ラブコメディの後で
「えー!? そうなんだ! おめでとー!」
同窓会特有の微かな固さが残る歓談を遮るように、若い女性の声がした。他のみんなと同じように、
そのテーブルには、かつてのクラスのアイドル、アカネ――
「みんなー! 聞いてー!」
離れた席で、かつては学級委員長だった女性が声を張った。声色は丸くなっていたが、相変わらずよく通る声だった。
「アカネ、結婚するんだってー!」
やっぱりか――。
突っ伏しそうになるラクトの周囲で、「おめでとう」の嵐が吹き荒れた。
「えっと――あ、ありがとう」
と、照れるアカネの声が聞こえた。すぐに「じゃあアカネちゃんの結婚に乾杯だ」というクラス一のお調子者だった男友達の声が続いた。
周囲に広がる気配に追い立てるようにしてラクトもビールのグラスを手にとった。
「アカネちゃん、結婚おめでとー!」
打ち鳴らされるグラスの音が、ラクトには夢の終わりを告げるチャイムに聞こえた。
やめろ、やめてくれ――。
胸の奥がざわつく。次に何が始まるのか、ラクトには容易に想像がついた。
「それで、アカネちゃん。お相手は誰かなー?」
音頭をとるようなお調子者の声。かつては一緒にバカをやった友達で、今も細いながら繋がりのある大事な友だちだが、このときばかりは恨みたくなった。
旧友たちの視線が突き刺さるのを感じ、しかたなくラクトは顔をあげた。
「――俺じゃないよ」
しん、と気まずい沈黙が流れた。水面にできた波紋のように、ざわめきが広がっていく。
ラクトはため息混じりに、アカネに目をやった。
「結婚おめでとう、アカネちゃん」
「――あ、ありがとう、ラクト……くん」
昔と変わらない――いや、少し大人になって、より美しいという言葉に近づいたアカネが、ぎこちない笑みを浮かべた。
「――え、えっと! そうだ! 席替え! 席替えしようぜ!」
ラクトの斜向かいに座っていた砕けた雰囲気の青年がグラスを片手に席を立った。その瞬間を待ち望んでいたかのように、宴席が色を取り戻す。かつてはライバルだと見られていた旧友の気遣いに、ラクトは微かに頭を上下させた。
青年は小さく頷き返し、グラスと小皿と箸を片手に移動を始めた。奥にいたお調子者と目が合うと、彼は拝むように顔の前で両手を合わせた。
――いいよ。俺も結婚は予想外だったし。
ラクトは苦笑しながら頷き、席を立った。しかし、
「私、てっきりラクトくんと付き合ってるんだとばっかり思ってた」
耳に届いた微かな声に、どの席に移ればいいのか分からなくなった。クラスの誰もが同じ感想を抱いているに違いない。どの席でも別れたのかと尋ねられるだろう。
最初から、付き合ってなんかいなかったのに。
途端に待ち望んでいたはずの同窓会が酷く白々しいものに感じられ、ラクトは隠れるようにして宴席から離れた。
人気のない喫煙室の扉を開け、懐から封を切っていない煙草を取り出す。このような事態を想定していたわけではないが、上手く喋れなかったときのために用意しておいてよかった。
「驚いた。ラクト、煙草吸うようになったんだ?」
ふいに聞こえた懐かしい声に、ラクトは封を切る手を止めた。心臓が激しく拍動した。喉が狭まっていく。
「……吸わないんでしょ、本当は」
昔と全く変わらないすべてを見透かすような口ぶりに、ラクトは苦笑した。
「やっぱ、アカネちゃんにはバレるよね」
高校の三年間、一緒になってドタバタ騒ぎを過ごした片思いの相手は、あの頃と同じように両手を腰において、あの頃とは違って苦い笑みを浮かべていた。
「吸わないなら、ちょっと、あっちで話さない?」
「……なんか吸いたくなってきた」
もう話すことなんかない。話す資格はなくなった。
「バカ言ってないで、ほら」
アカネはラクトの手を取り、同窓会の席からは見えないカウンターに連れて行った。すぐに店員に声をかけ、同窓会の席の客だと告げ、モスコミュールを頼んだ。慣れてるなぁ、と三年ですっかり大人っぽくなったアカネに半ば呆れながら、ラクトはハイボールを頼んだ。
「それじゃ、改めて再会を祝して」
「……と、じゃあ、結婚おめでとう、ってことで」
チン、とグラスのぶつかる音が響いた。今度はうまくいえたと思った。
しかし、アカネは物憂げに眉を寄せていた。
「ラクトにそう言われると、何か傷つくなぁ」
「……なんだよ、それ」
「だってほら、覚えてる? 高校の頃」
「忘れるわけないだろ? あんな楽しかったことなかったし」
毎日毎日、下らないことで騒いで、ときには喧嘩になったりもしたけど、すぐに仲直りできて、三年たった今でも一番輝いていた頃だ。
今では、後悔しかないが。
「私さ、待ってたんだよ?」
「……知ってる」
「卒業式の日、ラクトは絶対、私を選ぶんだと思ってた」
「…………」
ラクトはハイボールに口をつけた。ウィスキーが多いのか、舌先が痺れた。
高校時代、ラクトはアカネを含む三人の女声に思いを寄せられていた――と、思う。我ながら自信過剰な気もするが、当人の口から待っていたと言われたのだから、少なくとも三人のうちの一人は、その認識で間違っていなかったのだろう。
優柔不断の代名詞があるとすれば、それは自分のことだろうとラクトは思った。
違う学校の女の子に、後輩の子、それにアカネ――。
バカだったと思う。
三人に思いを寄せられているのを知っていて、見ぬふりをして、自分の片思いということにしてきた。決めるのが怖かった。誰かを選べば他の二人と距離ができてしまう。卒業式の日こそは言おう思っていたのに、いざ三人を前にすると答えを出せず、逃げ出してしまった。
「……あのとき、どれくらい走ったっけ?」
「町内中。あんなに走ったのマラソン大会以来だったよ」
スラスラと動く自分の口に、ラクトは苛立ちを覚えた。あの頃と全く変わっていない。話を逸し、結論を先送りにして、自然にバラバラになる。
「……ねぇ、私に、何か言うことない?」
「……おめでとう以外に?」
言った瞬間、ラクトは言葉を取り消したくなった。結婚が決まっているアカネに祝いの言葉を除いて何が言えるのだろうか。
逃げた自分に、そんな資格はない。
カラン、と指先で氷を回し、アカネは潤んだ瞳をこちらに向けた。
「おめでとう、以外に」
「……一個だけ、ある。いや、二個かな」
「言ってみて。最後のチャンスだよ」
最後――最後か。
ラクトは持ち上げかけたグラスを置いた。最後の最後まで酒の力に頼るようでは、これから先も自分では決められない人生になってしまう。
言うんだ。今度こそ。自分の意志で。
ラクトは一度硬く目を瞑り、アカネに向きなおった。
「アカネちゃん。俺、ずっとアカネちゃんのことが好きだった。卒業式の日、伝えられなくて、ごめん。今さら遅いのは分かってるけど――」
けど、何だよ?
ふいに胸のうちに疑問が湧いた。
結婚しようとしている人に思いを伝えて、どうする?
「けど、何?」
言葉につまるラクトを促すように、アカネがカウンターに手を滑らせた。
「お、俺と……」
「『俺と』?」
試しているような、あるいは祈っているような、かすかに震えるアカネの声。
あの日とることができなかった手に、ラクトは自分の手を重ねた。
「俺と付き合ってくれませんか?」
やっと言えた。
遅すぎたかもしれないけど、言えた。胸の奥でずっとつかえていたものが取れ、視界が滲んでいくのを感じた。
「ごめ――、自分勝手なこと言って泣くとか、最高にかっこ悪いな」
ラクトは涙を拭い、アカネの手を、離そうとした。
しかし、引こうとした手は、ずっと思いを寄せてきたヒトに捕まえられた。
「かっこ悪くなんてないよ? うれしいよ。ずっと、みんなも聞きたかった言葉だもん」
アカネはポロポロと涙を流しながら、後ろを向いた。
「みんな! 聞いてくれた!?」
「――へ?」
みんな、って? と、目を丸くするラクト。
ほとんど同時に、角から同窓生たちが飛び出してきた。
「さぷらーーーいず!!」
「へ? え?」
事態を飲み込めずにいるラクトに、アカネは泣き笑いしながら言った。
「みんなに頼んで、協力してもらったの」
「きょ、協力……?」
「そうだぜ、ラクト!」
お調子者の親友が、ずいっと前に進み出た。
「押してダメなら引いてみろ作戦
「は? はぁ? 作戦? 背水陣」
「そう!」
学級委員長が眼鏡を押し上げ、前に出てきた。
「結婚なんて嘘! 同窓会が始まってから一時間でラクトくんが動かなかったら、これを最後にするってことで、みんなで話し合っておいたの!」
「本当なら嫌だったんだけどな。けど、発案者は俺だよ」
そう言って、ライバルだった男がニヤリと片笑みを浮かべた。
ラクトの脳裏に高校時代の三年間が閃く。そうだった。バラバラになった三年間ですっかり忘れていたけれど、あの頃は、
万事が万事、そうだった。
呆けるラクトに、アカネは言った。
「もう言質とったし 逃さないからね!?」
「え、えぇぇぇぇぇぇ!?」
逃げたい。逃げ出したい。いますぐ穴を掘って埋まりたい。
頬を引きつらせるラクトに、ラブコメディな三年間を共に過ごしたクラスメイトが口をそろえて言った。
「おめでとう! ラクト!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます