第2話 新型ウイルス上芹



「19だから。ホツリツイハン」



19?ジューク?紙飛行機?

飛ばしとこうか?紙飛行機。

待って。日本の成人年齢って何歳?20歳。

19歳って何歳?

え?


19歳!?!?!?



「じゅ、19歳!?」


流石の詩織も驚いている。そりゃそうだ。

ついさっき、喫茶店で

イヤァーン何歳くらいかなァ〜〜〜

エェー25くらいじゃなァ~い?キャハ☆

…という会話をしていたのだから。



「そう。今年、19歳。だから、実を言うとまだ18歳。大学1年生だよ」



ヤバ。魂抜けた。

お母さん。ミチコお母さん。私、今、10も離れた男の子と飲んでます。不覚にも、さっきまで私はその男の子にときめいていました。

ママ。ミチコママ。流石にこれは無理です。難解です。ナンプレです。



「マッジで…うちら、てっきり20代半ばかと思ってたよ…ねぇ、芹」


「えぇ!?あ…あぁ、うん」


「あぁ、彼方はよく間違えられるよ。こいつ老けてんの」


「老けてるって!ウケる!えっ、でもちょっと待って。ジョージは?」


「あぁ、俺は25だから。彼方とは、実家が隣同士でさ。も、兄弟みたいなもん」




結局その日は、その後すぐにジョージと彼方くんは朝が早いからと二人一緒に帰っていった。

私たちもなんだか拍子抜けしてしまい、早めに撤収した。

…早めといっても日付は過ぎていたけど。

詩織は私の住んでいる街から2つ駅が離れたところに住んでいるため、タクシーで帰っていった。



コツコツコツコツ

歩く度に物静かな夜の街にパンプスの音が響く。


18歳…か。

少しでも、これは出会いかもしれないと思ってしまった自分が恥ずかしい。

っていうか分かれよ!一目見て未成年って気づけよ!

私も、詩織、おまえもだ。道連れにしてやる。


だって、嬉しかったんだ。初めて私の名前を褒めてくれたから。

詩織なんか、友達になった当初、芹って変な名前だね〜とヘラヘラ笑っていた。


18って。私がハタチの誕生日の時に9歳。ぶっ。ないわ。

ちなみに私は4月5日生まれだ。

つい先日誕生日を迎えたばかりである。

詩織からの誕生日プレゼントは、長さ2mのチー鱈だった。

意味がわからん。

詩織は3月5日生まれだ。私とは出生が約1年も違うのだ。もう少し敬ってほしいものだ。

1歳と、生後1ヶ月では成長の過程はだいぶ違うのに、何故大人になればなるほど差が無くなるのか。

そして、同じ場所で同じ時間を過ごしても、何故着実に良い人生を送れる人と、そうでない人に別れるのか。


出会い。

やっぱり、まだまだ訪れそうにない。



─────────────────




彼方くんたちと飲んでから、1ヶ月が経った。

あれから私は1度もLuneAngeに足を運んでいない。

彼方くんと会うのが何故だか気まずかった。

体はのどから手が出るほどLuneAngeのコーヒーを欲していたが、それより照れくささが勝ってしまう。

この性格、なんとかしてほしいものだ。

私は変わらず家で小説を執筆し、夜は客に酒を飲ませ飲まされた。

1つ変わったことといえば、アメリカ人のカップルが猪突猛進する話を書き終えたことだけだ。


「芹~、このサイダー飲んでいい?」


「ん〜」


例によって、今、私の家には詩織がいる。

私の住んでいるアパートは少し古めの5階建てで、周りは幼稚園児や小学生の子を持つ家族ばかりが住んでいる。

家庭感溢れる洗濯物や、たまに響く子供たちの声が、微笑ましさと共に羨ましくも思う。

作家なんて夢を追っていなければ、私も今頃家庭を持っていたのではないかと。


詩織はエステの仕事を終え、うちに来た。

詩織はいつもただいまーと私に声をかけ、私はおかえりーと返答する。

同棲している気分だ。いや、半分同棲みたいなものだけれど。

お風呂上がりの詩織は長い金髪をヘアバンドでたくしあげ、首には白い無地のタオルをかけ、腰に手を当てぐびぐびとサイダーを飲んでいる。


「くーっ、うま!あ、そういえば今日、お店に古谷社長来るってよ」


「同伴?」


「ううん、会社の人たちと大勢で来るから…って」


古谷社長は、私たちの働く、club Re:styleリスタイルにたまに来てくれるお客さんだ。

建設会社の代表取締役社長で、55歳。

月に1度来るか来ないかという頻度だが、来店すれば大盤振る舞いで売り上げが一気に伸びる。

エロくもないし、温厚で、店にとっても私たち従業員にとってもありがたいお客様だ。


「じゃあ今日はいつもより綺麗な格好していかないと」


「そうそう、出会い、あるかもしれないからね~」


詩織がニヤニヤしながら言う。

私はテーブルに置いてあったコルク質のコースターを手に取り、詩織の顔面めがけて投げた。

詩織は驚きもせず、避けるでもなく、それを俊敏に右手で受け止め、確認するかのように眺めた。


「あー!これアタシが買ったやつー!投げんなよ、なんてことすんだー!」


すると、仕返しのつもりか、詩織は髪をたくしあげていたヘアバンドをするりと抜き取ると、それをまるでプロのソフトボール選手並の迫力とスピードで私めがけて投げてきた。

もちろん、それは私の顔面にヒットし、ぽとんと床に落ちた。

つめた。冷たいわナス!いい感じに髪の毛の水分吸い取ってるから冷たいわ!


「やーい!ドジ!おたんこなす!ヘマ!運動神経ゼ〜ロ〜」


みなさん、おわかりいただけるだろうか。

これが、来年29になる独身女の言う事だろうか。

私はそんな詩織を横目に、パソコンの電源を落とした。



真っ赤なルージュに、マーメイドラインの真っ赤なプリーツワンピ。あぁやっぱり髪の毛切らなきゃよかった。ロングの方がゴージャスに見えるのに。

バッグも持ち、コートを羽織り、鏡の前でポーズを決めてみる。今流行りの小顔ポーズに足をくねらせて。


「きも」


ぐさり。後ろから矢が突き刺さる。矢じゃない。これはモリだ。もり。


今日はイロチオソロコーデだ。

イロチ、オソロ、コーデ。

わかる?

色違いのお揃いコーデ。


詩織と共に派手なドレスを買ったはいいが、私には着る勇気がなくクローゼットの番人になっていたのだ。

私は真っ赤なプリーツワンピ、詩織は色違いの真っブルーなプリーツワンピ。真っブルー。


見ろ、世の中の男ども。これがアラサー女 一葉芹の本気だ。

夜の世界で本気出すって。マジヤベ。

出会いとか、"新しい風"とか、特にそういったイベント事が待ち構えているわけじゃないけど、たまにはいいでしょ。

アラサーだって、女なの。


さぁゆこう。夜の街へ。羽ばたこう。闇の世界へ。

あっ、なんか今閃いた。新しい話書けそう。



────────────────────



「久しぶりだね、詩織ちゃん、リセちゃん」


「お久しぶりです。もうっ、古谷社長ったらしばらくお見えにならないから。どんな顔だったか忘れるとこだった〜!」


詩織が古谷社長のたばこに火をつける。


club Re:styleは、クラブと名はつくものの、そんな大層な店ではなくアットホームな雰囲気がウリだ。

働いている女の子たちも、…ん?女の子たち?少し語弊があるけど。

働いている女の子たちも、ずっと長く勤めている人たちばかりで、来店するお客様も常連客ばかりである。


リセ…というのは私の源氏名だ。芹なんて、間違っても言いたくないから。


「ハハハ、なかなか忙しくてね」


テーブルには、私と詩織、古谷社長と…それから、3人の男性がいる。見たところ、そのうちの2人は20代半ば、もう1人は30代後半…から40代前半に見える。

20代であろうその男性2人は、外見にこれといった特徴はなく、私には"社長に初めてむりやりスナックに連れてこられて緊張している普通の男性"としか思えなかったが、もう1人の男性は違った。


よれよれのスーツに、ぼさぼさの長めの髪、そして黒縁のメガネをかけている。

鼻の下と顎に髭を生やしているが、数日剃っていないのか頬のあたりもぽつぽつと無精髭が生えていて不潔な印象。

目の下には深いクマがあり、こんなことを言っては悪いが、まるで"仕事もうまくいかず古谷社長に助けてもらっている疲れきった男性"に見えた。




「紹介するよ。この2人が今春から入社した若林くんと田中くんだ。で、こっちが財前くん。財前くんは私の良き友だちだ」


私達が名刺を差し出すと、若林という人と田中という人は少し照れくさそうに受け取った。

しかし、財前と呼ばれたヨレヨレの男性は顔をうつむき名刺を受け取ろうとしない。


「財前くん?」


古谷社長の問いかけにも応えず、財前さんは黙り込んでいる。


「財前くん?」


古谷社長が肩を叩くが、びくともしない。

すると、古谷社長はハハハと笑いながら財前さんの鼻の穴にタバコを突っ込んだ。


な、なにすんねん

HAHAHAじゃねーわ!


すると、財前さんはビクッとして顔をあげた。


「は、は!?古谷くん、今、僕に何を…えっ、タバコだ」


「寝るなよ、いい店なんだから」


ね、寝?


「あれ…しまったな。また、寝てました?」


財前さんは照れくさそうに笑いながら頭をぽりぽりと掻き、大きなあくびをした。


「お疲れなんですね」


私がそう声をかけると、財前さんはまた頭をぽりぽりと掻いた。

かゆいんか?


「いやぁ…最近仕事がたてこんでいましてね。みっともない話ですが寝る暇もなくて」


貧乏暇なしとはこのことか。


「だからね、連れてきたんだよ、財前くんを。あんまり詰めて仕事をしていても、逆に支障をきたしてしまうよ。さぁ、今日は沢山飲んで憂さ晴らしをしましょう。ね、べっぴんさんが2人もいるんだから」


「まぁ!おじょうず」


私は古谷社長のこういうところが好きだ。

どんなトラブルがあっても、どんなに悪い空気が漂っていても、今のように疲れている人がいても、全て笑いに包んで穏やかな空気に変えてしまう。そして鷹揚で、寛大で、誠実である。もし私が男性を選ぶことができるのなら、こういう人を選ぶだろう。そしたら幸せになれる。たぶん。


─────────────────────



「一葉 芹、ミッション1である」


時刻はAM 2:30。真夜中真っ只中である。

大酒飲みの古谷社長は次々とボトルを開け、お店は万々歳…なのだが。

たまにいるよね。酔いつぶれて、店で眠り込んでしまって、みんなに放置されちゃう人。


財前さんである。


楽しいお酒だったのか、珍しく古谷社長も、もちろん若い男性社員2人も酔っ払ってしまった。ふらふらしていたが、頃合いを見て詩織が呼んだタクシーに乗り3人は帰っていった。

ただ財前さんは疲れていたのか、はたまたお酒にめっぽう弱いのか、どちらかは分からないがすぐにお酒をまわして眠り込んでしまっていた。


お店のママや女の子たちは客足が引くと少しずつ帰っていき、テーブルについていた私と詩織が残っていたが、詩織も朝からエステティシャンの仕事があるため帰っていった。


私のミッションは、この財前さんを起こしタクシーに詰め込むことである。


「財前さん、財前さん」


「……ん〜」


「財前さん、もうお店、閉めますよ。みんな帰っちゃいましたよ」


「ん……」


うつろな返事はするものの、まるで起き上がろうとしない。

私は財前さんの横に座ると、全身全霊をかけ、身体の全ての筋肉と神経を使い、財前さんを起き上がらせソファーにもたれかけさせた。


「とりあえずお水飲みましょう」


「ん…」


新しいグラスにこぽこぽとお水を注ぎ、財前さんの右手にグラスをつかませる。


「お水飲めばいくらかマシになりますよ」


すると、ようやく財前さんは重そうな瞼を持ち上げ、水を少し口に含み、飲み込んだ。


「やぁ…すいません。僕、お酒に弱いんです。いつも眠っちゃうんですよ。迷惑かけました」


「いえいえ。今、タクシー呼びますね」


「あぁ…いや…リセさん、ちょっと話を聞いてもらっていいですか」


「はい?」


財前さんは私に微笑みかけた。

あれ、えくぼがある。羨ましい。

えくぼがあるだけ可愛さ1.2倍。


「リセさん…期待のできない夢に向かって走ることって、どう思いますか。僕は今、とても悩んでいるんです。リタイアするか、しないかを」


期待の出来ない、夢…?

ハイ。挙手。わたしです。それ、わたしです。ここにいます。


「リタイア…ですか。私なら、しないです。…というか、今、私、その途中なんです。諦めたくても諦められないくらい大好きなことを夢見て、走ってます。その途中。どんなふうに見ても、うまくいくって思えないんですけど、でもやっぱり諦めきれなくて。いつか必ず、って思って。それが本当にうまくいかなくても、それって一種のもう一つのゴールだと思うんです。ベストを尽くせたなって。結果が大事だって言いますけど、形として残せなくても、自分の中には残りますよね。それだけでも生産性ってあると思うんです。だから、わたしまだ走ります」


あれ、何言ってるんだろう私。これは心の声なのか。

いや、これが本心なのか。私の。

いきなり照れくさくなり、紅潮する頬を手の甲でさする。

臭い言葉を並べ、財前さんがどんな反応をするかわからなくて、私はそっと財前さんの顔を見た。


財前さんは真顔で、私を見つめていた。


「リセさん…」


「…はい」


すると、突然財前さんは私の両手を握りしめた。


「君はなんて魅力的な人なんだ。ありがとうリセさん!僕は、とんでもない間違いを犯すところだった」


えっ。魅力的な人。嬉しいけど。

男性に手を握られたのなんか久しぶりで、手汗をかいてしまう。まずい。離してくれ。手汗がバレる。


財前さんは私の心の中を汲み取ったかのようにぱっと手を離した。


「いやぁ、こんな時間まで付き合わせてしまって申し訳ない。今日は帰るとするよ。あっ、お代」


財前さんは立ち上がり、慌ててカバンを開いた。


「いえ、古谷社長にお支払い頂いてますよ。タクシー呼びますね」


「何…また古谷くんに借りができてしまった。タクシー?、あぁ、大丈夫。迎えに来てもらうから。それよりリセさん…また、会いに来てもいいかな」


「え?ええ、もちろん」


「あぁ、これ、僕の名刺だ」


財前さんは内ポケットから名刺入れを出すと、1枚抜き取り私に渡した。私は立ち上がりそれを受け取り、店のドアを開けた。


「お気をつけて。あ、雨が降ってる…」


外は、ざぁざぁと強めの雨が降り注ぎ、深い水たまりができていた。店の中にも冷たい雨が落ちてくる。


「財前さん、お店の傘をどうぞ」


私が傘立てから傘を抜き取り渡そうとすると、財前さんは優しく笑って首を横に振った。


「いやいや、なんのこれしき。では、また」


そういうと、財前さんは背広を頭に被せ雨の中に飛び出し走っていってしまった。


迎えが来るまでお店にいたらと呼び止めた方が良かったのかもしれないが、私はすぐに一人になりたかった。

まず、しばらくぶりにこんな時間まで店にいたため疲れきっていたし、なにより財前さんに魅力的な人と言われたこと、また会いたいと言われたことに動揺が隠せなかったのだ。



これは、まさしく新型ウイルスである。

動悸がとまらない。

わたしの男性耐性、いずこ。


結局その日は後片付けやスケジュール確認等をして、帰路についたのは陽が眩しくなった朝方だった。

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