第14話アスカの戦い

 広場に比べたら手狭な通路で、アスカとタロムが対峙していた。

 追いかけているうちに、広場の様子が耳に入ってこないくらいの距離が離れてしまっていて、アスカには背後の広場の様子を確かめる術がない。

 ユウヤのことは心配だけど、今は目の前の敵に集中しないといけない。

 目の前のタロムという男は、その手に武器らしい武器を持っている様子はなく、徒手空拳で構えている。

「おまえも剣なんてしけた物は持ってねえようだな。男なら拳と拳で語り合わねえとな!」

 アスカは女なのだが、アスカもこの場でそのツッコミは野暮というか、わざわざ訂正するのも億劫だと考え、それについては言及しなかった。

「あたしもその考えは嫌いじゃない。でも剣は使わなくても、そっちは魔法を使うのでしょう。どうせ魔法という武器を使うのだから、あたしも剣ではないけれど、武器は使わせてもらうわ」

 アスカは、拳のところに小さいナイフのような刃がついたグローブを手に嵌めた。

「くはっ、なんだそれ? おもしれえもん持ってんじゃねえか! そうだ。これから始まるのは、殴り合いじゃねえ! 殺し合いだ! 拳で語り合うよりそっちの方が燃えるもんな!」

 タロムの調子についていけそうもないアスカは、小さくため息をついた。

(言っていることが滅茶苦茶ね。苦手なタイプだわ)

 会話を交わしているだけで、体力が削り取られているかのようで気が滅入る。

 アスカは自分の平穏のためにも、一刻も早く目の前の男を始末するために、思い切りダッシュをかけ、突っ込んでいく。

 しかし、その突撃を受けたタロムは、待ってました、と言わんばかりに、口元を歪めた。

「ウインドシールド」

 タロムは身体の前で両手をかざすと、手のひらを中心として風の障壁が現れた。

 その障壁はタロムの眼前に竜巻のように渦を巻いて、彼の身を守っているようだった。

「えっ! なによ、これ!」

 驚愕に染まった声を上げて、アスカは瞬時に横に跳んで、拳を突き出そうとする直前で風の障壁と接触するという自体を避けた。

 そんなアスカに対して、タロムは目の前の障壁をすぐさま消して迫ってくる。アスカの顔面を狙って突きを繰り出すが、アスカは両手を顔の前で交差させて防御した。衝撃で少しよろめいたがすぐに態勢を立て直す。

 そんなアスカを、タロムはその場で立ち止まり睨みつけた。

「へえ~、やるじゃねえか。女とは思えないその身のこなし。ここで殺しちまうのはちょっと惜しいなあ」

 余裕そうに首の骨をコキコキとならすタロムからは、戦闘自体を楽しんでいるかのように感じられた。。

「ふっ、女にしては、っていうのは差別表現よ。あたしはいいけど世に出る女性には、あんまり言わないほうが賢明よ。そういうのを怒る人って結構いるのよね」

「へっ、口の減らねえ姉ちゃんだぜ。せっかく見た目も悪くねえんだから、威勢がいいのはベッドの上だけにしときな。なんだったら俺が手ほどきしてやってもいいんだぜ?」

 下衆い発言に頭に血が上りかけたが、アスカはどうにかこらえて平静を保った。

 冷静になったところで、ふといつぞやの朝の出来事が脳裏をかすめた。

 それは下着姿でユウヤに甘えた声を出しながら、ユウヤに襲いかかった時のことである。

(ちょ……。なんてことを思い出してんのよ。あれは事故、気の迷い。そういうことよ。あたしがユウヤに対して――)

 いや、今は自分の感情や気持ちを整理するような場面じゃない。それは後回しだ。

(集中しよう。今やるべきことは、目の前の敵を蹴散らすことなのだから)

 大きく息を吐いて今度こそ冷静になる。

 攻撃を仕掛けるのは一旦やめて、今度は相手の出方を見ることにした。さっきの障壁がどれほどの威力かはわからないが、自分の直感があれに突っ込んではいけないと告げていた。

「来ないんだったら、今度はこっちから行くぜ。言っておくが、俺の魔法はあれだけじゃない。それをおまえに見せてやる」

 鋭く尖っていたタロムの双眸がさらに鋭いものに変化した。

 二人の視線が交錯する。

 その瞬間、タロムは虚空に向かって両手を振った。

「かまいたち!」

 見えない風の刃がアスカを襲いかかってきた。両腕、両足に紙で切ったかのような擦り傷が出来る。

(一撃一撃は大したことないかもしれない。だけど、このまま受けて入ればジリ貧になるわね)

 意を決して、アスカはかまいたちが向かってくるほうこうへと飛び込んでいった。

 両手両足が風邪の刃に晒されながらも、タロムへと接近する。

 しかし、手を伸ばせば届きそうな距離まで近づいた瞬間、風の障壁がタロムの前に現れた。

「ばかめっ! 風に呑まれるがいい!」

「遠くから『かまいたち』にじっくり嬲られるよりは、一発に掛けてみるのも悪くないかもってね!」

 アスカはためらうことなく障壁に向かってグローブを突き出した。

「いっけえええええええ!」

 力の限りの叫びとともに突き出した拳は、しかし風の勢いに負けて弾かれてしまった。その衝撃で、態勢を崩して足がもつれる。

「――くっ」

 アスカの隙を逃すようなタロムではない。彼は一瞬のうちに障壁を消し、その向こう側にいたアスカとの距離を一気に詰めてくる。

 アスカも視界ではその姿を確認しているのだが、脳の意志が身体に伝達するまでのタイムラグのせいで、防御姿勢が間に合わない。

「もらったああああああああああ!」

 嬉々とした声とともに放った、タロムの一撃がアスカの顔面にまともに突き刺さった。

 その衝撃でアスカは一回転して、地面を転がっていく。

 全身を殴打しながら、地面との摩擦によってアスカの身体がようやく静止する。

 それでもすぐに地面に手をついて起き上がろうとするが、力が入らない。

(力が――)

 タロムはそんなアスカの姿を、楽しそうに口元を歪めて眺めている。

「さて、これで終わりかな」

「これくらいどうってことないわ。まったく痛くなんてない」

 アスカは震える足を押さえながらどうにか立ち上がり、目の前の敵を睨みつける。

 綺麗な唇の端から真っ赤な血が垂れていて、口内が血の味で溢れていて気持ち悪いけど、我慢することにした。

 その綺麗な顔も、血と埃にまみれている。ただそれでも彼女の美しい顔には、いっさいの乱れがない。

 男はそんなアスカに驚愕して目を大きくさせている。

「なんで立ち上がんだ……? 言っちゃあ悪いが、あの兄ちゃんは昼間一緒にいた彼女のために命を張ってるんであって、あんたのためじゃないんだろう。あんたがそこまで体を張る理由はなんだ?」

「さあ? あたしも聞きたいわ。何でだと思う?」

 タロムとの会話を交わしつつ、アスカは自分に治癒魔術をかけた。彼に悟られないように、ゆっくりと、そして目に見えないような部分から治療していく。

「あんたはあの兄ちゃんに惚れてるのか? だったら、やめといたほうがいいな。フォロスは確実にあいつを殺すだろう。だから、今度あんたがあの兄ちゃんに会う時は、あの兄ちゃんは屍になってるだろうな。さっきも言ったが、俺はアンタを殺すのが惜しいと思い始めている。ここで逃げるんだったら見逃してやってもいい」

 タロムの意外な提案にアスカは少しばかり答えに窮した。

 だけど、自分がどうして、今この場に立っているかを考えれば、その答えなんてものはとっくに決まっている。

「ふっ、面白いことを言うのね。まあいいわ。でも、一つだけ訂正させてちょうだい。あたしが彼を守っているのは恋愛感情なんて高尚なものじゃない。それだけは言わせて。それと、彼は殺しても死なない。ゾンビみたいなもんなのよ。だからあたしはあんたを倒して彼の元に行く」

 アスカがきっぱりと言い切ると、タロムはつまらなそうに鼻を鳴らした。

「そうか。それは残念だな。それじゃあ、さっさと続きを始めるか。いくぜ! かまいたち!」

 見えない風の刃がふたたびアスカに襲いかかる。

 世間話の間にこっそり施していた治癒魔法のおかげで、さっき受けた傷はもう痛まない。快調からはほど遠いにしても、体力は回復している。

 正面から跳んでくる風の刃を受け、両手、両足から血が吹き出てくる。

 ただ今さら物理的な痛覚で怯むようなアスカではない。

(この程度の傷。あの時、あたしが味わった焦燥感に比べたらなんてことないのよ)

 気にせずアスカは地面を蹴り、タロムへと向かう。

「また同じ目に遭いてえのか。でウインドシールド」

 さっきと同じように、風の障壁がタロムの前に生まれるが、アスカは構わず突っ込んで、さっきと同じように拳を突き出した。

(あたしは絶対に怯まない。あいつを助けるため、だからこうしてあたしはここにいるのだから)

 アスカの思いを乗せた拳が、タロムの生み出した風の障壁が衝突する。

 さっきのやりとりで、この障壁がどれだけの衝撃を生むのかは学習している。障壁に弾き飛ばされないように、歯を食いしばって大地を掴むように必死に踏ん張った。

 それでもアスカは拳をはじき飛ばされないように踏ん張っているのが精一杯で、障壁の向こう側にいるタロムまでその拳が届いてはいない。

 刃を区芝って、必死に耐えているアスカのの姿に、タロムが感嘆の声を上げた。

「やっぱすげえよ。アンタ。どうだい? 自分の恋人の事しか考えたない、あんな男の事なんて捨てて、俺たちと組まないか?」

「あんな男?」

 その瞬間、アスカの見える景色が真っ白になった。

 何か大切なものを侮辱された気がした。いや、気のせいなんかじゃない。目の前の男はアスカが一番に思っているものを実際に侮辱したのだ。

「そうだ。あの男は彼女に良いとこ見せようと、あんたを利用しているだけだ。もしあいつが俺たちから腕輪を取り返したとしても、あいつと彼女と仲良くなるだけだぜ。あんたには何のメリットもない。あんたはそれでいいのか?」

 アスカは風の障壁の向こうからタロムの声を聞いた。

 その言葉を聞きながら、アスカは弾き飛ばされないようにと踏ん張っていた。

 ただ、男の言った言葉を、アスカの脳みそが理解した瞬間――自分の中で何かが切れる音がした。

 ――身体中の血管が弾ける音がした。

「アンタに、何が分かる!? アンタに何が分かるって言うのよ!!!」

 アスカは叫び、自分に中に沸き上がってくるもやもやした気持ちを、思いっきり拳に込めて突き出したやった。

 無意識のうちに制御していた自分の力がわき上がってくるような、そんな感覚だった。

「な、なにっ!?」

 驚愕に染まった声を出したタロムの眼前で、アスカの拳は障壁を破り、その拳がタロムへと迫っていく。

「うあああああああああああっ!!」

 アスカは内側から沸き上がってくる、衝動をかき消す、いやその衝動をすべてタロムにぶつけるべく、自分が出せるだけの声を上げて拳を振り切ってやった。

 アスカのグローブついている刃がタロムの腹に突き刺さり、障壁が完全に消失した。

「ぐっ――。なんだ……この力」

 タロムは、衝撃で近くの壁へと吹き飛ばされ、口から血を吐いた。そんなタロムを逃がすまいと、アスカはタロムへと一瞬で距離を詰めて、彼のこめかみ目がけて上段蹴りを食らわせた。

 タロムは横方向に跳んで、一回転したのちに、力なく地面に倒れて気を失った。

 土下座のような情けない態勢のまま、タロムは白目を剥いていた。アスカ彼のそんな姿を確認して戦闘が終わったことを確信してグローブを外し、ゆっくりとタロムに近づいた。

 そして、意識のないタロムの襟首を掴んで締め上げる。

「アンタにはあたしの何がわかるってのよ! わかるはずないじゃない。あたしがどれだけの思いで、この場に立っているのかわかっているの! あんたなんかが、ユウヤを分かったように言わないで!」 

 アスカはタロムを揺さぶりつつ、血走った目で、唾をまき散らしながら早口で捲し立てた。当然のことながら、気絶してしまったタロムからの反応はない。

「なんで……、こんな事に……ぐすっ」

 自分のやっていることのむなしさに、アスカの目から一筋の涙が零れ落ちる。

 すると、背後から足音が近づいてきて、後ろから伸びてきた手が、アスカの頭を何者かがぽんと優しく撫でた。

 一瞬身を固くしたアスカだったが、その正体に気づいて力を抜いた。

「アスカ、落ち着きなさい。少し休んでいると良いわ。後は私に任せて」

「マリヤ……」

 そう言って、アスカの綺麗な黒髪に包まれた頭をもう一度撫でた。

 その瞬間、アスカは急に睡魔が襲って来たかのように眠くなって、その場に倒れ込んだ。

「私はユウヤの様子を見てくる。一休みしたら、追いかけて来て」

 そして、マリヤはユウヤが戦っているであろう広場へと続く道を、ゆっくりと歩いて行く。

(眠い――)

 気絶しているとはいえ、タロムが近くにいる状況で目を瞑ってしまうのも危険なことなのかもしれない。

 けれどマリヤはこの場を去る直前に、マリヤだけではなく、タロムの耳元でも何かを呟いていた。きっとその時に彼にも、何か細工を施したのだろう。よって、タロムがそう簡単に目覚めることはないはずだ。

(マリヤ、ユウヤを頼んだわよ)

 身体の傷は癒やされても披露を癒やす術はない。よってこの状態でユウヤの助太刀に向かっても、彼の足を引っ張るだけになるかもしれない。

 そう考えて、アスカは今だけあの不思議な少女の優しさに甘えることにした。

 やがてアスカの瞼がゆっくりと閉じられた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る