第2話僕とナナ

 最近、僕は同じような夢ばかり見る。

 女の子と楽しそうに話をしている夢だった。ただその女の子は、顔のあたりにぼんやりともやがかかっていて、その顔立ちまでは窺えなかった。

 シュッとした輪郭に、長くて漆黒の黒髪が腰の位置まで伸びていた。その髪の一本一本に命が宿っているかのようで、思わず手を伸ばしてしまいたくなるような美しさを携えていた。まあ夢の中なんだから、触れたところで本当の感触なんてものはわからないんだろうけど。

 彼女はスタイルが抜群でスラッとした体型をしていた。そんな要素を持ち合わせているのだから、おそらくは美少女だと思う。

 身長は男である僕と同じくらいで、女の子としては背が高いほうだろう。

 現実世界で僕は彼女と出会った覚えがない。しかし、夢の中で初めて出会ったときからその女の子に対してどこか親しみを覚えていた。

 だいたい女の子とほとんど話すことのない僕が、面識のない彼女とスラスラと会話を成立させている時点でおかしなことなのだ。

 彼女と夢で会う場所も様々だった。しかし、自分が生活している場所とは何もかも異なる場所で会うことが多く、ただそれはどこか懐かしい雰囲気を感じさせるような空間だった。

 ――そして、今日も彼女の夢を見た。


「ユウヤ。朝だよ。起きてーー」

 間延びするような声が耳に入ってきたところで僕は現実世界に意識を戻した。

 目を開けると、視界いっぱいにナナの顔が広がっていて、彼女が僕の身体を揺さぶっていた。

 今日もいつもと同じように、僕の一日はナナの顔を拝むことによって始まるみたいだった。

「ほら、早く! 今日から旅に出るんでしょ?」

 もそもそと身じろぎすることで、ゆっくりと意識を覚醒させる。

 例によって夢の概要はぼんやりと覚えているものの、彼女と具体的に、どんな状況でどんな会話をしたか、なんてことは何も思い出せない。

 それでも何度も同じような夢を見てしまうのだから気にならないわけがない。

 寝る前に、今日こそはしっかり脳裏に焼き付けておくぞ、と決意しながら眠りに入ることもあるのだが、残念ながらその決意が実ったためしはない。

「うん。おはよう。もうそんな時間か」

 まだ半分眠りかけている眼でナナの言葉に答える。

「そんなにぼーっとしてたら、そのへんのオークにやられちゃうよ」

 ナナは僕の顔を覗き見るようにして微笑んでいる。彼女の無邪気で人なつっこい笑みに僕の心臓は無意識のうちに鼓動を速めていた。おかげで眠気も吹き飛んで、ばっちり目が覚めてしまった。

 僕は今年で十八となり、まだまだ大人になったという実感はわかないが、一応成人という括りになっている。

 一方で、ナナは僕よりも二つ年下の十六歳。顔つきは実年齢よりも幼く見られる傾向にあり、同年代の女の子と比べても、背が一番小さい。

 目は大きなぱっちり二重で、桜色の唇はふっくらとしている。赤い炎のよう髪は肩口までのショートカットで、本人曰く、髪の手入れは怠ってないらしい。「わたし、すっごい髪の毛がサラサラなんだよ」と自慢しているのを耳にしたことがある。

 それほど女の子を見かける機会がない僕だから信憑性は薄いかもしれないが、ナナはきっと世間一般では美少女に分類されるような女の子だと思う。

 服装は白色を基調としたシャツで、下は膝下くらいの丈のズボンを着用している。ナナの体に対してシャツのサイズが大きく、ぶかぶかになってしまって、一目見るとワンピースに見間違えるような格好になっている。

 そういう着こなし具合が、更に幼い印象を与えている。「その内成長して、サイズが丁度よくなるよ」と言うのがナナの言い分だが、サイズが丁度良くなるのは、いつになることやら……。

 でもいつかはこの服装が似合うほど大きくなるくらいに成長するんだろうな、と思うとなんとなんく感慨深いものがある。

 僕にとってナナは妹のような存在だ。こうして一つ屋根の下で暮らしているが、血縁関係は一切ない。もちろん疾しいことも男女の関係も一切ない。

 ナナとの出会いは、今から五年前、僕が十三歳のときである。近所の森で倒れていた僕をナナの母親が保護してくれたのがきっかけだ。そしてナナの母親が僕をこの家に運んでくれて、ナナの家族と一緒に暮らすことになったのである。

 ナナの両親は、自分の名前と年齢以外の記憶がない僕を、家族と同じように接してくれた。悪いことをすれば叱ってくれたし、いいことをすれば褒めてくれた。

 そしてナナも僕のことを兄のように慕ってくれた。

「じゃあ、さっそく。ニールのところに行こうっ!」

 ようやく、僕の意識が完全に覚醒したところで、勢いよくナナが宣言する。

 しかし、そんな彼女の勢いを削ぐかのように、ナナのお腹からぐぅーと、可愛らしい音がなった。

「朝ごはん食べてからにしよっか……」

 お腹を押さえながら、ナナは恥ずかしそうに目を伏せて顔を赤らめた。

 寝室を出て、居間に行くと両親はもう仕事に出て行っていいるようで二人の姿はそこになかった。

 ナナが台所に行き、朝食の準備を始めた。僕はそんな彼女の後ろ姿をぼんやりと眺めていた。

 ナナは昔から料理が上手い。彼女は何もないところで転んだりと、どこか抜けているところがあるが、とにかく手先が器用だった。

 朝食は二人ともそれほど食べないので、料理といってもせいぜい卵を焼いてスープを温める程度である。しかし、その作業を僕がやったとすると、卵の形がぐちゃぐちゃになって、よくわからな黒色の物体が完成してしまう。

 元は卵であるにも関わらず、料理と呼ぶには相応しくない物体が完成してしまう。

 その点ナナは器用に朝食を作り終えたようだった。しかし、彼女の料理を食する上で、ここから先が一番注意するべきポイントだ。

 ナナは両手で包み込むようにお皿を持って、大きな木のテーブルに料理を運ぼうとしている。

 ナナは何もない所で転ぶ才能がある。それはまさしく天賦の才と言っても過言ではないほどだ。

 そんなナナだからこそ、せっかく完成した料理を運んでいる途中にぶちまけて、台無しにしてしまうなんてことは割と日常茶飯事だ。その上、器用な事に完成したスープなんかを僕の頭めがけて、ぶちまけるなんてこともある。

 正直にいって、僕としては笑いごとでは済まされない。熱湯をかけられ、顔中にやけどを負って医者に診せに行く。という事件にまで発展した事もある。

 その時のナナはやけどした僕の顔を見て、ずっと「ごめんなさい。ごめんなさい」頭を下げて謝り続けていた。そんなナナが痛ましくて、顔のやけどの痛さなんて吹き飛んでしまうほどだった。

 自分のためにもナナのためにもそんな悲劇を二度と起こさないように、僕は料理を運ぶ役目を請け負うことにした。

 汁物なんかがある場合は、大抵僕が運ぶことになっている。そもそも食事の準備で手伝いが出来ないんだから、これくらいはやらないとダメだよね。

 とまあ、僕が手伝った甲斐もあり? 料理の運搬というメインイベントは無事終了し、二人で木のテーブルを囲んだ。

「私、この村から出る事ってあんまりなかったから、ちょっと楽しみっ!」

「気持ちはわかるけど、遊びじゃないんだよ。村の外って結構危険なんだ」

「わかってるって。私だってお母さんに魔法教わって強くなったんだから、自分の身は自分で守れるよ」

「だったら、いいんだけどね」

 僕は渋々といった調子で納得する。

 本音を言えば、妹のように接しているナナを危険な事に巻き込みたくない。

 だけどナナはこの調子だし、両親もナナの旅立ちにを認めているのだから、自分がどうこう言ったところで彼女はついてくるだろう。

 こうなった以上は、ナナに危険な目に遭わせないように僕が守ってやらないといけない。

 そこは腹を括るしかないだろう。

 一方の僕は以前から、外の世界に憧れていた。外の世界とは村の外、自分が知らない世界のことである。

 僕は村の中では決して見つからなかった過去の記憶を、いつしか外の世界に求めるようになった。そしてその気持ちは気づいたときには憧れへと変わっていたのだった。

 とはいえ、当時はまだまだ子どもだった僕がいきなり外に飛び出すわけにも行かず、まずは母親の書斎にあったさまざまな書物を漁ることによって、擬似的に外の世界を体験することにした。

 手始めに読んだ、勇者と魔王が登場する物語の勇者という存在に、僕は心底憧れた。そんな英雄とも呼ぶべき存在に、陶酔したと言ってもいいかもしれない。

 年頃の男の子にとっては、登竜門ともいうべき微笑ましいエピソードだろう。だけど僕は、十八歳となって、成人となった今でもその夢を完全に諦めきれないでいる。ひょっとしたら、自分の失われた記憶には、勇者としての記憶が刻まれていたんじゃないか、ってね。

 こういう子どもくさい夢を捨てられないところが、自分がまだまだ大人になりきれてないと実感する点だ。

 もちろん他にも様々な書物を目にした。たとえば、海を越えて金銀財宝を手に入れる話。自分の背丈よりも何倍も大きいドラゴンを一刀両断にして英雄として持て囃される話。

 果ては、自分で物語を考えて、その大冒険の話をナナに聞かせてあげたりなんかもした。

 今にして思えば、恥ずかしくて幼稚な話なんだけれど、ナナはそんな僕の話に目を輝かせながら耳を傾けていた。そのおかげでナナも僕と同様に外の世界に憧れるようになってしまった。

 それから元々母親の影響で魔法が好きだったナナは、本腰入れて魔法の訓練に励むようになった。

 ナナはその真っ赤な髪が表す通り、炎を操る事に長けている。

 母さんの教えは丁寧でわかりやすいらしく、ナナのスポンジのような吸収力も相まって、ナナは魔法の知識と技術をものすごいスピードで吸収していった。

 ついに今日、その魔法を実戦で用いることができるようになる。きっと内心では、一刻も早く自分の力を試してくて仕方がないのだろう。

 それらの事情を考えるとなおのこと、「僕は外の世界に行くけど、ナナはついてくるなよ」と、強く言えるはずもなく、ナナも連れて行こうという結論に達してしまうのだ。

 さっきから外の世界の話ばかりしているけれど、決してこの村の生活に不満があるから出て行きたいというわけではない。ナナもナナの両親も本当によくしてくれているし、僕も彼らのことを家族だと思っている。

 だけどそういうのじゃないんだ。やっぱり自分の知らない自分ってなんか気持ち悪い感じがするだろう。だから僕はすべてを思い出した上で、世界を又にかけた後はこの村でみんなと幸せに暮らしたい。

 まあそんな諸処の決意を持って、僕は今日この村を出発して外の世界に旅立つというわけさ。

 朝食を済ませると、僕はいつもの習慣で手を合わせて「ごちそうさま」と言った。

 父さんや母さんやにもこんな習慣はしない。以前、僕はご飯を食べ終わった後、ほとんど無意識のうちに手を合わせて「ごちそうさま」と言ったので、どういう思考でその行動にたどり着いたのかは定かではない。それ以降も、無意識のうちに、言ってしまう事があった。

 記憶を失っても、身体に染みついた習慣みたいなものが残っているのかもしれない。

「そのご飯食べ終わった後のあいさつ? って何の意味があるの?」

「うーん。なんなんだろうね。たまーに、言っちゃうんだよ。僕も無意識だから、よくわかんないよ」

 まあ僕も変だとは思うけど、わざわざ改善しようとは思わない。もしかしたら、そこに僕の記憶の欠片を掴む手がかりがあったりして、なんて思ったりするわけだ。

「それじゃあ。ご飯も食べ終わったし。今度こそニールの家に向けてしゅっぱーつっ!」

 出発の準備も一通り終えたところで、ナナは杖を手にとって高らかに宣言する。

 ナナが持っている杖は魔法使いがよく持っているようなシンプルなデザインの杖で、杖の先端には赤い宝石が輝いている。そして右腕には母さんからもらった金色の腕輪を身につけている。

 対する僕は腰に愛用のブロードソードをさしている。下半身は長い皮のズボンで、上は紺色の薄めのインナーに軽装鎧ライトアーマー。村の外に出る時はいつも同じ格好だ。

「おし。じゃあ、改めていきますか」

 二人で食器を片づけ、僕達はまず村を立つ前にニールの家に向かった。

 周囲に田畑が広がっているあぜ道を、僕とナナは並んで歩く。人が少ない村の中は、家と家の距離があり、三軒ほどしか離れていないニールの家まで、結構な距離を歩く事になる。

 ニールは、僕らよりも三つ年上のお兄さんで、昔はよく僕の剣の修行相手をしてくれていた。他にも彼は僕らに何かと面倒を見てくれていていたのだが、三年前、丁度今の僕と同じ年齢の時に村を旅立った。

 そして、今からひと月ほど前にニールは帰ってきた。

 僕は一刻も早く、外の世界の話が聞きたくて、ニールの元に駆け込んだが、無邪気にその話を聞いてしまったことに少し後悔した。

 話によると、ニールは旅の途中で気の合う女性と出会い、一緒に旅をしていたという。しかし、ある時ニールを庇うように亡くなってしまったらしい。

 恋人を失った当初は、何も手をつける気が起きない程に落ち込んでいたと言っていた。

 村に帰ってくるときには、どうやら気持ちの切り替えることができたみたいでそれほど落ち込んでいる様子は見られなかった。

 今回の旅は、ニールも含めた僕たち三人で出発する。僕らの荷物は昨日のうちにニールの家に運んでいたので、彼の家に集合した後に今度こそ村の外に出発だ。

 ニールの顔を思い浮かべながら、僕はナナと他愛のない世間話をしながら、ニールの家まで歩いて行く。

 雲一つない快晴の空は、僕たちの旅立ちを祝福してくれるように輝いていて、眩しかった。

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