翌日、チェルシーは日本を離れた。当然のオーバーステイ、出国時に入管の特別調査室で審問を受けて「不幸な肝炎話」も通じず、五年間の日本再入国不可の判断が下された。

秋の夕日が差し込む成田、「このままで人生を終えたら、いや、ここで夢を捨ててしまったら私の人生は負け」+「無駄な人生」=「負け犬の人生」。チェルシーは、エコノミーの窮屈なシートに身を沈め、起きていて悲観にくれるのも悔しく悲しく、すぐに目を閉じ眠る努力をした

機体の揺れに目を開ければ、飛行機の窓から遠くに見えた真っ赤に荘厳に輝く富士山。そして、すぐにまた睡眠に落ちた。

眠っている間にチェルシーは夢を見た。夢の中に、四年前に死んだ彼女のお爺ちゃんが出てきた。お爺ちゃんはチェルシーにいつも、いつも、

「当たって砕けろ!たった一度の人生だから」

そんな日系人の人生感を説いていた。そのお爺ちゃんが夢の中でも、また、同じことをチェルシーに言っていた。

「チェルシー、人間、一生懸命胸張って生きてなんぼ。頑張ったら必ず素敵な未来が来るよ」

夢の中では三才か四才位のチェルシーが優しく頷いている。

「絶対諦めちゃダメだぞ、チェルシー。夢は捨てずに、いつも心に太陽だぞ」

目が覚めた。何時間寝たのだろうか。

窓の外には深いコバルトブルーの空、奥に真っ赤に輝く朝日が見える。寝起きの涙目か悔し涙の残り香か、熱いおしぼりを目にあてチェルシーは大きく深呼吸、

「ちくちょう」

チェルシーは一言、そして、

「たった一度の人生、もっともっと頑張ってやる。夢は捨てずに、いつも心に太陽だ!」

静かに強く人生のリセットを誓った。


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