第7話『リラックス』
それにしても、異世界だというのに温泉に入っているなんて。まるで、ここは日本のようだ。温泉の作りは日本にある温泉そのものだし、日本には混浴というシステムもあるし。ただ、エリカさんのような銀髪の女の子を日本で見たことはないけれど。
「何よ、人のことを普通の人間じゃない感じに見て」
「……エリカさんは僕にとって異世界人ですし、ここまで綺麗な銀髪の女の子は日本では見たことはないですよ」
「……もぅ、そんなこと言ったってボーナスは出ないわよ」
そんなことを言いながらもえへへっ、とエリカさんは可愛らしい笑顔を見せてくれている。僕はエリカさんを褒めたつもりで言ったわけじゃないんだけれどなぁ。
「それにしても、どうして温泉なんですか? さっき、日本人はみんな温泉が好きだから入りなさいと言っていましたが」
「それもあるけれど、一番の理由はあの男を殺した報酬ね」
人殺しの報酬が温泉入浴って釣り合わない気がするけれども。
「……あれ? さっきの男を殺害することって、僕を殺し屋として雇うためのミッションだったのでは?」
「名目はそうだけれど、あの男も色々とうるさい人間だったからさっさと消したかったのよね。だから、そんなあたしの願いをあなたはきちんと完遂してくれた。そんなあなたに報酬をするのは当たり前のことでしょう?」
「そ、そういうことですか」
あれは僕の試験と同時に、エリカさんの課した人殺しという立派な仕事でもあったんだ。それをやり遂げたから温泉に入浴するという報酬をくれたということか。
「報酬は有り難いです。ただ、その……日本人には毎日、こういったお湯が張っているところに入る文化があるというか。我が儘を言って申し訳ありませんが……」
「ああ、別に毎日ここに入っていいわよ。美桜だって毎日入っているし。ただ、あんまりにも仕事をしなかったり、あたしを裏切ったりするようなことをしたらダメだけど」
「……ありがとうございます」
良かった。てっきり、エリカさんから課せられたミッションを完遂したときだけ温泉に入れるものだと思っていたから。
「この温泉を報酬だと言ったのは、真哉は温泉が好きだと思ったから。ほら、美桜の記憶を見たら、小さい頃に美桜と楽しそうに入っていたし……」
「僕も美桜も温泉は好きですね」
美桜と混浴をしたら嬉しくなると思ったのかな。実際には記憶を失っている状態でも美桜と再会できたこと自体で嬉しいけれど。
「ど、どうしたのですか? 真哉さん、涙を流されて……」
「えっ?」
僕、気付かない間に涙を流していたのか。美桜と再会して、昔のように一緒に温泉に入っていることが嬉しいのかな。
「……きっと、美桜とこうしていることが嬉しいんだよ」
「真哉さんがそう言ってくださるなんてとても嬉しいです」
美桜は優しい笑顔を見せてくれる。記憶が無くても、俺にこういう笑顔を見せてくれるなんて。今の美桜を見ていると果たして、人を殺してまで記憶を取り戻すことに価値があるのかと疑問に思ってしまう。
「じーっ……」
そう言って、エリカさんは不満そうな表情をしながら僕のことをじっと見ている。あたしに構ってっていうサインなのかな。
「……エリカさんと一緒に温泉に入れるなんて光栄ですよ」
「ふふっ」
エリカさんは笑顔になる。何というか、エリカ・ミーガンという女の子の扱い方が段々と分かってきた気がする。
「好きな温泉に入れば精神的にもリラックスできるでしょう? あなたに与えた不老不死の能力は身体的な回復はできるけど、精神的なところまではカバーできない。自分でどうにかしなきゃいけないの。それに、人殺しなんて慣れない間は精神的に相当な負担になるからね」
「エリカさん……」
そう考えているのなら、どうして異世界から僕を転移させて殺し屋なんてさせるのか。エリカさんなら人を殺すような能力や技をたくさん持っていそうな気がするのに。後々、その理由を詳しく訊いてみるとするか。
「そういえば、あなたは報酬をくれることがとても嬉しそうだけれど、元の世界で仕事をしていたときは報酬をもらえなかったの?」
「……残業時間は長いですし、それに見合った報酬はもらえませんでした」
それに加えて、美桜を殺害した犯人を探すこともしていたから、慢性的な精神疲労に苛まれていたな。給料はあまり高くなかったけれど、有給休暇を取得しやすかっただけ良かったのかな。もしかしたら、それは上司や同僚に1日に1回は必ず大丈夫か、と心配されるほどだったからかもしれない。
「もしかしたら、美桜があの岬から突き落とされたことを知ってから、今が一番幸せかもしれません」
「……これも、美桜とあなたを転移させたあたしのおかげね。感謝しなさい」
「はいはい、どうもありがとうございます。エリカ様」
僕はエリカさんの頭を優しく撫でる。
すると、エリカさんはとても可愛らしい笑顔を見せてくれる。転移させられた直後は美桜の記憶を奪って、僕に人殺しをさせるという可愛げのない少女かと思ったけれど、本当はただの気の強い普通の女の子なのかも。
「……真哉さん。どのようなことをすれば、私にも頭を撫でてくれるのですか?」
「ええと……こうして一緒にお風呂に入ってくれるだけでいいんだよ」
よしよし、と美桜の頭も優しく撫でる。美桜にこうしたのはいつ以来だろう。俺達が卒業した大学の入試に合格したとき以来かなぁ。
「エリカ様、真哉さんがリラックスできるように頑張りましょう!」
「……この高貴なあたしが真哉のために何かをするのは気に食わないけれど、雇い主としてあたしのために働いてくれる人間を労うのは当然の務めよね。さあ、真哉! あたしや美桜にしてほしいこと言ってみなさい!」
「え、えっとですね……」
突然、そんなことを言われても困るんだけれどな。こうして3人で一緒に温泉に入ることでリラックスできているし。
「もう少しだけでもいいので、このまま一緒に温泉に入っていましょう。エリカさんと美桜が側にいるだけで、僕は十分にリラックスできていますから」
人を殺すというのはとても辛いことだった。その辛さは時間が経つにつれて酷くなっていく。いつかは慣れてしまうのかな。
ただ、そういう経験をしたからこそ、こうしてゆっくりとできる時間に幸せを感じるんだ。元の世界にいたら、おそらくこうした気持ちを味わうことはできなかっただろう。
「真哉がそう言うなら……このまま一緒に入ってあげてもいいわよ。ず、ずっとね」
「私も同じです。真哉さんの望まれる限り、一緒に入っていましょう」
そう言って、2人は僕にくっついてくる。
少しだけでもいい、と言ったのに。2人とも温泉が好きなのか、それとも僕が好きっていうことは……あ、あるのかなぁ。美桜は好きであってほしいけれど。
「ええと、のぼせない程度に入りましょうか」
体調を崩したら大変だから……って、身体的なことはエリカさんのくれた能力で回復できるのか。
こうした時間を過ごしていると夢なんじゃないかと思うけれど、僕を包む温もりだったり、両側から感じる柔らかい人肌の感触だったり。これが現実なのだと優しく感じさせてくれるのであった。
死ねない。 桜庭かなめ @SakurabaKaname
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