ラスト三分

『センパイ、助けてください』


 月曜日。一週間で最もけだるい一日の、午後最後の授業が終わる三分前に、映画研究会の後輩、楠木くすのき映美えみからメッセージが届いた。


 何やってんですか、カントク。


 と、助監督を努めた結城ゆうき智也ともやは、苦笑交じりに、ちょっと待って、のスタンプを送信した。

 おおかた予想はついていた。土日を使って編集をすませ月曜には内々で試写をすると息巻いていたが、終わらなかったのだろう。たった三十分の短編とはいえ、編集はこだわりだせばキリがないのだ。……そう、入門書に書いてあった。


『お願いです。助けてください』


 ポッ、とメッセージが届いた。

 普段とは異なる無機質なメッセージに、智也は眉をひそめた。

 見る専門の映画研究会で、映画を撮りたいと発案したのは、一年生の映美だった。


 最初はあえなく却下。予算がない。人手もない。しかも発案者の映美も含め、部員は誰ひとりとして撮影の経験がない。止めろ、と部長は言った。

 しかし、二週間後、映美は五万円を部室の机に叩きつけて宣言した。


「足りない分はなんとかしますから、やらせてください」


 お小遣いやらお年玉やら、ちまちま貯めていたのを全部下ろしてきたのだという。

 智也は、身銭を切ってでも撮りたいという映美の熱意にほだされ――そして若干の下心もあって――協力を申し出てしまった。


 それからの三ヶ月間は地獄だった。予算確保のバイトに、部員の説得、演劇部への出演依頼、撮影場所の許可取り――。

 三日前まで走り回らされ、映美とは恋人というより戦友のような関係になってしまった。


 しかし、悔いはない。


 初めのうちは乗り気でなかった部員たちも映画が形になるにつれ熱気を見せ始めたし、演劇部の演技にも光るところがあった。シナリオ自体はシンプルな恋愛ものだが、映美の急ぎすぎない演出によって、頭の中にある完成品はたしかなものになっていた。


『部室にいます。お願いです。助けてください』


 続けざまに届いた、無機質で、悲壮感すら漂うメッセージ。撮影中にも何度かあった、非常事態のときの特徴だ。


 ――はいはい、分りましたよ。


 授業が終わると同時に、智也は小走りで部室に向かった。今度はどんな問題だろうか。まさか編集に使っているパソコンが壊れたか? それともデータが飛んだとか?

 何の気なしにした想像に、身の毛がよだつような思いがした。


 上映会、明後日なんだぞ?


 そう口の中で呟きながら、智也は部室の扉を開いた。


「……え? 何、これ」


 試写中のようだった。真っ暗な部屋にプロジェクターとノートパソコンの光。画面を覗き込む映美は後ろ頭しか見えない。


「お、おーい……映美ー……?」


 びくん、


 と、映美の肩が弾んだ。ゆっくりと、首の骨が錆びついているかのように振り向き始める。

 不気味な気配に、智也は喉を鳴らした。


「ど、どうした?」

「ラストが、ラストがぁぁぁぁ!」


 いつもの調子の映美だった。

 張り詰めていた緊張の糸が切れ、智也はほっと安堵の息をついた。


「っだよ、お前、驚かせんなよ! 電気つけるぞ!?」


 パチン、と電気を灯すと、目の下にどす黒いクマをつくり泣きじゃくる映美が顕になった。

 智也は思わず、うわ、と呟き、慌てて口を塞いだ。


「……お前、寝てないのか?」

「センパイ、私、どうしたらいいのか分からなくて……」


 映美は赤く腫れた目元を拭った。


「何度やっても、何度もやってもダメなんです」

「落ち着け。何がダメなんだ?」

「最後の三分間だけダメなんですよぅ」


 ぼろぼろと、映美の瞳から涙がこぼれた。


「編集ではつながってるのに、最後だけ映らないんです。みんながんばってくれたのに……」

「とりあえず鼻かめ、鼻。ひどい顔してるぞ?」


 智也は部室のティッシュ箱を差しだし、画面を覗き込んだ。

 編集済みと思われる動画ファイルが三つ。何度も消しては出力したのか、ファイル名の後ろについた数字は十八となっていた。


「最後の三分間だけ、流れないんです」

「……なんだって?」


 映美のいう最後の三分間とは、映画のラストシーンのことだ。短いカットを重ねて緊張感を高め、最後の最後、主人公とヒロインが抱き合うまでの三分間だけ長回しで撮っている。


 撮影順も最後に回し、何度も何度もリテイクをして、主演の二人も疲労といら立ちから喧嘩寸前までいった、渾身のカットだ。


 撮影後、泣きながら礼をいう映美に、つい数瞬前まで一触即発の気配だったスタッフ全員が一緒になってもらい泣きした、全力を投じた三分間。


「編集が悪いのかと思って何度もつなぎ直しましたし、一秒とか、半コマとか、ちょっとズラしたりもしたんです。でも、どうやっても、ラストだけ真っ暗になっちゃうんです」

「なんだそりゃ? ちょっと見るぞ」


 智也は動画ファイルをクリックした。オープニングは正常、本編はいいとして、最後の方までシークバーを動かす。一瞬、長回しのシーンが映った。


 映ってんじゃん、と思いながら智也は長回し直前までシークバーを戻し、指を離した。

 主人公がヒロインを呼び止め、向かい合う形に――。


 ぶつん、


 と、急に画面が真っ暗になった。


「あれ?」


 智也は再生時間に目をやった。時間は正常に経過している。


「何度やっても、そうなっちゃうんです。音も出なくて、映像そのものは残ってるみたいで、シークバーで動かしてるときは見れるし、スタッフロールも流れるし……。私、どうしたらいいか分からなくって、もう、もう、みんなになんて言ったらいいのか分からなくて、これ以上みんなに迷惑かけられないし、上映会は明後日なのに、私……」


 映美はまた泣き始めた。三日間、ずっと一人で悩んでいたのだろう。クランクアップ直後の感涙は、彼女が言い出しっぺとしての責任感と罪悪感を強く感じてきた証拠だ。


 ――ここは、俺がなんとかするしかねぇよな。


 頼れるセンパイとして。助監督として。

 そして、戦友として。

 智也はスマートフォンを取り出しつつ、映美に尋ねた。


「他の再生ソフトは試した?」

「試しました。もう、考えられる限り、全部。編集ソフトも変えてみたり、機材だって、お父さんのパソコンも借りたりして、でもダメで……」


 今にも死にそうな映美の背中をなでさすりつつ、智也は部長にメッセージを送った。


『部長。非常事態です。編集済の映像が最後の三分間だけ流れないんです』

『やっぱりな』


 すぐにそっけない返信がきた。


『俺から先生に言っとくから、上映会は中止にしよう』

『なんでそこで中止なんですか? 手を貸してほしいんです』


 部員のみんなが熱意をみせるなか、部長だけは頑なに撮影の中止を訴えてきた。あまりにも強硬な態度をとるために、一時は智也が部長の代わりを務めたほどだ。

 今回の新入生向けの上映会についても、もっての他だと言っていた。


『無理なんだよ。ウチの研究会は映画を撮っちゃいけないんだ』


 部長の意味の分からないメッセージが届いた。


『呪われてるんだ。ずっと昔、自主制作映画の上映会中に事故があって、それからウチでは映画は撮っちゃいけないんだよ。最後の三分間ってのは、そんときの代がつくったおまじないだ』

『呪いだなんだとか、訳のわからないこと言わないでくださいよ』

『嘘じゃない。部長席の一番下にある引き出しだ。お前が次期部長だし、見とけ』

「……くっそ、何だってんだよ」

「……部長ですか? なんて言ってました?」


 小さく縮こまる映美に、智也は安心しろと笑ってみせた。


「大丈夫。センパイにまかせとけって、カントク」


 智也はポンと映美の頭を撫で、部長席の一番下の引き出しをあけた。

 古ぼけて赤茶けたノートが、一冊だけ、置いてあった。他には何も入っていない。


「……なんだ、こりゃ」


 智也はノートが放つ異様な気配に躊躇いながら、そっとページをめくった。

 一ページ目に書かれた、三行の文字列。

 

 撮影○

 編集○

 視聴☓

 

 何のことか分からずにページをめくると、でかでかと、


 最後の三分間に、アレが映る。


 と、だけ殴り書かれていた。

 次のページには、


 最後の三分間だけは見せるな。

 

 と、だけ。

 そして、次のページには、

 

 君たちのために、卒業までは耐えてほしい。

 

 と。

 その切々とした文章に、智也は背筋に冷たいものが流れるのを感じた。しかし、今は明後日の上映会だ。こんな手の込んだいたずらになんか構っていられない。


 どうせ部長の嫌がらせだ、と智也はノートを乱暴に閉じ、引き出しに叩き込んだ。

 映美が弾かれたように顔をあげ、泣きそうになりながら言った。


「な、何か、分かりました?」

「ああ。部長は最後までやりたくないってことだけわかった」

「そんな……」

「大丈夫だよ。とりあえず、明後日だけはなんとかできる方法がある。カントクからすりゃ不本意だろうけど――」

「お、教えてください! 私、なんでもします!」

「落ち着けって。なんでもするのはこっちの方だよ。あのな。とりあえず他の部分は流せるんだから、最後の三分間だけ、演劇部に頼んで、目の前でやるってのはどうだ?」

「目の前で、ですか?」

「そう。生徒たちの前で、演劇に切り替える」

「でも……」

「迷惑かけたくないって? カントクがそんな気の小さなこと言ってんなって。この助監督さまに任せろ。意地でも話しつけて、上映会は成功させる。で、後で問題を洗い直してさ、今度はちゃんとした形で上映会だ。どうだ?」

「……はい!」


 映美は涙を拭った。

 そして。

 演劇部にも協力してもらった上映会には、多くの生徒がつめかけた。上映が始まると、皆が食い入るように映画に見入った。会心の出来だと、智也と映美は舞台袖で喜んだ。

 

 映像が途切れるであろう三分間に入る直前、スポットライトが舞台に伸びた。

 ざわめく会場。

 主演の二人が向き合い、そっと近づいてき、

 

 ばたり、

 

 と、倒れた。

 一瞬の静寂の後、倒れた二人の口から真っ赤な血が溢れたとき、悲鳴が響いた。

 最後の三分間だけは流れなかった。


 智也と映美は、それから映画の話をしなくなった。

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