第一章

第01話「何みてやがる。殺してやろうか?」


 それでも記憶の断層を積みあげるにはまだ情報がたりない。

 どこから始めようか。お嬢様学校のスタンガン少女との出会いから、にしようか。

 物語は――非常に遺憾な話ではあるけれど――食い逃げから始まる。

 

 

 第一章

 


 夕闇の滲む空に、電飾のライトがぽつりぽつりと記憶の断層のように浮かび始める。

 徐々に近づいてくる狭苦しい繁華街の中心に、思春期のリアたちの集団がある。

 彼らはトランプに興じる真夜中の中学生よろしく、痴話げんかに興じている。

 小窓に揺れる明かりは、どこか見覚えのある少年の顔をガラスに照らして、

 そして、僕はゆっくりと目を覚ます。

 


   1

 

 

 ――何みてやがる。殺してやろうか?

  

 そういって彼女は、ティーカップに七個目の角砂糖を投げ入れた。それからセーラー服のリボンでこちらを指差し、

「あのギアの鳥はきさまの病み」

 意味不明な言葉を口走って、さらに続けた。

「頭上をマワるそれはぐるぐるに溶けて、ミサイルのバター雨で世界を滅ぼす。きさまの正体は街の不安をエネルギーに旋回する衛星でした」

 そういってまた角砂糖をつかみ、こちらを上目遣いに睨んだ。

 僕は念入りにスプーンを掻き混ぜた。

 

 もうすぐ春です。

 

「あたたかくなってくると、こうした人物というものは現れるものです――そして支離滅裂な言動で、ときに市民を困らせる」

「声に出てるぞ。殺してやろうか?」

「殴られました」

「痛いです」

「だれかたすけて」

「また痴話ゲンカか肉……」

「勘弁してよ~、と阿修羅乃ミコトは服従のポーズでお手上げです」

「もうくえない」

 

 2

 

 学校のそばの、喫茶店だった。


 安くて、汚くて、薄暗くて、居心地がいい。

 ここ、ラブラドールは、そんなゴ○○○も真っ青な習性を発揮した生徒たちの、たまり場になっていた。


 ……。

 …………ただ、こうした一般的な若者のたまり場にあって、ラブラドールの一般的でない地理的特殊性は、すぐ隣に、洗剤工場があることだ。

 窓から。

 戸口から。

 換気扇から。

 穴という穴から。

 生成されたばかりの洗剤の匂いが流れこみ、そのことが、店内の居心地の良さを、極限まで引き出していた。

 ここにくると、なぜか、生徒たちは、とてもリラックスして、放課後の束の間の休息を迎えることができた。


 要は、それとはしらず、洗剤のシンナーでアヘアヘになっていたのである。

 

 ラブラドール常連、一年四組のメンバーたちは、今日も放課後はシンナーでらりぱっぱ、コーヒーを片手に特等席の角部屋でくだを巻きながら、気持ちよく無意識の海を泳いでいた。

 

 ―――――……ぼうっとしていたあたまが、ようやく現実ココに戻ってくる。

 

 3

 

「また痴話ゲンカか肉……」

 

 ……どういうわけかメイドの格好をしているのは水時雨エレナ。

 髪は長く、手足はさらに長く、瞳は大きくて、画面から出てこなければアニメの住人と間違われかねない容姿 なのだが、口が悪いのが致命的だ。


「また痴話げんかなのか、肉……」

 エレナは、肉が口ぐせだった。

 洗剤のせいでバグっているのか、元からなのか、何なのかよくわからないが、先ほどから人の腕にぶらぶら掴まりながら「痴話げんかなの?なの?」と上目遣いに同じ台詞を繰り返し続けているので、触れないでおきたい。


 その隣で、凄まじい勢いでペンを走らせているのは、阿修羅乃ミコト。


「できたよ~、と阿修羅乃ミコトは報告します」

 

 自分を客観的に説明する、いつもの独特なしゃべり方でペンを止める。だが問題はペンを走らせているのがノートではなく、自分の素肌なことだ。

 はだけた制服のすきまは流麗な絵画の紋様のような文字で埋め尽くされていて、左腕から胸元までのびていた。ためしにきいてみる。


「な、なにができたの?」

「暗黒新聞」


 ……。

 …………、

 ちょっとどうしようか……。


 阿修羅乃ミコトは、《異界》をおろすことができる。

 

 超常的な力で、この世界のすぐ隣、時空のカベを一枚へだてて成立している奇想天外な世界の情報を、自動筆記で自分のからだに書き写すことができる(らしい)。

 ただ、その特殊能力は、異界うんぬんの真偽は別にしても、それだけでも特筆に価する能力だろう。


 なぜなら、ぼーっと天井を眺めていたかと思うと、突然瞳孔がひらき、何かに憑かれたように一心不乱に文字を高速で肌に描き続けるのである。それも、きちんとした意味の繋がりをもった、物語としてまとまったセンテンスで。これが特殊能力でなくて何であろうか?

 

 ショートカットの、神岸あかりの友だちの志保にそっくりなミコトは、普段はごく普通の、不思議系の女の子だ。だが放課後ラブラドールにくると何かのスイッチがオンになる。

 シンナーの匂いを嗅ぐと、目覚める。


 ぐつぐつ煮立つ音がして、テーブルの向かいに目を向ける。

 鍋がある。

 どうしてそれがこんなところに、と崩れ落ちてしまいそうな冷静な自分を振り捨てて、事態の観察につとめる。


「戦場ヶ原さん、な、なにやって」

 

 学年一のロリフェイスとして名高い、まごうことなきツインテールの美少女 が、どこから用意したのか、喫茶店にコンロを持ちこんで、闇鍋をしていた。イカ墨で鍋を黒くするだけでは足りないのか、少しでも暗くして雰囲気を出したいのか、正直よくわからないが、大きめのサングラスをしている。彼女は鍋のなかに入った靴下を箸でひっくり返しながら、


「もうくえない」


 いろいろな意味で終わってる。

 

 戦場ヶ原巫女子みここさん(15)


 ――その正体は、胃袋とともに謎に包まれている。

 その出所不明な名前はさておいて、ミココは、本当になんでも食う。それこそ、シフォンケーキから電源コード、ダンボールの切れ端まで。文字通りゴ○○○様も真っ青だ。だからその驚異的な胃袋を、ぼくらは異次元への袋――「異袋」と呼んで、畏れ奉っていた。


 と。そこで彼女は僕の視線に気付いたのか、唐突にサングラスをはずし、カメラ目線でいつもの口癖を連呼する。


「あなたの悲しみも、あなたの憎しみも、あなたの怒りも、切なさもやるせなさも夢も希望も――みんな、私が食べてあげる」


 ひとの夢や希望は食うなよ。

 一連の決め台詞の是非はさておき、まずはお前が自分の食欲に飲まれないようにしろといいたい。


「ぼ、ぼくを忘れないで……」

 

 これで全員揃ったな、と顔を上げて居ずまいを正そうとすると、足元に、一人いた。

「踏まれたい……踏みにじられたい、捨てられたい」

 そんな変態的なフレーズを繰り返して、少年はつぶらな瞳で僕を見つめ、

「す、捨て駒にして」よくわからないこと を口走ると、力尽きて気絶した。

 話の腰を折って登場してきた、この残念な少年は、尾張ノブナガという。

 容姿だけ見れば、中性的な美少年に分類される彼は、一言でいうと、ドMだった。

 精神的、肉体的とを問わず、嗜虐を受けると、おかずなしでごはんが三杯いけるぜ――そんな 天性の変態で、暴力を与えられると、目覚める。

 

 と。そこで突然むくりと起き上がり、


「カオに、カオにかけかけして」


 そのままアタマを踏みつけると気絶した。

 

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