第五章

第37話「五の倍音の奏でる黄金比」


 

 夢を見ている。

 終わることのない夢を見ている。

 いつまでも止むことのない雪のように。いつまでも同じ夢を見続けている。

 そして夢は、ときにたやすく現実に転じる。

 ランダムシャッフルされる、映像みたいに。

 

 冷たい雨の記憶は、おだやかなあたたかい日射しの記録に切りかわる。

 目覚めるのは、いつも、夕日の沈む日暮れ時。

 

 魔と魔が出会う、逢魔が刻。

 

 紫色の大気があたりを包み始める宵闇に、ざわめきが鼓膜に戻ってくる。

 目が、ちかちかする。

 色とりどりの明かりが、ぽつぽつと闇に浮かび上がる。

 そして、いつものように――、

 窓ガラスに映る自分の姿に、

 

 戸惑い始める。

 

 これは、誰だろう。

 自分は、誰だろう。

 

 

  1

 

 

 巨大な敵が切り裂かれていく。

 悲鳴がスピーカーを振動させ、自分の呼吸と共鳴(ハウル)する。

 爆煙の向こうに機体が消えて、宇宙空間の暗闇に放りだされる。

 ドーム状に覆われた、機動戦士のコックピット。

 

 その殻のようなポッドのなかで、僕は深く、長い息を吐き出した。

 

 アニメの世界を疑似体験できる、大がかりな対戦ゲーム、

『D戦場の絆』は、ちょっとした、自分の隠れ家になっていた。

 搭乗者プレイヤーをすっぽりと覆う卵形のポッドは、

 自分だけの空間をつくってくれる。

 加えて、登録無料の無線LANが飛び交っており、

 知る人ぞ知る、格好の穴場だった。

 

 僕は、精神のライフポイントを消費すると、よくこの場所に来た。

 

 ゲームセンター。

 

 音楽ゲームの電子音、

 店内を流れるトランス調の爆音。

 光の信号とともに、洪水のように流れる騒音が、

 自分のような人間には、不思議なほど心地よかった。

 

 ノイズは自分を自由にしてくれる。

 シャワー音のように、自分を、意識のうちがわへと向けてくれる。

 

 誰かのからだのなかにいるみたいに。

 

 

 ――スタンガン天使ちゃん。

 

 あたまに浮かぶのは、ユリアのことだ。

 エレナと、とてもよく似た少女のことだ。

 暗闇の港に連綿と浮かびあがる明かりのように、

 昨晩の記憶が思い出される。

「羽根を売っているのかな」

 思わず口にだし、自分の語尾が、ふるえていることに気付く。

 くちびるが、指先が、自分の膝がふるえていることに気付く。

 

「人間は誰しも昼と夜の顔を持っている」

 

 昨晩の鈴木の言葉が、あたまに浮かんだ。

 

 僕らが、日常のキャラクターと、現実を、使い分けるように?

 少女も、ユリアも、二つの顔を使い分けているのだろうか?

 

「与える羽根は一つ、だが与えられる恩恵は二つ」

 

 それは、何を意味するのだろうか。

『鈴木』は、本当にユリアの知り合いなのだろうか。

 

 ――顧客、として?

 

 だとすれば――あの百合のように白い肢体が、

 どうやって――暗闇に羽根を広げるのだろうか。

 足は、どこに置くのか。

 力は、抜くのか。

 天井の高さは。

 床の色は。

 表情は。

 

 そこで、暴力的な妄想に、あたまが支配されそうになって、

 首を振る。

 思考を反射的に切り替える。

 

 九条マキの琥珀色の瞳が、自分を見つめている。

 

 そんな昨日の情景を、思い出す。

 

 天使狩りの事件にまきこまれかけたと思しき、九条マキ。

 彼女が連れていかれた、この街に存在しないはずの、地下の暗闇。

 彼女の所属する、ネット上の集団クラスタ――、

 

[project禁猟区]

 

 [禁猟区]のなかで囁かれる秘密の暗号。

 それは、一体何なのか?

 

 [禁猟区]のなかで許されない罪に慄く少女たち。

 彼女たちは、一体、何に脅えているのか? 

 

 わかっていることは、一つだけ。

 

 project禁猟区が、天使狩りの謎を解く鍵を握っているということ。

 その秘密のサイトに入室するには、「大切な何か」が必要になること。

 だが、そもそも、なぜそんな〈秘密の箱庭〉のURLが、僕の元に送られてきたのだろうか? 

 

 少年だけにみえるギアの鳥、少女だけの禁猟区。

 

 その二つは、何か、関連するのだろうか。

 謎。謎。謎。

 これらの謎が、一点に収束することなど、ありえるのだろうか?

 

「ありえない」

 

 自虐的に呟いて、目をあける。

 虹色のビームサーベルが光って、戦場の英雄たちを切り刻んでいく。

 僕は、自販機で買った紙パックの小岩井コーヒーを、口に含んだ。甘ったるい液体が、のどから胃の奥へと流れていく。

 

 タンタタタン

 

 僕は、ラップトップを叩き続けた。

 

 タンタンタタタン

 

 信号のパネルが、キーを叩く指の音と同時に、次々に点滅する。

 スタンガン天使の画像を貼ったサイトに飛んで、

 アナライザー『AX』をクリック。

 出力結果をIPクラックへドロップ。

 

 清錠が大量の十字架で串刺しになり、

 関東から全国に広がるにつれて散らばって、

 広大な横長のメルカトル図法の地図を横断する海外のT字型の楔へと続く。

 

 さらに、グルーピングされた膨大なデータのなかから、

 第一グループに割り振られたIPシールドを展開すると、アクセス者の識別番号が並んでいく。

 

 五十九個。

 

 これが、『Project禁猟区』『スタンガン天使ちゃん』を閲覧する解析不能者の暗号数だ。

 

 開始から一日半が経過して、スレッド閲覧者の標本が、ほぼ完成していた。

 

 あとは、ノブナガの解析を待つだけだ。

 多変量解析みたいにして、個々のIPアドレスではなく、個々のリンクを変数としてとらえ、予め選択した固定IPをデモグラフィック特性を付与された属性データに置き換える作業。

 

 それは、ノブナガの手で、独自のプログラミングソフトを駆使した、ぐるぐると回転するポリゴンの翡翠ひすい色の立体になる。

 

 そのアルゴリズムは、機械音痴な自分にはよくわからないが、個々の閲覧者の属性は、アメリカで膨大なデータから収集され分析された、性犯罪者のパーソナリティ傾向を二十項目で数値化した学術書『人格アナリシスschizoid or paranoid』と照応させてある。

 天使狩りの際に収集したデータは『模倣的な性犯罪者そこ』からのズレが五段階で明示されていて、二十の変数はそれぞれリンクに対応している。分析結果は、五つの属性にクラスタライズされた五つの深度をもつ、幾何学的な図形を描く。くるくると回る立体の完全体は、全ての面が五角形と五角形で埋め尽くされた、正多面体だ。

 

 トニー・フィッシャーによって発明された、五の倍音の奏でる美しい黄金比の立体スキューブ・アルティメットに、可視化されたIP情報が近づくほど、犯人像に近づく。

 

 もっとも、それは、わかりやすい目安のようなものだ。

 アクセス日時や(該当者が学生か社会人か、平日と休日で対照化することで年齢や性別をはかる指標になる等)、

 アクセス間隔(熱心な訪問者か一度きりか、スレッドへの従属度の度合い等)、

 マシンスペック(ウィンドウズかマックか、スマートフォンかタブレットか、最新のモデルか旧式のものか)等といった諸情報と照応させていくさいに役立つ、犯罪傾向を持つパーソナリティ特性にすぎない。

 

 いずれにせよ、範囲を限定する作業、閲覧者の情報を収集する作業の、一環にすぎないのだ。

 

 重要なのは、ここからだ。

 僕は、大真面目に……ノブナガに電話をした。

 

「頼む……おっぱい画像をくれ」


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