第11話謎の襲撃者
それからも僕はいろんな本に目を通した。
本を読むのは結構好きだ。自分が知らないものが自分の知識として吸収される様はなんだか心地よいからだ。
心地よさと疲労感を感じながら、本から目を放し大きく伸びをする。腹の虫がそろそろ夕食を食べたいと告げたので、本を元の場所に戻して図書館の中にいるはずのナナを探した。
ナナの姿はすぐに見つかった。正面からナナに近づくが、ナナは夢中になりながら本に視線を落としている。
「ナナ。そろそろいくよ」
後ろに回ってぽんと肩に手を置くと、ようやく僕の存在に気がついたみたいで顔を上げた。
もちろん他の利用者に迷惑にならないように小声だ。
「あれ? ユウヤ……もうそんな時間?」
「まあね。そろそろ、みんな戻ってくると思うよ」
図書館から出ると、空は夕焼けで真っ赤に染まっていた。
「それじゃあ、宿屋に戻ろうか」
「うん。お腹すいて来ちゃった」
「じゃあ、みんな帰ってきたら夕食だね。宿でどんな夕食が出るのか、楽しみだね」
「えへへ……旅の醍醐味だね」
昼間と同じように、図書館から宿までの道のりは人通りが少なかった。そこに僕ら以外の人間の影は見当たらなかった。
その時、唐突にぞくりっ! と、背筋を凍らせるような何かを感じた。
目を見開いて視線を前に向けると、向こうから一人の男が歩いてきていた。その殺気じみた気配を発しているのは間違いなくその男だった。
通りの向こうから、全身を黒で覆っている男がこちらへと向かってくる。フードをかぶっているせいで、陰になっていて、どんな顔をしているのかはっきりしない。顔がはっきり見えないので、性別も定かではないが、がっしりとした体格をしていることから、ボクはフードの中の人間が男であると推察した。
フードの中から人を刺すような視線を感じるので、男は間違いなく僕たちを視界の中心においていることだろう。
身に纏っている雰囲気が、これまでに戦ってきたオークや山賊とは異なっている。本能が目の前の男を危険な存在と認識している。
脳みそが男の存在を意識した瞬間、僕の内側から得体の知れないものが沸き上がってくる。
黒ずくめの男から連想される何かが、頭の中に一瞬で沸き上がって、一瞬で消えていく。
「ぐっ――」
記憶の波が僕の能力の限界を超えてしまい、頭が割れるような頭痛が襲いかかってくる。とはいえ、それらはすべて一瞬の出来事で、痛みもすぐに引いていく。
――なんだったんだ?
自分の身体の異変に疑問符が浮かぶが、その疑問を解消している暇はない。
やがて男は僕らにどんどん近づいてきた。そのまま何事もなく通り過ぎてくれ、という僕のささやかな願いはあっさり打ち切られ、男は僕らから少し離れて立ち止まった。
学者がはびこっている街には相応しくない男だ。ゆったりとした服装をしているにも関わらず、隆々とした筋肉は隠しきれていない。
「気をつけて……、きっとただ者じゃない」
同じように僕らも立ち止まって、ナナに小声で呼び掛けるとナナは小さく頷いた。
男からビリビリとした威圧感を感じるが、僕は男が何者であろうと、ナナだけは守らなくてはいけない。
唾を飲み込んで、腰の剣に手をかける。
この場にはアスカもいなければ、ニールもいない。
そんなことを思うと、心細さから剣を持つ右手が震えてくる。
「こちらから君達に危害を加えるつもりはない。我々は君達の持っているものを譲り受けたいだけだ」
どこか紳士の装いを感じさせる、威厳が籠もった野太い声で男が話しかけてくる。それだけで思わず怯みそうになってしまうが、引くわけにはいかない。
「僕らには、あなたに渡すものなんて僕らにはないんだけど」
言い負けないように声を絞り出した。
「まあ、それも至極当然の道理。しかし有り金全部よこせと言うわけではない。こちらの要求はお嬢さんの右手に装着されている腕輪だ。それをお譲りいただきたい。なんだったら、そちらの言い値で売って頂いてもかまわない」
紳士然とした話し方で淡々と告げてくる男。
「え……でも……」
ナナは右腕の腕輪を抑えながら一歩後ずさる。
その腕輪はナナが母さんから譲り受けたものだ。
ずっと大事にしてきたもので、子どもの頃からナナが身に着けていたものだ。そんなものだからこそ、見ず知らずの男にいくらお金を積まれても簡単に他人に渡せるような代物ではない。
こんなふうに交渉してくるくらいだから、もしかしたらとんでもない価値のあるものなのかもしれない。だけどそんなのは関係ない。腕輪はナナのものであって、他人に渡せるようなものではない。
「悪いね。交渉決裂だ。他を当たって下さい」
困惑しているナナを見て、代わりに僕が男に言い放ってやった。
「そうか……仕方ないな。それなら、少々手荒な手段を取らせてもらおう」
男はわずかに唇の端をつり上げて笑った。最初からこんな展開を望んでいたかのように。
男はショートソードより短めのダガーを取りだし、地面を蹴り上げてこちらに向かってくる。
僕はナナを制して、剣を構えて男を迎え撃った。
僕のブロードソードと男のダガーが交錯して、乾いた音が響き渡る。
男は一旦後ろに飛んで、僕から距離を取った。
「ナナ、援護をお願い!」
「うん! まかせて!」
男が様子を窺っている隙に、僕はクイックの魔法を掛ける。
魔法が全身に行き渡ったのを確認して、僕は男へと向かっていく。男は僕のスピードなど苦もせずに、身をひねって男は僕の一撃をかわした。
「ファイアランス!」
次の瞬間、ナナの手の平から、槍の形をした炎が姿を現し、男へと向かっていく。男は横に跳びこれをかわすが、この瞬間を逃すまいと僕が男へと追撃を仕掛けるために踏み込んだ。
男が空中で身動きが取れない中、僕はその胴ごと薙ぎ払いにいく。
完璧に連携が決まった瞬間だった。
しかし、カンッ、っと高い音が鳴り渡る。男は空中で不安定な体勢のまま、僕の剣をダガーで受け止めたのだった。
「なかなかいい動きだが、圧倒的に経験が足りないな」
地面に着地し、男は僕の目の前で余裕の笑みを浮かべている。
反撃を恐れた僕は、後ろに飛んで距離を稼いだ。
「ふふふ……面白い動きをする。一矢報いたその姿勢は評価するが、もう遊びは終わりだよ」
男はそう言い放ち、ナナの方に目を向けた。
すると、路地の隙間からもう一つの影が浮かび上がり、ナナの背後に忍びよった。
「ナナ! 後ろ!」
僕は力の限り叫んだが、手遅れだった。一瞬のうちに、ナナは後ろにいたヤツの仲間であろう覆面男に片腕で首を絞められ、もう片方の腕を使って首筋にナイフが当てられる。
「うっ……」
苦しそうにナナがうめき声を上げる。
僕は瞬時に体を動かし助けに行こうとするが、
「おい。余計なことはするなよ」
僕の行動を制するように、男はさきほどまでの紳士然とした口調は影を潜めて低く冷たい声で言い放った。
覆面男のナナの首を絞めている腕に力が込められた。
ナナが口から空気を漏らしたような儚いうめき声を上げる。
「お嬢さん。悪い事は言わないから、我々に腕輪を渡して下さい。その可愛い顔に傷をつけたくないでしょう?」
僕の目の前にいる男が、紳士然とした口調で諭すように言う。
「その腕輪に何の価値があるって言うんだ……」
僕が唇の端を噛みしめながら問いかけると、
「それをお答えする必要はありません」
男は僕を一瞥して答えた。
「お嬢さん、今からでも遅くはありません。我々に売ってくださいませんか?」
ナナは唇をきつく結んで思いっきり首を振った。
男は僕に見向きもせずに僕の横を通り過ぎて、ナナへと歩み寄る。背後から斬りつけたやろうかと考えたが、覆面男のほうがナナを締めながらも、しっかりとこちらに注意を向けていた。それを見て下手なことはできないと悟る。
男がそのまま、ナナの腕輪へと手をかける。
「やめて……」
ナナが身をよじって抵抗を試みるも、あっさりと二人の男に組み伏された。
「その腕輪さえいただけたら、何もいたしませんよ」
「でも……」
なおもナナは抵抗を続けた。
やがて男が明らかに焦れてきた様子だった。
苛立ったように目を細めると、握っていたダガー日からが込められた、その瞬間、僕は咄嗟に叫んでいた。
「ナナ! もういい! 腕輪を渡すんだ! それは大切なものだけど、命を捨ててまで守るような大事な物はこの世にないんだ!」
「うん……」
ナナは僕の言葉を耳に入れ、抵抗をやめた。そして男はナナ腕から腕輪を抜き取った。
「いい子だ。これも仕事なんですよ。さて、目的のモノも手に入ったことですし、人目につく前にさっさと退散しましょう」
そう言うと、覆面男は力を緩めてナナを放した。支えを失ったナナは力なく地面にへたり込む。
その時の僕はと言えば、男の姿が見えなくなるのを、見送ることしか出来なかった……。
「ごめん……」
力なくうなだれているナナに近づいて、僕は呟くようにナナに謝罪した。
「ううん。守ってくれてありがとう。ユウヤも無事で良かった」
顔を上げて、にっこりと僕に微笑みかけるナナ。目の端には涙がたまっていて、無理矢理に笑みを作っていバレバレで、ナナにそんな表情を作らせてしまった僕自身が本当に情けなくて……。
こんなことになるなら、やっぱり無理矢理にでもナナを村に置いてくるべきだった。
だけど今することは、そうやって後悔することじゃない。
これは誰が悪い? 旅についてきたナナが悪いってのか? そんなわけはない。ナナを守る力がなくて、情けない僕が全部悪い。
じゃあこれからどうする?
そんなことは決まっている。
あいつらから、腕輪を取り返すんだ。
けれど、それにナナを巻き込むわけにはいかない。これからは僕の戦い。ナナを戦いに巻き込んだ僕の責任を果たすための戦い。
「ナナ、立って。とりあえず宿に戻ろう」
「うん」
血に染まったような真っ赤な夕日は、図書館を出たときよりもさらに濃くなっていた。
宿に戻ってみると、ニールとアスカの姿はなく、彼らはまだ用事を済ませていないようだった。
「あれ? まだ二人とも戻って来てないね」
ナナは部屋のベッドに腰掛けて、足を投げ出した。その声から少しずつ元気が戻っているのがわかったので、僕は少しだけ胸をなで下ろしていた。
このタイミングでいいのかわからないけど、これで元気を取り戻してくれたらという重いから、僕は懐からガウルの町で買った、伝説? のナイフを取り出した
「これ。腕輪の代わりになんてならないだろうけど、ガウルの町で買ったんだ。よければ、ナナに使ってほしい。使ってくれなくてもいいから、とりあえず持ってて欲しい」
そのナイフを差し出すと、ナナは目を大きくさせてナイフを凝視していた。
あまりにセンスがなさすぎると文句を言われるのだろうか。僕がそんな不安に苛まれていると、
「うん……ありがとう。大切にするね」
目の端にうっすらと涙を浮かべたナナが僕のほうを見て口元を綻ばせた。
その笑顔が見られただけで、ナイフを渡して心からよかった。僕はそう思った。
「僕もさ、それと同じナイフ持ってるんだ。それで露店のおっちゃんにお揃いで持って行けって言われてさ」
「うん」
「旅が終わったらさ。腕輪のこと、母さんに一緒に謝ろう。きっと怒られるのは、僕なんだろうけど」
「そうだね。うんっ! このナイフありがとうね。すっごくうれしい。私、大切にするねっ!」
弾んだ声音で言って、ナナはナイフを受け取った。その顔にはもう悲しみの感情は見受けられなかった。
「いやあ、仲良きことは良いことね」
突然、扉のほうから拍手とともに女の子の声がした。声のした方を見ると、端正な顔立ちに長い黒髪。身長は僕と同じくらいの女の子が立っていた。
「ア、アスカ。い、いつから聞いてたの?」
疾しいことなんて何もないのだけれど、なんとなく恥ずかしい気持ちになって早口で問いかける。
「『二人とも戻って来てないね』。のところからよ。実は二人が帰ってくる前から戻って来てたんだけど。なんか二人ともあたしがいるのに気づかなかったみたいで。しかも会話が弾んでいるようだったから、出るタイミング逃しちゃってのよね。なんか一段落ついたみたいだしそろそろいいかなと……」
最初からいたのかよ……。なんて突っ込む気力を失ってしまうくらい言葉を失っていた。
どうせ何か言い返したところで、茶化されて恥ずかしい思いをするのは僕だ。ならばここは沈黙することが吉だろう。
結局、ニールは夕食になっても戻って来ず、宿屋の食堂で僕らは食卓を囲みながら、さっきの襲撃の話をアスカに説明した。
「なるほどねえ。そんなことがあったとはね……。案外物騒な町なのかもしれないわねえ。ところで、ニールさんはどうしたの?」
「うーん。僕らもわかんないなあ・おおよそ調べ物でもしてて、時間を忘れてるんじゃない?」
「でも、大丈夫なのかしら。あなたたちと同じように襲われるなんてことも……」
「まあ、確かにそれはあるけど、ニールだって、長いこと旅してるんだし、仮に襲われたとしても逃げる手段くらいは自分で用意してるよ。逆に、僕達が助けに行っても、足手まといになるかもしれないし」
「うん。ニールは私たちなんかよりも、ずっと強いし、旅に慣れてるし、大丈夫だと思うよ」
ナナとともに言うと、アスカは納得したのかしていないのか、微妙な表情を作って、ふ~ん、と鼻を鳴らして頷いた。
その時、宿の従業員と思われる男が、僕達に近づいてきた。
「あの、ニールさんというからか伝言を預かっているんですけど、あなたたちニールさんの知り合いのかたですか?」
「はい。そうですけど」
なんだろう、と思いながら言葉を返すと、店員は恭しく頭を下げてから答えた。
「『今夜は調べ物やら、色々あって帰れないから、そっちはそっちで楽しくやっててくれ。明日の朝には戻る』とのことです」
「はい、わかりました。わざわざありがとうございます」
礼を告げると、店員は一礼して僕達から離れていった。
「ほらね。心配する必要なんてなかった」
夜遊びという単語が僕の脳裏を掠めたけど、ニールの名誉を汚さないためにも、ナナに変な知識を植え付けないためにも、それを口にしなかった。
それにお世辞にもこの町で遊ぶようなところがあるとは思えないし、本当に何かしらの用事があるのだろう、と思い直した。
「そうね。よかったわ」
アスカはほっと大きな胸をなで下ろす。僕も心配はそんなにしていたわけではないけれど、伝言を聞いて少し安心した。
「ところで今日は二人部屋を二部屋取っているのよね。それじゃあ今日はあたし一人で一部屋使わせてもらうわ。そういうわけだから、あなたたちは二人で寝てちょうだい。それじゃああたしは部屋に戻るわね」
おもむろに立ち上がって、こちらの都合なんて無視して話を進めようとするアスカ。
言い返そうとしたが、アスカは僕にしか聞こえないような小さな声で、
「もう寝ぼけたりしないから、安心して。今日はナナちゃんをしっかり面倒見てあげて。きっとそれはあなたにしかできないことだから」
言い返すべき言葉を失って、僕は食堂を出て行くアスカの堂々とした背中を見送った。
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