第16話いつか見た夢?

 三章 真実


 目を覚ますと、無機質な石でできた天井が目に入っていた。

 それと同時に意識を失う前の記憶が蘇ってきて、自分が今洞窟の中で眠っていたという事実に気がついた。

「あら。目覚めたかしら?」

 目の前に見えるアスカが、形のよい唇を笑みの形に変えていた。聖女を感じさせるようなその穏やかな微笑みに、普段ならドキリとするところだが、今回は心底ほっとするような気持ちになれた。

 なにやら後頭部に柔らかい感触が当たっていて、なんだかそれがとても心地よくて安心できた。

 洞窟の地面にこんな柔らかい場所があったのかな、と疑問にはおもったものの、それ以上に後頭部の感触が心地よくて、細かいことを気にするような気分ではなかった。

 しばらくその感触を堪能していたのだが、ようやく僕はアスカに膝枕されているという事実に気がついた。気づいた瞬間顔が朱色に染まってしまうくらい恥ずかしかったけど、その感触を手放すのも惜しい気がして、僕はそれから少しの間、アスカの柔らかい太ももを堪能していた。

「ふふっ、怪我人はおとなしく膝枕されてなさい」

 小さな子どもをあやすようにアスカが言って、僕の頬にそっと手を添える。

「ありがとう。もう大丈夫だよ」

 もう少しアスカの太ももを堪能していたい気持ちはあったものの、僕はゆっくりと身を起こした。

 そしてさっきまで見ていた不思議な夢を回想してみる。

 はっきりとは言いがたいけれど、今回の夢はどういうわけか記憶の残滓として脳内に残っていた。

 僕は自分の目の前にいる綺麗な顔立ちのアスカを見つめる。

 すると記憶の残滓として残っていた夢に、色がつき始める。

「僕さ、夢を見てたんだ。不思議な夢」

「へえ~、どんな夢?」

 アスカは穏やかに、全てを包み込むような優しい声音で訪ねてくる。

「なんかさ、アスカに料理を振舞っている夢だった。あはは、なんでだろうね……」

 なんだか支離滅裂な自分の夢を語るということが気恥ずかしくなって、僕は頬をぽりぽりと掻いた。

「…………」

 それに対して、アスカは眉を潜めて真剣な表情で僕を見つめていた。何か言いたそうにしているが、何も言い出さない。

「何か言いたそうな顔をしてるよ」

「まあ、そうね……。でも、今は何も言えない。それはあなた自身が気付かないといけないことだから」

 含みのある言葉をアスカは投げかけきた。

「そっか。じゃあ、何も聞かない。ところで腕輪はあった?」

 追求したくないと言えば嘘になるけど、深く聞く気にはなれなかった。それに教えてくれないと言った以上は、どれだけ聞いても教えてくれないのだろう。

「ええ。それっぽいのは見つけたけど、あたしナナちゃんがしていた腕輪をちゃんと見たことがないから確信はないのよね。これでいいのかしら?」

 アスカは手に持っている腕輪を僕に見せる。

「間違いない。それだよ!」

「――見つけたのは、私」

 唐突に、マリヤが僕とアスカの間ににゅっと顔を出して口をはさんだ。

 そういえば、この娘になんか諭されて、僕はさっきの力を発揮したんだっけ……。

 アスカとマリヤ、きっとこの二人は僕に何か重大な隠しごとをしている。それはきっと間違いないだろう。

 それでも、今はまあいいや。仕事を成し遂げたらもう疲れたし、そんなことは後回しだ。

 アスカから腕輪を受け取って、どこか傷ついたりしていないだろうかと隅々まで確認してみる。あのフォロスたちもそれなりに大切に扱ってくれていたみたいで、傷らしい傷はついていなかった。

 ほっと一息ついていると、アスカが立ち上がって服についたほこりをほろいながら口を開く。

「さて、こんなとこに長居しても仕方ないし、町に帰りましょう。治癒も一通り出来たし、もう大丈夫なはずよ。立ち上がって身体を動かしてみなさい」

 アスカから言われたとおりに体を動かしてみると、フォロスから受けていたダメージが嘘のように違和感がなく動かすことができた。

 フォロスに陰湿に攻められた傷も、最初から何事もなかったかのように修復していた。あれだけの傷がもう治ってるなんて……。改めて、アスカの使う治癒魔術の凄さに感心した。

 ただ自分の血とフォロスの血は傷を塞いだとろこで消えるわけではないので、それについては帰り道の小川でこっそり洗い流すことにしよう。

「あんなにボロボロだったのに、もう体が自由に動くよ。やっぱりアスカの魔法は便利だね。よしっ、それじゃあ、ナナも待ってるだろうし帰ろう――」

「ん? 待って! 誰か来る!」

 僕の言葉を遮るように、マリヤが広場の入り口を見ながら忠告を挟んできた。

 通路の向こうから漂っている人間の気配に、三人の間に鋭い緊張感が流れる。

 フォロスたちの仲間でも戻ってきたんだろうか。

 いつでも戦闘態勢に入れるように地面に転がっていた剣を拾い上げて、両手で握りしめる。

 ゆっくりと足音が大きくなってきて、通路から人影が姿を現す。

 人影の正体は金色の短髪で。年の頃は僕よりも三歳ほど上の男だった。顔立ちは中々に美形でハンサムに分類されるような男だった。

 というか、僕のよく知っている顔で、ニールだった。

 僕は見慣れた人間の出現に胸をなで下ろして、ニールのほうに歩み寄る。

「あれ? ニール? こんなところでどうしたの? っていうか、なんか用事があったんじゃないの? もしかして、こんなところになんか用事?」

 僕の言葉にニールは戸惑いの表情を隠そうとしたが、隠しきれずに色のない瞳で僕を見ていた。

 なんだか不気味というか、妙な違和感を覚えた。

「ニールさん。大丈夫ですか?」

 アスカの問いかけによって、ようやくニールは口を開いた。

「あれ? おまえら、こんなとこでなにしてんの? ひょっとして、逢引きでもしてたんじゃねえだろうな!? ユウヤ! てめえ、ナナちゃんがいると言うのに、それはダメだろうが!」

「ちょ、なに、ニール、何言ってんのさ!?」

 突然の爆弾発言に、僕はたじたじになりながらニールへと詰め寄った。

「ニールさん誤解ですよ。冷静に考えて下さい。ユウヤとあたしじゃ、そもそも釣り合わないでしょう。ニールさんこそどうしたんですか? 昨日は帰って来ないし……」

 アスカは露骨に嫌そうな顔をしてニールの言葉をきっぱりと否定した。

 まあアスカの言っていることは事実なんだし、肯定して欲しかった訳ではないのだが、そこまで全力で拒否されると少し落ち込むっていうか……。

「あれは誰?」

 僕らのやりとりを眺めていたマリヤが、僕の耳元でニールに聞こえないような声量で訊ねてきた。

「僕らと一緒に旅をしているニール。年長で一番腕が立つから、僕らのリーダーになるのかな」

 別に誰かに知られてはマズイ会話をしているわけではないのだが、僕も同じようにマリヤの耳元で囁いた。

「そう。一つだけ忠告しておく。その腕輪。これからも絶対に誰にも渡してはダメだから」

「それって、どういう――」

 真意を聞きたくて問い返すが、一瞬前までマリヤが立っていたはずの空間には誰もいなくなっていた。

 そこには最初から何も存在しなかったかのように、彼女がいた気配すらすべて消え去っていた。


「バカ! なんでそんな無茶したの!?」

 ナナが高い声を発しながら僕の胸を叩いてくる。

 洞窟から外に出ると、すでに青空が広がっていて、すでに太陽が完全に昇っており、空は綺麗な青に染まっていた。

 行きとは違って、すがすがしい太陽の光を浴びながら宿に戻ると、宿の部屋の入り口で待機していたナナがこれでもかというくらいに頬を膨らませていた。

 そして、ナナは僕の姿を捉えるなり、僕の身体目がけて思いっきりタックルしてきた。その攻撃が僕のみぞおちにまともにヒットすると、休むことなく顔面に平手打ちのコンボが浴びせられて今に至るというわけだ。

「どれだけ心配したと思ってるの!? 腕輪より命が大事って言ったのはユウヤじゃない!」

 どこにそんな力を隠していたのか、ナナは僕の襟元を締め上げて詰め寄っている。ナナに持ち上げられる形で僕の足が少しだけ床から浮いていた。

 声もいつものおっとりした様子ではなくなっており、思わず引いてしまうくらいに憤怒で顔が歪んでいた。

 でも顔の作りが可愛いらしい女の子であれば、どんな顔をしても絵になるから、そういうところは卑怯だと思う。

「ぐ、ぐぐっ……。いや。だ、だってさ、あれはナナのだし、それに腕輪を失くしてナナが悲しそうにしてたから……」

 ナナは僕から手を離して、感極まったかのように目の端に涙を浮かべた。

「それでも……無事で良かった……」

「うん。アスカが助けてくれたんだ。これ、腕輪。ちゃんと取り返して来たんだよ」

 懐に忍ばせていた腕輪を取りだして、ナナに手渡してあげた。

「うん、うん……」

 ナナは腕輪の感触を一通り確かめた後に、右手首にそっとはめた。

「うん。やっぱそれはりナナが一番似合ってるね」

 言うと、ナナは僕の胸に頭を押しつけて、声を上げて泣き始めた。

 ナナの背後ではアスカはニヤニヤしながら、僕らのやりとりを眺めていた。

「ごめんね。危険な目に合わせて」

 涙で枯れた声で、僕の胸に話しかけているナナ。

「ううん。僕は自分がやりたいと思ったことをやっただけだよ。それと、これはアスカに言われた言葉だけど、こういうときはごめんじゃなくてありがとうにしよう」

「うん。ありがとう!」

 ナナは顔を上げて、顔中を皺だらけにして満面の笑みを向けてきた。

 涙を浮かべながらの笑顔は昨日の夕方にも見たけれど、そのときの無理矢理ひねり出したような笑顔とは何もかもが異なるような表情だった。

「ありがとう! でも、こんな無茶二度としちゃダメだからねっ!」

 そう言い残し、ナナは部屋を飛び出してしまった。

 ああ、これで良かったんだ。だって僕はナナの悲しい顔は見たくない。それに喜んでいる顔が見たいんだ。

 息をついてベッドに腰をかけると、僕らのやりとりをニヤニヤと眺めていたアスカが近寄ってくる。

 ちなみにニールは、用事の続きをすると言って、町の入り口で別れた。どうして町外れの洞窟に足を運んだのか、聞いだけれど微妙にはぐらかされた。

「よっ! カッコいいわね!」

 言い返してやりたいところだったが、アスカの助けがなかったら、間違いなく腕輪は取り返せなかった。

 それを思うと感謝してもしきれない。

「アスカ。ありがとう」

 素直にお礼を言うと、アスカは拍子抜けしたように目を白黒とさせた。

「ま……、まあ、でも、この借りは大きいわよ」

 アスカは照れたように、顔をほんのりと赤色に染めて、綺麗な黒髪をいじっていた。

 もちろん、僕の感謝の言葉は本心だ。

 しかしニヤニヤと僕とナナのやり取りを見ていたアスカに仕返しが出来たかな、と思う部分もなかったわけではない。

「ねえ、マリヤってさ」

 言うと、アスカの眉毛がぴくりと動いた。

「何者なの?」

 あんな夜中に森の中を一人で歩いていて、なんか意味深なことを言ったりして、しかも極めつきは僕らの前から一瞬のうちに姿を消した。

 当然、普通の人間ではないことは明らかだ。

「ああ、あの子ね」

 アスカが遠い目をして答える。

「あの子はああいう存在なのよ」

 なんだか説得力があるようなないようなその言葉に、

「…………」

 僕は黙ってアスカの顔をのぞき込んだ。それに続く説明を待ったが、アスカはそれ以上の説明を施してはくれなかった。

「うん、わかったよ。きっと、あの子にはまた会うんでしょう? なんか無性にそんな気がするんだ」

「そうね。その直感は間違いないと思うわ」

 それにしても、旅に出てからというもの、いろんな疑問が頭を渦巻いている気がする。なんだか僕のあずかり知らぬところで、何かが起きている。そんな予感がした。

 でもそんなことよりも、僕が今すべき一番大事なのは、

「とりあえず、僕は昼食まで寝る」

 半分以上眠りかけている頭で考えても、たいした結論は得られるわけもない。だから僕は現実世界の疑問を放棄して、文字通り現時逃避をすることにした。

 疲れたら休む。人間としてとても常識的なことで、一番大事なことだ。

「同感ね。じゃあもう一つの部屋で、仮眠を取らせてもらうわよ」

 そう言って、アスカは踵を返して部屋を出て行った。


「そう言えば、ナナはニールがどこに行ったのか知ってる?」

 戻ってきた後に、僕とアスカは少しばかり仮眠を取り、昼食の時間に目を覚まして、ナナも含めた三人で宿屋の一階部分の食堂で昼食を取っていた。

 ニールとは、あの洞窟から町の入口までは一緒に帰ってきたはずなのだが、宿屋に戻ってくる頃には、いつの間にか隣を歩いていたはずのニールの姿が消えていた。

 一緒に歩いていたアスカですら、いつニールが姿を消したのか見ていなかったみたいだった。

 ニールのその行動の不可解さに疑問を抱いていなかったわけではないが、いかんせんナナに早く腕輪を返したかったし、腕輪を返したら睡魔が襲ってきてそれどころではなかったし。

「え? ニール? ニールは昨日から帰って来てないよ」

「あれ、そうなの? 僕はてっきり一度は宿に戻ってきたのかと思ったんだけど……」

 ナナは小首を傾げて自分の記憶を探り出そうとしていたが、やはりニールが帰ってきた記憶は見当たらなかったようだった。

「ニールがどうしたの?」

 小首を傾げて聞いてくるナナ。

「いや、別にいいんだ。まだ帰ってきてないのかなと思っただけ」

 あの場になぜニールが現れたのか……?

 そのことについては、本人に聞きそびれてしまった。

(もしかして、ニールもナナの腕輪が奪われたことに気づいて取り返そうとしてくれたのかな? けれど僕たちが先に取り返しちゃったもんだから、言い出しにくかったのかな?)

 そう考えると、ニールの行動に辻褄が合うだろう。

 そして気になるのはマリヤの忠告である。

 彼女は腕輪を誰にも渡さないようにと忠告してくれた。

 そういえばフォロスたちはナナの腕輪を奪うのは仕事と言っていた気がする。ということは、必然的に彼らを雇った人間がいるということになる。

 その雇い主とすれ違うことはなかったが、もしその雇い主がナナの腕輪を諦めていなかったら、新たな視覚が送り込まれる可能性だってある。

 そもそもなぜ、ナナの腕輪が狙われるのだろうか? それから、マリヤという少女は何者なのか?

 いろんな疑問が渦巻いて、心の中の不安が募ってゆく。

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