(3)ロンリー論理
どこまで行っても孤立無援。予想だにしてなかったこと、でもないのに、独りを実感してしまうとどうしても眉間に皺を寄せてしまう。
奥歯がむず痒くて、頬が震える。きっと今のぼくは、不細工な顔をしているのだろう。
ぼくは自分がどんな時にこういう顔をするのか、心当たりがあった。
それは、耐えられないわけではないことを知っているからこそ、溢れそうになる涙を堪えている時。
堪えると言えば聞こえはいいけれど、実際のところ誰にでも耐えられる痛みに、これ見よがしに苦しみながら耐えているだけ。
狼少年のエマージェンシーコール。最初から耳を傾ける人なんていないから、騙す相手はいつだって自分だ。しまいには自分にすら見限られるから、狼少年は口を閉じて嘘を吐くようになった。
雨は降り注ぐというよりは、漂っているみたいだった。
傘を差さなくてもいい程度の小雨だから、一歩進むたびに何かを潜り抜けているような気分になる。
吐き損ねた反吐を洗い流せるほど強くはないけれど、多分、これくらいがちょうどいい。
傘を持たない人達はやや小走り気味。むしろ傘を持っている人は手に持っているそれを差すこともなく、ゆったり歩いている。
雨の匂いを嗅いでいると、吐き気は和らいできた。
足は少し痛むけれど、目についた自販機に向かって走る。
ミネラルウォーターを買って一気に半分ほど飲む。胸を通り抜けて、胃の中に冷たさが溜まってゆくのが分かった。
ぼくは自分の身体が平常時以上の熱を持っていたことに気付いた。熱に浮かされたような感覚が、身体の中を通る水の冷たさによって萎えてゆく。
それとほぼ同時に、夜風が強く吹き付けて、思わず身震いしてしまう。
自分の嫌なところが滲み出てくる。にもかかわらず腹の虫が鳴って、身体だけは正しく生きていることに、無性に腹が立った。
一度空腹を認識してしまったから、この胃の痛みは、中身が空っぽだからこそのものであるように思えてくる。
もう一度、ミネラルウォーターを飲む。冷えきった水が通る場所が、吐き気を催すくらい空っぽなのは、疑うまでもなかった。
▼
ハンバーガーショップに立ち寄って、注文は手短かに済ませた。
のんびり店の中で食べる気にはなれないし、あてはなくとも心臓を探さなければならない。
店員にトイレに行く旨だけ伝えて、階段を昇る。頭を下げて歩いていたので、ぼくの目には足元しか映っていなかったけれど、耳は的確に、嫌な音だけを拾った。
「カラオケ行く?」「いいね」「どこの?」
「駅前の最近出来たところ!」「ちょうど気になってた」「私も」
毒気のない談笑の声。どっと溢れかえる喋り声達の中から、三人。
中間踊り場で足を止めて、顔を上げる。格子手摺の上の方で、長い髪を垂れ下げてもたれかかる、ぼくと同じ制服を着た後ろ姿を見つけた。
「割引券あるんだよね」
きっと心臓があったら、ぼくの胸は跳ね上がっていたことだろう。
喉の奥が締め付けられるような心地。手摺にもたれた後ろ姿はくるりと回って、階段の一段目に足をかける。
それに続いて、二人もこちらにやってくる。
彼女らは互いの顔を見合って談笑を続けているので、ぼくに気付いていない。
ぼくは三人がクラスメイトであることを確認すると、再び顔を伏せた。
踊り場の端に自分の身を追いやって、彼女らが通り過ぎるのをじっと待つ。
「わかる」「そうそう」「ほんとにね」
それぞれを肯定し合う相槌。嫌味なく獲得し合う承認は、きっとぼくには一生かかっても手に入れられないもの。
恋人なんか作ってみちゃったりして、そもそも人に対して不誠実であるうちは、本当の自分など曝け出せない。傷つくことを恐れるうちは、他人を知ることなんて出来ない。
彼女らとすれ違うまでが、途方もなく長い時間に思えた。そして、すれ違ってからはあっという間だった。
街中で何度か嗅いだことのある香水と、雨が入り混じった香りがした。
一度もぼくの方を見なかった三人の背中を、見下ろす。
奥歯が砕けそうなくらい固く口を結んでいる自分に気付いて、それでも寂しいだなんて言えなかった。
きっと口に出してしまったら、みんなあの仮面を被るから。
出口が、あまりにも遠い。
通過地点にぼくの心臓があって、日が差す場所が遠過ぎる。
もしかしたらぼくが目を閉じているだけなのかもしれない。なるほどそれなら心臓も見つからないわけだ。
瞼の上から眼球を焼く勢いで差し込む光を、怖がっていたのだろうか。
暗がりから見た悍ましい仮面に像を結んで、いつから目も開けられなくなった?
階段を、一段ずつ踏み締めるように昇る。二階まで、少し遠い。三人が軽やかに降りてきた道のりが、遠い。
やっとの思いで昇りきった階段。膝が跳ねるように震えている。
こんなに歩いたのは久しぶりだから。取り敢えずそう思い込むことにした。
車椅子マークのトイレの戸を開けて、用を足すには少し広過ぎる空間の中で、ぽつんと浮いた便座に座り込む。
「カラオケに行きたい」
誰にも聞かれていないから、ぼくは明るい調子を作って呟いてみた。声は上擦っていた。
戸の向こう側から有線ラジオの明るいジェイポップが聞こえる。
ぼくはその曲を全然知らないから、何年か前にテレビで聴いた、タイトルも知らない曲のサビを歌った。
自宅から、この空間に至るまで、ぼくは何がこんなに痛いのか分からなくて、タイルの壁に向かって泣いていた。
壁にぶち当たって跳ね返ってくるぼくの声は、聴くに堪えないくらい不細工だった。
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