拳銃とコーヒー

宮島奈落

第1話

俺が見たのは、3Bの鉛筆と描きかけのスケッチ。

俺が聞いたのは、少し昔のジャズレコード。

俺が触れたのは、ざらりとしたキャンパス。

そして俺が飲んだのは、苦い苦いブラックコーヒー。


外は、雨が降っていた。



「実につまらない絵だな」

うるせぇよ。

「技術自慢に走っただけで、特筆すべきところは無いな」

うるせえって。

「無機質、無感情。表面的な美しさしか無い」

「君は一体何を描こうとしたんだ?」


あぁ、またか。


「っ…」

俺はそのくだらない絵のために数ヶ月も費やしたってのに。

悪態をつきながらベッドから降りる。

あの日から、毎晩だ。

数ヶ月かけた大作を 出品したにもかかわらず、主催者である会長に酷評されたあの日の夢を見る。

絵を描いていても頭にちらついて腹が立つ。

「うるせぇっつってんだろうが!!!!」

目の前にあったキャンバスに思い切り絵の具をぶちまけた。

その時。

インターホンが鳴った。


「いやー、久しぶりだなハドック。元気してたか?」

入ってきたのは友人のアルフ・ロスドロフ。舌を噛みそうな名前なので、俺は「ロス」と呼んでいる。

ロスは、近くで画商の仕事をしている。時々俺の個展を開いてくれたり仕事を持ってきてくれたりするのでかなり助かっている。

…のだが。

「俺今忙しいんだけど。あと自分でも引くほど機嫌が悪い」

「何だよ、寝起きか?八つ当たりはよせよ」

「会長の夢で起こされたからな。否が応でも下がるだろ」

「はぁ…何お前まだ気にしてんの?」

「当たり前だ。あれは俺の中でも納得いく出来だったんだ」

「まぁお前の気持ちもわかるけどさ、会長のいうこと間違っちゃいないと思うぞ俺は」

ー君は何を描こうとしたんだ?

…畜生。

「技術と計算で書いて何が悪いんだよ。『美術』だぞ、美しい技術と書くんだぞ。だいたいあれは無感情じゃない、緻密って言うんだっつの。何、アクションペインティングとかドローイングとかすればよかった?俺フォーヴイズムとかキュビズムとか認めない派なんだけど。」

怒涛のように文句を垂らす俺を前にして、ロスは苦笑いながら言った。

「そうじゃなくて。…ほら、例えばあれ」

ロスが指差したのは、俺がさっき絵の具をぶちまけたキャンバス。

「あ?」

「イラついてばしゃーっとやったんだろ」

「あぁ」

「そういう風に、お前の感情が理解出来る絵が見たいってことだろうよ。そりゃお前の主張も一理あるけどよ、突き詰めれば誰が描いたって一緒になっちまうだろ?要は個性がないんだよ」

会長とロスの言葉が身体中にまとわりつく。

個性ってなんだよ。

技術的な絵もある意味個性だろうが。

振りほどくように身震いをした。

「…はぁ…?」

「まぁお前の場合は個性の前に人間性を磨けよな。すぐイライラするだろ、普段表情変わんないくせに。『怒』だけはすぐわかるし」

今もな、と笑う。

「それに久々に訪ねてきた友人にコーヒーの一つも淹れやがらねぇし。気が利かないというか…」

「うるせぇ、俺コーヒー嫌いなんだよ」

「そうだっけ?」

「そうだよ。…ほら、用がないなら帰れ」

「用はなくても一人で生きて行けそうもない友人がいたら心配になんだろ」

「余計なお世話。玄関は向こうだぞ」

まだ何か言いたげなロスを無理やり押し出した。

「わかったわかった。帰るよ。…でもなハドック、一ついいか?」

「何だよ」

「お前さっき『納得いく出来だった』っつってたけど、俺にはそうは見えなかったぞ」

「…そうかよ、悪かったな!」

乱暴にドアを閉めた。

「…コーヒーなんか飲めるか…っ」

あの日に書いたモチーフは、4年前の出来事だ。



ー4年前、某国某街。

俺は大学生だった。

美術系を専攻したはいいがいまいち身が入らず、成績優秀とは言えなかった。

そもそも絵に興味はなく、得意だというだけの理由で選んだことを激しく後悔していた時期でもあった。

興味もないので当然やる気もない。サボり叱られ課題を潰し、必要最小限の単位を取るのみだった。


その日も、俺は講義を抜け出し街を歩いていた。

その街は中心部からは少し外れた、閑静な商店街が並ぶ散歩向きの場所だ。

だが今日はいつもに増して暗い。

雰囲気…いや、視覚的に。

そう思った瞬間、大粒の雨が降り出した。

やばい、傘がない。

とりあえず雨宿りをしようと適当に見つけた店に入った。

「いらっしゃいませー」

女の店員が一人と、数十枚の絵、数十個の彫刻。

店名はやはり「画廊」であった。

「どういったものがご趣味でしょう?」

…いや、興味ないんで。

…とは、言えないよなぁ。

「雨宿りなんで、買いにきたわけではないんです」

「そうなんですね…。お仕事は何かされているんですか?」

なんださっきから馴れ馴れしい。

ざっと店内を見たところ、売れた形跡が少ない。おそらく客入りが悪いんだな。

だとすれば少々馴れ馴れしくても仕方がないか。

…正直顔が好みだ。

「いえ、学生です」

「そうなんですか?年上だと思いました」

「店員さんは一人なんですか?」

「はい、私の店なので」

「えっ、そうなんですか。すみません」

まさかの店長だった。

「いえいえ、ごゆっくりどうぞ。」

ぺこ、とお辞儀をしてレジに戻っていった。

しばらくうろついていると、サックスとピアノの音が聞こえた。

ジャズだ。

「ずいぶん渋い趣味ですね」

「そうですね、少し昔ですね」

「そんな年には見えませんが…」

「親の影響なんです。だからレコード…ほら、針で聞くタイプの蓄音機なんです」

「本当だ、写真でしか見たことなかったです」

小さな店内に響くアルトサックスとピアノの音に包まれながら、壁にかかった絵を見ていると、一つの作品に目が止まった。

一面に霜が降りた野原。

後方には立ち並ぶ家々と木々。

例えるならピサロのような、柔らかな色合いと筆運び。

「あの、これって…」

「すみません、それは私の絵なので売り物ではなくて…」

「…えっ」

「私、描くのもすごく好きで。とは言っても自己満足程度ですけど」

「いや、すごくいいと…思います」

初めてこれほど絵に興味を持った。

いや、それだけじゃない。

この人は一体、どんな時にどんな風に、どんな表情で絵を描くのか。

知りたいと、思った。

「印象派…っぽいです」

「わかっていただけるんですか!?」

目に見えて表情が変わった。

「印象派の画家さんにすごく憧れてるんです。それこそモネ・シスレー・ピサロなんかに影響を受けてて」

ーあなたは?

「俺は、…えと」

……出て来ない。

「…レンブラント、とか」

思いついただけですごめんなさい。

正直印象派もいまいちわかってないですイキってすみませんでした。

「あー、いいですね。夜警とかですか?」

「あー、はい、うん。」

「バロック派の画家でしたっけ。光の表現が素敵ですよね。その辺の系統ですと、ルーベンス・フェルメールもそうですよね?」

誰だ…。

「そうですね、あの辺の画家は力があっていいと思います」

…なんの力だ、しっかりしろ俺。

この日俺は初めて講義をサボっていたことを後悔した。

奇跡的な知ったかぶりでなんとか凌いだが、彼女の口からはポンポンと異世界の言葉が飛び出している。

助けを請うように窓の外を見ると、雲の切れ間から光が差した。

「あ、あー、雨上がったみたいですし…帰ります」

「え、あ、はい…。ありがとうございました…」

ドアを開け、外へ出ると、わかりやすくテンションの下がった彼女が見えた。

もう一度ドアを開ける。

「…あの!」

「はい?」

「…また来ます…から」

なんでそう言ったのか、自分でもよくわからないが。

「いつでもいらして下さいね、待ってますから」

そう言って笑う彼女の顔が頭から離れないのは。

多分、そういうことだろう。

…とりあえず美術史勉強しよう。



3度目の来店でお互いの名前を知り、5度目の来店で夕飯に誘い、6度目の来店で美術館をめぐる計画を立て、8度目の来店で実行。

10度目の今日は出会って3ヶ月目になる。

「こんにちは」

「すみません、今日はちょっとお休みで…あら、ハドックさん」

店長、もといローデンガルトとさんは画用紙から目を離し、微笑んだ。

「絵、描いてたんですか」

「不定期に休業して描いているので、お客様にはご迷惑をかけているのでしょうけど…」

「何を描いていたんですか?」

「いえ、そんな見せられるようなものではないですよ」

「俺はローデンガルトさんの絵、好きですよ?」

唐突に溢れた「好き」の言葉に俺は動揺したが、なぜか止まらなくなって次々に言葉を溢した。

「一目見た時からずっとです。色合いとか、筆使いとか、そんなレベルじゃなくて。この人はどんな時にどんな表情で絵を描くのか、そんなところまで気にさせられたのはあなたの絵が初めてなんです」

ローデンガルトさんは俯き加減ではにかみながら聞いていた。

その表情は、いつも綺麗なローデンガルトさんを一層輝かせていて。

…あ、あー…やばい。

落ちた。

完全に落ちた。

表面張力ギリギリで水を張ったコップを少し揺らされて、決壊したようだ。

「あの、だから…これからは俺と描きませんか、絵」

中途半端に残された理性が中途半端に作動して、かなり歪曲した言い方になった。

「え、今画材あるんですか?!」

「いや…違います、その…」

ここまでくれば言うしかない、と。

腹を括った。

「俺は、絵を初めて見た時から多分ずっと、あなた自身を見ていました。絵はもちろん、ローデンガルトさん自身も俺は好きなんです」

…言い終えた後から、じわじわと後悔の念が滲む。

ローデンガルトさんは俯いたままだ。

「あの…」

「はい…っ」

「私、今日の絵、上手く描かなきゃいけない気がしていつも以上に時間が掛かっちゃってるんです。なんでかわからないんですけど、なかなか納得いかなくて」

画用紙を俺の胸に押し当てた。

「でも、今わかったんです。それはきっとこの絵のモチーフのせいですね」

ハドックさん、と。

3ヶ月前のこの場所で、俺に見せたあの笑顔で。

「私もハドックさんが好きですよ」

画用紙には、かなり美化されているような俺が描かれていた。



ローデンガルトさんは、コーヒーを淹れるのが上手い。家の中にはいつも、コーヒーと画材の匂いが漂っている。

「うん、美味しい。ローデンガルトさんやっぱり上手です」

「そうですか?…あと、いい加減クロエって呼んでくれませんか」

彼女はかっこ良すぎるこの名字があまり好きではないようだ。

クロエ・ローデンガルト。

うん、かっこいい。

「それはまだ…照れるというか…。いや、待ってください。そっちも俺のことハドックさんって言うじゃないですか。ゼインって呼んでくれたことないでしょう」

「…もう」

ロー…クロエさんと出会ってから、月日が経つのが信じられないくらいに早い。

そのくせ会えない日は一日が50時間くらいにでもなった気がする。

俺はずっと陽だまりの中にいるような心地でいた。

あぁ、幸せっていう感情はこれだったんだ。


そんなある日のことである。

俺が大学を卒業する2ヶ月前、クロエさんから急に呼び出しがかかった。

家に向かうと、玄関から見知らぬ男と、それに…手を振る…クロエさん…?

…?

この構図はもう「現行犯」にほかならない。

まさか今日の呼び出しはこれを見せつけるため…?

「残念ね、私はもう別の人を見つけたの。空気読んで別れなさいよ」

的な?

唖然と立ち尽くす俺に気づいたクロエさんが、こちらに手を振った。

「ハドックさんー、何してるんですか?」

「…っ、何って、そっちが何してるんですか!!」

「え?」

今さっき見送ってたの見てましたよ、俺。

今更そんな白々しい嘘つかなくていいじゃないですか。

これ以上俺を裏切るつもりなんですか。

「…何で、…」

言いたいことは山ほどあるはずなのに、言葉にならない。

その様子を呆然と見ていたクロエさんが、突然笑い出した。

「ふふ、違いますよ。あの人はただの知り合いの学芸員さん。でも、確かに今日はあの人のことでお話があります」

クロエさんに促され、家に入った。

「…で、学芸員さんがあなたに何の用なんです」

クロエさんお手製のコーヒーをすすりながら、俺は尋ねた。

「一ヶ月くらい前に、店に来ていただいて」

その時に…、と少し言い淀んでから続けた。

「私の絵をすごく褒めてくださって。そこで『私につてがあるから本格的な勉強を始めないか?』と仰ったんです」

「すごいじゃないですか」

「ええ、でも…」

その方、お隣の国にお住いのようなんです、と。

クロエさんは笑った。

「とても魅力的な内容でしたけれど、お隣の国となると話が大きくて…」

「…いいんじゃ、ないですか」

「…え?」

「何処へでも行ったらどうですか。絵、勉強したいんでしょう?」

さっきのあなたの笑顔は、無理をした時のものだ。

良くも悪くも分かり易すぎるんですよ、あなたは。

「でもそうしたら…なかなか時間も取れなくなりますし…」

「…俺がそこまでしてあなたに会いたいとでも思ってるんですか」

舌が滑る。

うまく口が回らない。

もう少し。

もう少しで、終わる、から。

「そこまで本気にされてても困るんですよ、ローデンガルトさん」

表情は、わからない。

俺が俯いてしまっているから。

…あの日とは何もかも逆だ。

「だいたい呼びだしたってことは後ろ髪引かれてるんでしょう?」

ここまできたら言うしかない、と。

もう一度俺は腹を括った。

「さようなら、ローデンガルトさん」

俺がドアを閉めるその時まで。

彼女は一度も引き止めなかった。


あの時「愛」や「幸せ」を知らなければ。

これほどの「悲しみ」や「喪失感」を知ることはなかった。

晴空がただただ鬱陶しくて。

ブラックコーヒーの後味が苦く喉にまとわりついて。

一杯の水で「全て」流し込んだ。


俺は「感情」を抑え込むことを覚えた。



クロエさんが旅立って一週間後。

ある荷物が届いた。

それは、俺の横顔を書いたキャンバスだった。

ありがとうございました、と几帳面な字で一言添えられていた。

何をするわけでもなく、俺は押し入れにしまい込んだ。


それは未だに押し入れの中だ。


「どうしたら描けんだよ…」

感情を絵に乗せるなんて無理だ。

あたりにはぐしゃぐしゃに塗りつぶした絵が散らばっている。

片付けようと拾い集めていると、押し入れの前にたどり着いた。

取手に手をかける。

ーハドックさん。

「…くそっ」

がらり、と押し入れを開けた。

あの時の肖像画は奥で埃をかぶっていた。

引っ張り出して埃を払う。

「…なんだよ、これ」

大好きだった色使いは、ひどく汚れて見えて。

そのくせ綺麗に着色されていく頭の中の思い出。

思わず、頭を抱えた。

「…っ!!」

衝動。

まさにその言葉通り、引き出しから護身用の拳銃を取り出した。

銃口を「俺のこめかみ」に当てる。

その姿がなぜかひどく笑えて、どうしようもなかった。

「もういい…か」

そのまま、引き金を引いた。



「なんだよハドック、話って」

「描けたんだよ、持っていけ」

「そうか!で、どれだよ。早く見せろ」

「まぁそう焦るな。…ほら」

「おお!!一気に画風変えてきたな、テーマは?」

「なんだろうな…」


俺が見たのは、3Bの鉛筆と描きかけのスケッチ。

俺が聞いたのは、少し昔のジャズレコード。

俺が触れたのは、ざらりとしたキャンパス。

そして俺が飲んだのは、苦い苦いブラックコーヒー。


「拳銃とコーヒー、かな」

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