第1話 ミルクティーと大剣

 カタカタカタカタ


「その日、ジェーン…は…言った、やぁね、バン、それっ…て、猪突猛進っ…て、言う、のよ」


 カタカタカタカタ



 近場に良い喫茶店を見つけた。自宅から10分も歩かない、人目につかないような細い路地裏を進んだところだ。ここ最近は、毎日この喫茶店"LuneAnge"リュネアンジュで小説を執筆している。ノートパソコンとにらめっこだ。こじんまりとしたシックな店で、片隅に古いレコードや蓄音機が置いてあり、店内のBGMはその蓄音機から流れる。

比較的小さな店だがモーニングや昼は絶えず客が出入りし、なかなか繁盛しているように見える。それもそのはず、このLuneAngeはコーヒーはもちろん、ホットサンドやナポリタン、全てにおいて美味なのだ。私はよくこの店に足を運ぶが、訪れる客の殆どはオジサマやオバサマだ。おそらく古くからの常連客なのだろう、いつもマスターと言葉を交わしている。


 コーヒー豆にこだわっているらしく、店内はいつも香ばしい豆の香りで溢れている。LEDライトのあのキンキンとした明るさが苦手な私にとっては、薄暗いオレンジ色で灯る小さなシャンデリアや、そんな店内に差し込む都会の日差しがいい。柔らかな音も、芳醇な香りも、この店の全てがたまらなく好きだった。


 マスターは人の良い、笑いじわが特徴的な60代紳士で、喫茶店のマスターが着ている服っていったらアレだろ!というアレを着ている。なんだっけな。ド忘れしたよ。カフェコート?インコート?とにかく、いつもノリのきいたワイシャツに塵一つついていない黒いベストを着て、また長めのサロンが良く似合う。


 初めて来店した日には、パソコンを持って、少しお邪魔していいですか、と問いかけたところ、私の仕事(じゃないけど)を知ってか知らぬか、好きなだけどうぞと、優しく微笑みかけてくれたのだ。と言っても、店内が混み始める昼やティータイムはすぐに会計を済まして席を立つけれど。



「ん」


 マナーモードにしていたiPhoneが、椅子にかけておいたコートの中で震えている。電話。母親のミチコだ。


「もしもし」


『あぁ芹?昨日父ちゃんとまた話したけど、お金は大丈夫なの?』


「えっ…あぁ大丈夫だよ。バイトしてるし」


『バーでバイトしてるとは聞いたけど。足りるの?』


 そうなのだ。家族には、表向きでは私はバーでバイトをしていることになっている。ド田舎生まれド田舎育ちの私の親はとにかくもう過保護で、こうして電話をしてきては変な店で働いているのではないかとか、金銭面で大変なのではないかとか、ことあるごとに心配してくる。その心配はありがたいが、たまにとっても鬱陶しく思う。


「大丈夫だよ。節約してるし」


『それならいいけど。でもね、アンタ。いつまでそうやって夢見てそっちにいるつもり?もう30になるでしょ。彼氏もつくらず。近年晩婚化が進んで、とか、高齢出産で、とか耳にするでしょ。どうするのよ。母ちゃんは早く孫の顔が見たいのよ。小説家なんてね…なりたい人なんてね、星の数ほどいるのよ。そんな中から食べていけるほど売れるのは、とっても難しいことってわかるでしょ?今ならまだ間に合うのよ?早くこっちに帰ってきて、実家で暮らしながら新しい就職先見つけたって…』


「わかってるよ。わかってるから。でも……もう少し待って。大丈夫だから。私、大丈夫だから…今出先だから。切るね。また。」





 はぁ……。私は深いため息をついた。私だって、考えなかったわけじゃない。この10年間、何度も挫折して、その度に色々な所で働き、働いてはやはり作家という言葉が頭をよぎり、夢を追いかけてしまった。


 人間っていうのは、ホンットにないものねだりである。欲しいものを手に入れるまでは不満で、実際に手に入れてしまったらまた新しい刺激を求める。わたしはその境界線でふらふら、ふらふら。海で泳ぐタツノオトシゴのように、ゆらゆら、ゆらゆら。タツノオトシゴって可愛いよね。生で見たこと無いけど。クリオネでもいいや。クリオネのように、ゆらゆら揺れて、気持ちよくなりたい。海に住みたい。何もかも忘れ……って、ああまた現実逃避してた。



「おまたせいたしました。オリジナルコーヒーでございます」


 マスターが、テーブルに私が注文したオリジナルコーヒーをそっと置いた。いい香り。この喫茶店のコーヒーには、アルミに包まれた薄く小さなダークチョコレートが2枚ついてくる。それがまた美味しいのだ。粋なはからいだ。粋なはからいにイキイキ。


「ありがとうございます」


「お悩みのようですね」


マスターが、少しハスキーの、柔らかな声で私に声をかけた。


「あぁ…ちょっと…でも大丈夫です。すいません、どうも…あは」


 あぁ情けない。馴染みの店のマスターとは言え赤の他人にまで心配され、本当に…お先真っ暗。婚活しようかな。


「そういうときは、新しい風も、時には大切ですよ」


「え」


 マスターはそう言うと、ニコッと笑いカウンターに戻ってしまった。新しい風?新しい風邪…新型ウイルス上陸?コワ。いや、違うか。新しい風ね…いっちょ、競馬でやってみるか…?一攫千金!一生遊んで暮らせるぜ!



 カランカラン


 店の入口が、古い鐘の音とともに開いた。


「いらっしゃいませ」


 まっきんきんのお団子頭に、ばっさばさのマツエク。ピンク色の瞳は今流行りのブランドカラコン。ヒョウ柄の毛皮のコートを羽織り、下はふりっふりのミニスカート。足のレントゲン撮っていいっすか?ってくらいの高いピンヒールを履いた、100人中100人がギャルと認めるであろうその女性は、カツンカツンと高い音で歩くとドカリと私の前に座った。


「おまたーっ」


「詩織」


 親友である。

 

本田 詩織 同い年。小学生の頃に仲良くなり、どんな時も〜♪どんな時も~♪一緒に行動する、私にとっては唯一の友達だ。彼女も例によって名前を馬鹿にされてきた人間である。本のしおりとか。本にはさまってろとか言われて。詩織が私と違うところは、ガキ大将のようないじめっ子の男の子であろうと、自分を名前の事でいじってきた相手のキンタマを、自慢の筋肉質の足で蹴りあげてきた。私はいじめられたらダンマリ。あ、でも代わりに詩織がキンタマ蹴りあげてくれたっけ。


 彼女も私と同じく、18で上京した。というよりかは、上京する私に合わせて上京したと言ってもいい。と思う。エステティシャンとして某エステ店で働いているが、後々は自分のお店を出したくて、夜、出店の費用を貯めるため私と同じスナックで働いている。もともとは詩織がスナックで働きだし、私が紹介された次第だ。


「どう~小説進んでる?」


「ぼちぼちね。ってかアンタ、香水ちょっと臭いよ。またココに似合わない格好してきて」


「違くて~聞いて〜!このコート昨日買ったの~!香水も〜!芹に見せたくてさぁー。どぉ?どぉ?似合う?」


「似合うよ?素敵」


 根暗な私とは違い、詩織は明るくフレンドリー。声も大きくひたすら元気で、詩織の周りには人が集まる。でも、そんな詩織にも友達は1人しかいない。私である。


 何故なのか?たまに考える。すぐに結論が出る。変わってるからだ。カワリモノ。その言葉につきる。そして私もカワリモノ。ウマがあう。


 彼女は私のことが好きすぎるのだ。ギンギンに伝わる愛。いや、百合じゃないけど。ガールズラブではないけれど。でも、それは私にも同じことが言える。詩織は私の心のよりどころ詩織がいるからやっていける。そんな気がする。

ソング・バイ・セリ。



「まじ〜買ってよかったー!本当はさァ、芹と一緒に買い物行きたいのにあんたネタが溢れまくってるから書かないと忘れるとか言ってさ~?で、今はどんな話書いてるの?」


「アメリカ人のカップルが、猪突猛進する話」


「はぁ?意味わかんなっ!もっと普通の話かきなよ。なんなの猪突猛進って。だから売れないんだよ」


 毒舌である。


「いいよもうすぐ書き終わるし?っちゅーか、自費出版したら、詩織も消費者の1人になるんだからね。協力したまえ」


「え?!無理無理。アタシさぁ、活字読むと頭痛くなんの。1人で頑張れ」


「ねぇ~サインしてあげるからぁ~」


「芹のサインとか需要あるわけ?そーゆーの売れてから言えよっ」


「そらそーだわ」


 ゲラゲラと、2人でババ臭く手を叩いて笑う。


「マスター!ミルクティー!」


 立ち上がり手を上げ、店内に響き渡る大声で注文する詩織。おお恥ずかしい、毎度のことながら。今日は私たち以外にお客さんがいなくてよかった。


 そういえば、詩織も彼氏がいない。5年間同棲した彼氏とつい最近別れたのだ。暇なのか、仕事がない日は必ず私のところへくる。私のアパートであったり、私がいるこの喫茶店であったり。私はパソコンとにらめっこしているので、会話はほぼない。私は私の好きなことをするし、詩織も詩織で好きなことをする。時間が出来れば2人で街に出向いて、アハハオホホとショッピングする。夜の仕事が終わったふらふらの真夜中は、ふらふらしながら2人でラーメン屋に入る。ふらふらしながらアハハオホホとラーメンをすする。もう詩織と結婚しようかな。あれ?日本ってそういう結婚認められてたっけ。いや、やっぱやめとこ。



「てか、聞いて。昨日の同伴のおっちゃん!ちょっと腕組んだだけで3万もくれた!」


「マジ?ヤバ」


 マジ?ヤバ?29歳の女が使っていいものなのか。これもう若者しか使っちゃイケナイ言葉でしょ。マジヤベ。ま、相手は詩織だしいっか。マジヤベ。


「だからさ、今日は久しぶりにアタシも芹も休みだし、パーっと飲みにいこ!奢るし!1日OFFとか久しぶりだわーっ」


 あぶくぜに。あぁ良い響き。


「お待たせいたしました。ミルクティーでございます」


「はーい…って…えっぇ?」


 何?ミルクティーに何か入ってた?詩織のすっとんきょうな声を聞いてパソコンの画面から目を離し顔を上げると、イケメンが立っていた。大事なことだから2度言わせてもらう。イケメンが立っていた。


 イケメンはどうぞごゆっくり、と言うとキッチンに戻ってしまった。戻っていった、ではない。戻ってしまった。


「なに?誰あれ?なにあのイケメン?」


「いやいやいや、わかんない。ここに通い始めて3ヶ月経つけど、初めて見たよ」


 多分、身長は180cmくらい。くせのある黒髪。細まゆ。しかも目と眉毛が近い。日本人には少ない目と眉の距離。鼻筋も通り、唇も薄い。でもってぱっちり二重で、かわいらしい顔つき。しょうゆ顔。もろタイプ。なに?カッコよさと可愛さを兼ね備えてるイケメンって何?美味しいの?あとは…右目の下に泣きボクロが2つ、頬に小さく夏の大三角のような位置でホクロが3つ。あと2つあったら北斗七星ならぬホクロ七星やんけ。ホクロ七星。うける。


「新しく入ったバイトかな?芹!あとからマスターに聞いてみてよ」


「あ、うん。それにしてもあんなイケメンなかなかいないよね。でも、どっかで見たことある気がするんだよな〜。詩織わかる?」


「いやっ、全然!かっこいいけど~アタシのタイプではないわ」


「はは、うん、わかる。あんたのタイプではないわ」


「何歳くらいかな?」


「25、6くらいに見えたけど」


「年下ね〜…、ね、芹。年下イケる?」


「無理だわ」


「だよね」



 キリのいいところまで原稿が進んだので、詩織がミルクティーを飲み終わるのを待って店を出た。詩織に買うか迷ってる服があるから付き合ってくれと言われ、私達は某デパートに来た。あ、そういえばマスターにイケメンのこと聞くの忘れてた。ま、いっか、今度聞けば。詩織も忘れてるみたいだし。


「ね、詩織。アヤコから出産したってメールきた?」


「きたきた!どうしようね、出産祝い」


 詩織の声が、カーテンの向こう側から聞こえる。yes、彼女は今試着中です。夜の仕事に着ていく服を買いたいらしいです。夜の仕事…か。


「ね、詩織」


「あーんちょっと緩いかもぉ。え?なに?」


「私…はは、このままでいいのかな」


 カーテンの向こうで、ガサゴソという音が無くなった。きっとこちらを見て、真剣に聞くという合図。でもカーテンを開けることはしない。


「ちゃんとした職もないまま。29にもなって水商売して。小説もうまくいかないし。彼氏が居て落ち着いてるわけでもないし。…さっきさ、ミチコから電話きて」


「ママから?」


「うん。…親不孝だなって」


「……」


 しばし沈黙が流れる。


「詩織?」


「あー待ってー今LINE来たから返事してる」



 こ、い、つ、め!!そうだ。こういう奴だった。不覚にも笑ってしまった。一気に気が抜けた。



「いいよ。やりなよ。やりなよ、好きなこと。そりゃあパパもママも心配するよ。大事な子供には幸せになって欲しいんだから。アタシらはもう29だけど、まだ29だよ。しかも、親から見たらいつまでも子供だよ。彼氏なんて、そのうち出来るしそのうち結婚も出来るよ。出会いって、探すものじゃないから。突然訪れるものだから。今のバイトだって、40歳、50歳のママなんてざらでしょ?何歳になってもどんな仕事しても良いと思う。芹が嫌なら、バイト先変えればいいだけなんだから。結局は結果が大事なわけだけど、今はその結果を出すための岐路。重く考えないこと!アンタの悪い癖。私と一緒に住んだっていいし。そしたら一日中本を書けるよ」


「え…や、それは」


 シャッ


 勢いよくカーテンがひらく。


「どう?似合う?!」


「……イマサン」



 ─────────────────────



「「カンパーイ!」」


 詩織がひときわ大きなゴキュゴキュ音でビールを飲む。どうやったらそんな音が出るんだ。喉がおかしいのか。いやこいつは頭がおかしい。間違いない。


「プッハー!プライベートのビールが体に沁みるね」


「オヤジくさ」


 たこわさ、チャンジャ、お通しの枝豆。焼き鳥盛り合わせに、サクラユッケ。エイヒレ炙りに、炙り鮭とば。きゅうりのおしんこ、まぐろのたたき。


 喫茶店LuneAngeから徒歩5分ほどの場所にある、居酒屋らしい居酒屋。あかちょうちん。赤提灯という名のあかちょうちんである。うるさいほどのザワザワした客たちの話し声、店員の大きな通る声、こういう居酒屋のほうが、私たちの性に合う。


 時刻は19時、さぁ飲むぞ!しかし、卓上には食べ物が多すぎる。これはいつものことで、うちらの癖である。食べたいものは一通り全て頼む。赤提灯は、ひと皿が安いのがウリだ。しかもウマい。その代わり飲み放題とかのオプションはないけど。ビールをぐびぐび飲みながら、バクバクと、女らしからぬスピードで食べてしまう。いかがなものか。


「ねぇ、聞いて!この前さぁ、遊希から連絡がきて」


「遊希くんから?」


 遊希。詩織が5年間同棲した元カレである。


「そうそう。ウチに、物が残ってるから取りに来たいって」


「ふぅん。いいの?」


「捨てたよ!」


「えっ」


「って、伝えたの。もう捨てちゃったよって」


「本当は捨ててないんだ」


「うん。なんか捨てられなくて。でも、顔も見たくないし」


「私が遊希くんに渡そうか?」


「いやだ!芹にも会ってほしくないもん」



 詩織と遊希くんは、別れてしまった。遊希くんの浮気で。浮気というか、ワンナイトラブ。浮気か?浮気だ。気がふわふわ浮いちゃったんだから。



「会ったらさ…また気持ち戻っちゃうかもしんない。せっかく、断ち切れたのに」


「それって断ち切れたっていうの?会ったら気持ち戻っちゃうかも。って思ってる時点で、まだ気持ちあるよ」


「うっせブス!」


 うっせブスときたもんだ。


「だって許せないよ。ずっと信じてたのにさ」


 人は何故、浮気をするのか?こんな記事を読んだことがある。人は、生物学的に、子孫繁栄のために、男はより沢山の遺伝子を残したい。女はより優秀な遺伝子を求めたい。故に、浮気という行動をする、と。確かにそうである。人間も生物だから、本能的にそうなのであろう。ほかの生き物がどうなのかなんて知ったこっちゃあないが、人間には心がある。理性もある。したがって、本能的にそういう気持ちになっても、理性で制御することの出来る人が心のある人だ。つい、流れでやっちゃったよ~、でも帰るところはお前のところだけなんだ〜、男の性なんだ、お前を1番愛してるからさ〜。


 …と言ってる男の人は可愛く見えなくもないが、女にしてみりゃ最低だ。もしかしたら、詩織と5年間も同棲し、お互いに居るのが当たり前になり、そこにときめきも、刺激も、"新しい風"が、吹かなくなってしまったのかもしれない。

 遊希くんは新しい風を求めてしまったのかも。


「詩織は、断ち切りたいの?完全に」


「うん」


「だったら、メルアドも、電話番号も、LINEも消して、ブロックだよ。連絡が取れる状況があれば、気にしてしまうから」


「…うん。ってか!アンタはどーなのよ!あ、おっちゃ~ん、ハイボール2つねー!」


「はいよー!」


 おい待てハイボール2つ?ハイボールは苦手だって知ってるはずなのに。このやろう。


 アンタはどーなのよ?ワタシってどーなのよ。5年、彼氏がいない。5年前は…居たけど。その時は、まだお互い子供だった。2人で盛り上がって盛り上がって盛り上がって、一気に冷めた。完全冷却。チルド室。ジップロックだ。むしろ冷凍。ドライアイスもいっしょに冷凍。


 別れてから今までは、出会いこそあったものの、そこにピリリとくるスパイスはなかった。そういえば、大人になってからカレーライスをあんまり食べなくなった。食べれば美味しいけど、好んでは食べない。作れば2〜3日持つから、出歩きたくない休日の前日には作るけど。玉ねぎをまるまる3個たっぷりつかったビーフカレー。料理には自信がある。食べてくれる人なんて、詩織しかいないけど。で、何の話だった?新ウイルス日本上陸?テング熱?あれ、デング熱だっけ。忘れた。


「私?…婚活でもしようかな」


「おい!出会いは探すものじゃないって言ったでしょ!そーゆーんじゃなくて、たまにはオトコと遊べばって話」


「男ぉ~?どゆこと、それ。ワンナイトラブ?」


 死語である。


「そうだよ!結局それ!大事だから!だってアンタって…」


 そうである。5年間抱かれていないわけである。もうしょぼしょぼだ。



「でもその相手は?どうやって探すの?」


「アタシが紹介してもいいし〜それか~枕営業!」


「ばか!絶対ヤだからソレは」


「じゃあ、ホラ、見て。そこのお客さん」


 詩織が指差した先を見ると、私の後ろの席に男性が2人座っていた。1人は背を向けているため顔が見えないが、もう1人は完全に詩織のタイプの男性だ。


「超~かっこよくない!?なに?今日。イケメンの日?は〜、目の保養」


 詩織がうっとりとため息をつく。男性は、おそらくパーマをかけているだろうその髪を肩あたりまで伸ばし、オールバックなスタイル。顎ヒゲを生やし、太めの威厳のある眉。日サロに通っているのか生まれつきなのかはわからないが褐色の肌で、インストラクターか?と勘ぐってしまうほど、筋肉質である。この男性をRPGゲームのキャラクターに例えれば、絶対に大剣を使用している。悪いが私はこの手の男性が苦手だ。確かに男らしくて魅力的だが、ソース顔はタイプじゃないのだ。


「これも一種の出会いだよ、芹!ちょっと、声かけてきてよ」


「なんで私が?」


「いいからいいからホラ行った!」


「えっちょ、なんて?」


「この前会いましたよね?あ、人違いかもごめんなさ~いくらいでいいから」


「わかった」


 どうにでもなれ。酒の力だ。悪ノリだ。


 私は席を立ち、手ぐしで髪を整えながら(少し女子力アップ)大剣の男のほうまで歩き、にこやかに声をかけた。


「あの、すいませ~ん。この前会いましたよ……ね……へ!?!?!?」


 驚いた。目が飛び出た。心臓も飛び出そうになったが必死に戻した。心臓マッサージ。誰か心臓マッサージをしてくれ。心肺蘇生法。今なら人口呼吸も許してしんぜよう。詩織が不思議そうな顔でこちらを見ている。私は、自分の頬が高潮していくのが分かり、小声で人違いです、とボソリと言うとマッハ700のスピードで自分の席に戻った。


「どしたの?芹」


「や…あの…」


 言いたい!言えない!すぐ後ろに彼がいるから、言えない!小さい声で伝えても絶対に聞かれる!ひい!やっぱり悪ノリしなきゃよかった!ひい!


「なーに、ネーちゃん?」


 大剣の男が席についたまま私に声をかける。やめて!絡んでこないで!いや、先に絡んだの私だけどさ!


「あ。」


 詩織がまた、指を指した。おそるおそる…ふりかえると、私のすぐ後ろに背を向けて座っていた男性もこちらにふりむいていた。


「LuneAngeのバイトくんじゃ~ん」


 そうなのだ。大剣の男と一緒に居たもう1人の男性は、昼間ミルクティーを運んでくれたあのイケメンバイトくんだったのだ。私はどうすれば良いか分からず、目を伏せたままペコリとアタマを下げた。すると、バイトくんも同じくペコリと頭を下げた。


「逆ナンっすか?」


 大剣の男が、頬杖をついてニヤニヤしながら言う。


「ちがっ…「そう!あは〜ごめんね!迷惑だった?逆ナンって言うかぁ~、うちらもう話がつきちゃって、一緒に飲みたいなーとか」


 詩織ぃぃぃぃ!私の声にかぶせてくるな!否定をいきなり肯定にするな!


「いっすよ。かなたも良い?」


「うん」


 カナタ?バイトくんの名前か。って。いやいやいや。何一緒に飲む気してるの。いいから。そういうのいいから!恥ずかしすぎるから。なんか。


 大剣くんが席を立ち詩織の横に座った。すると、カナタくんも席を立ち、なんと私の横に座ったのだ。いや、そこしかないけど。そこしか座るとこないけどさ!


「なに、LuneAngeのお客さん?あ、吸っていい?」


 大剣の男がポケットからタバコを取り出す。詩織と私は頷く。


「そ!もう常連。でも、君は初めて見たよ。ね、芹?」


「えっ?あ…うん」


 私はカクカクカクと頷く。


「あ…バイト、今日からだったから」


 カナタくんがポツリと言う。LuneAngeでも思ったけど、この人…透き通った声。


「あ、そーなんだぁ~!どうりでね〜」


 そう…なんだ。えっ、じゃあしばらくはこれからLuneAngeに居るってこと…か。


「名前教えてよ!アタシは本田詩織。言偏に寺の詩に織物って書いて詩織」


「俺、宗方丈二。丈に数字の2でジョージ。こいつは、如月彼方。カナタはそのまんまの彼方。ボブカットのお姉ちゃんは?」


 ボブカットのお姉ちゃん。私である。そう。最近美容室に行き、腰まであった髪をばっさり切ってもらい、前下がりのボブにしてもらったのだ。カラーは近年流行りのアッシュ。アッシュグレー。そして襟足をレッドに染めている。お気に入りだ。赤色が好きなのだ。……ではなくて。


 一葉 芹…また、笑われるのだろうか。


「ほら…恥ずかしくないよ、芹」


「芹?」


 芹って野菜の芹か?と、ジョージが言う。


「せり……うん。私は一葉芹。数字の1に、葉っぱで一葉。芹はそのまま、野菜の芹」


 さぁ、言え、せり市場と。さぁ。心の準備が出来ているうちに。


「せり…せり…せ、り」


 そう、彼方くんが呟いた。


「いい名前。なかなかいないよね」


 いい……名前……?


「な。俺も思うわ。一葉ってぇ苗字もまずいねぇしな」


「世界で1人だけって、なんかいいね」


 世界に…1人だけ……


「え、芹?どうしたの?」


「ちょっと…くしゃみ出そ」


「なんだ。びっくりさせんなっ」



 私は顔を俯いたまま、しばらくあげることが出来なかった。嬉しくて。いい名前だ、って褒めてくれたことも。世界に1人だけ、って教えてくれたことも。嬉しくて、涙が止まらなかった。



「あ、ドリンク頼む?アタシと芹は生で、ジョージは?」


 詩織はよく気が利く。職業病ではなく、幼い頃からそうだった。私はというと、これまた詩織とは真逆で、色々なことに気がつかない。気も利かない。何も無い所で転ぶようなドジでもある。どーでもいいか。


「俺も生」


「彼方飲んでるのってレモンサワーだよね?またレモンサワーにする?それとも違うの頼む?」


 彼方くんのグラスには、レモンが入っている。レモンサワー。私も飲みたくなってきた、レモンサワー。


「あ…これ、レモンスカッシュ」


 レモンスカッシュ?


「なんだ~レモンサワーか!お酒飲めないの~?」


「あ…うん、俺、19だから。ホウリツイハン」





 ん?

 いま、なんちゅった?

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