カタリィ・ノヴェルとリンドバーグのひととき
カタリィ・ノヴェルはいつものように道に迷い、鞄から地図を引っ張り出した。とりあえず広げて眺めてみるも、
「……世界って広いなぁ」
そもそも現在地が分からないので、どうしようもない。
カタリは周囲を見回し、暇そうにしているお婆さんに声をかけた。
「あの! すいません」
「はいはい。なんですか?」
優しそうなお婆さんで良かった、と思いつつ、カタリは地図を見せた。
「あの、ここってどのへんですか?」
「ああ! 迷ったのね? 見せてみて……あら? これ、どこの地図なのかしら」
「へ?」
ありとあらゆる世界、国、街の地図が入っていても、読めなければどうにもならない。
得体の知れないフクロウめいたトリに『詠目』なる力を押し付けられてから一年、世界中の物語を救うために走ってきたが、目的とする世界にすんなりたどり着けたことはない。道に迷った結果として、多くの人の心に眠る物語を見つけてはこれたが、最近はどうも釈然としない。
「そもそも、至高の一篇って言われてもなぁ……」
老婆と別れたカタリはベンチに腰を下ろし、道行く人々の顔を眺めた。誰しもが満足そうな顔をしているというわけではないが、そんなのは普通だ。
「世界中の人の心を救う至高の一篇……そんなの、本当にいるの?」
不特定多数の心を救う単一の物語なんて、そんなもの劇薬に等しいのではないか。
実は、僕はあのトリに騙されていて、悪の片棒を担がされているのでは。
ふいに湧いた疑念を振り払い、カタリはスマートフォンを出した。
「良かった。この世界Wi-Fiあるんだ」
ほっ、と安堵の一息。行先によってはただの重量物にしかならない長方形の板切れも、電波さえあれば魔法の箱に変わる。
カタリは迷う自分を鼓舞するべく、カクヨムを開いた。
「お久しぶりです! カタリさん! もう死んだかと思っていました!」
開くと同時に、カクヨムで小説をかく作者の応援・サポートをするAI、リンドバーグ――通称バーグさん――が声を掛けてきた。
「はは……相変わらず辛辣だね、バーグさん」
「はい! お褒めいただきありがとうございます!」
笑顔でそういうバーグさんに、褒めてないよ、とカタリは苦笑いを浮かべた。いったい、どこで誰が何をどう間違えてしまったのか、バーグさんはいつもこの調子だ。
バーグさんは笑顔を浮かべたまま小さく首を傾げ、カタリに言った。
「どうなさいましたか、カタリさん。今日は『詠目』の力でちゃちゃーっと作品を書かないのですか?」
「……だから、あれは僕が書いてるわけじゃないんだってば……」
カタリは、がくり、とうなだれた。
彼の左目に宿る――正確には宿らされた『詠目』の力は、人の心に眠る物語の封印を解いているにすぎない。自分が書いたのではなく、アイディアを拝借しているのに近い。
あるいは、もっと辛辣な言い方をすれば――、
「いいじゃないですか! パクってナンボですよ! カタリさん! 世の中の小説なんて大多数の人にとって無意味です! 必要とする人のためだけにパクればいいんですよ!」
「パクるパクるって、盗作みたいに言わないでよ……。あと、サラっと僕の使命をディスらないでもらえる?」
「ディスるだなんてそんな! どんなくだらないゴミ小説も誰かにとっては宝石かもしれないじゃないですか! 私には区別できませんけど」
「一言多いし、結局ディスってるのか褒めてるのか、どっちなのさ」
カタリは左目の奥に痛みを覚え、空を見上げた。バーグさんと話していると、ときどきこうなることがある。詠目の力のせいなのか、はたまたバーグさんの言葉のせいかはわからない。
「ささ! カタリさん! 詠目の力で新たな作品をパク……じゃなかった、書きませんか?」
「あのね」
「いいじゃないですか! 世界中の誰かが待っているかもしれませんよ?」
「世界中の誰かがって、結局――」
――あれ?
カタリは自分の言葉に妙な引っ掛かりを覚えた。
世界の誰かに物語を届ける――。
バーグさんはAIで、カクヨムにアクセスしている全てのユーザーに対し、自分と同じような仕事をしている。作者のサポートをするとは、詠目の力で物語を形作るのに近い。
違うのは、カタリは足で物語を運分のに対して、バーグさんはインターネットを通じて全世界の人々を相手にしていること。
「全世界の人々を……?」
「どうしました? カタリさん」
笑顔のバーグさん。見様によっては無機質にも感じられる笑み。けれど、彼女は自律型のAIだ。それも、大多数を相手にすることを前提とした。
「ねぇ、バーグさん。キミの心には、どんな物語が眠っているの?」
カタリは詠目の力を解放した。
パチパチと不思議そうに瞬くバーグさんの、その心の奥に眠る物語は――。
空。
空っぽ。
なにもない。何ひとつ存在しない、空虚な世界。空白の物語。
ポッ、とスマートフォンの画面に、滴が落ちた。
気付けば、カタリの左目から涙が溢れていた。
「ど、どうなさいましたか、カタリさん! どこか痛いんですか?」
「……なんでもないよ。ちょっと、すごい物語を見つけただけ」
「本当ですか!? でしたら、ぜひ、私にも見せてください」
「うん。書き上げることができたらね」
「本当ですよ!? 約束ですからね!?」
笑顔も忘れ、いつになく必死なバーグさんを見て、カタリは微笑んだ。
「うん。約束するよ。至高の一篇を、キミのために見つけるよ」
至高の一篇、それが誰に必要とされているのか、少し分かった気がした。
カタリは使命を果たすべく、左目を拭った。
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