俺の彼女は神さまである。

 おれの彼女は神である。

 ……何を訳のわからないことを、と思われるだろうが、本当だ。「君は俺の女神だよ」的な比喩表現ではなく、我が家の裏手にあるこじんまりとした神社に奉られている、れっきとした神なのだ。


 名を、豊満姫神とよみひめという。

 あからさまにないすばでーな姿を連想させる名前だが、本人ならぬ本神さまは……よくて中学生くらいのちんちくりんだ。歩くのも難しそうな高下駄を履いてなければ、神主的な服もコスプレにしか見えないだろう。


 子どもの頃から豊満姫神さまの神社で遊んでいた俺は熱心な信徒と認定され、紆余曲折の後にひとまず従者という形で付き合うことになったのだが――、

 久しぶりにやらかした。


 春休みで油断し、昼過ぎまで寝過ごしてしまったのだ。まぁ過ぎた時間は取り返せない。俺は昼食をとってから神社に行った。が、


「なにをしておるのじゃ! でぇとに遅刻してくる者があるか!」


 豊満姫神さまはえらくご立腹の様子で、扇子でぽかぽか叩いてきた。地味に涙目になっているあたり神の威厳よりも可愛らしさを覚える親しみやすさだ。


 ちなみに、豊満姫神さまのいう「でぇと」とは、境内の掃除のことである。

 なぜ境内の掃除がデートなのか。勘のいい方は察したかもしれないが、豊満姫神さまは境内から出られないのだ。


 ほとんど忘れかけられている豊満姫神さまの神社には神主がおらず、豊満姫神さまが外出してしまうと何が起こるかわからない。

 

 人の身に例えれば、家の窓や扉を全開放して散歩に行くようなもの。やれるものならやってみろという話……この一年で起きた事件といえば境内で野良猫が子供を生んだくらいのものなので余裕な気もするが、言ったら泣きそうなので言わない。


 ――とはいえ、境内の掃除デートは人の身に例えれば「おうちでデート」である。可愛い彼女と二人、おうちでまったり過ごすと思えば悪い気はしない。いや、むしろ嬉しい。


「にゅわぁ!? どうなっておる! わしの神通力をもってしても引けぬのかぁ!?」


 お貸ししたスマートフォンでガチャ爆死に勤しんでおられるのでなければ、なお嬉しい。というか自分の拝殿とはいえ縁側に座っていいのだろうか。


「……豊満姫神さま。あの、それ俺のスマートフォンなのであんまり連ガチャは……」


 いくら可愛い神さまのためとはいえ月末の請求書に膝を折りたくはない。


「何を言っておる! 布施じゃ! 賽銭じゃ! 信徒の誉れじゃ!」


 豊満姫神さまはくわっと八重歯を見せた。


「それに次こそは来そうな気がしおる! 見ておれ!? いま儂の神通力で……」

「やめてください」

「む。儂を楽しませようという気はないのかの?」

「いえ、そうではなく……なにかこう、別の遊びをしませんか? もう掃除終わりますし」

「むむむむ……」


 豊満姫神さまはひとしきり唸り、びしっと扇子を振った。


「いやじゃ! おはじきもお手玉も双六すごろくも! 子ども騙しの遊びではないか!」


 怒り方からして子供じゃん、とは言うまい。

 リスのように膨らんだ豊満姫神さまの頬をぷすぅと指でつぶし、俺はスマホを取り上げた。


「もうダメです。これイベント外だと一回五千円もするんですよ?」

「ぬぁ!?」


 ガンッと豊満姫神は目をまん丸くした。


「ご、ごせんえん……!?」

「そうです。これ以上回されると、バイト増やさないといけないですし、そうしたらしばらく来れなくなっちゃいますよ? いいんですか?」

「そ、それは……困る……すまぬの」


 しょぼーんと悄気返る豊満姫神さま。


「ですから、何か他のことをして遊びましょう。俺、なんでもしますよ」

「なんでも? 今、なんでもと言ったか?」


 途端に、豊満姫神さまの瞳がギラっと光った。まるで祟り神だ。


「あ、あんまり無茶なことでなければ……」


 俺はそのとき、油断していた。

 どれだけ子供っぽくて豊満姫神さまは豊穣の神。仮に無茶なお願いをされるにしても、精々が「お馬になるのじゃ」とか「肩車をするのじゃ」とか、ゴリゴリに無茶レベルでも「お社の屋根を修理してくれんかのう?」くらいだと思っていた。

 しかし、


「お主、ヤキモチをやいてくれんかの?」

「……はっ?」


 神は荒ぶられた。

 ヤキモチ? 正月はとうの昔に過ぎたし餅なんて残っていない。いや、近所のスーパーで買ってくればいけど、境内で七輪とか使っていいの? いやまて、もしかしたら長野の『おやき』のことかも


「やきもちの一つも妬かれぬようでは、と言われての」

「誰にですか」

須世理姫すせりびめの遠縁じゃ」

「……ああ、なるほど……?」

 

 須世理姫といえば嫉妬の女神。会えばそれくらいは言われるかもしれないが――。

 きたの? こんな場末の神社に?

 困惑する俺に、豊満姫神さまはおっしゃられた。


「で、妬いてくれるかの?」

「……ま、まぁ、いいですけど……」

「そうか!」


 と、大輪の花のような笑顔をみせる豊満姫神。可愛い。けど、


「……誰にやきもちを焼けばいいんです?」


 俺は境内を見まわした。寒風一吹き、落ち葉の一つも残っていない。


「俺の他に豊満姫神さまのことを好きな人っているんですか?」

「ぬぁ!? お、お主! なんという罰当たりなことをっ!」


 瞬時に涙目になり、豊満姫神さまは扇子でぺしぺし叩いてきた。地味に痛い。


「す、すいません! 間違えました! 妬きます! やきもちを妬きますから!」

「ふん! もうよいわ!」


 豊満姫神さまはぴょんと縁側から飛び降り、駆け出した。まさか、


「俺を置き去りにして出かける気ですか!?」

「違うわ! 見ておれ! 絶対にやきもちを妬かせやる!」


 豊満姫神は参拝客の一人もいない境内のあっちこっちを駆け回り、やがて一匹の猫を抱えてドヤ顔で戻ってきた。引っかかれでもしたのか、豊満姫神さまの頬に三本の傷がついていた。


「見りゃれ!」

「……猫ですね」

「そうじゃ! 猫じゃ!」


 豊満姫神は猫を足元に下ろし、屈み込み、やおらに頭を撫で始めた。その優雅な手付きに猫はうっとりと身を委ねる。豊満姫神は慈愛の微笑みを湛えて、猫の喉を、腹を、そして背中を撫でさすり、最後には頬ずりを始めた。


「可愛いのー。愛い奴じゃのー。どっかの『かれし』とはまったく違うのー」


 ちらり、と豊満姫神さまがこちらを見上げた。

 ……えっ?

 俺は思わず左右を見回した。当たり前だが他に人など居やしない。


「えっと……こ、こいつー、お前なんかに豊満姫神さまはわたさんぞー」


 なんとか嫉妬めいた言葉をひねり出し、俺は猫の腹を撫でた。柔らかかった。野良猫はごろにゃーんとわざとらしいくらい猫っぽい声で鳴いた。そして豊満姫神さまは、


「……ち、ちゃんとやきもち妬かぬかー!」


 涙目で扇子を振り回した。足元の猫がふぎゃんと鳴いて逃げていった。

 あ、と二人――一人と一柱ひとはしらで猫の背を見送った。


「せっかく……せっかく見つけたのに……」


 しょぼーん肩を落とす豊満姫神さまが愛らしく、俺は思わず吹いてしまった。すかさず、ぺちん、とスネを扇子で叩かれた。これはちょっと笑えないくらい痛かった。

 そして。


「豊満姫神さま? いいですか?」


 すっかり拗ねて縁側で足をプラプラさせる豊満姫神に、俺は言った。


「豊満姫神さまは神さまなんですから、俺が嫉妬する権利なんてないんですよ?」

「……なんじゃそれは! 慰めるにしてももっとよい言葉はないのかっ!」


 ぺちん、と扇子が飛んできた。痛い。

 俺は打たれた額を撫でつつ答えた。


「さっきの猫もそうでしたが、豊満姫神さまの御姿をみると誰もがほっこりしてしまうんです。俺は嫉妬なんか抱かせない豊満姫神さまのことが好きなんですよ」

「……むう……そう言われてものう……どうも儂は子ども扱いされておる気がして――」


 鋭いな。と、俺は喉元まで昇ってきた言葉を気合で飲み込んだ。

 しかし、豊満姫神さまはあっさり勘付き、瞳をうるうると潤ませだした。また扇子が飛んできそうだ。


 ……まぁ、罰当たりなことを考えたのは俺だしな。


 俺は打たれるつもりで額を差し出した――が。

 いつまでたっても扇子がこない。

 どうしたんだろうと顔を上げると、豊満姫神さまは呆けたように鳥居の方を見つめていた。


「さ、参拝客じゃ!」


 子供が三人。いずれも男の子だ。


「おうおうおう、可愛い子らよのう。昔のお主に似ておるわい。どれ、ちょっと遊んで――」

「待ってください」


 俺は思わず豊満姫神さまの手を掴んでいた。


「…………子どもじゃぞ?」

「…………わ、分かってます、けど」


 手を離せなかった。離す気にならなかった。

 途端、豊満姫神さまはにへら~と笑い、俺の頭を撫でた。


「おうおうおう、愛い奴じゃ! 愛い奴じゃのー!」


 猫可愛がりである。子どもに嫉妬した自分が恥ずかしいやら、自分を撫で回す柔らかい手の感触がくすぐったいやら、顔が熱くなった。

 ふ、と手が離れ、豊満姫神さまは言った。


「やきもちを妬かれるというのは、悪くないの」

「…………へ?」


 豊満姫神さまはパン! と扇子を広げて口元を隠した。


「お主はそこで見ておるがよい!」


 すちゃりと扇子を戻し、子どもたちに振り向いた。


「そこなわっぱら! わしが一緒に遊んでやろう!」

「ちょっ! 豊満姫神さま!?」


 なにはともあれ、俺の彼女はとてもかわいい神さまである。

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