第3話旅立ちの朝

 ニールの家に足を踏み入れると、玄関にはニールではなく母さんがいた。どうやら朝に家にいなかったのは仕事関係ではなかったようだ。

「あれ? 母さんここにいたの? てっきり仕事に行ったのかと思ってたよ」

「あら、ナナとユウヤ。もう来たのね。ちゃんとご飯食べた?」

 僕とナナの姿を認めると、母さんはいつもと同じように声色で言う。

「うん。食べたよ。お母さんはニールの家でなにしてたの?」

 ナナが答えると、部屋からニールが顔を出して口を挟んでくる。

「お、来たか。リンカさんには旅の支度を手伝ってもらってたのさ」

 リンカさんとは僕らの母さんのことである。

 余談だが、ニールがまだ小さい頃に、母さんに対して、「おばさん」と言ってしまい、母さんは仏のような優しい笑みで「リンカさんと呼ぶように!」とニールに対して二人きりで『教育』したらしい。

 後日、誰かがニールに母さんからどんな『教育』をされたのか? と訪ねてみたが「おばさん」と読んだ記憶すら抹消されていたらしい。

 この一連の話はナナから聞いた話だが、どんな事があったのか僕は知らないし、知ってはいけない事だと思う……。

「ニール君に関してはそんなに心配はしてないんだけど、今回は二人もついて行くって言うから、その分もしっかり用意してたのよ」

「ま、そんなわけで。俺はまだ準備に時間かかるから、のんびりして行けよ」

 そう言って、ニールは部屋の中に戻って行った。

「……僕は、自分でやるからいいって言ってるのに……」

 母さんを半眼で睨みながら唇を尖らせながら言う。

 だって、せっかく旅をするのだから、出発の準備まで自分でやりたいって思うのが心情だと思う。

 母さんが心配してくれてるのは、素直に嬉しいんだけどさ。

「そうもいかないわよ。あんただけだったら、どうにでもなるんでしょうけど、ナナがいるのよ。準備は万端にしておかなくっちゃ」

 ナナはうれしそうにありがとう、と言いながら母さんに抱きついていた。

「こうやって抱きつかれると、ナナもやっぱり大きくなったんだなあ、って思うわね。まあ、素敵な大人と呼ぶには、まだまだ色々足りないと言わざるを得ないけど」

「もう~」

 母さんの胸の中でナナが頬を膨らませている。

「でもあんまり魅力的になり過ぎちゃうと、大変なことになる人がいるかもしれないから、もうしばらくはこのままでいいかもね」

 母さんが意地の悪そうに唇の端を歪めて、こちらに視線を投げかけてくる。

「どういう事?」

 ナナはキョトンした瞳で首を傾げていた。

「そうだ。ねえ、ナナ聞いて。この間ね、ユウヤがね――」

「もう準備終わったんでしょ! 早く仕事行ってよ!」

 母さんが余計な事を言おうとしているので、慌てて止めに入った。

 その先に続く話は簡単に想像がついた。数日前に慣れないお酒を飲んだ勢いで、僕の口からこぼれてしまった話をナナにするつもりなのだろう。

 こんなことだったら、あのときお酒なんか飲むんじゃなかった。母さんに余計なことを言うんじゃなかった。

 なんであんなことを口走ったのか自分自身に問い詰めてやりたい。

 果たしてその内容とは、至極単純な内容で、ナナを旅には連れて行きたくない、とのことであった。

 そりゃあもう、口を開けばナナに危険な目に遭って欲しくないと熱弁していた。お酒を飲んでどうしてそういう話になったのかは覚えていないけど、そこだけはばっちり僕の記憶に残っていた。

 その場にはニールなんかもいて、「そんなに心配する必要はないよ」と僕を宥めてくれていたのだが、それでもお構いなしに、ナナが守ってあげなければならない少女だという言葉を繰り返し、その他にも、ナナを気遣うような言動を繰り返していた。

 思い返すだけで、顔から火出るほど恥ずかしい。

 そのうち僕は疲れて眠ってしまった。唯一幸運だったのは、その場にナナがいなかった事だ。

 だからこそ、この話をナナに知られるわけにはいかない。我が母には一刻も早くご退場願いたい気持ちでいっぱいだった。

 ナナは妹みたいなものだから、危険な目に会わせたくないと言うだけ。それ以上の事はない。ただそれだけ。本当に。

 なんて言いたいのだけれど、人間の感情ってのは色々と複雑だから、ナナに対して色々と思うところがあるわけで、ナナは妹のような存在である前に、僕と同じ年代の年頃の少女であって、そして僕だって年頃の男の子なのだから。

 とまあ、そんな僕の複雑な心境なぞナナは知る由もないだろう。

「それじゃあ。そろそろ失礼するわね」

 一通り僕をからかったところで、母さんは満足したようで、満面の笑みを浮かべていた。

 しかしその表情がすぐに引き締まったので、僕も表情を引き締めて母さんの話す言葉を聞き逃さないようにした。

「この辺でも、最近はオークの活動が活発になっていると言うし、二人とも気を付けるのよ――それと、二人にもおまじないをかけてあげる。ニール君にはもうかけてあげたの。これで少しは安心して出発できるでしょう」

 そう言って、母さんはおまじないをかけてくれた。おなじないは、僕らの頭を撫でるって言う本当に簡素なものだった。

 きっと魔法とかそういった類の不思議な力、なんてのは使っていないのだろうが、母さんの手は本当にあったかくて、撫でられているだけで本当に安心できる。何というか、不思議な手のひらだった。

「はいわかりました。お母さんありがとうございます。それでは行ってきます」

 ナナも表情を引き締めて、母さんに頭を下げた。

「ありがとうございます。母さん」

 僕たちの言葉を聞いて、母さんは優しく微笑みながら僕達に手を振って、て行ってしまった。母さんを見送った後、ニールの部屋に入ると、ニールは準備をほとんど終えているようで、部屋の中で座りながら荷物の確認をしていた。

「リンカさんはもう帰った?」

 僕たちが入ってくるのを確認すると、ニールが顔を上げて問いかけてきた。

「うん。ニールはもう準備済んでるの?」

「ああ。すぐに行ける。二人は大丈夫か?」

「「大丈夫っ!」」

 綺麗に声があった僕とナナ。そんな僕たちを見て、ニールの口元が小さく綻んだ。

 顔立ちが整っているせいか、ニールのそんな所作はとても絵になる。

「それじゃあ、行くか」

 白い歯を見せてニカリと笑うニール。

 ニールは金色の短髪という髪型をしている。体は筋肉質でがっしりとしていて、切れ長の瞳は彼の持つ鋭い雰囲気を特徴付けるものになっている。

 服装は長袖のインナーに胸甲冑を身につけている。下は長いズボンで、腕にはグローブを着用している。

 その格好は機動性に優れていると言うのは本人談であり、腰には愛用の剣が差してある。

 ナナが炎を操るのに対して、ニールは雷属性の魔法を使うことができる。何もない所から雷を生み出し、相手を仕留めるのが彼の戦闘スタイルだ。

 僕が使っている魔法のようなモノはナナやニールとはちょっと違う。そもそも魔法と呼べるのかも怪しい。

 僕の魔法は自分が手に持っている武器を一撃分だけ強化したり、一時的に自分の身体能力強化をすることが出来る。とは言っても、自分の俊敏性を強化するスピードアップだけなのだけれど。

 ナナが魔法を習っている時に、当然僕も母さんに一般的な魔法のレクチャーを受けようとした。結局、それらは一つとして身につくことはなく、いつの間にか自分だけのオリジナルな魔法を生み出してしまったわけだ。

 僕が使っているような、武器や自分の潜在能力を上げる魔法を使う人はいない。と言うか、その存在自体を知っている人はほとんどいない。王都で魔法の勉強を長年してきた母さんは「今まで色んな魔法を見てきたけど、こんな魔法は初めて見た」と言う。

 他にも実戦ではほとんど使い道がない魔法もある。自分の体をオリハルコンのように硬くし、どんな攻撃も跳ね返してしまう魔法。

 欠点は呪文が発動している間は意識があるが、体が全く動かなくなることだ。術を解いて、僕の体が通常の状態に戻っても、魔法使った反動として少しの間、身体がまったく動かなくなる。

 それほど魔力消費が激しく、一度使ってしまえば、戦闘中はほとんど何も出来なくなってしまう。

 魔法を発動させるために、自分に暗示をかけるように呪文を唱えるのだが、その呪文がまたダサイ。「かっちんこっちんになれ!」である。こんな呪文を使おうもんなら、シリアスな場面でも、一気に興ざめする事間違いなし。

 なんでこんな魔法が使えるようになったのかは、まったく覚えていない。記憶を失う以前の僕が何らかの形でこの魔法を使っていて、それが体に身についてしまっていたのかもしれない。

 もうずいぶん昔のことになるが、無意識のうちに「カッチンコッチンなれ」などと言ったら、本当にカッチンコッチンになってしまったのがきっかけだ。

 ちなみになんでそんなことを言ったかは覚えていない。

 硬化していられる時間はあまり長くなく、一分、長くても二分程度だ。

「さて、それじゃあ行くか。とりあえず隣町のガウルの町には明日の昼くらいに着くと思うぜ」

 ニールが僕達に向けて言う。

 ガウルの街はこの村から一番ちかくにある街である。村の人間の中には、自分達が作ったモノをガウルまで売りに行って生計を立てている者もいる。

 ダリアの村とガウル町を行き来する商人を護衛する仕事を何回か請け負ったこともあり、ガウルには僕も何回か足を運んだことがある。

 道中の治安はお世辞にもいいとはいい難く、往復の間にオークの追い剥ぎ集団にしょっちゅう襲われる。

「最近、オーク達の動きが活発で、ガウルに行くまで襲われる事もあるだろうから気をつけないとダメだよ」

 僕が言うと、ナナは不安そうな表情になって小さく頷いた。

「う……気をつける」

 こんな調子で大丈夫なのかと心配だが、今さらナナを置いていくことなどできはしない。

「大丈夫だって。この辺にいるオークなんて大した事ないって。出てきても、ユウヤがなんとかしてくれるんだから」

 ニールが軽口で言って、僕の方をぽんと叩く。

「まあ、今までも苦戦した事ないし、大丈夫だと思うけど」

 僕が少し自信なさげで言うも、ナナはそれで安心したように笑顔を輝かせた。

「うん。それじゃあ、はりきってしゅっぱーつ」

 そして、ナナはやる気マンマンといった感じで、ニールの家を文字通り飛び出して行ってしまった。

「旅はどれくらい長くなりそう?」

「う~ん。そんなにはかからないと思うね。目的地まで行って、目的を済ませて帰ってくる。それだけだしね」

 僕らの今回の目的は、最近王都ガーデルで起こっているという悪魔騒動について確認するために王都に行くこと。ニールは王様とも面識があるらしく、その王様から直々に調査を依頼されたのだ。

 どうしてニールが王様と面識があるのかというと、以前にも王都で同じような騒動があったときに、ニールは王都の近くの洞窟に出現した悪魔をやっつけたことがあるらしい。

 悪魔との戦いは熾烈を極め、戦いの最中、恋人のリリィさんは悪魔の攻撃を受け、息を引き取ったという。今回の騒動にその時の悪魔が関連しているかはわからない。しかし関連しているならば、命を失ったニールの恋人のためにも、騒動を納めなければならないだろう。そこで、僕達はガーデルまでニールについて行くことになったのだった。

「そっか、じゃあ上手くいけばすぐ終わりそうだね」

「なんだ? 長い旅がよかったのか? 大丈夫だよ。目的が終わったら、俺は単独行動するから、二人で旅を楽しんでこい。さっきリンカさんには長い旅になるって言っておいたから、不審がられる心配もない」

 ニールは何かに気付いたという素振りを見せ、いたずらっぽく微笑んでいた。

「そ、そのやりとりは、さ、さっきもやったからね。二度目はネタの新鮮さが、な、なくなるよっ! ほら僕達もさっさと行かないとっ!」

 ニールにナナを追いかけるように促し、玄関へと向かった。我ながら完璧な話題逸らし。

「ユウヤ、玄関そっちじゃねえぞ……。しょんべんでもするのか?」

 どうやら動揺を隠す技術を、僕はまだ身につけていなかったらしい。

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