無限ルール
「……あれ? ここ、どこだ?」
マナー講師の
たしか『宴席でのとっくりを用いた酒の注ぎかた』の講義中、「注ぎ口もダメ、注ぎ口以外もダメって、どうすりゃいいんだ!」と、錯乱した受講生に生ハム用フォークで刺されたはずだ。
痛みを感じて、死ぬと思って、生きてた。
もしかして病院? 麻酔で寝てた? と、躰を起こす。
「なんだ、こりゃ……」
延々と、ただ延々と白い空間が広がっていた。
「あ、お目覚めになられましたね」
「うぉ!?」
語尾に音符でもついていそうな可愛らしい声に驚き、法月は振り向いた。
女神がいた。
それも、旧態依然といっても過言ではない、旧型の女神が。
金髪に月桂樹の冠、真っ白いトーガ、背中に羽。
……羽? 羽があったら天使では?
と、律が首を傾げると、
「私は女神のルーラーちゃんです!」
先回りして疑問を叩き潰すような宣言がなされた。
「えっと……ルーラー・チャンさん?」
「違いますよう。ルーラーちゃんです。敬称を二つ重ねるのはマナー違反ですよ?」
「え、あ、はい……」
ちゃんは敬称なのか? というか、外国の女神としか思えない姿で一人称が自分の名前プラスちゃんだなんて誰が想像できるというのか。
理不尽な指摘に自分を刺殺した受講生と同じような苛立ちを覚えたが、しかしルーラーちゃんが可愛かったので律は笑って流すことにした。
「えと、それで、ここはどこです? 女神がどうとか言われても」
「はい! 流行りの異世界転生っていうのをルーラーちゃんもやってみたいと思ったのです!」
「は、流行り……?」
いやもう流行りというよりジャンル化している気がする。
「そうです! 最近、神の世界で始まったお遊びなのです! みんな楽しそうだから、私もやってみたいなって思って」
「……お、お遊び」
律はとうとうつに理解した。神にとってヒトの命なぞ壊れやすいおもちゃレベルのものでしかなく、また永遠の命をもつ神にとって人間の十数年なぞ一瞬と大して変わらないのだ。
「ということは、俺もどこかに転生させられるんですか?」
「はい! ルーラーちゃんがチート能力をあげます!」
展開が早すぎる、とは言うまい。両手をぎゅっと握るルーラーちゃんが可愛いから。
「もしかして、マナーに関わる能力とか?」
「んはっ!」
ルーラーちゃんは背中を反らして大げさに驚き、律の頭を撫でた。
「察しがいいですね! いいこいいこです! マナー講師としての経験を生かせるように、あなたにはデスマナーの力をあげちゃいます!」
「で、デスマナー?」
お気にの保母さんの真似をする園児のようでありながら、なんと剣呑な気配ただよう造語を吐くのか。
「そうです! 律くんはマナー違反者をボンッ! とできるようになります! でも、気を付けてくださいね? 一度指摘したマナーは自分にも適用されちゃいます。だから律くんが指定したマナー違反をすると、ボンッ! ってなって最初からやり直しなのです!」
ルーラーちゃんは両手をぎゅっと握って顔を近づけてきた。
「どうですか? 面白そうじゃないですか?」
キラキラと輝くルーラーちゃんの瞳に少し照れつつ、律は考えた。
ボンッ! の意味は分からないが、チート能力というからには相手を倒せる的な力だろう。そして俺はマナー講師で、自分でつくったルールを守り守らせてメシを食ってきた。ようはテキトー言ってやりたい放題ってわけだ。
「……すごく面白そうですね、それ」
「ですよね! でも! ここからがもっと面白いんです」
「と、言いますと?」
「よくぞ聞いてくれました!」
ルーラーちゃんはえっへんと平たい胸を張った。
「律くんがつくったルールでボンッってなっちゃったら、それが世界のルールとして生まれ変わります! つまり、みんな守っちゃうわけです! ですから次にボンッ! ってさせたいときは別のルールを作らなくてはいけないのです!」
「なるほど、それは……」
面白そうですね、とつられそうになった律だったが、強烈な違和感に言葉を飲み込む。
何かがおかしい。自分にとってマイナスになるルールが入るなんて、らしくない。
「ルーラーちゃんは異世界転生ごっこに新風を巻き起こすのですよ!」
そう言って、ルーラーちゃん――支配者を意味する名をもつ女神はにこっと微笑んだ。
「それじゃ、世界を救ったら現世に戻しますので、行ってらっしゃーい!」
「えっ、ちょ、まっ……」
慌ててルールを確認しようとしたが、遅かった。
真っ白い光に包まれた律は五感のすべてを奪われ、暖かさと安らぎのなかで瞼を閉じた。
…………。
……。
律は草原に寝転がっていた。もう送られてしまったらしい。
「……やべぇ。なんだっけ。マナー違反を指摘するとボンッ! だっけ?」
言われたルールを確認しようと、律はルーラーちゃんとの会話を思い出そうとする。
だが、
「キャァァァァァァァァッ!」
と、絹を裂くような悲鳴に思考を中断された。
「いきなりか!? まだルールの確認もできてないのに、クソッ!」
律は慌てて悲鳴の主の元に向かった。
あれは……!
長い耳をした――いわゆるエルフ的な――美少女が、緑色の――いわゆるゴブリン的な――化物を前に、腰を抜かしていた。
「大丈夫か!」
律はエルフの少女とゴブリンの間に割り込んだ。
ゴブリンは律を威嚇するかのように唸った。瞬間、
「おい貴様! まずは名乗るのがマナーだろうが!」
律は言った。
ボンッ! とゴブリンの頭が爆ぜ、血と脳漿が散った。
すげぇ……これなら楽勝じゃん。まさにチート!
膨れ上がる高揚を腹の底に隠し、律はエルフの少女に振り向いた。
「大丈夫だった?」
「あ、あなたは……?」
エルフの少女は呆然と律の顔を見つめ、
ボンッ! と、爆ぜた。
首から上が吹き飛んだ少女の躰がゆらりと傾げ、倒れた。
「――――ッ!?」
律は顔に飛んだぬるりとしたものを手で拭った。赤。
血の、赤色。
「あ、あ、あ……」
――ルールだ。マナー違反をしたら、ボンッ! って、なる。
そして、自分でつくったマナーは、
「……あ」
律の頭が、ボンッ! と爆ぜた。
そして次の瞬間。
「同じ……空……」
律は最初に放り出された草原にいた。ということは。
「キャアァァァァァ!! 私はエルフの村のメイア・マルルーですぅぅぅ!」
絹を裂くような悲鳴と、自己紹介。
「ゴブゴブゴブゴブ!!」
ゴブリンらしき何かの威嚇と、おそらく自己紹介。
世界のルールが増えたのだ。
律は顔を青ざめながら悲鳴の元に向かった。
ゴブリンのゴブゴブさんを前に、エルフの少女メイア・マルルーが腰を抜かしていた。
律は叫んだ。
「大丈夫か! 俺は法月律だ!」
「メイア・マルルーです! 助けてください!」
「ゴブゴゴブゴブ!」
名乗りを終え、律はゴブゴブさんとメイア・マルルーの間に割り入った。
「お、おい、お前!」
――何を、指摘すればいい?
名乗りはすでに使えない。
頭を下げる?
ダメだ。自分は日本人だから守れるが、エルフの少女はそんな文化をもっていない。
戦ってはいけない、とか?
ダメだ。それじゃ自分の頭も吹き飛ぶ。しかも、次に目を覚ませば戦いのない平和世界を救うとかいうわけのわからない展開になる恐れが高い。
つまり、ここは!
律は目を見開いた。
「おい! 棍棒をは右手の小指を柄尻にかけて持たないと失礼だろうが!」
ボンッ!
――我ながら完璧な創作マナーだ。
律はニヤリと片笑みを浮かべ、メイア・マルルーに振り向いた。
「大丈夫かい? メイアさん」
「あ、ありがとうございます――律さん」
目を涙でいっぱいにして礼をいうメイア・マルルーを抱き起こし、律は心のうちで呟いた。
せっかくだから、エロいマナーでもでっちあげて、ボンッ! ってしとくか? そうすりゃ世界のルールになって――。
律の顔がゲスっぽく歪む。
ルールさえ分かれば、こっちのもんだ――。
と、思っていた。
律はこのとき知らなかった。
先の『棍棒の持ち方ルール』で、全世界の棍棒持ちの九割九分が死滅したことを。
そして。
「あーあ……律くん、動かなくなっちゃった」
ルーラーちゃんは異世界の様子をのぞき見て、不満げに頬を膨らませた。
数百回目のループの後に、律は最初の場所から動かなくなってしまった。
なんでだろー、という風に、ルーラーちゃんは首を傾げる。
「んー……あ! もしかして、マナー講師だからダメだったのかな!?」
ルーラーちゃんはポン、と両手を打った。
「よーし、次はルールを守らせるのが仕事の人にするぞー。えっと、警察? かなー?」
その日、日本を異次元から見下ろす支配者は、警官の一人を殺した。
ルーラーちゃんは、まだルールの欠陥に気付いていなかった。
無限に増え続けていくルールをすべて覚えておくことなど、人にはできない。すべてを覚えていられ、任意でわすれることもできる神のルーラーちゃんには、分からなかったのだ。
ルーラーちゃんは、数百回の失敗の末に、ひとつのルールを加えた。
「それとー、今回からは、紙とペンを貸しちゃいます! これでもう覚えておかなくていいんですよ!? すごいでしょ!?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます